オオウエエイジの、奇跡の、ブル9 大フィル第501回定期2016年08月27日

 長い間、更新が止まっているけれど。

 音楽を聴きに行くのをやめた訳ではなくってね。相変わらず大フィルさんをはじめ、いろんな音楽を、たまに聴きに行っているのだけれども。

 

 大フィルさん。いつもはお休みの8月。ようやく少しだけ、夏も終わるんだ、って信じられるようになった8月の末に、大フィルさんの501回目の定期演奏会があったんだよ。

 ミレニアムの時、2000年と2001年はどっちがホントに祝うべきか、という議論がちょっとだけあったけれど。

 大フィルさんは、500回目はミッキーのベートーヴェン英雄。そして501回目は、オオウエエイジのブルックナー9番っていう、とっておきのプログラムを持ってきて、両方でお祝いをしたんだよね。テレビ放送があるのはミッキーの方だけだと思うけど。

 

 ミッキーが音楽監督になってからの大フィルさんは、わりとプログラムが偏っていて。音楽世界旅行、みたいな感じで、ドイツもの以外を良く取り上げるようになって。結果的に、ベートーヴェンとかブルックナーとか、そういう王道路線がしばらく定期で聴けなかったんだよね。

 ちょっとフラストレーションがたまっていた身としては、なんだ、キメの時は結局ドイツ物に頼るんじゃないか、とか意地悪に思ったりもするのだけれど。でもまあ、それをいやがる理由は全くなくて。

 ミッキーの英雄も、良かったしね。

 


 という訳で、オオウエエイジのブル9。

 僕の憶えている限り、オオウエエイジのブルックナーは9番4回、8番3回、7番1回、くらいなのかな。大フィルで演奏したのは。開演前のトークサロンで,誰かが好き嫌いをしてるんじゃないか、って聞いてみたら、そういう訳ではないらしいのだけれどもね。

 まあでも。

 ミッキーのブルックナーは、西宮に行かないと聴けないから、フェスで聴くブルックナーは、はじめて、なのかな。

 ちょっとだけ、不安があったんだよね。

 

 オオウエエイジ時代、大フィルさんの定期が古いフェスから、音響の良いシンフォニーホールに移って。

 感覚的には、シンフォニーホールで「楽をした」大フィルさんの音は、たまにフェスに来たときに、音の圧力で会場を満たせない、すかすかに聴こえる演奏が多くって。音のでかい大フィルさんは過去の物、になりつつあってね。

 ミッキーの時代になって、新しいフェスに定期を映してから、今回は鳴ってる、今回はすかすか、っていうのをくり返して。

 僕的には、4大オーケストラ饗宴のときのダフクロで、一皮むけて鳴るようになったな、っていう印象があって。

 もちろん、数年前に加入してくれたホルンのトップの方の圧倒的な音、っていうのも大きいのだろうけれど。

 

 そういう下地の中で、501回目のオオウエエイジ。

 前半はね、日本人の曲なのだけれど。

 なんじゃこりゃ。

 邦人作品らしい、細かいパッセージの曲なんだけど、それにしても鳴らない。リハしてないんじゃないか、っていうくらい、自信なさげな音。50人の高校の吹奏楽の方がよっぽど良い演奏できるよ。

 って思ったのだけれど、演奏終わってオオウエエイジが振り向いたときには、やっぱり拍手をしちゃったのだけどね。でも、不安は大きくなったよね。

 

 という不安の中。

 ブル9。

 

 なにこれ。

 

 聴いたことない。こんなブルックナー。

 こんな大フィルさん。

 

 つぎの音がいつやってくるんだろう、って思わず息苦しくなってしまうくらい遅いテンポからでてくる音は。

 薄皮一枚のあんパンみたいにみっちり詰まっていて。

 ぎりぎりまでネジを巻いたギターの弦みたいに、ちょっとさわったらパチン、て切れてしまうんじゃないか、っていう緊張感に満ちていて。

 それでいて、どこを取ってもおおらかで優しくて。

 

 ステージのどこでどんな音が出ているか、手に取るように分かるくらい、立体的な音なのに。

 ブルックナー休止の音の止みかたまで計算しているんじゃないか、っていうくらいフレーズの最後まで丁寧に奏でられていて、その余韻が消えた後には、オオウエエイジの呼吸と、タキシードの衣擦れの音が聞こえてくるくらいの、静寂。

