オオウエエイジと、オルガン ― 2009年08月03日
やっと明けたね、梅雨。
暑いね。それにしても。
もう8月で、大フィルさんをはじめとするオーケストラは夏休みに入ったのだけれども。7月の終わりの定期、行ってきたよ。
暑気払いの大フィルさん。今夜のプログラムは、パガニーニとサンサーンス。
もちろんお目当ては、サンサーンスのオルガン付き。とはいえ知らないんだよね、この曲。たぶん前に聞いたことあるはずなのだけれども。
パガニーニの協奏曲。ソリストは大きなお兄さんでね。音も大きくて、おもしろかったな。プログラムにもあるように、オケはかなり単純な事しかやっていなくてね、本当に唄伴、っていうかんじなのだけれど。っていうか半分くらいは裸のカデンツァ?
技術は堪能したのだけれど、小技が多すぎて、本当に譜面がその通りなのかがよくわからないんだよね。楽屋落ちのねたが多くて、おもしろいんだかそうでないんだかよく分からない芸人みたいな感じ。
とはいえ、オケのトゥッティの中からも抜けてくる音。気持ちよかったな。
休憩の後は、オルガン。
この曲はね、もう細かいところはどうでもよくて。
オルガンって、こんなに存在感のある楽器なんだ。オケのトゥッティが終わって、沈黙の中かき鳴らされるオルガンの和音。ハッとするほどのとげとげしい存在感を持って僕に襲いかかってきたよ。そんなに音量があるとは思えないのにね。
そして、存在感があるのは、なにも裸の時だけではなくて。
ブルックナーの交響曲が、オルガン的だってよくいわれるよね。上から下までのすべての音域が同じ質感で鳴り響く、主にブラスが形作るコラールの響きがオルガン的だって。
まさにそうなんだけどね。
一人で弾くオルガンと、100人で奏でるオルガンの響き、どっちが好きかっていったら、やっぱり100人の方を選ぶなあ、僕は。だって贅沢だもの。
ところが今日は、その100人のオルガンと一人のオルガンをまとめて聞けちゃうんだ。それが楽しみだったんだよね。
曲は、まずオルガンがコードを提示して、それがブラスをはじめとするオケに取って代わっていくという構造が多くって。なるほど大フィルさんのコラールはやっぱりオルガン的なんだな、とか楽しんでいたのだけれど。
びっくりしたのは、最後のコーダ。
最後にいたってようやく、フルパワーの100人とフルパワーの一人がガチンコにぶつかって101人のコードになるのだけれども。
なんと。
僕は、そうなったらもちろん、オルガンの音なんかかき消されてしまって、大フィルさんのコラールになるんだろうと決めてかかっていたのだけれど。
なんと。
判定は、対等。あるいはオルガンの優勢勝ち。
100人のコードにどうしてもできる、輪郭のギザギザなところや小さい穴を、オルガンの柔らかい音が埋めていく。
コップに入れたたくさんの大豆、そこに水を入れていくみたいにね。
結果的に、音の輪郭を支配するのは、オルガン。まさかそんなことが起こるとは思わなかったよ。
平均律のオルガンの、微妙なうねりがその存在感を呼ぶのかなあ。いろいろ考えてみたのだけれど。
もしあの響き、オオウエエイジとオルガンの室住さんがねらって作ったとしたら、とてつもないね。二人とも。
そうだ、10月に韓国のインチョン・フィルがオルガンやるんだ。そこで確かめてみようかな。オオウエエイジのマジック。
ただ、それだけのはなし。
暑いね。それにしても。
もう8月で、大フィルさんをはじめとするオーケストラは夏休みに入ったのだけれども。7月の終わりの定期、行ってきたよ。
暑気払いの大フィルさん。今夜のプログラムは、パガニーニとサンサーンス。
もちろんお目当ては、サンサーンスのオルガン付き。とはいえ知らないんだよね、この曲。たぶん前に聞いたことあるはずなのだけれども。
パガニーニの協奏曲。ソリストは大きなお兄さんでね。音も大きくて、おもしろかったな。プログラムにもあるように、オケはかなり単純な事しかやっていなくてね、本当に唄伴、っていうかんじなのだけれど。っていうか半分くらいは裸のカデンツァ?
技術は堪能したのだけれど、小技が多すぎて、本当に譜面がその通りなのかがよくわからないんだよね。楽屋落ちのねたが多くて、おもしろいんだかそうでないんだかよく分からない芸人みたいな感じ。
とはいえ、オケのトゥッティの中からも抜けてくる音。気持ちよかったな。
休憩の後は、オルガン。
この曲はね、もう細かいところはどうでもよくて。
オルガンって、こんなに存在感のある楽器なんだ。オケのトゥッティが終わって、沈黙の中かき鳴らされるオルガンの和音。ハッとするほどのとげとげしい存在感を持って僕に襲いかかってきたよ。そんなに音量があるとは思えないのにね。
そして、存在感があるのは、なにも裸の時だけではなくて。
ブルックナーの交響曲が、オルガン的だってよくいわれるよね。上から下までのすべての音域が同じ質感で鳴り響く、主にブラスが形作るコラールの響きがオルガン的だって。
まさにそうなんだけどね。
一人で弾くオルガンと、100人で奏でるオルガンの響き、どっちが好きかっていったら、やっぱり100人の方を選ぶなあ、僕は。だって贅沢だもの。
ところが今日は、その100人のオルガンと一人のオルガンをまとめて聞けちゃうんだ。それが楽しみだったんだよね。
曲は、まずオルガンがコードを提示して、それがブラスをはじめとするオケに取って代わっていくという構造が多くって。なるほど大フィルさんのコラールはやっぱりオルガン的なんだな、とか楽しんでいたのだけれど。
びっくりしたのは、最後のコーダ。
最後にいたってようやく、フルパワーの100人とフルパワーの一人がガチンコにぶつかって101人のコードになるのだけれども。
なんと。
僕は、そうなったらもちろん、オルガンの音なんかかき消されてしまって、大フィルさんのコラールになるんだろうと決めてかかっていたのだけれど。
なんと。
判定は、対等。あるいはオルガンの優勢勝ち。
100人のコードにどうしてもできる、輪郭のギザギザなところや小さい穴を、オルガンの柔らかい音が埋めていく。
コップに入れたたくさんの大豆、そこに水を入れていくみたいにね。
結果的に、音の輪郭を支配するのは、オルガン。まさかそんなことが起こるとは思わなかったよ。
平均律のオルガンの、微妙なうねりがその存在感を呼ぶのかなあ。いろいろ考えてみたのだけれど。
