大阪市民管弦楽団の、ブル9 〜第85回定期演奏会〜2017年03月12日

 突然だけど、「不機嫌な姫とブルックナー団」、っていう小説があるんだ。

 ブルックナーオタクの生態と、ブルックナーその人の生態を、オタクと、オタクになりきれないファンの視点から描く、っていう、ブルックナーそのものに興味がない人にはなかなかにつらい小説なのだけれど。

 

 その中にね、オタクの集団であるブルックナー団の入会資格テスト、っていうのがあって。全十問。8問○で晴れてブルックナー団加入。ファンである姫は、5問○だったのだけれども。

 どんな問題かと言えば。全曲全楽章の区別がつくとか、CD100枚以上持っているとか、そういうのから、3番初演と聞くと涙が止まらない、とか、ハンスリックは生涯の敵だ、とか。

 僕は、ブルックナーCD100枚以上持っているほかは全問×で、晴れて程度の低いファン認定、なのだけれどもね。

 その中で、一問、こういうのがあってね。「ブルックナーの演奏会に、年20回以上行く」って。

 日本第二の都市、大阪に住んでいても、遠征なしでこの回数は無理なんじゃないかなあ。東京ってどんなとこやねん、とは思ったのだけれども。

 それでも、何となく気になるよね。たとえば大阪のブルックナー、全部聴きに行ったら、何回くらいになるんだろう、って。

 

 今年のことを考えると、まず、1月のミッキーの5番 in KOBELCOホール。ミッキーは脱朝比奈を意識するあまり、フェスでブルックナーとかベートーヴェンとか出来ない自縄状態に陥って。だからブルックナーを西宮まで行って演奏しているのだけれども。

 全6回シリーズの5回目は、5番。じいさんが最晩年に、シンフォニーホールで、金管を倍にして描き出した荘厳な音の建造物を、普通の人数でやろうとしたら、なんか荒さばっかりが目立ってしまった感があって、ちょっとがっかりだったけれど。

 でも、実は5番ってあんまり聴けないんだよね。だから、久しぶりで楽しかった記憶はあるのだけど。

 

 そうそう。

 


 長々と枕話をしてしまったけれど。

 僕のお友達の、というか先輩が演奏している大阪市民管弦楽団。こちらも、何度かいったり行かなかったりが続いたけれど、今回は、ブルックナー 9番。ちょっと前の7番蝦蟇だ印象に残っているけれど、どんな演奏を聴かせてくれるんだろう。

 って、楽しみにしていたにもかかわらず。

 休日だから3時開始、ってなんの疑問もなく信じていて、そろそろ遅めのご飯を食べに出かけようか、ってチケットを見たら、なんと2時開演。

 あわてて出かけて、指定席に取り替えてもらって、開演5分前に滑り込んだ座席は、3階席RB。コントラバス側の、ステージ真上のバルコニー席。指揮者の顔が見える席。

 

 昔、ウィントン・マルサリスのセプテットをこんな席で聴いたときには、右耳から生音、左耳から太鼓やラッパの反響音が時差を持って聞こえてきて、それは大変な思いをしたのだけれど。今回はどんな音響なんだろう。久しぶりのシンフォニーホール、もっと早く気がつけば良かったな。

 とはいえ、視覚的には、トロンボンより向こう側はよく見えるので、それはそれで愉しみ。

 

 このオケはね。

 普通に聴いていたら、アマだって事を忘れて、普通に聴いてしまうんだよね。なんていうんだろう、アンサンブルが安定してるから、分厚い曲をやると、とても心地が良い。

 

 そういう意味で、未完成とブル9って、理想的だよね。

 ヴァンドの最後の来日コンサートの曲目。僕はいけなかったのだけれど、いろんな所でさんざん自慢されまくって、なんかとてつもなくおしいことをした感じになっているのだけれど。その演目とダブるんだよね。未完成と、ブル9。

 どちらも未完成なのだけれど、形式的に未完でも完成しちゃったからそこでやめちゃったシューベルトと、命の残り時間を計算しながら、物理的にそこで途切れてしまったブル9と。

 楽しみだなあ。

 

 演奏はね。

 ワーグナーのときは、この席の音響の癖がちょっとだけ気になったのだけれども。

 未完成、その第一楽章。

 弦の主題が、3階席までふわって、浮かんできて。ああ、なんて気持ちがいいんだろう。

 