 

 こんなにクリアなのに、トゥッティだけじゃなく、クラリネットのソロでも、会場全体が満たされる、その響き。

 全体の中にも埋もれない、チェロと弦バス。

 

 どんな魔法を使ったんだろう。

 

 もう。ね。

 1楽章のブルックナー休止のたびにうるうるきて。

 一転、すげー早くなったスケルッツォ。渾身のダカダンダンダンダンダンの後ろの、これまた渾身のラッパのロングトーンにまた涙堪えて。

 

 そして。

 あの。

 ワグナーチューバのロングトーンが消えて。

 最後の静寂。

 いつまでも終わらない、静寂。

 

 

 涙が止まらなかったよ。

 

 蜂の巣をつついた拍手の中、思ったよりブラボーコールが少なかったのは、きっと、みんな泣き声で叫びたくなかったからだよね。

 僕と同じで、ね。

 

 2001年の、じいさん最後のブル9を聴いたとき、ブル9はフィナーレがないから、こんなにアダージョまでで音圧を上げられるんだ、って思ったんだけど。

 きっと、ブルックナーは。

 比較的早い時点から、3楽章で完結する音楽を作ろうとしてたんだよね。

 調整の違うテ・デウムなんかをつけるんじゃなくって、3楽章のままで永遠に残る音楽。

 

 

 オオウエエイジ、愛してるよ。

 大フィルさん。大好き。

 ありがとう。

 

 ただ、それだけのはなし。

 



オオウエエイジの、ひさびさの快演 マーラー3番 〜大フィル第491回定期演奏会〜2015年09月23日

 水害や噴火とか、いろいろなことが起こった夏だけれど、陽も短くなって、鈴虫が鳴き出したね。

 秋だね。

 

 オーケストラにも、シーズンオフがあってね。それが8月、夏なのだけれども。

 秋がやってくると、大阪では、大阪クラシックっていう催しがあってね。スタバとか銀行とか、ビルのロビーとかいろんな所でゲリラ的にオーケストラの人たちが少人数のアンサンブルを披露してくれるんだ。無料でね。

 今年は、僕の知らない間に終わっちゃっていたけれども、ね。

 

 その催しをプロデュースした大植英次が、そのまんま大阪に残って振る、9月の定期。オオウエエイジは、常任じゃなくなってから定期ではマーラーしか振らなんだよね。

 定期でブルックナーを振ることを頑なに拒絶している井上道義の得意曲も、マーラーなのだろうと思うのだけど、そのうち、マーラー対決も聴いてみたいなあ。

 

 という事で、オオウエエイジのマーラー3番、聴いてきたよ。

 


 久しぶり、の感じが強いんだよね。

 大フィルさん自体も久しぶりだけれども、大植英次は、年一回ペースなのかな。大阪クラシックとか、定期以外の演奏会からちょっと足が遠のいている蚊ね。

 しかも。

 オオウエエイジのマーラー、なのか、そもそもマーラーが、なのか分からないけれど。

 あんまりいい想い出がないんだよね。オオウエエイジのマーラー。

 

 もちろん、就任記念の2番、復活。これはすごかって、僕は一発で大植英次の大ファンになったのだけれども。そのあとって、実はあんまりいい印象がないんだよね。外タレを引き連れてきた9番くらいかな。わーい、っていう演奏。

 

 だから、今回はどうなのかな、って思ったのだけれどもね。

 

 マーラーって、時代的にブルックナーと重なっているようで。わりと同列に論じられる事が多いんだよね。

 ベートーヴェン、ブラームスと来た交響曲、っていう形式の熟成期。共に大編成の、CD1枚に収まらないくらいの長大な曲を作り上げたマーラーとブルックナー。

 似ているのはそのくらいでね。

 

 視点の持ち方が、全く違うと思うんだよね。マーラーとブルックナーとは。

 朴訥なオーケストレーションの技術と信仰を武器に、神から見た世界を音にしようとしたブルックナーと、煌びやかな技術と超人思想で、音で世界を作り上げようとしたマーラー。

 似て非なるもの、そのものだよね。

 

 まあいいや。演奏会だね。

 