もしあの響き、オオウエエイジとオルガンの室住さんがねらって作ったとしたら、とてつもないね。二人とも。
そうだ、10月に韓国のインチョン・フィルがオルガンやるんだ。そこで確かめてみようかな。オオウエエイジのマジック。
ただ、それだけのはなし。
大植英次のマラ9 w/ハノーファ北ドイツ放送フィルハーモニー ― 2009年06月21日
大昔のミネソタ管の来日公演が、911の影響で中止になったから。
僕にとってははじめてになるんだよね。大フィルさん以外のオケを振る、オオウエエイジ。あ、きょうは大フィルのオオウエエイジじゃないから、大植英次って呼ぶことにするね。
もちろん、大植英次は世界中で活躍している指揮者で、ハノーファやミネソタや、バルセロナでも常任として棒を振っている。
でも、歩いて気軽に行けるホールで年に何回も棒を振ってくれる大植英次は、僕にとってはやっぱり大フィルさんのオオウエエイジであって。
だから、よそのオケを率いて大阪に来る大植英次、ちょっと違和感があったんだよね。それもこっちの方がつき合いも長いし勲章ももらっちゃったから本妻なんだよ、っていう感じで来られると。
もちろん、それはこっちのやっかみ以外の何物でもないのだけれど。
だから、と言う訳でもないけれど、多分このオケを率いて大阪に来るのってはじめてじゃないよね。でも僕ははじめてだから、意識的に飛ばしたのか、出張かなんかで行けなくて、ッ悔しいから忘れているかどっちかだね。
というわけで、ハノーファ北ドイツ放送フィルハーモニーを振る大植英次。しかも、マーラー9番。どんな演奏を聴かせてくれるんだろうね。
しかも、っていうわりには、僕はマーラーの9番を良くは知らないのだけれども。
バーンスタインの全集や、それからもうひとつバーンスタインが生涯でただ一度だけ、ベルリンフィルを指揮したときのディスクとかは持っているのだけれど。特に後者は、えげつない演奏だっていうことをいやという程聞かされているのだけれど。でも、あんまりぴんと来ないんだよね。
でも、あんまり関係ないんだ、そういうこと。
重要なのは、カラヤン傘下のベルリンフィルを振るのにバーンスタインが用意したように、ここぞというときのキメに使われる曲で、しかもえげつなくなれる曲。それだけ知っていたらじゅうぶんだよね。期待を煽るには。
もちろんほぼ満員の客席。
ハープ2台をはじめとした大編成を、こじんまりと配置したステージ。
チャイムのかわりにぶら下がる鉄板。
ああ、マーラーの最後の曲、なんだ。
珍しく開演時刻を5分以上過ぎてから、整列して入場するオケ。でか。
袖の扉に頭つかえそうな大男たちが、小さく配置した椅子に座ると、密度高っ。
入場時からの惜しみない拍手。
そして、ヒトの藪を掻き分けて入ってくる大植英次。
入場時としては、最高潮の拍手。
大阪のヒトは、あったかいね。このときは僕は、実はあんまり好意的な拍手をしていなかったんだ。街の名家のご亭主が、外でこしらえた別嬪の愛人連れてきた、みたいな感じでね。
高い指揮台によじ登って、いつもより長い、ずっと長い礼をする大植英次。
そして、始まった曲。
ああ。
大フィルさんとは、違うんだ。
音が。
NDRの音ってどんなもんだろう、ってちょっと意地悪な興味があってね、僕はいつも大フィルさんの定期を聴く座席のすぐ近くに席を取ったんだ。
ほぼ同じ1から聴くNDR。
なんだこりゃ。
曲がどうとか、そんなことには全くたどり着けず、音に、打ちのめされたんだろうな、僕は。
悔しいけれど。
大フィルさんが非力だとか、感じたことはなかったんだよね。今まで、僕は。
1970年代のベートーヴェンとか聴くと、やっぱり日本のオケだな、って思うけれど、生で聴いた2000年以降、フェスでだってそんなこと思わなかった。
でも、違うんだよね。NDRは。
最初聴いたとき、弦の音が荒いな、って思ったんだよね。雑なんではなくって、音の粒子が粗い。ザッていう、胴の音ではなくて弦の音中心の響き。
でも、たとえばヴァイオリンだけ裸になるところとか、チェロのトップのソロとかの艶っぽさっていったら。
それに加えて、管楽器。
あいつら、4人いたらシンフォニーホールを音で埋めつくすことが出来るんだよ。
オーボエとクラリネット。
ファゴットとコントラファゴット。
金管楽器は一人で十分だね。
ホルン、ラッパにバストロ。
そして、チューバは一人で、シンフォニーホールを音で満たすんだ。
つまりね。
音を満たす、っていうのを宇宙戦艦ヤマトに例えるとすると、大フィルさんの波動砲は確かに圧倒的な迫力を持っているけれど、NDRは主砲じゃなくって脇のバルカン砲でも、十分致命傷を与えられるんだよね。
そのくらいの存在感。
シンフォニーホールなんて小さなホールではもったいないな。
曲に行くとね。
どこをとっても十分すぎるほどに鳴っている音は、裏返したらどこをとってもおんなじ様に聞こえてきて。
金太郎飴みたいだな、って思ってたんだよ。前半はね。
だから、あまりの心地良さについうとうとしてしまったりして。
でも、3楽章のお祭り騒ぎで我に返って。
そして、終楽章。
長い長い、コーダ。
どこをとっても同じ音の密度は、信じられないことに、コーダのピアニッシモまで全く変化しないで。
そして、その密度は、最後の音が天上に吸い込まれても、大植英次の緊張感に満ちた指揮棒から拡がって、ホールを支配し続けた。
大植英次の指揮棒がゆっくりと下がって。そして、ようやく大植英次の体から力が抜けた瞬間。
ホールは、拍手で満たされたよ。
ブラヴォーコールの入る隙のない、密度の高い拍手。
長い長いカーテンコール。
待ちきれなくなった楽団さんが解散しても、拍手は止まなくってね。
扉を選挙する大男たちの流れに逆らって、泳ぐように大植英次がステージに帰ってきたよ。
一般参賀。
総立ちの聴衆。
大植英次。
ハノーファで、いい関係を築いていたんだね。
大フィルさんとも、地方に行ってこんなにあったかく迎え入れてもらう関係を築いているんだよね。ね。ね。
この演奏もたいがいえげつないと思うのだけれど。
バーンスタインのえげつない演奏、ちゃんと聴いてみよっと。
ありがとう。大植英次。
今度はオオウエエイジとして、いい演奏聴かせてね。
ただ、それだけのはなし。
==============================
