大阪市民管弦楽団の、ブル9 〜第85回定期演奏会〜2017年03月12日

 突然だけど、「不機嫌な姫とブルックナー団」、っていう小説があるんだ。

 ブルックナーオタクの生態と、ブルックナーその人の生態を、オタクと、オタクになりきれないファンの視点から描く、っていう、ブルックナーそのものに興味がない人にはなかなかにつらい小説なのだけれど。

 

 その中にね、オタクの集団であるブルックナー団の入会資格テスト、っていうのがあって。全十問。8問○で晴れてブルックナー団加入。ファンである姫は、5問○だったのだけれども。

 どんな問題かと言えば。全曲全楽章の区別がつくとか、CD100枚以上持っているとか、そういうのから、3番初演と聞くと涙が止まらない、とか、ハンスリックは生涯の敵だ、とか。

 僕は、ブルックナーCD100枚以上持っているほかは全問×で、晴れて程度の低いファン認定、なのだけれどもね。

 その中で、一問、こういうのがあってね。「ブルックナーの演奏会に、年20回以上行く」って。

 日本第二の都市、大阪に住んでいても、遠征なしでこの回数は無理なんじゃないかなあ。東京ってどんなとこやねん、とは思ったのだけれども。

 それでも、何となく気になるよね。たとえば大阪のブルックナー、全部聴きに行ったら、何回くらいになるんだろう、って。

 

 今年のことを考えると、まず、1月のミッキーの5番 in KOBELCOホール。ミッキーは脱朝比奈を意識するあまり、フェスでブルックナーとかベートーヴェンとか出来ない自縄状態に陥って。だからブルックナーを西宮まで行って演奏しているのだけれども。

 全6回シリーズの5回目は、5番。じいさんが最晩年に、シンフォニーホールで、金管を倍にして描き出した荘厳な音の建造物を、普通の人数でやろうとしたら、なんか荒さばっかりが目立ってしまった感があって、ちょっとがっかりだったけれど。

 でも、実は5番ってあんまり聴けないんだよね。だから、久しぶりで楽しかった記憶はあるのだけど。

 

 そうそう。

 


 長々と枕話をしてしまったけれど。

 僕のお友達の、というか先輩が演奏している大阪市民管弦楽団。こちらも、何度かいったり行かなかったりが続いたけれど、今回は、ブルックナー 9番。ちょっと前の7番蝦蟇だ印象に残っているけれど、どんな演奏を聴かせてくれるんだろう。

 って、楽しみにしていたにもかかわらず。

 休日だから3時開始、ってなんの疑問もなく信じていて、そろそろ遅めのご飯を食べに出かけようか、ってチケットを見たら、なんと2時開演。

 あわてて出かけて、指定席に取り替えてもらって、開演5分前に滑り込んだ座席は、3階席RB。コントラバス側の、ステージ真上のバルコニー席。指揮者の顔が見える席。

 

 昔、ウィントン・マルサリスのセプテットをこんな席で聴いたときには、右耳から生音、左耳から太鼓やラッパの反響音が時差を持って聞こえてきて、それは大変な思いをしたのだけれど。今回はどんな音響なんだろう。久しぶりのシンフォニーホール、もっと早く気がつけば良かったな。

 とはいえ、視覚的には、トロンボンより向こう側はよく見えるので、それはそれで愉しみ。

 

 このオケはね。

 普通に聴いていたら、アマだって事を忘れて、普通に聴いてしまうんだよね。なんていうんだろう、アンサンブルが安定してるから、分厚い曲をやると、とても心地が良い。

 

 そういう意味で、未完成とブル9って、理想的だよね。

 ヴァンドの最後の来日コンサートの曲目。僕はいけなかったのだけれど、いろんな所でさんざん自慢されまくって、なんかとてつもなくおしいことをした感じになっているのだけれど。その演目とダブるんだよね。未完成と、ブル9。

 どちらも未完成なのだけれど、形式的に未完でも完成しちゃったからそこでやめちゃったシューベルトと、命の残り時間を計算しながら、物理的にそこで途切れてしまったブル9と。

 楽しみだなあ。

 