 3番は、アルトの独唱と女性、児童合唱の入る大がかりな曲でね。ミッキーもプログラムに書いていたようにフェスの大きさが似合う曲。

 

 フェスティバルホールって、おっきいんだよね。体感的に、シンフォニーホールの倍くらいの容積、って感じ。ホントはもっと大きいのかもしれないけれど。

 僕は実は、ミッキーがブルックナーをフェスで演奏しないのは、びびってるからじゃないかな、って思ってるんだよね。

 オオウエエイジの10年間。小さくてしかも音響のいいシンフォニーホールをホームグランドとしていた大フィルさん。朝比奈のじいさんの時代の、やたらでっかくて響かない昔のフェスで鍛えられていた「音の大きい大フィル」が、その10年ですっかり小奇麗な音を出すオケになっちゃって。

 僕を含む、じいさんのブルックナーを記憶の中で美化している大フィルさんの頑固なお客に、ブルックナーでフェスを鳴らし切る演奏を聴かせる自信が無いってびびってるんじゃないかな、って思ってるんだよね。

 まあ、今年くらいはそれも良いけど、ね。

 

 ああ、オオウエエイジのマーラーだよね。

 

 この曲は、大編成の大曲なのだけれど、棒がいつも気にするような、音圧でフェスを満たしたかどうか、っていう評価軸はあんまり当てはまらないのかな。

 冒頭のホルンのファンファーレ。ホルンは代替わりしてからすごく安定感が増したよね。かっこいいファンファーレの最後とそのつなぎのフレーズのテンポ。なにもそこをいじらなくても、と思うのだけれど、そこをいじるのがオオウエエイジ。ちょっとずっこけたけれど、でも、そんなことはすぐに気にならなくなってね。

 すごい、演奏だったよ。

 

 大編成だけれども、分厚いトゥッティの迫力、というよりは、思いがけない楽器の組み合わせで重層感を出していく曲で。弦バスとホルンのユニゾンなんて、なんてかっこいいんだろう。

 ベルアップしたクラリネットや、ラッパ、トロンボンのソロや。コンマスの色気あるソロとか。

 そして何より、袖のラッパのカッコ良さ。

 

 後ろのおっさんのいびきが気になって身を乗り出して聴いていたのだけれど、100分の長大な曲を、全く飽きさせないオーケストレーションと、そしてもちろん、緊張感を持続させた演奏。

 

 曲の終わり。

 血気にはやる観客を、見事に押さえ込んで静寂を創ったオオウエエイジ。

 

 いやあ。

 僕は、好きだなあ。これ。

 久しぶりに、両手を挙げてブラボー、だよ。オオウエエイジの、マーラー。

 

 ありがとうね。

 また、良い演奏を聴かせてね。

 

 ただ、それだけのはなし。

 

 あ、そうそう。

 橋下市長になってから、助成金が大幅に削られて財政危機に陥っている大フィルさんを始めとする在阪オケ。

 そのオケ(を含む大阪の文化事業)を救うため、大フィルさんに使って、って指名できるふるさと寄附金制度が出来ました。

 ここをぽち、っとね。

 所得に応じた範囲内なら、つぎの年の税金軽減、という形で2000円を引いた全額が帰ってくるふるさと寄附金(ふるさと納税)は、普通の大フィルさんへの寄附よりも個人負担が少なく、大フィルさんへの応援が出来ます。

 僕はサポート会員にもなっているけれど、それよりこのふるさと寄附金の方が、安心して多くの応援が出来るんじゃないかな。

 皆さんも、ちょっと考えてみて、ね。



ミッキーの、ブル8 〜井上道義/大フィル 大ブルックナー展〜2015年01月25日

 ミッキー、愛してるよ。

 

 唐突にごめんなさい。

 でも。そう叫びたくなるコンサートに、出逢ったよ。

 


 来年度の、大フィル定期のプログラムが発表されてね。

 前のコンサートで、大フィルはブルックナーだけじゃないんだぞ、ってマイクパフォーマンスしていた通り、ブルックナーはあえて避けた、そんなプログラムが並んでた。

 それはそれで良いけれど、やっぱりブルックナーも聴きたいなあ。そんな僕みたいな人のために、ミッキーと大フィルさんが用意してくれたコンサート。

 1年かけて、西宮のKOBELCOホールでの、大ブルックナー展。

 一回目の、8番。嫁と二人で、行ってきたよ。

 