ハノーファ北ドイツ放送フィルハーモニー
大植英次
ザ・シンフォニーホール 1階J列32番 A席
僕にとってははじめてになるんだよね。大フィルさん以外のオケを振る、オオウエエイジ。あ、きょうは大フィルのオオウエエイジじゃないから、大植英次って呼ぶことにするね。
もちろん、大植英次は世界中で活躍している指揮者で、ハノーファやミネソタや、バルセロナでも常任として棒を振っている。
でも、歩いて気軽に行けるホールで年に何回も棒を振ってくれる大植英次は、僕にとってはやっぱり大フィルさんのオオウエエイジであって。
だから、よそのオケを率いて大阪に来る大植英次、ちょっと違和感があったんだよね。それもこっちの方がつき合いも長いし勲章ももらっちゃったから本妻なんだよ、っていう感じで来られると。
もちろん、それはこっちのやっかみ以外の何物でもないのだけれど。
だから、と言う訳でもないけれど、多分このオケを率いて大阪に来るのってはじめてじゃないよね。でも僕ははじめてだから、意識的に飛ばしたのか、出張かなんかで行けなくて、ッ悔しいから忘れているかどっちかだね。
というわけで、ハノーファ北ドイツ放送フィルハーモニーを振る大植英次。しかも、マーラー9番。どんな演奏を聴かせてくれるんだろうね。
しかも、っていうわりには、僕はマーラーの9番を良くは知らないのだけれども。
バーンスタインの全集や、それからもうひとつバーンスタインが生涯でただ一度だけ、ベルリンフィルを指揮したときのディスクとかは持っているのだけれど。特に後者は、えげつない演奏だっていうことをいやという程聞かされているのだけれど。でも、あんまりぴんと来ないんだよね。
でも、あんまり関係ないんだ、そういうこと。
重要なのは、カラヤン傘下のベルリンフィルを振るのにバーンスタインが用意したように、ここぞというときのキメに使われる曲で、しかもえげつなくなれる曲。それだけ知っていたらじゅうぶんだよね。期待を煽るには。
もちろんほぼ満員の客席。
ハープ2台をはじめとした大編成を、こじんまりと配置したステージ。
チャイムのかわりにぶら下がる鉄板。
ああ、マーラーの最後の曲、なんだ。
珍しく開演時刻を5分以上過ぎてから、整列して入場するオケ。でか。
袖の扉に頭つかえそうな大男たちが、小さく配置した椅子に座ると、密度高っ。
入場時からの惜しみない拍手。
そして、ヒトの藪を掻き分けて入ってくる大植英次。
入場時としては、最高潮の拍手。
大阪のヒトは、あったかいね。このときは僕は、実はあんまり好意的な拍手をしていなかったんだ。街の名家のご亭主が、外でこしらえた別嬪の愛人連れてきた、みたいな感じでね。
高い指揮台によじ登って、いつもより長い、ずっと長い礼をする大植英次。
そして、始まった曲。
ああ。
大フィルさんとは、違うんだ。
音が。
NDRの音ってどんなもんだろう、ってちょっと意地悪な興味があってね、僕はいつも大フィルさんの定期を聴く座席のすぐ近くに席を取ったんだ。
ほぼ同じ1から聴くNDR。
なんだこりゃ。
曲がどうとか、そんなことには全くたどり着けず、音に、打ちのめされたんだろうな、僕は。
悔しいけれど。
大フィルさんが非力だとか、感じたことはなかったんだよね。今まで、僕は。
1970年代のベートーヴェンとか聴くと、やっぱり日本のオケだな、って思うけれど、生で聴いた2000年以降、フェスでだってそんなこと思わなかった。
でも、違うんだよね。NDRは。
最初聴いたとき、弦の音が荒いな、って思ったんだよね。雑なんではなくって、音の粒子が粗い。ザッていう、胴の音ではなくて弦の音中心の響き。
でも、たとえばヴァイオリンだけ裸になるところとか、チェロのトップのソロとかの艶っぽさっていったら。
それに加えて、管楽器。
あいつら、4人いたらシンフォニーホールを音で埋めつくすことが出来るんだよ。
オーボエとクラリネット。
ファゴットとコントラファゴット。
金管楽器は一人で十分だね。
ホルン、ラッパにバストロ。
そして、チューバは一人で、シンフォニーホールを音で満たすんだ。
つまりね。
音を満たす、っていうのを宇宙戦艦ヤマトに例えるとすると、大フィルさんの波動砲は確かに圧倒的な迫力を持っているけれど、NDRは主砲じゃなくって脇のバルカン砲でも、十分致命傷を与えられるんだよね。
そのくらいの存在感。
シンフォニーホールなんて小さなホールではもったいないな。
曲に行くとね。
どこをとっても十分すぎるほどに鳴っている音は、裏返したらどこをとってもおんなじ様に聞こえてきて。
金太郎飴みたいだな、って思ってたんだよ。前半はね。
だから、あまりの心地良さについうとうとしてしまったりして。
でも、3楽章のお祭り騒ぎで我に返って。
そして、終楽章。
長い長い、コーダ。
どこをとっても同じ音の密度は、信じられないことに、コーダのピアニッシモまで全く変化しないで。
そして、その密度は、最後の音が天上に吸い込まれても、大植英次の緊張感に満ちた指揮棒から拡がって、ホールを支配し続けた。
大植英次の指揮棒がゆっくりと下がって。そして、ようやく大植英次の体から力が抜けた瞬間。
ホールは、拍手で満たされたよ。
ブラヴォーコールの入る隙のない、密度の高い拍手。
長い長いカーテンコール。
待ちきれなくなった楽団さんが解散しても、拍手は止まなくってね。
扉を選挙する大男たちの流れに逆らって、泳ぐように大植英次がステージに帰ってきたよ。
一般参賀。
総立ちの聴衆。
大植英次。
ハノーファで、いい関係を築いていたんだね。
大フィルさんとも、地方に行ってこんなにあったかく迎え入れてもらう関係を築いているんだよね。ね。ね。
この演奏もたいがいえげつないと思うのだけれど。
バーンスタインのえげつない演奏、ちゃんと聴いてみよっと。
ありがとう。大植英次。
今度はオオウエエイジとして、いい演奏聴かせてね。
ただ、それだけのはなし。
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ハノーファ北ドイツ放送フィルハーモニー
大植英次
ザ・シンフォニーホール 1階J列32番 A席
オオウエエイジの、マラ5 ― 2009年02月21日
ひさしぶりに、想いだしたよ。
息をするのを忘れることって、あるんだね。
