ミッキーの、最後の定期 狂乱のショスタコ13 ― 2024年02月16日
小澤征爾が、なくなったね、
まずは、合掌。
僕は、小澤征爾を生で聴いたことが、結局ないんだよね。
高校の頃、カラヤンの来日公演をがんばって公衆電話からチケット取ろうとして。ようやくつながったのだけれど、10円玉がなくなってとれなかった公演が、結局カラヤンが体調不良かなにかで、小澤征爾が代役で指揮した事があって。それが一番近いニアミスかな。
大学の頃、後輩が入っていたジュニアフィルの欧州遠征かなにかで、小澤に振ってもらった、っていう話をしてたっけな。
それくらい、もう30年以上前から、小澤は誰もが知っているスーパーヒーローだったのだけれども。僕にはあまり近くなかった存在だったかな。
このごろは、小澤フェスで振ったとか振らないとか、聴けるのか聴けないのか分からない日々が続いていたけれど。
それにしても。
小澤征爾の訃報を伝えるニュースの多いこと。凄い存在だったんだね。
小澤征爾もそうだけれど、オーケストラの指揮者って、年齢を重ねてもできる職業だよね。あるいは、年齢を重ねてからの方が評価が高くなって、なかなか辞め時が見つからない職業でもあるよね。
朝比奈のじいさんも、93歳でまだまだ演奏予定があって、自分が振る予定だった演奏会の最中に、天に召されたしね。
そういう、辞め時の難しい職業である指揮者を、「来年いっぱいで辞めます」って宣言した人がいるんだよ。
人気の指揮者だからね、必然的に、「カウントダウン」とか、「最後の定期演奏会」とか、そういう演奏会が続くのだけど。
そういうキャリアの終わり方って、いいよね。
せっかく取ったチケットが、体調不良で中止になったり、生前最後の演奏会になるか、って不純な動機でチケットが取り辛くなったりするより、よっぽど建設的。
あ、それって、井上道義、ミッキーのことなんだよね。
ミッキーは、朝比奈さんの時代から大フィルさんの重要な客演指揮者の一人だったし、オオウエエイジの後を受ける形で数年間、首席指揮者もしてくれたし、アンサンブル金沢を率いて大阪に来てくれてもいる、生で聴く機会の凄く多い指揮者なのだけれども。
今年、2024年末で、指揮者を引退するんだって。
今回は、大フィルさんの最後の定期演奏会。シンフォニーホールでの「カウントダウン」コンサートはまだまだいっぱいあるのだけれど、でもひとつの区切りのコンサート、なんだよね。
プログラムは、ミッキーの区切りのコンサートと言えば、他に考えられない、ショスタコーヴィッチプログラム。
ショスタコーヴィッチは、ソ連時代の作曲家でね。中高生には、吹奏楽でも良く演奏される交響曲第5番「革命」で有名なのだけれど。
なかなかその音楽は、実直というか垢抜けないというか。縦のりの農耕民族の音楽なんだよね。
4番とか7番「レニングラード」とか。そういう大曲でも、鍬で地面を耕すようなリズム感が、ちょっと苦手なのだけれど。
でも、ミッキーのライフワークだからね。聴き届けようっと。
とはいえ、最初の曲は、シュトラウスのポルカ。
ウィーンフィルのニューイヤーコンサート以外では、あんまりポルカとかワルツとかに接する機会がないのだけれど、首席指揮者時代に頑なにドイツ語圏以外の音楽を取りあえげたミッキーらしいな。
この曲は、カッコーのさえずりを笛で、いろんなプレイヤーが吹くんだよね。曲の合間に、調子外れだったり、照れくさそうだったりする弦楽器や管楽器奏者の笛の音が挿入されて。
あれ、いつもは一部には出てこないホルンの高橋さんや、トロンボーンの福田さんがティンパニの並びにいる、と思ったら、こちら笛要員でしたね。珍しい姿を堪能しました。