 KOBELCOホールは、兵庫県立芸術文化センターにある大ホールでね。オーケストラが4つもある大阪にこんなに近いのに、独自のオケなんか持っちゃって、大丈夫なんだろうか、なんて10年前の杞憂を見事吹き飛ばして、集客力抜群の、すごいオケと、そのホールとして、見事に地元に根付いたね。

 佐渡裕の献身的な貢献と、題名のない音楽会が大きいが大きいのだろうけれど。すごいことだよね。

 

 その、芸術文化センター管弦楽団の地元に、今回はアウェーで乗り込んだ形の大フィルさん。フェストも、シンフォニーともまた違うこのホールで、どういう音を聴かせてくれるんだろうね。楽しみ楽しみ。

 

 もちろんブルックナーだからね。アウェーだって超満員。

 

 このホール、そんなにステージは大きくないのかな。大編成のオーケストラでステージ上は黒山の人だかり。そりゃあ、そうだよね。ブルックナーだもんね。8番だもんね。

 僕にとって、8番って、いつ以来だろう。朝比奈さんで2回聴いて、大植英次でも2回聴いて。あとあったかなあ。

 朝比奈さんのときは、まだブルックナーを聴き始めたばっかりで。あまりの曲の大きさにあっぷあっぷして終わっちゃったのだけ憶えていて。

 大植英次の時には、朝比奈さんの、94年の演奏が耳にこびりついていて、ここが違う、あそこが違う。そればっかり気になっちゃったんだよね。

 

 ミッキーのブルックナー。どうなんだろう。

 

 第一楽章はね、正直、どうなることかと思ったんだよね。

 聞き慣れているのより、ちょっとゆったり目で、ちょっと強めに出たトレモロと低弦。エッジの効いた音は、フレーズのぶっつり感とか、他の楽器への受け渡しのつたなさを強調していて。管楽器のぶりぶりした吹き方も相まって、なんていうんだろう。ごつごつした、取っつきにくいブルックナー。

 あれ。

 それって、どっかで読んだ、朝比奈さんがスコアを見て感じた事とか、どっかの評論家が、ブルックナーがなぜ女性に人気が無いか書いた時に表したブルックナーの音楽、そのまま。

 なるほど。この演奏聴いたら、そう思うわな。

 そんなことを思いながら、聴いてたんだよ。

 

 KOBELCOホールは、思ったよりデッドなのかな。1階席の後ろの方でも、音に包まれる、というより、ステージの音を聴く、という感じだったのも影響しているのだろうけれど。

 

 でも、だからってつまらない訳じゃなくってね。インテンポで流れている(といわれている)朝比奈さんの演奏では気にならない、音のつながりとかフレーズの朴訥さとか、それが高じた見得とかケレンとか。

 あれ、俺どれだけ聞き込んだんだろう、ってびっくりするくらい知らない展開とかフレーズのない曲を、それでも新鮮に聴いていったんだよね。

 

 という訳で、1楽章はまだ余裕があったね。

 

 2楽章なのかな。

 管楽器のぶりぶり振りは相変わらずなのだけれど。急に音が薄くなって、ヴァイオリンだけが残るところ。

 僕は、聴いたよ。

 音の絨毯が、フッと、ステージの床から持ち上がって。ミッキーの頭上くらいまで持ち上がって、そして、消えたんだ。

 不思議な、音だったんだよ。

 それまでは、人の創りし演奏、とか思っていたのだけれどもね。なんか、そんなことどうでも良くなって、この音が鳴っている場所に今いることが、たまらなく嬉しくなった。

 

 そうしたら。

 3楽章の長さは、もう天国にいるようでね。新しく入ったホルンのトップもそうだけど、ワグナーチューバが奏でる天上の音楽。またまた相変わらずのバリバリ感と、ちょっとだけ音程が、なのかな。スコアのせいかもしれないけれど、微妙に揺れる音の浪が、天国に行ききらないで頭上で揺れている天使みたいでね。

 もう、なんでもよがりまくり。

 

 4楽章は、音の洪水と、それがくり返される喜びで、もう、茫然自失。

 