いつもの二日目から一日目の演奏会に振り替えて、大フィルさんの用意してくれた席は、前から5列目の左側。ステージいっぱいに広がったヴァイオリンの、一番後ろの人の真っ正面くらいかな。
なんかなじみのある席。アングル。
ああ、そうだ。じいさんの一般参賀を間近で見たくて、このあたりの席に座ったことがあったな、昔。
開演直前に息を切らせながらホールに飛び込んだらね、今日の終演時間は9時45分を予定していますっていう張り紙。あれ、マーラーだけじゃなかったんだ。
プログラムを見たら、マラ5の前にモーツァルトのピアノ協奏曲があるんだね。それで長丁場なんだ、こんなに。
席はちょうどね、オオウエエイジを見るとその視線の途中にソリストが見えるっていう、ありがちな写真のアングルのような席。 協奏曲は、まあモーツァルトで。あんまり演奏がどうってわかんないんだよね。ただ、今回の曲なのか、席のせいなのかはわからないけれど、やたらピアノが裸になるところが多かったような気がして。その緊張感の保ち方がよかったんだよね。
昼間の長い会議で消耗していた僕でも、ピアノ協奏曲なのに、ちっとも眠くならずに楽しめました。ピアノの音は僕の好きなぱらぱら系ではなく、まるまる系でまあ、そんなもんでしょう、っていうかんじなのだけれど。
結構ヴォリュームのある第一部の休憩のあと、マーラー。
オオウエエイジのマーラーって、2番と6番と、単発でやった1番(2回だっけ?)で4曲目になるのかな。僕にとっては特に大好きな作曲家っていうわけではないけれど、楽しいしわくわくするし、なによりオオウエエイジらしい、っていうイメージがあるよね。6番はちょっといまいちだったけれど。
さて、演奏は。
前から5列目だと、ヴァイオリンの外側の人しか見えないんだよね。低い位置だし、近すぎて。
だから、最初のラッパが、ステージの上から吹いているのか、袖で吹いているのかよくわからなかったのだけれど(最後にたたせたラッパがものすごく左側にいたから、たぶんステージの上で吹いていたんだね)。すごいね。細かいところでちょっとはずれちゃったから、もしCDになるとしたら明日の演奏になっちゃうのかもしれないけれど。でも、あの素直な音と、何よりも特に中音域の響き、好きだなあ。
今日の演奏のね、僕の中のキーワードは、この中音域。ホールの響きっていうよりも生音が直接聞こえてくる今日の席だから、もちろん僕は音に満たされているのだけれど、でもその音場がどれくらいまで伝わっているかはわからないんだ。だけど、ラッパの、ホルンの、そして弦楽器の中音域のロングトーンの響き。これはすごかったな。
迫力が凄いとかそういうことではなくってね。そんなに力を入れずに、軽く演奏しているようなのだけれども、ちょうどホールと共震する周波数にぴたりとはまったみたいに、そこかしこから音が降り注いで、どこで演奏しているのか、5メートル先に見えているのにわからなくなる瞬間が、たくさんあったんだよ。
オオウエエイジ的な聴かせどころ満載な曲でね、久々のトロンボンの咆哮をはじめとするブラスはもちろん、木管もハープも、みんなみんないいとこがあって。
でも、今日の主役はなんたって弦楽器だよね。それもいつものチェロとコントラバスだけじゃなくって、高音域のヴァイオリンのイロっぽさ。いや、いろっぽさっていうのではないな、なんていうんだろう。
この曲は、管弦を問わず、ロングトーンが多いよね。ぼくも管楽器を吹いていたことがあるから(かどうかは知らないけれど)、きれいなロングトーンを聴くと、一緒に息を吐き続けて、苦しくなるときがあるんだよ。例えばじいさんやヴァントじいさんのブルックナー8番や9番のアダージョの終わりとか、ね。
たいがいそういうところって、ホルンとかワグナーチューバのロングトーンだから、まあ一緒に息を吐いていても死にはしないよね。かわりばんこに息してるのがわかるし。
でも、今日の曲はね、ヴァイオリンのロングトーンが続くんだよ。これは反則。だって息継ぎしないんだもん、あいつら。
四楽章だっけ、その前のお祭り騒ぎが静まって、弦の延ばしになるところ。一緒に息を吐いていた僕は、酸素が足りなくなって、ブラックアウト直前のいい気持ちになって気がついたよ。ああ、息するの忘れてたんだ、って。久しぶりだな、そういう感触。
そのあと、五楽章で本当のお祭り騒ぎがやってくるのだけれど、僕はそこをかなりの部分、聴き逃してしまったよ。
ちょうどその寸前、ヴァイオリンがパート譜の最後の2ページ目をめくったあたりで、コンマスの長原君が隣の人と楽器を交換してるんだよね。隣の人は後ろで弾いていたお姉さんと楽器を交換して。そのお姉さんが紙袋から新品の弦を取り出して、そこで交換し始めたんだ。
前にもそういうことがあったけど、そのときはバケツリレーで後ろまで楽器を回して、袖で交換してたからね、プロの弦交換なんて始めてで、そっちに注目してたらお祭り聴き逃しちゃった。まあいいや、おもしろかったから。
もう一つ。
今回の席から、右の方のカメラブースのガラスをみると、明るいステージじゃなくって、暗い壁をバックに指揮するオオウエエイジが映っていてね。よくほんの表紙とかポスターでみるアングルと表情。たまに首を巡らせてそんなのをみるのも楽しかったな。
でも、ずいぶんやせたね、オオウエエイジ。ダイエットならばいいけれど、体には気をつけてね。
ただ、それだけのはなし。
大阪フィルハーモニー交響楽団
第425回定期演奏会
1日目 1階E列7番 A席
ザ・シンフォニーホール
息をするのを忘れることって、あるんだね。
いつもの二日目から一日目の演奏会に振り替えて、大フィルさんの用意してくれた席は、前から5列目の左側。ステージいっぱいに広がったヴァイオリンの、一番後ろの人の真っ正面くらいかな。
なんかなじみのある席。アングル。
ああ、そうだ。じいさんの一般参賀を間近で見たくて、このあたりの席に座ったことがあったな、昔。
開演直前に息を切らせながらホールに飛び込んだらね、今日の終演時間は9時45分を予定していますっていう張り紙。あれ、マーラーだけじゃなかったんだ。
プログラムを見たら、マラ5の前にモーツァルトのピアノ協奏曲があるんだね。それで長丁場なんだ、こんなに。