 そして、ブル9。

 最初に生で聴いたブル9は、朝比奈じいさんの、シンフォニーホールでの演奏なのだけれども。

 その時に感じたのと、全く同じ事を、多分全く同じ箇所で感じたんだよ。

 ああ、これが9番なんだ、って。

 9番は、フィナーレのない交響曲で、その分なのかどうか分からないけれど、ダイナミックレンジが最初から全体的に二目盛くらい上なんだよね。

 どこだったか思い出せないけれど、1楽章の早いうちに、そのフレーズ、そこまで音量出すんだ、って思うところがあって。そして、その音が、確実に三階席まで届いてくれたことで、もう、どっぷり。これはブルックナー。

 

 とはいえブルックナーだからね。

 最晩年の9番になっても、たとえばシューベルトの流麗な音楽と比べると、なんかちょっと違うんだよね。

 それは、何か一つだけの楽器が半拍早く飛び出したり、そのフレーズはスラーだろう、っていう所をぶった切ってみたり。

 丁寧な演奏であればあるほど、なんかしらの違和感が、どんどん目立つんだよね。あとでスコア見ても、なるほど、ホントだ、ていうことも多々あったりして。

 その違和感を、ごまかすのか、そのまま違和感として差し出すのか、あるいは、それを内包したままより大きな衣で包むのか。

 そんなことを考えながら、聴いていたよ。

 

 この、眺めの良い席から聴く今回のブル9は、まじめに、違和感を違和感として差し出す演奏。そりゃあ、そこをごまかしたら、アマチュアがブルックナーを演奏する意味ないし、全てを覆う衣は、神様が気まぐれに掛けてくれるものだしね。

 それを一番感じたのは、2楽章の、ラッパ。ダカダンダンダンダンダンの有名な動機に向かって、ラッパのトップがひたすらのロングトーン。循環呼吸か、っていうくらいの長いロングトーンを、それも、結構テンションっぽい音で引っぱる引っぱる。

 正面から聴いていると聴き逃すかもしれないけど、横から、奏者の顔を見ながら見るこのロングトーン、すごい。

 これもじいさんの例えで悪いけど、ベト7のスケルッツォのラッパのロングトーンを想い出したよ。あれをこれくらい引っぱれるのは、朝比奈さんと岩城さんの二人のじいさんくらいだもんね。

 

 そして、アダージョ。

 どこだか忘れちゃったけれど、弦楽の合奏が盛り上がって、そして1st ヴァイオリンだけが残るところ。僕は音楽雑誌のような言い回しが嫌いだから、なるべく使いたくないのだけれど、官能的、って言うのは、こういうことを表すための言葉なんだなあ、って思ったよ。

 そして。

 残念ながら席の真下で姿は見えないのだけれども、ワグナーチューバの、永い永いロングトーン。

 

 ベートーヴェンが作った、交響曲(=世界)を9個作ると、神様に召されてしまう、という神話。

 マーラーは神に召されるのに9曲とちょっとだけ必要だったけれど、ブルックナーは、あのアダージョを書き上げて、そのくらいで勘弁してくれ、と神様に言われたのかな。

 

 いつもありがとうございます。

 また、良い演奏聴かせてくださいね。

 

 ただ、それだけのはなし。



初めての一人旅 in the sky2017年03月05日

 ずっと昔から、思ってた気がするんだ。

 空を飛びたい、って。

 

 パラグライダーのムック本を買ってむさぼり読んでいたのは、もう四半世紀以上も前の学生時代だし。

 社会人になってからは、クルマが楽しくなっちゃったからか、ハワイのなんちゃってスカイダイビングでとりあえず満足したのか、長い間ずっとその衝動は芽を出さなかったのだけれども。

  5年ほど前になるのかな。白馬でのタンデムチャレンジに成功して、またむくっと、飛びたい欲が植えつけられて。

  

 きっかけはなんだったのか、良く覚えていないのだけれど。

 1年前の2月に、TAKさんに問い合わせのメールを送って、レッスンの体験をさせてもらったんだ。なぜかは憶えていないけれど、はじめることは決めていたから、タンデムは不要で、スクール選びのために体験を幾つか受けるつもりだった、のだけれど。

 結局、TAKさんの体験後に、他を受けずに入学を決めて。

 去年の4月2日に入学。

 11月にグライダーを購入して。

 そして、3月4日に、念願のFirst Solo Flightにこぎ着けたんだよ。

 