続くショスタコは、映画音楽。
これはもう、トロンボーンの福田さんのスタンディングソロ。座っているときには背筋をピンと張って、ベルの位置をほとんど動かさずに吹く福田さんだけれども、くねくね系のミッキーに合わせたのか、身体を揺らしながらのソロ。これもまた良きかな。
映画音楽の組曲だけあって、いろんな場面の組み合わせが楽しかった。
休憩はさんで、同じくショスタコの13番。
バスのソリストと、海外から招聘した男声合唱。
唄の内容は、スターリン時代のナチスに迫害されたユダヤ人とソビエトへの反体制と。
「革命」とか「レニングラード」とか呼ばれる曲を作り、ソビエトへの批判とおもねりと身の危険と。そういう中で曲を作ってきたショスタコーヴィッチだと思うと、聞いているだけでもはらはらしてしまう内容なのだけれど。
曲はね、ショスタコの縦のり農耕民族っぽさは全く気にならず、男声合唱、それもヨーロッパの、プロの男声合唱の迫力と、バスのこれまた迫力に気圧されて。
ミッキー、最後にすごいもん持ってきたな。
って言う演奏だったよ。
もちろん、お客さんは、これがミッキー最後の定期演奏会だ、って百も承知で。
そしてなにより、曲と演奏が凄くって。
だから、
必然的に拍手の嵐なのだけれど。
その拍手を、堂々と、無駄な謙遜もせず、全霊で受ける井上道義。
歌手を、楽団員を、合唱団をたたえながら、今日の拍手は俺のモノだ、って全身で受けるその姿。
特大の花束をもらって、堂々と掲げて、最後にはばらばらにして全てを客席に投げ入れてしまうその姿。
千両役者やのう。
長身で、手足も長いから、腕を拡げたり投げキッスをしたりするその姿がいちいち様になるのだけれど。
そうではなく、正当な評価としての拍手を正当に喜びながら全身で受ける。それだけの演奏をしたんだ、という満足をみんなに伝えながら、拍手を会場の喜びにしていく。
やっぱり凄いな、ミッキー。
つぎは、カウントダウンのブルックナー、楽しみにしているよ。
ただ、それだけのはなし。
大フィル 大575回定期
井上道義
バス:アレクセイ・ティホミーロフ
合唱:オルフェイ・ドレンがー
J.シュトラウスⅡ世/ポルカ「クラップフェンの森で」
ショスタコーヴィチ/ステージ・オーケストラのための組曲(ジャズ組曲第2番)〔抜粋〕
ショスタコーヴィチ/交響曲 第13番 変ロ短調 作品113「バビ・ヤール」
2024年2月10日
@フェスティバルホール
大阪市民管弦楽団の、ブル4 ― 2023年03月21日
春だね。
東京ではもうすっかりお花見日和らしいけど。大阪では、ようやく最初の数輪がほころびかけた、そんな陽気の中、久しぶりに行ってきたよ。僕の友達、というより大先輩が所属する、大阪市民管弦楽団の第96回定期演奏会。
96回って、凄いよね。年2回やったとして、ほぼ50年。僕がよちよち歩きの頃からやっているんだね。
今回の演目は、モーツァルトのコジファントゥッテ序曲、ワーグナーのローエングリンより。そして、ブルックナーの4番。
もちろん、楽しみのメインはブルックナーなのだけれど。
この演奏会の前の日、フェスで大フィルさんの幻想交響曲を聴いたあとに、通りがかったクラシックカフェみたいなところに入ったのだけれど。
なんかの拍子にブルックナーが好き、という話をしたら、マスターにブルヲタ扱いされてちょっと心外だったんだよね。
僕は、ブルックナーを好きではあるけれど、ブルヲタではないよ。