 演奏はね。

 ワーグナーのときは、この席の音響の癖がちょっとだけ気になったのだけれども。

 未完成、その第一楽章。

 弦の主題が、3階席までふわって、浮かんできて。ああ、なんて気持ちがいいんだろう。

 

 そして、ブル9。

 最初に生で聴いたブル9は、朝比奈じいさんの、シンフォニーホールでの演奏なのだけれども。

 その時に感じたのと、全く同じ事を、多分全く同じ箇所で感じたんだよ。

 ああ、これが9番なんだ、って。

 9番は、フィナーレのない交響曲で、その分なのかどうか分からないけれど、ダイナミックレンジが最初から全体的に二目盛くらい上なんだよね。

 どこだったか思い出せないけれど、1楽章の早いうちに、そのフレーズ、そこまで音量出すんだ、って思うところがあって。そして、その音が、確実に三階席まで届いてくれたことで、もう、どっぷり。これはブルックナー。

 

 とはいえブルックナーだからね。

 最晩年の9番になっても、たとえばシューベルトの流麗な音楽と比べると、なんかちょっと違うんだよね。

 それは、何か一つだけの楽器が半拍早く飛び出したり、そのフレーズはスラーだろう、っていう所をぶった切ってみたり。

 丁寧な演奏であればあるほど、なんかしらの違和感が、どんどん目立つんだよね。あとでスコア見ても、なるほど、ホントだ、ていうことも多々あったりして。

 その違和感を、ごまかすのか、そのまま違和感として差し出すのか、あるいは、それを内包したままより大きな衣で包むのか。

 そんなことを考えながら、聴いていたよ。

 

 この、眺めの良い席から聴く今回のブル9は、まじめに、違和感を違和感として差し出す演奏。そりゃあ、そこをごまかしたら、アマチュアがブルックナーを演奏する意味ないし、全てを覆う衣は、神様が気まぐれに掛けてくれるものだしね。

 それを一番感じたのは、2楽章の、ラッパ。ダカダンダンダンダンダンの有名な動機に向かって、ラッパのトップがひたすらのロングトーン。循環呼吸か、っていうくらいの長いロングトーンを、それも、結構テンションっぽい音で引っぱる引っぱる。

 正面から聴いていると聴き逃すかもしれないけど、横から、奏者の顔を見ながら見るこのロングトーン、すごい。

 これもじいさんの例えで悪いけど、ベト7のスケルッツォのラッパのロングトーンを想い出したよ。あれをこれくらい引っぱれるのは、朝比奈さんと岩城さんの二人のじいさんくらいだもんね。

 

 そして、アダージョ。

 どこだか忘れちゃったけれど、弦楽の合奏が盛り上がって、そして1st ヴァイオリンだけが残るところ。僕は音楽雑誌のような言い回しが嫌いだから、なるべく使いたくないのだけれど、官能的、って言うのは、こういうことを表すための言葉なんだなあ、って思ったよ。

 そして。

 残念ながら席の真下で姿は見えないのだけれども、ワグナーチューバの、永い永いロングトーン。

 

 ベートーヴェンが作った、交響曲(=世界)を9個作ると、神様に召されてしまう、という神話。

 マーラーは神に召されるのに9曲とちょっとだけ必要だったけれど、ブルックナーは、あのアダージョを書き上げて、そのくらいで勘弁してくれ、と神様に言われたのかな。

 

 いつもありがとうございます。

 また、良い演奏聴かせてくださいね。

 

 ただ、それだけのはなし。



ウィーンフィルの、ブル72016年10月22日

 もともと、あんまり外国のオケの来日公演って、聴きに行かないんだよね。

 物見遊山で来た、旅行疲れのオケに高い金払うより、地元に根を下ろして、必死に気合い入れた演奏が聴ける大阪のオケをたくさん聴いた方がいいんじゃないか、と思うし。

 幸いにも、海外のいろんな所で、その地元のオケを聴く体験も出来てるし、ね。

 あ、それから。

 大阪には、あんまり超有名処が来ることがないんだよね。東京に比べて。それも理由のひとつ、なのかな。

 

 そうだったんだけどね。

 今回は、その信念(というほどのものでは無いのだけれど)を曲げて。

 行ってきたよ。

 ウィーンフィルの大阪フェスティバルホール公演。

 