 今年の冬は、雪が多かったからね。

 グライダーを手に入れて、12月は毎週のように通って練習したけれど、飛ぶ機会には恵まれず。

 一月に入ると、スタッドレスを履いた車でもなかなかに躊躇するような気候が続いて。1月末に年明けはじめて訪れた講習場は雪景色。助走の路を踏み固めての立ち上げ練習も、雪山を登る疲労感でなかなか本数はこなせず。

 二月末の講習場はうって変わって一面緑で。冬になってから、吹き下ろしのフォローの風の中駆け下りる練習しか出来なかったけれど、この日はいい感じの向かい風。頭上安定、そこからの走り出し、のイメージを何度も復習して。

 

 そして、The day。

 3月4日。

 

 講習場での練習時間の10時にTAKさんに着いたら。

「First Solo Flight行くから、準備して」

 のお言葉。

 来る途中から、濃霧も晴れて来て。穏やかな晴れかたに、いけるかも、いけたらいいなあとは思っていたのだけれど。

 あわててフライトエリアの登録をして、荷物をスクールの車に移し替えて。

「上に行って忘れ物あったら下山ね」

 の言葉にびびりながら、とりあえず必要なモノのイメージを思い浮かべて。

 

 車の中では、降りる場所の写真を見ながら、降り方のイメトレ。

 中学校を目指して、川手前の竹藪の先端で周回して高度を落として。そこから川上を目指し、ランディング過ぎたら右、そして右。

 全ての行程には、カタカナで名前がついているのだけれど、一度学課で習ったその外来語が身についているはずもなく。

 ここで45度下にランディングが見えて、ここで30度下に見える、なんてのも、まあ何となく、くらいにしかわからず。

 

 車が峠のカーブを曲がるたび、路の脇に雪が増えていくたび、緊張感は否応なく高まっていって。

 

 これまで1年近く、山の斜面からパラを担いで駆け下り、時にはタンデムで山から飛ばしてもらいながら、憶えたことを想い出していったんだ。


 それは、たとえばこんな事。

 グライダーはなにもしなかったら、まっすぐ滑り降りていく。

 だから、飛び出してそのまま墜落、なんてことには(多分)ならない。

 降りるときの角度と速度は、講習場の短い斜面とだいたい一緒。だから、空から降りてくるからって、そんなに怖がることはない。

 危ないコンディションの時には飛ばさせない。だから、安心して斜面を駆け下りればいい。

 

 そんなこといっても、怖いんだけどね。

 ちょっとだけ、だけど。

 

 南テイクオフには、何人かの飛び待ちの人たちがいて。それでもテイクオフのためにグライダーを拡げている人はいなくって。

 もしかして、初心者のために待っててくれてたのかな。ありがとう。

 

 ザックから、ハーネスを取りだして、グライダーを袋から出して。手袋、ヘルメット、無線機はヘルメットにつながったのをハーネスに入れて、も一つを胸に固定して。あ、コードのアダプタがない。あれ、延長コードはあるのになあ。

 これは、その場にいた先輩パイロットのかたにかしてもらって。

 

 グライダーを拡げて、片側のラインチェックも皆さんに手伝ってもらって。

 あれよあれよという間に、準備完了。

 踏み出す斜面は急だけど、きっと大丈夫。

 

 よし、いくよ。

 向かい風が思ったより強かったのかな。立ち上げの時に少し後ずさったのは憶えているけれど。

 長野さんに助けられて、気がついたら足の下にはなんにもない。そう、空の上。

 いくつか数えて、足を上げてハーネスに座り直して。

 

 あたりを見渡せば、空と、山。

 下を見れば、尾根があって、田んぼがあって、川があって。

 川の手前に中学校の校庭があって。とすれば高度調整の目印はあの竹藪で、河を渡ったところが着陸地点、ランディング。

 

 ヘルメットからは、長野さんの声。少し左、っていってるのかな。

 左に行くには、右手を挙げて、左手を下げて。ついでに体重移動を、と。

 あれれ、おしりが全て体重移動が思ったように出来ない。そして、曲がらない。

 時々、空気の密度が違うのか、ちょっと揺れたりして。

 おーこえー。誰も助けてくれない。

 


 と思ったら、後ろから飛んでた正一郎さんと嫁のタンデムが視界に入ってきて。

 なんか言っているようだけど、聴こえないや。でも生きてるよー。

 