席はちょうどね、オオウエエイジを見るとその視線の途中にソリストが見えるっていう、ありがちな写真のアングルのような席。 協奏曲は、まあモーツァルトで。あんまり演奏がどうってわかんないんだよね。ただ、今回の曲なのか、席のせいなのかはわからないけれど、やたらピアノが裸になるところが多かったような気がして。その緊張感の保ち方がよかったんだよね。
昼間の長い会議で消耗していた僕でも、ピアノ協奏曲なのに、ちっとも眠くならずに楽しめました。ピアノの音は僕の好きなぱらぱら系ではなく、まるまる系でまあ、そんなもんでしょう、っていうかんじなのだけれど。
結構ヴォリュームのある第一部の休憩のあと、マーラー。
オオウエエイジのマーラーって、2番と6番と、単発でやった1番(2回だっけ?)で4曲目になるのかな。僕にとっては特に大好きな作曲家っていうわけではないけれど、楽しいしわくわくするし、なによりオオウエエイジらしい、っていうイメージがあるよね。6番はちょっといまいちだったけれど。
さて、演奏は。
前から5列目だと、ヴァイオリンの外側の人しか見えないんだよね。低い位置だし、近すぎて。
だから、最初のラッパが、ステージの上から吹いているのか、袖で吹いているのかよくわからなかったのだけれど(最後にたたせたラッパがものすごく左側にいたから、たぶんステージの上で吹いていたんだね)。すごいね。細かいところでちょっとはずれちゃったから、もしCDになるとしたら明日の演奏になっちゃうのかもしれないけれど。でも、あの素直な音と、何よりも特に中音域の響き、好きだなあ。
今日の演奏のね、僕の中のキーワードは、この中音域。ホールの響きっていうよりも生音が直接聞こえてくる今日の席だから、もちろん僕は音に満たされているのだけれど、でもその音場がどれくらいまで伝わっているかはわからないんだ。だけど、ラッパの、ホルンの、そして弦楽器の中音域のロングトーンの響き。これはすごかったな。
迫力が凄いとかそういうことではなくってね。そんなに力を入れずに、軽く演奏しているようなのだけれども、ちょうどホールと共震する周波数にぴたりとはまったみたいに、そこかしこから音が降り注いで、どこで演奏しているのか、5メートル先に見えているのにわからなくなる瞬間が、たくさんあったんだよ。
オオウエエイジ的な聴かせどころ満載な曲でね、久々のトロンボンの咆哮をはじめとするブラスはもちろん、木管もハープも、みんなみんないいとこがあって。
でも、今日の主役はなんたって弦楽器だよね。それもいつものチェロとコントラバスだけじゃなくって、高音域のヴァイオリンのイロっぽさ。いや、いろっぽさっていうのではないな、なんていうんだろう。
この曲は、管弦を問わず、ロングトーンが多いよね。ぼくも管楽器を吹いていたことがあるから(かどうかは知らないけれど)、きれいなロングトーンを聴くと、一緒に息を吐き続けて、苦しくなるときがあるんだよ。例えばじいさんやヴァントじいさんのブルックナー8番や9番のアダージョの終わりとか、ね。
たいがいそういうところって、ホルンとかワグナーチューバのロングトーンだから、まあ一緒に息を吐いていても死にはしないよね。かわりばんこに息してるのがわかるし。
でも、今日の曲はね、ヴァイオリンのロングトーンが続くんだよ。これは反則。だって息継ぎしないんだもん、あいつら。
四楽章だっけ、その前のお祭り騒ぎが静まって、弦の延ばしになるところ。一緒に息を吐いていた僕は、酸素が足りなくなって、ブラックアウト直前のいい気持ちになって気がついたよ。ああ、息するの忘れてたんだ、って。久しぶりだな、そういう感触。
そのあと、五楽章で本当のお祭り騒ぎがやってくるのだけれど、僕はそこをかなりの部分、聴き逃してしまったよ。
ちょうどその寸前、ヴァイオリンがパート譜の最後の2ページ目をめくったあたりで、コンマスの長原君が隣の人と楽器を交換してるんだよね。隣の人は後ろで弾いていたお姉さんと楽器を交換して。そのお姉さんが紙袋から新品の弦を取り出して、そこで交換し始めたんだ。
前にもそういうことがあったけど、そのときはバケツリレーで後ろまで楽器を回して、袖で交換してたからね、プロの弦交換なんて始めてで、そっちに注目してたらお祭り聴き逃しちゃった。まあいいや、おもしろかったから。
もう一つ。
今回の席から、右の方のカメラブースのガラスをみると、明るいステージじゃなくって、暗い壁をバックに指揮するオオウエエイジが映っていてね。よくほんの表紙とかポスターでみるアングルと表情。たまに首を巡らせてそんなのをみるのも楽しかったな。
でも、ずいぶんやせたね、オオウエエイジ。ダイエットならばいいけれど、体には気をつけてね。
ただ、それだけのはなし。
大阪フィルハーモニー交響楽団
第425回定期演奏会
1日目 1階E列7番 A席
ザ・シンフォニーホール
オオウエエイジの第九 '08 二日目 ― 2008年12月31日
さて、二日目。
今日は昨日よりも一列だけ後ろにさがって、ちょっとだけ端に寄った席だったのだけれども。
ずいぶん印象が違うんだよね。
それは、席のせいなのか、それとも演奏の微調整のせいなのかはよく分からないけれど。
そして、それが演奏の満足度にどう影響するかもよく分からないのだけれど。
今日の第九はね、昨日感じた、とんがった部分を全部丸めて、完璧な盆栽に仕立て上げた第九。オオウエエイジの、第九。
ラッパとかティンパニとか、ちょっとでもバランスを壊す恐れのある危険物は、細心の注意を払ってバランス取って。どこを聴いても意図した音が伝わる、そういう音楽。
そういう音楽として、ものすごく高得点を与えられるであろう、音楽。
でも、それって音楽なんだろうか。
第一楽章の頭、ちょっとだけだけれども、何が何だか分からなかったんだよね。音が鳴っているのは分かっているのだけれど、音楽として聞こえてこない。
青空が描いてあるとばっかり思って見ていた絵が、実は深海の絵で。そのことに気がつくまでに感じる訳のわからない違和感。そういう類のものだと思うのだけれどもね。何が進行しているのか分からなかった。
もちろん、絵を見間違えるのとおんなじで、僕の認識のミスのせいなのだけれども。
席が少し遠ざかったせいもあるかも知れないけれど、昨日はホールと、と言うより僕を満たしていた音の、広がりの輪郭が見えちゃったんだよね。ああ、ホール全体を満たしているものではないんだな、って。