 大フィルさんの演奏会、8回分。その値打ち、あるのかなあ。

 って、ずっと迷ってたんだよね。

 

 なんだけど。

 これまで、いろんな所で、わりと幸運にも、その地方の有名なオケって、聴けてたんだよね。自由になる夜なんて、一つか二つしかない仕事での出張の中で、ね。

 ムーティのシカゴ響とか、ミュンヘン、ニューヨークフィルとか、この前のサンフランシスコとか。オペラで言えば、スカラ座、ミュンヘン、そしてウィーンのフォルクスオーパー。

 なんだけど。

 ウィーンでは、誰もが納得のウィーンフィルと国立歌劇場のオペラは、まだ見れてないんだよね。公演がなかったり、チケットが売り切れだったり。その分、ゲヴァントハウスとか、ウィーンシンフォニーをステージ上で聴いたりとか、楽友会館には2度ほど行ったのだけれどもね。

 

 その楽友会館が作った、ウィーンフィルの響き。「音程なんか合ってなくても、響きが豊かだから合って聴こえるんだ」ってかっちゃんが絶賛した響き。

 物見遊山でも旅行疲れでもいいから、一度は聴いてみたくってね。

 大枚はたいたよ。Apple Watchが買えるくらいの二階席。


 という訳で。

 どんな演奏会なんだろう。わくわく。

 

 心なしか客層も違うのかな。おしゃれをした人が多そうなホール。

 そこに整然と入場する団員たち。わき起こる拍手。

 

 あ、今回。ウィーンフィルとプログラムだけでチケット買ったから、指揮者のことノーチェックだったんだよね。

 というか、何度見ても憶えられない名前。ズービン・メータ。

 

 知らない訳じゃないんだよね。メータ。

 高校の頃、飽きるほど通ったレコード屋さん。その頃のレコードには、わりと派手な帯がついていてね。「メータの巨人」とか、派手な書体ででっかく書いてあった。

 その頃は、カラヤン、バーンスタインが現役スターとしてがんばっていて、小澤やムーティで飛ぶ鳥の勢いで。そして、中堅処としてロリン・マゼール、メータと、もう一人いたんだよね。同じよう名前の人が。カール・ベームだったっけ。

 まあ、いいのだけれど。

 とにかく、ズービン・メータっていう名前、演奏中にも想い出そうとがんばったんだよ。まあ、どうでもいいのだけれども。

 僕の隣に座った若いカップルの女の子が、メータはゾロアスター教のインド人、と教えてくれて(僕にじゃないけどね)、それでzから始まるんだ、って憶えられてからは、名前を呼び出すのが少し楽になったのだけれどもね。

 

 ほんとに、どうでもいい話だね。

 

 という訳で、ウィーンフィル。

 

 もうねえ。

 なんというか。

 モーツァルトの36番、なのだけれど。

 なんというか。

 言葉が浮かんでこないんだよね。

 

 今まで聴いてきた物と、違いすぎ。

 

 休憩に入る前に、さっきの若いカップルのおねえさんが、ひと言だけつぶやいたんだ。

 なんて上品なんだ。

 ああ。そうか。

 こういうのを、上品って言うんだ。

 半分納得もしたのだけれど。その上品さの中に潜むぎらっとした迫力も、聴くことが出来たんだよね。


 とにかく言えるのは。

 

 ものすごく心地いい。

 ってだけ。

 しあわせ。

 

 さて。

 お次はブルックナー。七番。

 オーストリアのオケの奏でるブルックナー。どんなだろうね。

 

 もちろん。

 ものすごく心地いい。

 それだけで話を終わらせることが一番いいのだろうけれど。

 でも、その思いを少しでも具体的に頭に焼き付けたいからね。少し無理して言葉にしてみると。

 

 僕は、生でオーケストラを聴いたとき、一番の判断基準は、音が届くか届かないか、なんだよね。

 コンサートに何回も行っていると、ステージからの距離によって、楽しみ方が違うことが分かるよね。

 かぶりつきで見て、その音楽の中にどっぷり浸って愉しむやり方と、ステージで行われている演奏を、わりと外から客観的に愉しむやり方。

 ロックフェスで一挙手一投足に悲鳴を上げているヒトと、後ろでバーベキューでもしながら寝転んでいるヒト、みたいな、ね。

 