「不機嫌な姫とブックナー団」、って言うブルヲタの生態を描いたマイナーな小説があるのだけれど、その中にブルヲタ診断テストって言うのがあって。9項目のマニアックな質問に少なくとも8項目くらいは答えられなければいけないらしいのだけれど、僕はひとつだけしか該当しなかったからね。だから、名実ともにブルヲタではないんだ。まあ、そういう小説を買って読むほどにはファンなのだけれどもね。
まあいいや。
ゆっくりランチを食べてからホールでもらった席は、RB席。ステージの向かって右側のバルコニー席。弦バスの上、弦と管の境目のあたり。
いつもはもちろん、前から見る事が多いオーケストラの演奏会。今回はちょっと違う角度から愉しもう、っと。
ステージに置かれた椅子に、三々五々団員が集まってきて。
僕を招待してくれた友人は、ちょっと前に緊急入院をしてしまって、心配していたのだけれど、無事にステージ上に発見。良かったね。
この席から、演奏を見るとね、面白いことに、演奏している奏者がよく見えるんだよね。
そんなのあたり前、と思う人もいるかもしれないけれど、前方席から見ると、ステージが高いせいで、ひな壇があってもそんなに視界が広がる訳でもなく、譜面台や指揮者の背中もあって、吹いているのがオーボエなのかクラリネットなのかよく分からなかったりするんだよね。
それが、横から見ると、誰が音を出しているかがよく見えるんだ。
前の日に行ったクラシックカフェで、カラヤンのダフクロを見たのだけれど、あのカラヤンアングルみたいに演奏者、というか演奏している楽器のドアップみたいな見え方を、ここからはするんだ。と思ってね、新鮮。
だから、モーツァルトのオーボエやクラリネットのアンサンブルを僕はすごく愉しんだんだ。
金管が活躍するワーグナーでは、トロンボンのベルがあっちの方向を向いているのが、ちょっと淋しかったりもしたけどね。ただ、金管の咆哮が、ホールの後ろの壁を跳ね返って左耳からも(遅れて)聞こえてくるのは、面白かったな。
ブルックナーはね。
交響曲、って言う形式を作ったハイドンや、あふれ出る才能を好き勝手に入れ込んだモーツァルトの時代を過ぎて、実は、もっと巨大なものを容れられる、あるいは封じ込められる巨大な器だ、って言う事にみんなが気がつきだして。
その巨大な器を、人間の感情で埋めつくそうとしたベートーヴェン、きれいなメロディがどこまではいるか試みたドヴォルザーク、火傷しそうな情念で満たそうとしたチャイコフスキー。
そういう時代を通って、ブルックナーは、「神様が見ている世界」、を音楽で再現しようとしたんだと思うんだよね。そこが、自分が神になって世界を作ろうとしたマーラーの交響曲とは絶対的に違うところで。
8番で、神様が見ている世界に近いものを現出させて。9番でそのヴェールをもう一枚剥がそうとしたところで、「そろそろもういいんじゃない」って、神に召されたんだろうなあ。そんな風に思うと、それぞれの曲が愛おしいよね。
そんな、世界を、自然の風景を作ろうと悪戦苦闘していたブルックナーが、テレビのセットのような段ボールの書き割りの山や森ではあるけれど、ようやく、決まった一点から観て、だけど風景を描くことができた3番交響曲と、凄く立体的な、立派な石積みの巨大建造物を構築することに成功した5番の間で、山や森を作ろうとしたのが4番、だと思うんだよね。
ちょっと見る角度がずれると、段ボールだったりベニヤ板で描いた平面の藪や森が見えてしまう、テレビ番組のスタジオみたいにとてもフラジャイルな3番を引きずりつつ、大伽藍にいたる研鑽を積んでいる、そういう4番を、誰がどの音を出しているかよく分かる、この席で聴くのは、ちょっと楽しみだよね。