それは地球に住んでいるのと、宇宙飛行士になって地球を外から見ることの違いみたいな感じで、優劣とか、そういうことではないのだけれど。でも、コンサートにきているのなら、内側に入って聴く方が僕は好きだな。
なんか悪口を言っているように聞こえるかも知れないけれど、もちろん楽しんでいるから二日も行くんだし、この忙しいときに無精な僕が二日も書いているんだよ。オオウエエイジだから、要求するものがずっと上になっちゃって、わがまま言っているだけなんです。もし気を悪くされた方がいたら、許して下さいね。
さて。
怒濤のブラヴォーコールで終楽章が終わって。
いつも通りの律儀なカーテンコール。
3回目か4回目かな。カーテンコールも中盤にやっと差しかかったくらいで、一人で出てきたオオウエエイジ。
手でみんなを制して、マイクを手に話し始めた。
皆さんにお詫びがあります。この年末、ベートーヴェンの荘厳な響きで終えるのが一番いいのでしょうけれど、もう一曲だけ演奏させて下さい。
50年の歴史を誇るフェスティバルホール。大フィルの音楽監督として、またこのホールで演奏した世界中の素晴らしい音楽家の代理として、ありがとうございます。
1958年に出来たこのホール、一番最初の演奏会は、非公式だったけれど、大フィルの前身、朝比奈大先生が指揮した関西フィルで、ベートーヴェンの(日本語でなんていうか分からないや、とメモを取り出して)献堂式序曲、この第九、そしてエルガーの威風堂々を演奏したものだそうです。
今日でいったんお別れのこのホール、最後は、最初の日にも演奏した、威風堂々を演奏したいと思います。
お話の最中に合唱団が退場して、ステージにはハープ2台やらパーカッションやら、チューバやらなにやら、みんなぞろぞろとあがってきて。
そして始まった威風堂々。
拍手を要求するオオウエエイジ。
最後にゆっくりになるところで、一列目の観客の手を取って立たせるオオウエエイジ。それに釣られて総立ちになる観衆。
曲の最後に、 festival hall ありがとう50年の垂れ看板が出てきて。
ああ、本当に終わりなんだな、って。
僕なんかこの10年、数十回しかきていないのに、50年の歴史が降りかかってくるような気がして、総立ちで拍手をするお客さんを見ながら、ちょっとうるうるしてしまったよ。
そして、オオウエエイジが去り、演奏者も撤収の準備をし始めたステージ。
お客さんも当然帰り支度を始めた頃。いつの間にか客席の通路に入り込んでいた合唱団員の始めた、蛍の光。
ハモるでも何でもない、ただのユニゾンの蛍の光、多分客席のみんなも唄っていたんだよね、僕も唄ったけれど。本当にあたたかく、ホールを包んだよ。
粋なことをするね。
ホールから出て、ロビーへの階段を下りる正面に、ありがとう、また会いましょうの紅い横断幕。演奏中に取りつけたんだね。
粋なことをするね、これまた。
2013年。どんなホールが出来上がるのかな。シンフォニーが霞んでしまうくらいのホールが出来たらいいね。
それまで、年末の第九は場所の取り合いだね。大フィルさん、がんばれ。
良いお年を。
ただ、それだけのはなし
DATA
==========================
第9シンフォニーの夕べ
2008年12月30日
大阪フィル
大植英次:指揮
フェスティバルホール 1階GG列R23番 A席
今日は昨日よりも一列だけ後ろにさがって、ちょっとだけ端に寄った席だったのだけれども。
ずいぶん印象が違うんだよね。
それは、席のせいなのか、それとも演奏の微調整のせいなのかはよく分からないけれど。
そして、それが演奏の満足度にどう影響するかもよく分からないのだけれど。
今日の第九はね、昨日感じた、とんがった部分を全部丸めて、完璧な盆栽に仕立て上げた第九。オオウエエイジの、第九。
ラッパとかティンパニとか、ちょっとでもバランスを壊す恐れのある危険物は、細心の注意を払ってバランス取って。どこを聴いても意図した音が伝わる、そういう音楽。
そういう音楽として、ものすごく高得点を与えられるであろう、音楽。
でも、それって音楽なんだろうか。
第一楽章の頭、ちょっとだけだけれども、何が何だか分からなかったんだよね。音が鳴っているのは分かっているのだけれど、音楽として聞こえてこない。
青空が描いてあるとばっかり思って見ていた絵が、実は深海の絵で。そのことに気がつくまでに感じる訳のわからない違和感。そういう類のものだと思うのだけれどもね。何が進行しているのか分からなかった。
もちろん、絵を見間違えるのとおんなじで、僕の認識のミスのせいなのだけれども。
席が少し遠ざかったせいもあるかも知れないけれど、昨日はホールと、と言うより僕を満たしていた音の、広がりの輪郭が見えちゃったんだよね。ああ、ホール全体を満たしているものではないんだな、って。
それは地球に住んでいるのと、宇宙飛行士になって地球を外から見ることの違いみたいな感じで、優劣とか、そういうことではないのだけれど。でも、コンサートにきているのなら、内側に入って聴く方が僕は好きだな。
なんか悪口を言っているように聞こえるかも知れないけれど、もちろん楽しんでいるから二日も行くんだし、この忙しいときに無精な僕が二日も書いているんだよ。オオウエエイジだから、要求するものがずっと上になっちゃって、わがまま言っているだけなんです。もし気を悪くされた方がいたら、許して下さいね。
さて。
怒濤のブラヴォーコールで終楽章が終わって。
いつも通りの律儀なカーテンコール。
3回目か4回目かな。カーテンコールも中盤にやっと差しかかったくらいで、一人で出てきたオオウエエイジ。
手でみんなを制して、マイクを手に話し始めた。
皆さんにお詫びがあります。この年末、ベートーヴェンの荘厳な響きで終えるのが一番いいのでしょうけれど、もう一曲だけ演奏させて下さい。
50年の歴史を誇るフェスティバルホール。大フィルの音楽監督として、またこのホールで演奏した世界中の素晴らしい音楽家の代理として、ありがとうございます。
1958年に出来たこのホール、一番最初の演奏会は、非公式だったけれど、大フィルの前身、朝比奈大先生が指揮した関西フィルで、ベートーヴェンの(日本語でなんていうか分からないや、とメモを取り出して)献堂式序曲、この第九、そしてエルガーの威風堂々を演奏したものだそうです。
今日でいったんお別れのこのホール、最後は、最初の日にも演奏した、威風堂々を演奏したいと思います。