 ブルックナーだけじゃないんだぞ、とたんかを切った気恥ずかしさから、あえて西宮ではじめた大ブルックナー展。(なのかどうか知らないけれど)

 大フィルのブルックナーが響いたことのないこのホールをあえて選んで、前人の影響から無理矢理抜け出して。

 ミッキーのブルックナー、聴かせてもらったよ。

 

 ありがとう。

 愛してるよ。ミッキー。

 

 ただ、それだけのはなし。

 

大ブルックナー展
井上道義 指揮
大阪フィルハーモニー交響楽団
ブルックナー:交響曲

おかえり、ミッキー。 〜大フィル第482回定期演奏会〜2014年10月26日


 秋の夜長だね。

 今年はあんまり暑い夏の印象がなかったけれど。その分秋が長いのかな。

 

 まあいいや。

 涼しくなった大フィルさんに、ミッキーが、帰ってきたよ。

 

 前回の、オオウエエイジのマラ6は、前に聴いたマラ6とほとんど同じ気持ちで聴いたんだよね。大植とマーラーと6番の組み合わせは、残念なことに、僕とはちょっと相性が良くないんだなあ、って。

 

 まあ、それは良いとして。

 相変わらず僕は、今日は大フィルさんの日だ、ということだけは把握しているけれど、誰が、なんの曲を振るか、についてはあんまりよく分かっていなかったんだよね。

 今回は、なんの根拠もなく、ヘムルート・ヴィンシャーマンだと信じていたんだけれどもね。

 ところが、会場に着いてみると。

 なんと。

 今日はミッキーの、大フィルさん復帰の日。まあ、少なくとも僕の持っているチケット的には、ミッキーは穴を開けた訳じゃないから、復帰、っていうのはどうか、とも思うけれど。

 でも、せっかく大フィルさんの音楽監督、じゃなくって首席指揮者だっけ? になって、10年前に聴きそびれた、ショスタコの4番で派手な主席デビューを飾って。

 それでいきなりがんで休養、って。

 心配したんだぞ。こら。

 

 ということで、今日は、ミッキー復帰記念の、チャイコフスキー。

 いやあ。楽しみ。だけど、4番って、どういうんだったっけ。

 


 プログラムは、オールロシアプロ。

 ショスタコの小品から始まって、プロコのピアノコンチェルト。そしてチャイコフスキー。

 ショスタコは、楽しかったのだけしかあんまり憶えていないのだけれども。

 

 プロコのピアノは、面白かったよ。

 普通のP協って、ピアノがソロ楽器で、オケはその伴奏なのだけれど、いかんせん一人のピアノと80人のオケなので、なかなかバランスが厳しかったりもするのだけれど。

 この、プロコのp協は、いや、この演奏は、なのかもしれないけれど。そういう音作りではなくってね。

 ピアノの延長線上にオケがいる、っていうか。

 右手をバン、ってやるとバイオリンが、左手をバン、ってやるとチェロと弦バスがドン。っていう風に、ピアノの動くままにオケが動く。そうすると、出てくる音は、ピアノがかちっとした輪郭をつけて、オケが中身をみっしりと詰め込んだ、とっても気持ちのいい音。

 もちろん、それをやるには、ほとんど完璧なアインザッツが求められるのだけれどもね。その、ほぼ完璧な演奏、愉しませてもらったよ。

 会場で売ってたミッキーの新譜。エクストンなんだね。今回もマイクいっぱいの江碕さんセッティングなんだけれど、ピアノの中は録らないんだね。コンチェルトは録音対象じゃないのかな。ちょっと残念。

 

 そして。

 休憩はさんでチャイコフスキー。

 ベルアップしたホルンのど派手なファンファーレに、トロンボンがつけて。

 ラッパがそれをなぞった頃には、もう、訳分からなくなってね。

 ホルンは、左の間接音として聞こえてくるのだけれど、そのあとに出てきたトロンボンは右側の直接音として、ボックス席すぐ後ろの真ん中の席に突き刺さってきて。そこにラッパまで加わったらもう、このでっかいフェスティバルホールを大フィルさんの音が満たせるか、っていういつもの聴き方なんかどうでも良くなって。

 この、下世話な音楽に、たっぷりと身を浸したよ。

 