1部の終わりがワーグナーだったから、2部のセッティングはちょっとびっくりしたのだけれど。ブルックナーって、大フィルさんになれているからかもしれないけれど、弦が倍になったり、金管も思いっきり増やす大編成のイメージがあるのだけれど。実は、木管は凄くシンプルなんだね。
ワーグナーの時には3人ずついたと思ったクラもダブルリードもフルートも、二人ずつ8人。そうなんだね、今まで気がつかなかった。
曲はね、弦のトレモロから、ホルンの唄。それが左右の耳から別々に入ってきて。ホルンの本数が増えて、トロンボンも入っての二拍三連は、どうしても金管に目が行ってしまうけれど、そこでしゃかりきになって弾いている弦楽器の人たちの姿も音も、ここからはよく見えたし聴こえたよ。
特に、ここ一番の時のヴァイオリンのリズムのダイナミックさ。こういうところの、確信に満ちた音量の上げ下げとか、揃っている弓使いとか音の長さとか。曲に対する練習量の多いアマチュアオケのいいところだよね。
それにしても、ホルンって、ずうっとソロなんだね。かっこいい。
2楽章だったかな、ビオラが他のパートを伴奏にして延々と歌うところ。ブルックナーの弦の色っぽさって、ビオラの音なんだね。凄い良かった。
僕の好きな8番の最初のところもそうなのかな。チェロかと思ってた。今度注意して聴いてみよっと。
シンフォニーホールといえば、天上の反響板が名物だと思うのだけれど、客席の上は、パステルカラーの間接照明の三角形の反響板なんだけど、ステージ上は、もっとごっつい反響板が、もっと低い位置にあるんだよね。
その反響板のせいか分からないけれど、楽章終わりの静寂とか、いわゆるブルックナー休止の音の吸い込まれ方は、やっぱいいね。特にフィナーレの終わり、反射板の隙間から天上に届いた音が、天上と反射板の裏側で何度も反射しながら減衰していく。そういう、音がないのにまだ音があるんだよ、って言う感覚は、視覚的なものかもしれないけれど、シンフォニーホールでブルックナーを聴く醍醐味だよね。
多分、それは、シンフォニーホールでブルックナーを演奏する醍醐味でもあって。その響きを、演奏している方々も存分に味わった演奏だったんじゃないかな、と思います。
もちろん、聴いている僕らも堪能したからね。
ありがとうございました。
病み上がりのOさんは、美味しいお酒、という訳には行かなかったかもしれないけれど、勝利の美酒に酔ったことと思います。
ステージ乗れて、良かったね。
ただ、それだけのはなし。
23年 新春の3連発 ― 2023年02月02日
せっかく復帰した山遊びが、合宿やらツアーやらで開店休業状態で。
だからという訳でもないのだけれど、いろんな演奏会に行ってるんだ。
まずは、大フィルさんの定期。
池辺晋一郎って言う日本の作曲家の交響曲。10番って言うから、もう10曲も作っているんだね。東日本大震災に祈りを捧げた曲。
そして、ブルックナーの7番。
もちろん、尾高さんだからね。って言うか。大フィルさんはよく鳴って、ブルックナーの音楽はとても感動的なのだけれど。
それでも、「いつもみたいに」良かった、と思うのは、なんか慣れちゃったのかなあ。
数日経つと、全然何があったか思い出せないんだよね。
反省。
お次は、多分僕ははじめてだと思うけれど。シオンのコンサートに行って来たよ。
Osaka Shion Wind Orchestraって言うのが正式名称なのだけれど。大阪市音楽団から、民営化されてShion担ったプロの吹奏楽団。
一回、中川英二郎さんがソリストになった吹奏楽の演奏会に行ったけれど、あれはShionだったのかな?