 おっとっと。中学校が遙か右に。右に行かなくっちゃ。なかなか曲がらないけど、まあいっか。空は広いし。

 

 中学校を目指すと、無線の声が、ランディングで待っている校長にかわって。

 川上から、川沿いに竹藪を目指して、そこで旋回。

 と思っていたら、竹藪通り越してまだまっすぐ。通り過ぎたところでUターンで、川を上って。追い風に乗っているから、景色の流れが速い。顔に感じる風は変わらないんだけどね。不思議。

 

 ランディングを通り過ぎてしばらくして、右旋回。駐車場の上から川までを何度か行き来して、さあ、ランディングへアプローチ。

 あれ、まだ高いんじゃない?

 

 とは思ったのだけど、もちろん、僕の目視よりも校長の判断の方が正しくって。

 なんと、初ランディング、無事に立ったまま着地できました。

 

 緊張してたんだろうね。時間見たり、Apple WatchのGPS記録したりするのを全て忘れていたけれど、だいたい7分くらいの飛行時間、らしい。

 もっと、ずっと長く感じたけどね。

 

 なんにもない空間に、ぽつんと浮かんでいて。でも、落ちていない。

 ずっと見てると、ほとんど変わらないのに、気がつくと違う景色が顔を出して。

 どこにでも行けそうなのに、その選択肢を手に入れるのには、もっともっとの経験が必要なのだろうけれど。

 

 それでも、楽しかったなあ。

 

 あ、念願のFisrt Solo Flightの日、もう一つ嬉しいことがあったんだよ。

 ずっと一緒に練習してきて、でも一人で飛ぶのが怖い、ってグライダーを手に入れるのを渋っていた嫁が、とうとう買う決意をしたんだ。自分のグライダー。

 自分と同じくらい鈍くさい旦那(俺)が、無事生還したから、安心したのかな。

 これで、これからも続けていけるね。二人で。

 

 はじめて飛んでみて。

 あらためて、いろんなヒトのお世話になっているんだなあ、って気がつきました。

 ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

 

 ただ、それだけのはなし。



西海岸の、オーケストラ サンフランシスコ響 MTT conducts Erich, Copland2016年09月19日

 いやあ。やらかしちゃったよ。

 

 オオウエエイジのブル9がすごく良くて。あらためて楽しみにしていた兵庫文化芸術センター・佐渡裕のブル9。

 なんとか金曜日のチケットを取ったんだけどね。補助席の。

 当日、仕事終わりにそそくさと西宮の会場に向かったら。

 あれ、なんかオカシイ。

 暗い。誰もいない。

 

 あれれ。

 日にち合ってるよねえ。とチケットをよく見てみたら。なんと。

 3時からやん。コンサート。

 

 え。

 平日3時から。。定期が。。

 なんと。なんと。なんともいえん。

 

 という訳で、いけなかったコンサートのことは忘れてね。

 行って来たコンサートの話をするよ。

 

 ちょっと前に、アメリカに行くことがあってね。サンフランシスコの近くの田舎町。

 週末を挟んで違う年に移動するから、ぽっかり空いた土曜日。その土曜日に、たまたまサンフランシスコ響の演奏会があってね。わーい、ってチケットを取ったんだ。海外出張の常で、4時前に起きてiPadで遊んでた時にね。

 不慣れなiPadから、エイゴのHPで入力して。わーい、いい席とれた。と思ったのだけれども。

 折り返しの確認メールを見たら、あれ。金曜日になっている。。あわててキャンセルか土曜日への移動をお願いしたらね。土曜のいい席ありまっせって。前から7,8列目のど真ん中の席を取ってくれた。ありがとう。

 

 という訳で。

 サンフランシスコ空港から車でホテルに入ったから、当然僕はサンフランの郊外にいる野田と信じていたのだけれどもね。

 海外ではきちんとワークするgoogle mapの乗り換え案内で見てみると、なんとホテルからサンフランまでは2時間以上かかるんだ。しかも、8時に始まるコンサート、終わってからじゃあ電車で帰れない。

 まあ、いいや。

 お目当ての曲は前半だし。つまんなかったら前半で帰ってくればいいし、面白かったら、タクでもなんでも使えるでしょう。

 という訳で、行ってきたよ。

 サンフランシスコ交響楽団。

 MTT Conducts Copland and Reich

 