お話の最中に合唱団が退場して、ステージにはハープ2台やらパーカッションやら、チューバやらなにやら、みんなぞろぞろとあがってきて。
そして始まった威風堂々。
拍手を要求するオオウエエイジ。
最後にゆっくりになるところで、一列目の観客の手を取って立たせるオオウエエイジ。それに釣られて総立ちになる観衆。
曲の最後に、 festival hall ありがとう50年の垂れ看板が出てきて。
ああ、本当に終わりなんだな、って。
僕なんかこの10年、数十回しかきていないのに、50年の歴史が降りかかってくるような気がして、総立ちで拍手をするお客さんを見ながら、ちょっとうるうるしてしまったよ。
そして、オオウエエイジが去り、演奏者も撤収の準備をし始めたステージ。
お客さんも当然帰り支度を始めた頃。いつの間にか客席の通路に入り込んでいた合唱団員の始めた、蛍の光。
ハモるでも何でもない、ただのユニゾンの蛍の光、多分客席のみんなも唄っていたんだよね、僕も唄ったけれど。本当にあたたかく、ホールを包んだよ。
粋なことをするね。
ホールから出て、ロビーへの階段を下りる正面に、ありがとう、また会いましょうの紅い横断幕。演奏中に取りつけたんだね。
粋なことをするね、これまた。
2013年。どんなホールが出来上がるのかな。シンフォニーが霞んでしまうくらいのホールが出来たらいいね。
それまで、年末の第九は場所の取り合いだね。大フィルさん、がんばれ。
良いお年を。
ただ、それだけのはなし
DATA
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第9シンフォニーの夕べ
2008年12月30日
大阪フィル
大植英次:指揮
フェスティバルホール 1階GG列R23番 A席
オオウエエイジの第九 '08 一日目 ― 2008年12月30日
年末だね。
年末の風物詩、と言うほどには僕は熱心な第九の聴き手ではないのだけれど、オオウエエイジの振る去年から、久しぶりに大フィルさんの第九に復帰したよ。
50年の歴史のあるこのフェスティバルホールが、このコンサートを最後に取り壊しになっちゃうから、チケットの足が速くて、ぼおっとしていたらちょっと後ろ目の席になっちゃったんだけれど。
でっかいフェスティバルホールを、最後に大フィルさんの音で満たしてくれるのか、楽しみにしてたんだよね。
もちろん満員のフェス。開場のちょっと前についたら、ロビーは人だかりでね。いつものことだけれども。ロビー階の通路には、フェス50年の歴史を振り返るパネルが貼ってあったりして。シンフォニーホール世代の僕らは、フェスの音響をいろいろ悪く云ったりするけれど、昔は大阪随一のホールだったんだよね。有名どころのオケや指揮者や、いろんなヒトがいっぱいきてるんだよね。
もちろんじいさんの頃の大フィルさんは、このホールが大好きで。大きくてデッドなこのホールに特化してたから、あの大フィルサウンドが出来たんだよね。
個人的には、このホールの椅子、結構好きだな。となりの人が腰を下ろしたらその気配が伝わってくるシンフォニーホールの椅子と違って、どっしりして。改修後はクッションも厚くなって。結構座り心地がいい。
まあでも、大フィルさんの定期がシンフォニーホールに引っ越してからは、あんまりきてないのだけれどもね。
ステージは、両翼配置のオケに、合唱のひな壇。ティンパニの後ろ、合唱の真ん中にソリストの席。大きいステージに大きい編成、わくわくするよね。
わくわくしたのはいいのだけれど、この演奏、どう聴けばいいのか、難しいなあ。
なんか、凄いことが起こってるんだよね。弦楽器の合奏とか、ただ者じゃない密度。一楽章の最中、やけに苦しいな、って思って気がついたのだけれども、息を吸うのを忘れてたんだね。それくらいの緊迫感。
でも一方で、その弦と、ラッパとティンパニが、全く違うテンポ感なんだよね。別々の音楽を演奏しているみたいな、噛み合わなさ。位置的に、ラッパのベルが直撃する場所だったから余計にそう聞こえたのかも知れないけれど。その噛み合わなさが、余計緊張感を高めてたのはそうなんだけれどもね。
二楽章。
弦の密度が、木管楽器に伝染して。ソロの掛け合いの中、自分のテンポで突撃するファゴットを見た瞬間、弦と管、そして打楽器の音が混じり合ってね。凄い世界が見えてきたんだよ。
ラッパのテンポに釣られた(あるいはあくまでもインテンポを貫いたのかな)長原君が、ヴァイオリンの中で飛び出したりするところを見ると、テンポ感の違いは相変わらずなんだろうけれど、もうそういうことは関係なくなってね。それを含めたオオウエエイジの第九が、フェスを満たしたんだよね。
もちろん、それは素晴らしいことに決まっているのだけれど。
決まっているのだけれどもね。なんか違うなあ、って思っちゃう僕も、いるんだよね。
たとえば、ティンパニがフォルテで叩いているときに、ヴァイオリンの細かいフレーズがきちんと聴こえてくる。それ自体はとてもいいことなのだけれど。なのだけれど、ね。その完成度の高さ自体が、なんか箱庭的世界を感じちゃうんだよね。
野放図な、じいさんが追い求めたサウンドから、えらく遠くにきちゃったな、って。
ああ、まだじいさんの音を追い求めるんだ、俺、っていう自己嫌悪も少しだけ持ったりして。
難しいね。
じいさんがバランス取るのをいやがったのは、それで音楽のスケールが小さくなるのをいやがったんだ、っていわれてるよね(そういう記事を読んだことがある、っていうだけの根拠だけれど)。
でも今日のオオウエエイジの第九は、バランスを完璧に取った上で、なおかつフェスを、シンフォニーホールではなくてフェスを音で満たして見せた。それを、バランス取ったからスケールが小さくなった、っていうのはフェアでも正直でもないよね。
演奏の間中、全休止になる度に、フェスのエアコンの音が耳についたよ。これだけ、耳のゲインをあげて、必死に演奏を聴いたのっていつ以来だろう。
それだけの、演奏だったんだよね。
それは分かっているのだけれど。
エフワンと暴れ馬。そんなイメージが聴いている最中に浮かんできたよ。
制御の効かない暴れ馬を御しながら刻んだ奇跡的なラップタイムと、エフワンマシンで成し遂げた渾身のラップタイム。現時点でのベストラップがおんなじだとして、でも、もっと速くなるってわくわく出来るのって、どっちなんだろう、ってね。