まあいいや。
今回は、ソリストとかではなくて、プログラムに惹かれたんだよね。Shion。
オール・ホルスト・プログラム。
第一、第二組曲に、惑星全曲。その他諸々。
どんなやねん、って思うよね。
ホルストは、クラシックの作曲家としては珍しく、吹奏楽のための曲も作曲しているんだよね。あるいは、珍しく、吹奏楽の曲がメジャーに演奏されている。
吹奏楽のための第一、第二組曲って、僕が吹奏楽をやっていた頃の、結構な人気曲。僕は演奏したことは(少なくとも本番では)ないと思うのだけれど、それでも歌えちゃうくらいの人気曲。
そして、惑星は、言わずと知れた、こちらはクラシックの人気曲。ジュピターだけ知っている、っていう人も多いと思うけれど。
久しぶりに聴く吹奏楽はね。
ああ、管楽器ってデジタルなんだ、って。
僕が演奏していたトロンボンはおいといて、管楽器って基本的には半音階を指でキーを押さえたりピストンを押さえたりで区別するよね。弦楽器はフレッドのない弦の上を指がすべって音を変えていくんだけど。
オーケストラではヴァイオリンがいる位置に、吹奏楽ではクラリネットが大勢いて、ヴァイオリンが奏でるであろうパートを奏でているのだけれど。
それが、オーケストラの響きに慣れた耳で聴くと、パカパカするんだよね。パカパカって、なんだろう、って思って良く聴くと、ああ、キーの開閉で半音が変わるデジタルの音なんだ、て。
それがいい、悪いは置いておいてね。
肝心の演奏は。
組曲や他の曲は、吹奏楽のために作曲されたものだから、これが原曲の響き、なんだよね。オーケストラの響きとはちょっと違うけれど、でも歯切れのいい、ちょっと速めの演奏を聴いていると、だんだんと違和感もなくなって。
休憩を挟んで惑星の頃には、すっかり馴染んじゃったよ。
惑星は、もちろん木星がメジャーなのだけれど、それぞれ耳になじみがあって、何より聴いているのが楽しい。
飽きない速さで曲が進んで、その度に曲調が変わるから、どんどん聴いて行けて、あれ、これって吹奏楽がオリジナル? とか思いながら聴いていたのだけれど。
最後の、海王星だっけ? 女声コーラスが袖から入るのも、すごくいい効果で。
吹奏楽、楽しい。
間髪入れず、つぎの日も、同じシンフォニーホールで、大フィルさんの4大オケ。
運命と、英雄の生涯。
オオウエエイジの時代、シンフォニーホールで定期を聴いていたときと同じ席で聴いたのだけれど、今の大フィルさんはフェスティバルホールで鍛えられて音が大きいのか、シンフォニーではちょっとハレーション気味なのかな。
どこを取ってもよく鳴ってる、というべきなのだろうけれど。
演奏が終わって、ホール下りのエレベーターで、どこぞのオケの常連さんらしき方が、「英雄の生涯良かったけど、前半のベートーヴェンのノリを引きずった感じやったわ。良くも悪くも大フィルさんやなあ」って。
ああ、それはその通りだなあ、って思ったよ。
ベートーヴェンもシュトラウスも、同じように会場ごと鳴らし切る大フィルさん。
それはやっぱり、良くも悪くも大フィルさん、なんだよね。
嫌いじゃないけれど、毎週聴くのはちょっとつらいかな。それは、僕が歳を取っただけ、なのだろうと思うけれど。
ただ、それだけのはなし。
大フィルさんの、激アツ・巨人 ― 2022年12月18日
なんか、秋のコンサート週間になっていて。
昨日は大フィルさんの定期で。今日はNDRのコンサートなのだけれど。
昨日の、巨人。
すごかったんだよ。
マーラーはあんまり好んで聴く方ではなくって、特に1番は交響曲としてどうよ、と思ったりもしているのだけれど。
それでも、演奏効果は抜群で。
昨日みたい歯切れの良い、しかも大編成を鳴らし切って、ソロもそれぞれものすごい、そういう演奏を聴くと、楽しいんだよね。