 サンフランシスコの死役所の向かいにあるDavies Symphony hallは、何となくシンフォニーホールに似たホールでね。

 高い天井からつられている透明アクリルの反射板とか、ステージ後ろに堂々と控えているパイプオルガンとか。パイプオルガンの大きさはそれこそ壁一面、っていう感じで,シンフォニーホールの比ではないのだけれどもね。

 MTTっていうのは、アメリカの電話会社、ではなくってね。Michael Tilson Thomasっていうこのオケの常任指揮者。

 そして、プログララムは。

 コープランド、ガーシュイン。そして、良く知らないけど現代の作曲家、Reich。

 いいなあ。アメリカの音楽をアメリカのオケで聴けるなんて。

 

 とはいえ。

 陽光と強風のサンフランの街を4時間もさ迷った後に飲んだビールのおかげで、とにかく眠たくってね。

 僕の中でのメインプログラム。コープランドのビリーザキッド、うとうとしちゃったよ。だって、あまりにも気持ちがいいんだもの。

 もったいなかったけどね。

 

 今回のプログラムは、やたらセッティングが変わるプログラムで。

 普通のオケの編成で演奏したビリーザキッドのあとは、ソプラノ歌手が入って。コープランドの中でもこれは知らない曲だったのだけれども、from Eight Poems of Emily Dickinson。歌曲集、っていうのかな。歌もの。

 Susanna Phillipsっていう女性歌手が、なんともかわいくてね。コケティッシュ、っていうのかな。

 英語の歌詞だから、ドイツ語よりは断片的に分かるのだけれど。

 Going to Heaven!思わせぶりにくり返されちゃうと、きゅん、ってしちゃうんだよね。

 

 そして、ガーシュイン。

 プログラムに曲名があるけれど、これはこの歌手へのアンコールの位置付けで、SummertimeとI Got Rhythm。

 

 ガーシュインはね、何度か書いているけれど、コープランドはどこまで行ってもクラシック音楽であるのに対して、ガーシュインは、ジャズ、なんだよね。演奏のアーキテクチャがJAZZのそれ、なんだ。

 だから、日本のオケで聴くと、なんかちょっと気恥ずかしいことが多いのだけれども。

 いやあ。さすがにアメリカのオケ。

 

 Summertimeはまだオケの曲だったけれど、I Got a Rhythmなんて、ハンドマイク持って、オケも遠慮卯市内ビッグバンド状態。これがかっこいいんだ。なんか得した気分。

 お客さんも、ブラボーコールじゃなくって、Yeah!!とか、ヒューヒューとか。口笛とか乱れ飛んで。いいなあ。

 

 大満足の前半。

 後半期かないなんて、もったいないでしょ。電車なんかどうでもいいや。

 

 後半はね。Reichっていう現代の作曲家で。

 最初の曲は、Double Sextet。まあ、その名の通り、なんだけどね。

 ステージ上にふたつのセクステットが左右対称に並ぶんだけど。その編成がちょっと篇でね。

 ピアノ、マリンバ、フルート、クラリネット、ヴァイオリン、チェロ。これで6重奏。鍵盤と打楽器が、ずっとリズムを奏でていて、その上で管弦がメロディーを受け渡す。

 これは、ジャズだよね。

 たゆたうリズムが20分もかけて盛り上がってくれば、それはもう、トランス状態。熱狂。

 まだまだ元気な作曲家が2階から挨拶すれば、それはもう、大歓迎。いいなあ。

 この曲が2007年の作品で、つぎの、最後の曲が1985年、なんだけどね。

 この差が、完成度の差なのかな。最後のThree Movementsは、フル編成のオケで、同じように通奏のリズムの上でメロディーがたゆたうんだけど。前の曲でやってきたトランス状態がもう一度、っていう訳には行かなかったなあ。

 

 でも。

 なんかカジュアルで、ブラボーじゃない、心からの拍手と口笛が飛び交うオーケストラの演奏会。

 そういうのも、いいよね。

 

 SAN FRANCISCO SYMPHONY

 September 10, 2016 at 8:00 pm

 Savies Symphony Hall

 

 Michael Tilson Thomas conducting

 Susanna Phillips soprano

 

 Copland Billy the Kid

 Copland from Eight Poems of Emily Dickinson

 Gershwin Summertime

 Gershwin i Got Rhythm

 

 Reich Double Sextet

 Reich Three Movements

 

 Premier Oechestra H 13

 