 オーケストラの演奏会も同じでね。演奏の内側に入って、感情移入出来るときと、同じ席なのに、なんか入り込めなくって客観的に見ちゃってるときと。

 もちろん、入り込んだ方が楽しいんだけどね。

 その、入り込む状態、それはオケの醸す音が球状に広がって、その球の内側に入るかはいらないかっていうイメージなんだよね。演奏によって、球の大きさが違うから、同じ席でも入れるときとは入れないときがある。

 

 この、ウィーンフィルはね。

 広いホールの2階席にも関わらず。

 ブルックナーの、最初のトレモロ。

 音が聞こえるか聞こえないか分からないくらいの時に。

 すでに、音楽の球の内側に入り込んでいたんだよね。

 

 しかも。

 そこから、参加する楽器が増えて、クレシェンドで強奏になるコラール。そこまで、音質が変わらず、シームレスに行くんだよね。

 なめらかなのに、柔らかい音のまんまなのに。

 楽そうな音のままなのに、気がつけば最強奏。

 

 上品、ってばかりじゃないんだけどね。

 音の入り方、切り方が揃っている訳でもないんだけどね。

 一人一人の音さえ聴き分けられるように思うくらい、遠い二階席からでも臨場感にあふれた音。

 ヴァイオリンの、オーボエのたった一人でも、このフェスティバルホールを音楽の球で包み込む、音。

 トロンボーンも、持ち替えじゃないワグナーチューバも。ラッパもクラも、なにもかもが魅力的に響いて。

 

 こういう世界が、あるんだね。

 

 ウィーンの楽友会館って、そんなに大きくないんだよね。いずみホールくらいの。

 そんな中で鍛えられたウィーンフィル。フェスを満たすことが出来るの?って半分意地悪に持っていたんだけどね。

 

 ごめんなさい。

 

 そして。

 ありがとう。

 

 僕の良く知っている、ブルックナーの七番。良く知っている分、どのくらい終わりに近づいたかも分かってしまうのだけれども。

 永遠に終わらなければいいのに。

 って、思ったよ。

 

 外タレオケ。

 侮るべからず、だね。

 

 大フィルさん8回分。

 しっかり愉しんだよ。

 

 ただ、それだけのはなし。



西海岸の、オーケストラ サンフランシスコ響 MTT conducts Erich, Copland2016年09月19日

 いやあ。やらかしちゃったよ。

 

 オオウエエイジのブル9がすごく良くて。あらためて楽しみにしていた兵庫文化芸術センター・佐渡裕のブル9。

 なんとか金曜日のチケットを取ったんだけどね。補助席の。

 当日、仕事終わりにそそくさと西宮の会場に向かったら。

 あれ、なんかオカシイ。

 暗い。誰もいない。

 

 あれれ。

 日にち合ってるよねえ。とチケットをよく見てみたら。なんと。

 3時からやん。コンサート。

 

 え。

 平日3時から。。定期が。。

 なんと。なんと。なんともいえん。

 

 という訳で、いけなかったコンサートのことは忘れてね。

 行って来たコンサートの話をするよ。

 

 ちょっと前に、アメリカに行くことがあってね。サンフランシスコの近くの田舎町。

 週末を挟んで違う年に移動するから、ぽっかり空いた土曜日。その土曜日に、たまたまサンフランシスコ響の演奏会があってね。わーい、ってチケットを取ったんだ。海外出張の常で、4時前に起きてiPadで遊んでた時にね。

 不慣れなiPadから、エイゴのHPで入力して。わーい、いい席とれた。と思ったのだけれども。

 折り返しの確認メールを見たら、あれ。金曜日になっている。。あわててキャンセルか土曜日への移動をお願いしたらね。土曜のいい席ありまっせって。前から7,8列目のど真ん中の席を取ってくれた。ありがとう。

 

 という訳で。

 サンフランシスコ空港から車でホテルに入ったから、当然僕はサンフランの郊外にいる野田と信じていたのだけれどもね。

 海外ではきちんとワークするgoogle mapの乗り換え案内で見てみると、なんとホテルからサンフランまでは2時間以上かかるんだ。しかも、8時に始まるコンサート、終わってからじゃあ電車で帰れない。