 チャイコフスキーってね。

 ハイドンが作って、モーツァルトがそこで無邪気に遊んだ交響曲って言うフォーマット。ベートーヴェンが、そこには世界さえも入れられる、っていうことを証明したんだ。その、世界さえも入れられるでっかい容れ物を、なんと、色恋にまつわる自分の感情だけを入れて、でっかく膨らませたんだ。

 だから、チャイコフスキーの交響曲は、狂おしくて、劇的で、甘くて。

 

 だから、チャイコフスキーの交響曲は、大好き、なんだよね。

 

 その4番を、聴いているうちにね。その前のP協と合わせて。

 なんて、しっかりしたアンサンブルなんだろう、って。

 派手な曲をこけおどしじゃなく派手にやるには、アンサンブルの乱れがあっちゃいけないんだよね。楽しいなあ。こういう演奏。

 

 劇的なクライマックスのあと。

 何度目かのカーテンコールで、ミッキーのマイクパフォーマンスがあったよ。

 

「 ぼくらは、すげえ練習した。

 ピアノも良かったけれど、ショスタコも良かったでしょ。

 大阪と東京は分化が違うけれど、大阪の人なつっこさは好き。大フィルの音も、そういう風だと思うし、そうしていきたい。

 ブルックナーだけじゃないんだぞ。

 みんなの拍手が、とても励みになる。これから20年。拍手で支えて下さい。」

 

 すげえ練習した。っていうのは、よく分かったよ。

 

 おかえりなさい。ミッキー。井上道義。

 楽しみにしてるよ。これから20年の活躍。

 

 ただ、それだけのはなし。



大フィルさんの、お引越 〜第476、477回定期〜2014年04月12日

 今年は息の長かった大阪でも、さすがに桜はすっかりと葉桜になってしまったね。

 新年度は、なかなかにばたばたと始まってしまったのだけれど。でも、年度が変わったんだなって実感する、大事な出来事があったんだよね。

 

 大フィルさんの、お引越。

 

 今年度から、井上ミッキーが主席指揮者に就任するのに合わせて、新築なったフェスティバルホールに、大フィルさんの定期が移るんだよね。

 

 という訳で、シンフォニーホール最後の定期と、フェスティバルホール最初の定期。

 二つ一遍になっちゃったけれど、きちんと聴いてきたよ。

 


 まず、3月の、尾高さんの、シベリウス。

 シンフォニーホール1階席、J列30番。僕はこの席に、結局何回座ったんだろう。オオウエエイジの就任した、シンフォニーに引っ越した最初の年は2階席だったんだよね。確か。2005年くらいから今の席に替わって。1日目に振り替えたり、嫁に行ってもらったり。結局いけなかったこともあったりで、ずっとじゃないけれど、70回くらいはこの席で見たのかな。なじみの席、だよね。

 

 なじみのホールのなじみの席から聴く、なじみのオケ。尾高さんだってなじみ、って言える。

 特に感慨、っていうものはなかったのだけれどもね。

 

 シベリウスって、鳴りきらないと意味のない音楽を、一音一音しっかり鳴らしていく丁寧な演奏。

 そして、僕は、聴いたよ。

 三楽章だと思うけれど。最後のコード。

 低弦の伸ばしがだんだん消えていく、最後の音。

 あれ、シンフォニーホールってこんなに残響長かったっけ、っていうくらい、永い、永い残響。最後の音が高い天井に吸い込まれてからも残る、余韻。そして、静寂。

 

 シンフォニーホールの天井の高さを意識したのは、じいさんのブルックナー4番を聴いたとき、かな。その時は、高い天にじいさんが昇っていっちゃうんじゃないか、っていう、神々しさの中に不吉な感じがあったと憶えているのだけれど。

 

 尾高さんと大フィルさんが、僕の耳に残した、シンフォニーホールの置き土産。

 僕は、確かに受け取ったよ。

 

 

 そして。

 桜の咲き始めた4月の土曜日、ミッキーのフェス定期に、いってきたよ。

 まあ、ミッキーもフェスも、最近だけでももう5回目くらいになるから、新鮮みはない、のだけれどもね。

 


 1700席のシンフォニーホールから、2700席のフェス、それも二日間公演、ということでどうなるのかちょっと不安だったのだけれども、土曜日、学生席の充実とかでがんばってるんだね。ミッキーが高校オケ振ったりもしているみたいだし。もちろんミッキー顔見せとあれば満員御礼。これが続くと良いね。