袖で吹くラッパ隊、ベルアップしたり立って演奏したり大忙しのホルン。やっぱりきれいな音色のトロンボン。これらの金管に加えて。
マーラーの効果音担当、なのか分からないけれど、効果音的なフレーズを、チャーイングに吹ききるクラリネットや、ソロでフェスを満たす弦バスのトップとか。
なんなんだろうね。
外国人の指揮者だから、なのかよく分からないのだけれど。
デュトワのときもそう感じたのだけれど、こういう、フレーズの端々、ノリが「違う」と思うのって、外国人指揮者の時が多いんだよね。
もちろん、脳内補正である可能性が高いのだけれども。
でも、脳内補正でも良くて。
そういう演奏にまた逢えるようになったのは、嬉しいよね。
それにしても、あの大編成をフルに鳴らして、濁りがない大フィルさんって、すごいな。
ただ、それだけのはなし。
フェニーチェ堺の、ベートーヴェン by NDR ― 2022年12月18日
なんだかんだで、行く機会が多いんだよね。フェニーチェ堺。
大阪の端っこに住んでいる僕にとって、車ですぐに行けて、リーズナブルな駐車場もあって。そして、フェスやシンフォニーホールに来てくれない魅力的な演奏家達が来てくれる、というところで、いずみホールも入れると、4つめのチェックすべきホール、ということになるんだね。
今回は、ちょっと前だけれど。
NDR 北ドイツ放送フィルハーモニー交響楽団の、ベートーヴェンプロ。
NDRは、朝比奈のじいさんが何枚か録音を残していたり、「演奏技術ではベルリンフィルより上」みたいなことを言っていた(と朧に記憶している)り、オオウエエイジが常任になっていたことがあったり、で勝手に親近感が湧いているんだよね。派手じゃないけど渋そう、って。
何より、本場のベートーヴェン、ってあんまり聴く機会がないんだよね。ウィーンやベルリンから来るなら、もう少し大きかったり煌びやかだったり、というものを求めてしまう貧乏性、なもので。..
という訳で、聴いてきたよ。NDR。
ベートーヴェンも、3番だと、まだトロンボンが入らないんだよね。だからなのか、広いとは言えないフェニーチェ堺のステージにも、きつきつではなく楽々入る大きさの編成で。ロンドンフィルとは大違いだね。
そして、ゲルハルト・オピッツのピアノで、皇帝。
その前の日に、大フィルさんの定期でミシェル・ダルベルトというヒトのピアノでモーツァルトの狂想曲を聴いたのだけれど、これは、あんまり印象に残らなかったんだよね。ピアノがあんまり前に出てこないな、って言うくらいで。
それが、オピッツさんの皇帝は。
なんだろう、やさしいんだよね。音が丸っこくて。もうひとつきほど前の演奏会だから、記憶の方も細部がとれて丸っこくなっているのだけれど、なんかしあわせな時間だな、と思ったのは良く覚えているよ。
その前のエグモント序曲では、爆発するベートーヴェンを堪能したのだけれどもね。
そして、英雄。
なんていうんだろうね。この英雄は、生々しい。席が前の方だったからか、編成が小さくて音の分離が良かったからか、普段は響きに入ってしまって聞こえてこない、筋肉の筋、みたいなものが見えてくるような演奏で。だからといってグロテスクではなく。弦楽器も、大フィルさんの大編成に比べると少ないんだけれど、一人一人の音が合わさっているんだな、って言うのがよく分かるような、そんな演奏。
なんかしあわせな演奏会だったな。
アンコール曲は、「羊飼いの娘の踊り」って言っていたけれど、誰の曲か分からなかったら、フェニーチェのホームページに乗ってた。ヒューゴ・アルヴェエーンの、組曲「山の王」より、という事でした。楽しい曲だったね。
やっぱり、一月前の演奏会はキジにするほど思い出せないや、ごめんなさい。
ただ、それだけのはなし。