 まあ、いいや。

 お目当ての曲は前半だし。つまんなかったら前半で帰ってくればいいし、面白かったら、タクでもなんでも使えるでしょう。

 という訳で、行ってきたよ。

 サンフランシスコ交響楽団。

 MTT Conducts Copland and Reich

 

 サンフランシスコの死役所の向かいにあるDavies Symphony hallは、何となくシンフォニーホールに似たホールでね。

 高い天井からつられている透明アクリルの反射板とか、ステージ後ろに堂々と控えているパイプオルガンとか。パイプオルガンの大きさはそれこそ壁一面、っていう感じで,シンフォニーホールの比ではないのだけれどもね。

 MTTっていうのは、アメリカの電話会社、ではなくってね。Michael Tilson Thomasっていうこのオケの常任指揮者。

 そして、プログララムは。

 コープランド、ガーシュイン。そして、良く知らないけど現代の作曲家、Reich。

 いいなあ。アメリカの音楽をアメリカのオケで聴けるなんて。

 

 とはいえ。

 陽光と強風のサンフランの街を4時間もさ迷った後に飲んだビールのおかげで、とにかく眠たくってね。

 僕の中でのメインプログラム。コープランドのビリーザキッド、うとうとしちゃったよ。だって、あまりにも気持ちがいいんだもの。

 もったいなかったけどね。

 

 今回のプログラムは、やたらセッティングが変わるプログラムで。

 普通のオケの編成で演奏したビリーザキッドのあとは、ソプラノ歌手が入って。コープランドの中でもこれは知らない曲だったのだけれども、from Eight Poems of Emily Dickinson。歌曲集、っていうのかな。歌もの。

 Susanna Phillipsっていう女性歌手が、なんともかわいくてね。コケティッシュ、っていうのかな。

 英語の歌詞だから、ドイツ語よりは断片的に分かるのだけれど。

 Going to Heaven!思わせぶりにくり返されちゃうと、きゅん、ってしちゃうんだよね。

 

 そして、ガーシュイン。

 プログラムに曲名があるけれど、これはこの歌手へのアンコールの位置付けで、SummertimeとI Got Rhythm。

 

 ガーシュインはね、何度か書いているけれど、コープランドはどこまで行ってもクラシック音楽であるのに対して、ガーシュインは、ジャズ、なんだよね。演奏のアーキテクチャがJAZZのそれ、なんだ。

 だから、日本のオケで聴くと、なんかちょっと気恥ずかしいことが多いのだけれども。

 いやあ。さすがにアメリカのオケ。

 

 Summertimeはまだオケの曲だったけれど、I Got a Rhythmなんて、ハンドマイク持って、オケも遠慮卯市内ビッグバンド状態。これがかっこいいんだ。なんか得した気分。

 お客さんも、ブラボーコールじゃなくって、Yeah!!とか、ヒューヒューとか。口笛とか乱れ飛んで。いいなあ。

 

 大満足の前半。

 後半期かないなんて、もったいないでしょ。電車なんかどうでもいいや。

 

 後半はね。Reichっていう現代の作曲家で。

 最初の曲は、Double Sextet。まあ、その名の通り、なんだけどね。

 ステージ上にふたつのセクステットが左右対称に並ぶんだけど。その編成がちょっと篇でね。

 ピアノ、マリンバ、フルート、クラリネット、ヴァイオリン、チェロ。これで6重奏。鍵盤と打楽器が、ずっとリズムを奏でていて、その上で管弦がメロディーを受け渡す。

 これは、ジャズだよね。

 たゆたうリズムが20分もかけて盛り上がってくれば、それはもう、トランス状態。熱狂。

 まだまだ元気な作曲家が2階から挨拶すれば、それはもう、大歓迎。いいなあ。

 この曲が2007年の作品で、つぎの、最後の曲が1985年、なんだけどね。

 この差が、完成度の差なのかな。最後のThree Movementsは、フル編成のオケで、同じように通奏のリズムの上でメロディーがたゆたうんだけど。前の曲でやってきたトランス状態がもう一度、っていう訳には行かなかったなあ。

 