 

 今度の席は、一階BOX席すぐ後ろのど真ん中。指揮者の右にチェロのトップが見えるくらいの角度がついていて、視覚的には最高の席。音は、どうなんだろう。

 

 3月定期のプレトークの時に、大フィルのヒトが、シンフォニーは音が昇って行って、天井の反響板から跳ね返る。でもフェスは壁についたランダムな角度の反響板で、直接音を跳ね返す。だから演奏者にとっても音がダイレクトに聞こえて演奏しやすい、みたいなことをいっていて、それからはそういう目線(耳線?)でも聴くようになったのだけれども。この席ではどう聴こえるんだろう。

 

 プログラムはね、ショスタコの4番。

 僕が大フィルさんを聴き始めた2000年に、一回やっているんだよね。この組み合わせ。

 その頃は、お正月の特別演奏会、朝比奈隆のブラームス、っていうのをはじめて聴きに行って、それから朝比奈さんの演奏会に通い出した頃で、5番じゃないショスタコなんて知らなかったし。まだ定期会員になる前だったから、結局行かなかったんだよね。

 結構評判になった演奏会みたいで、あとから悔しさがこみ上げてきたのだけれどもね。

 

 という訳で、楽しみにしていたショスタコの4番。

 

 その前に、神尾真由子のチャイコv協。

 プログラムに、ウォッカ臭い曲、とかさんざん脅かされて聴いたのだけれども。

 いやあ。すごい。

 曲もすごいけれど、音がすごい。

 神尾さんって、すごい子供の頃の印象があるのだけれど(その頃の演奏の、ではなくて、子供だった、という印象ね)、彼女の演奏なのか、どうなのかよく分からないけれど。すごい、音。

 フェスは広いから、前に聴いていたシンフォニーのJ列より、今回の15列の方が少し遠いのかな、と思うのだけれども。

 最初に聞こえてくるのは、楽器からまっすぐ飛んでくるんじゃないか、っていう直接の音。

 ただ、それと同時に、直接音のとげとげしさを優しく、邪魔しないように包み込むオーラのような反響音。それがふわっと包み込むように直接音を取り囲んで。

 何とも心地良い、響き。

 

 そして、オラオラ系のチャイコフスキー。オラオラ系のミッキー節と相まって、永い永い第一楽章はまるでクライマックスのような終わり方。

 思わず巻き起こった拍手を、ミッキーが手首で止めて。

 初演後に2楽章は上品なものに差し替えられたらしいけれど、さもありなん。これぞロマンティック・チャイコフスキー。

 ああ、面白かった。

 

 そして、お待ちかね。

 ショスタコの4番。

 

 いやあ。

 反則だね。

 ミッキーは、このホールがこんな音を鳴らすって、しってたのかなあ。曲決めるときに。

 

 チャイコフスキーと同じく似の人とは思えないくらい、悩み、怒り、そして怖がるヒトであるショスタコーヴィッチ。

 その苦悩が、木管のソロで、トロンボンの和音で、打楽器の乱れうちで、これでもか、って迫ってくるのだけれど。

 その、どの一瞬をとっても、あの、音。

 息苦しく身悶えしたくなる直接音と、全方位から優しく包んでフォローする間接音。

 そのブレンドがね、とにかくとっても心地良い。

 

 今まで、後ろの方とか2階席とかで聴くことが多かったのかな、フェス。あんまり感じたことがなかったけれど。

 もしかしたら、BOX席近くだけの、魔法なのかもしれないね。

 だとしたら、ラッキー。この席は手放せないぞ。

 

 今年もよろしく、大フィルさん。

 

 あ、そうそう。

 チャイコの1楽章でおこった拍手。

 思わずしてしまって、周囲からにらまれたりしたかもしれないけれど。

 僕は、嬉しかったよ。

 土曜になって、学生1000円で気軽に入れるようにして。そういう大フィルさんの努力が、あんまりコンサートに来たことない人たちを呼び込んだ、ってことだもんね。にらまれても懲りずに、また来てね。

 楽しかったでしょ?

 

 大フィルの事務局の皆さん、ありがとう。よかったね。

 

 ただ、それだけのはなし。