もちろん、じいさんの50年以上のキャリアが残した最上の演奏プラス神格化され続ける想い出と、オオウエエイジの一回の演奏会を比較するのはフェアじゃない、っていうのはよく分かっているのだけれどもね。
4楽章。
バランスのいいソリストの掛け合いと、ラス前のオオウエエイジのためとアッチェランド。そう、これがオオウエの第九。
第9シンフォニーの夕べになった今年も、頑としてアンコールを拒むオオウエエイジ。
あたり前だけれども、時代は変わっていくんだよね。
生で見られるオオウエエイジ、僕は大切にしていくよ。
ただ、それだけのはなし
DATA
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第9シンフォニーの夕べ
2008年12月29日
大阪フィル
大植英次:指揮
フェスティバルホール 1階FF列R9番 A席
年末の風物詩、と言うほどには僕は熱心な第九の聴き手ではないのだけれど、オオウエエイジの振る去年から、久しぶりに大フィルさんの第九に復帰したよ。
50年の歴史のあるこのフェスティバルホールが、このコンサートを最後に取り壊しになっちゃうから、チケットの足が速くて、ぼおっとしていたらちょっと後ろ目の席になっちゃったんだけれど。
でっかいフェスティバルホールを、最後に大フィルさんの音で満たしてくれるのか、楽しみにしてたんだよね。
もちろん満員のフェス。開場のちょっと前についたら、ロビーは人だかりでね。いつものことだけれども。ロビー階の通路には、フェス50年の歴史を振り返るパネルが貼ってあったりして。シンフォニーホール世代の僕らは、フェスの音響をいろいろ悪く云ったりするけれど、昔は大阪随一のホールだったんだよね。有名どころのオケや指揮者や、いろんなヒトがいっぱいきてるんだよね。
もちろんじいさんの頃の大フィルさんは、このホールが大好きで。大きくてデッドなこのホールに特化してたから、あの大フィルサウンドが出来たんだよね。
個人的には、このホールの椅子、結構好きだな。となりの人が腰を下ろしたらその気配が伝わってくるシンフォニーホールの椅子と違って、どっしりして。改修後はクッションも厚くなって。結構座り心地がいい。
まあでも、大フィルさんの定期がシンフォニーホールに引っ越してからは、あんまりきてないのだけれどもね。
ステージは、両翼配置のオケに、合唱のひな壇。ティンパニの後ろ、合唱の真ん中にソリストの席。大きいステージに大きい編成、わくわくするよね。
わくわくしたのはいいのだけれど、この演奏、どう聴けばいいのか、難しいなあ。
なんか、凄いことが起こってるんだよね。弦楽器の合奏とか、ただ者じゃない密度。一楽章の最中、やけに苦しいな、って思って気がついたのだけれども、息を吸うのを忘れてたんだね。それくらいの緊迫感。
でも一方で、その弦と、ラッパとティンパニが、全く違うテンポ感なんだよね。別々の音楽を演奏しているみたいな、噛み合わなさ。位置的に、ラッパのベルが直撃する場所だったから余計にそう聞こえたのかも知れないけれど。その噛み合わなさが、余計緊張感を高めてたのはそうなんだけれどもね。
二楽章。
弦の密度が、木管楽器に伝染して。ソロの掛け合いの中、自分のテンポで突撃するファゴットを見た瞬間、弦と管、そして打楽器の音が混じり合ってね。凄い世界が見えてきたんだよ。
ラッパのテンポに釣られた(あるいはあくまでもインテンポを貫いたのかな)長原君が、ヴァイオリンの中で飛び出したりするところを見ると、テンポ感の違いは相変わらずなんだろうけれど、もうそういうことは関係なくなってね。それを含めたオオウエエイジの第九が、フェスを満たしたんだよね。
もちろん、それは素晴らしいことに決まっているのだけれど。
決まっているのだけれどもね。なんか違うなあ、って思っちゃう僕も、いるんだよね。
たとえば、ティンパニがフォルテで叩いているときに、ヴァイオリンの細かいフレーズがきちんと聴こえてくる。それ自体はとてもいいことなのだけれど。なのだけれど、ね。その完成度の高さ自体が、なんか箱庭的世界を感じちゃうんだよね。
野放図な、じいさんが追い求めたサウンドから、えらく遠くにきちゃったな、って。
ああ、まだじいさんの音を追い求めるんだ、俺、っていう自己嫌悪も少しだけ持ったりして。
難しいね。
じいさんがバランス取るのをいやがったのは、それで音楽のスケールが小さくなるのをいやがったんだ、っていわれてるよね(そういう記事を読んだことがある、っていうだけの根拠だけれど)。
でも今日のオオウエエイジの第九は、バランスを完璧に取った上で、なおかつフェスを、シンフォニーホールではなくてフェスを音で満たして見せた。それを、バランス取ったからスケールが小さくなった、っていうのはフェアでも正直でもないよね。
演奏の間中、全休止になる度に、フェスのエアコンの音が耳についたよ。これだけ、耳のゲインをあげて、必死に演奏を聴いたのっていつ以来だろう。
それだけの、演奏だったんだよね。
それは分かっているのだけれど。
エフワンと暴れ馬。そんなイメージが聴いている最中に浮かんできたよ。
制御の効かない暴れ馬を御しながら刻んだ奇跡的なラップタイムと、エフワンマシンで成し遂げた渾身のラップタイム。現時点でのベストラップがおんなじだとして、でも、もっと速くなるってわくわく出来るのって、どっちなんだろう、ってね。
もちろん、じいさんの50年以上のキャリアが残した最上の演奏プラス神格化され続ける想い出と、オオウエエイジの一回の演奏会を比較するのはフェアじゃない、っていうのはよく分かっているのだけれどもね。
4楽章。
バランスのいいソリストの掛け合いと、ラス前のオオウエエイジのためとアッチェランド。そう、これがオオウエの第九。
第9シンフォニーの夕べになった今年も、頑としてアンコールを拒むオオウエエイジ。
あたり前だけれども、時代は変わっていくんだよね。
生で見られるオオウエエイジ、僕は大切にしていくよ。
ただ、それだけのはなし
DATA
==================================
第9シンフォニーの夕べ
2008年12月29日
大阪フィル
大植英次:指揮
フェスティバルホール 1階FF列R9番 A席