 でも。

 なんかカジュアルで、ブラボーじゃない、心からの拍手と口笛が飛び交うオーケストラの演奏会。

 そういうのも、いいよね。

 

 SAN FRANCISCO SYMPHONY

 September 10, 2016 at 8:00 pm

 Savies Symphony Hall

 

 Michael Tilson Thomas conducting

 Susanna Phillips soprano

 

 Copland Billy the Kid

 Copland from Eight Poems of Emily Dickinson

 Gershwin Summertime

 Gershwin i Got Rhythm

 

 Reich Double Sextet

 Reich Three Movements

 

 Premier Oechestra H 13

 



オオウエエイジの、奇跡の、ブル9 大フィル第501回定期2016年08月27日

 長い間、更新が止まっているけれど。

 音楽を聴きに行くのをやめた訳ではなくってね。相変わらず大フィルさんをはじめ、いろんな音楽を、たまに聴きに行っているのだけれども。

 

 大フィルさん。いつもはお休みの8月。ようやく少しだけ、夏も終わるんだ、って信じられるようになった8月の末に、大フィルさんの501回目の定期演奏会があったんだよ。

 ミレニアムの時、2000年と2001年はどっちがホントに祝うべきか、という議論がちょっとだけあったけれど。

 大フィルさんは、500回目はミッキーのベートーヴェン英雄。そして501回目は、オオウエエイジのブルックナー9番っていう、とっておきのプログラムを持ってきて、両方でお祝いをしたんだよね。テレビ放送があるのはミッキーの方だけだと思うけど。

 

 ミッキーが音楽監督になってからの大フィルさんは、わりとプログラムが偏っていて。音楽世界旅行、みたいな感じで、ドイツもの以外を良く取り上げるようになって。結果的に、ベートーヴェンとかブルックナーとか、そういう王道路線がしばらく定期で聴けなかったんだよね。

 ちょっとフラストレーションがたまっていた身としては、なんだ、キメの時は結局ドイツ物に頼るんじゃないか、とか意地悪に思ったりもするのだけれど。でもまあ、それをいやがる理由は全くなくて。

 ミッキーの英雄も、良かったしね。

 


 という訳で、オオウエエイジのブル9。

 僕の憶えている限り、オオウエエイジのブルックナーは9番4回、8番3回、7番1回、くらいなのかな。大フィルで演奏したのは。開演前のトークサロンで,誰かが好き嫌いをしてるんじゃないか、って聞いてみたら、そういう訳ではないらしいのだけれどもね。

 まあでも。

 ミッキーのブルックナーは、西宮に行かないと聴けないから、フェスで聴くブルックナーは、はじめて、なのかな。

 ちょっとだけ、不安があったんだよね。

 

 オオウエエイジ時代、大フィルさんの定期が古いフェスから、音響の良いシンフォニーホールに移って。

 感覚的には、シンフォニーホールで「楽をした」大フィルさんの音は、たまにフェスに来たときに、音の圧力で会場を満たせない、すかすかに聴こえる演奏が多くって。音のでかい大フィルさんは過去の物、になりつつあってね。

 ミッキーの時代になって、新しいフェスに定期を映してから、今回は鳴ってる、今回はすかすか、っていうのをくり返して。

 僕的には、4大オーケストラ饗宴のときのダフクロで、一皮むけて鳴るようになったな、っていう印象があって。

 もちろん、数年前に加入してくれたホルンのトップの方の圧倒的な音、っていうのも大きいのだろうけれど。

 

 そういう下地の中で、501回目のオオウエエイジ。

 前半はね、日本人の曲なのだけれど。

 なんじゃこりゃ。

 邦人作品らしい、細かいパッセージの曲なんだけど、それにしても鳴らない。リハしてないんじゃないか、っていうくらい、自信なさげな音。50人の高校の吹奏楽の方がよっぽど良い演奏できるよ。

 って思ったのだけれど、演奏終わってオオウエエイジが振り向いたときには、やっぱり拍手をしちゃったのだけどね。でも、不安は大きくなったよね。

 

 という不安の中。

 ブル9。

 

 なにこれ。

 

 聴いたことない。こんなブルックナー。

 こんな大フィルさん。

 

 つぎの音がいつやってくるんだろう、って思わず息苦しくなってしまうくらい遅いテンポからでてくる音は。

 薄皮一枚のあんパンみたいにみっちり詰まっていて。

 ぎりぎりまでネジを巻いたギターの弦みたいに、ちょっとさわったらパチン、て切れてしまうんじゃないか、っていう緊張感に満ちていて。

 それでいて、どこを取ってもおおらかで優しくて。

 

 ステージのどこでどんな音が出ているか、手に取るように分かるくらい、立体的な音なのに。

 ブルックナー休止の音の止みかたまで計算しているんじゃないか、っていうくらいフレーズの最後まで丁寧に奏でられていて、その余韻が消えた後には、オオウエエイジの呼吸と、タキシードの衣擦れの音が聞こえてくるくらいの、静寂。

 

 こんなにクリアなのに、トゥッティだけじゃなく、クラリネットのソロでも、会場全体が満たされる、その響き。

 全体の中にも埋もれない、チェロと弦バス。

 

 どんな魔法を使ったんだろう。

 

 もう。ね。

 1楽章のブルックナー休止のたびにうるうるきて。

 一転、すげー早くなったスケルッツォ。渾身のダカダンダンダンダンダンの後ろの、これまた渾身のラッパのロングトーンにまた涙堪えて。

 

 そして。

 あの。

 ワグナーチューバのロングトーンが消えて。

 最後の静寂。

 いつまでも終わらない、静寂。

 

 

 涙が止まらなかったよ。

 

 蜂の巣をつついた拍手の中、思ったよりブラボーコールが少なかったのは、きっと、みんな泣き声で叫びたくなかったからだよね。

 僕と同じで、ね。

 

 2001年の、じいさん最後のブル9を聴いたとき、ブル9はフィナーレがないから、こんなにアダージョまでで音圧を上げられるんだ、って思ったんだけど。

 きっと、ブルックナーは。

 比較的早い時点から、3楽章で完結する音楽を作ろうとしてたんだよね。

 調整の違うテ・デウムなんかをつけるんじゃなくって、3楽章のままで永遠に残る音楽。

 

 

 オオウエエイジ、愛してるよ。

 大フィルさん。大好き。

 ありがとう。

 

 ただ、それだけのはなし。

 



オオウエエイジの、ひさびさの快演 マーラー3番 〜大フィル第491回定期演奏会〜2015年09月23日

 水害や噴火とか、いろいろなことが起こった夏だけれど、陽も短くなって、鈴虫が鳴き出したね。

 秋だね。

 

 オーケストラにも、シーズンオフがあってね。それが8月、夏なのだけれども。

 秋がやってくると、大阪では、大阪クラシックっていう催しがあってね。スタバとか銀行とか、ビルのロビーとかいろんな所でゲリラ的にオーケストラの人たちが少人数のアンサンブルを披露してくれるんだ。無料でね。

 今年は、僕の知らない間に終わっちゃっていたけれども、ね。

 

 その催しをプロデュースした大植英次が、そのまんま大阪に残って振る、9月の定期。オオウエエイジは、常任じゃなくなってから定期ではマーラーしか振らなんだよね。

 定期でブルックナーを振ることを頑なに拒絶している井上道義の得意曲も、マーラーなのだろうと思うのだけど、そのうち、マーラー対決も聴いてみたいなあ。

 

 という事で、オオウエエイジのマーラー3番、聴いてきたよ。

 


 久しぶり、の感じが強いんだよね。

 大フィルさん自体も久しぶりだけれども、大植英次は、年一回ペースなのかな。大阪クラシックとか、定期以外の演奏会からちょっと足が遠のいている蚊ね。

 しかも。

 オオウエエイジのマーラー、なのか、そもそもマーラーが、なのか分からないけれど。

 あんまりいい想い出がないんだよね。オオウエエイジのマーラー。

 

 もちろん、就任記念の2番、復活。これはすごかって、僕は一発で大植英次の大ファンになったのだけれども。そのあとって、実はあんまりいい印象がないんだよね。外タレを引き連れてきた9番くらいかな。わーい、っていう演奏。

 

 だから、今回はどうなのかな、って思ったのだけれどもね。

 

 マーラーって、時代的にブルックナーと重なっているようで。わりと同列に論じられる事が多いんだよね。

 ベートーヴェン、ブラームスと来た交響曲、っていう形式の熟成期。共に大編成の、CD1枚に収まらないくらいの長大な曲を作り上げたマーラーとブルックナー。

 似ているのはそのくらいでね。

 

 視点の持ち方が、全く違うと思うんだよね。マーラーとブルックナーとは。

 朴訥なオーケストレーションの技術と信仰を武器に、神から見た世界を音にしようとしたブルックナーと、煌びやかな技術と超人思想で、音で世界を作り上げようとしたマーラー。

 似て非なるもの、そのものだよね。

 

 まあいいや。演奏会だね。

 

 3番は、アルトの独唱と女性、児童合唱の入る大がかりな曲でね。ミッキーもプログラムに書いていたようにフェスの大きさが似合う曲。

 

 フェスティバルホールって、おっきいんだよね。体感的に、シンフォニーホールの倍くらいの容積、って感じ。ホントはもっと大きいのかもしれないけれど。

 僕は実は、ミッキーがブルックナーをフェスで演奏しないのは、びびってるからじゃないかな、って思ってるんだよね。

 オオウエエイジの10年間。小さくてしかも音響のいいシンフォニーホールをホームグランドとしていた大フィルさん。朝比奈のじいさんの時代の、やたらでっかくて響かない昔のフェスで鍛えられていた「音の大きい大フィル」が、その10年ですっかり小奇麗な音を出すオケになっちゃって。

 僕を含む、じいさんのブルックナーを記憶の中で美化している大フィルさんの頑固なお客に、ブルックナーでフェスを鳴らし切る演奏を聴かせる自信が無いってびびってるんじゃないかな、って思ってるんだよね。

 まあ、今年くらいはそれも良いけど、ね。

 

 ああ、オオウエエイジのマーラーだよね。

 

 この曲は、大編成の大曲なのだけれど、棒がいつも気にするような、音圧でフェスを満たしたかどうか、っていう評価軸はあんまり当てはまらないのかな。

 冒頭のホルンのファンファーレ。ホルンは代替わりしてからすごく安定感が増したよね。かっこいいファンファーレの最後とそのつなぎのフレーズのテンポ。なにもそこをいじらなくても、と思うのだけれど、そこをいじるのがオオウエエイジ。ちょっとずっこけたけれど、でも、そんなことはすぐに気にならなくなってね。

 すごい、演奏だったよ。

 

 大編成だけれども、分厚いトゥッティの迫力、というよりは、思いがけない楽器の組み合わせで重層感を出していく曲で。弦バスとホルンのユニゾンなんて、なんてかっこいいんだろう。

 ベルアップしたクラリネットや、ラッパ、トロンボンのソロや。コンマスの色気あるソロとか。

 そして何より、袖のラッパのカッコ良さ。

 

 後ろのおっさんのいびきが気になって身を乗り出して聴いていたのだけれど、100分の長大な曲を、全く飽きさせないオーケストレーションと、そしてもちろん、緊張感を持続させた演奏。

 

 曲の終わり。

 血気にはやる観客を、見事に押さえ込んで静寂を創ったオオウエエイジ。

 

 いやあ。

 僕は、好きだなあ。これ。

 久しぶりに、両手を挙げてブラボー、だよ。オオウエエイジの、マーラー。

 

 ありがとうね。

 また、良い演奏を聴かせてね。

 

 ただ、それだけのはなし。

 

 あ、そうそう。

 橋下市長になってから、助成金が大幅に削られて財政危機に陥っている大フィルさんを始めとする在阪オケ。

 そのオケ(を含む大阪の文化事業)を救うため、大フィルさんに使って、って指名できるふるさと寄附金制度が出来ました。

 ここをぽち、っとね。

 所得に応じた範囲内なら、つぎの年の税金軽減、という形で2000円を引いた全額が帰ってくるふるさと寄附金(ふるさと納税)は、普通の大フィルさんへの寄附よりも個人負担が少なく、大フィルさんへの応援が出来ます。

 僕はサポート会員にもなっているけれど、それよりこのふるさと寄附金の方が、安心して多くの応援が出来るんじゃないかな。

 皆さんも、ちょっと考えてみて、ね。