東京ジャズ 15周年2016年09月11日

 15回目、なんだね。
 バブルの崩壊を受けて、マウントフジやライブアンダーとかの、大物アーティストをたくさん呼ぶジャズフェスが姿を消して。
 スイングジャーナルも廃刊になった今、CDの通販サイトは昔の音源のアナログ復刻とかばっかりで、大阪に住んでいる僕としては、ビルボードライブ大阪から送られてくるライブスケジュールくらいしか、今のジャズの情報がないんだよね。

 そんな中で、いつもテレビ放送を楽しみにしている東京ジャズ。

 新聞によく載る広告を、羨ましく見てるんだけど、今回はあまりに面白そうだったから、行ってきちゃったよ。

 あんまり書くともったいないので、簡単に感想を書いておくね。

 最初は、小曽根。
 とはいえ、小曽根は一音も発していないのだけれど。
 小曽根が4音大から選んだ選抜メンバーのビッグバンドと、アメリカの音大、バークリーではなくジュリアードから連れてきたコンボの共演。
 最初はみんな固くって、本当に学祭のジャズ研レベルだったのだのだけれども。そのうちほぐれてきて、見えるようになってきたのが、日米の主食の差。
 肉食のアメリカ人と草食の日本人、っていうことなんだけどね。
 受けるためにはなんでもやる、自分の持っている武器をあの手この手で繰り出して。そういうアメリカ人に、なんか自信なさげで、順番だけこなせばいいや、っていう日本人。ジャズ好きなら、もっと頑張ってよね。
 ちょっと欲求不満。

 次は、寺井尚子。
 僕は、メインのミュージシャンの名前だけを見て、行くことを決めたのだけれども。それぞれのプログラムには、全部じゃないかもしれないけれど、サブタイトルがあってね。寺井さんのセッションのタイトルは、なんだっけ。
 タンゴミーツジャズ、みたいなやつなんだよね。
 アルゼンチンタンゴのバンド、バンドネオンが入ったカルテットに、寺井さんがゲスト出演、っていう感じで。
 バンドネオンって、ボタンを押す、ちっちゃいアコーデオンみたいな楽器でね。タンゴの、あの物悲しい、キレの良い音を出すんだけど。
 それに比べると、ヴァイオリンっていうのは、音色そのものに色気があってね。バンドの音が全く変わっちゃうんだけど。だけど、ヴァイオリンとバンドネオンは、なかなか並び立たないなあ。バンドの中の役割、っていうか立ち位置がおんなじだからなのかなあ。
 とか思いながら、圧倒的に気持ちいい音楽と、5時半起きビール飲みまくりのせいで、心地よくウトウトしちゃったよ。
 休憩セット、これだけなんだもん。

 そして、昼の部最後は、ハービーハンコック。
 ちょと前に大阪にもきたんだけどね。ビルボードで37000円。ショーターとのデュオとはいえ、ちょっとで手が出る値段じゃないよね。
 ということで、マウントフジ、あるいはライブアンダーのVSOP以来、ともかく四半世紀ぶりの、ハービー。
 もう。
 ハービーが動いてる、ってだけで大満足なんだけどね。
 ピアノとキーボード、ショルダーキーボードやボコーダーを持ち出して、カメレオン、ウォーターメロンマン、そしてアコースティックのカンタロープとか。懐メロ、あるいはそのフレーズをちりばめて。
 楽しく聞きながら、僕の好きなハービーは、ここにいるんだろうか、ってちょっと思ったよ。

 もちろん、ハービーは60年代から常に最前線で活躍して、あの偉大なマイルスが足元にも及ばないようなセールスを記録しているミュージシャンだから、いろいろな側面があるのだけれど。
 前日、ハービーってどんな曲作った人?っていう家人に、カメレオンとかスイカ男とか口ずさんでみたけどまったく通じなくって、処女航海を説明するために今夜は最高のジャズオペラを、結局全部見せてしまったのだけど。
 でも、そのどれもこれも、これがハービー、ではないんだよね。僕にとっては。
 僕にとってのハービーは、なんだろう。
 VSOPであったり、マイルストリビュートやブートレグのnyライブであったり。もちろんプラグドニッケルであったり。
 テンションの高いライブでの、アコースティックピアノでの、どこまでも行っちゃって帰ってこない、そいういうソロなんだろうな。
 上原ひろみとかとは全然違う次元で、ちょっと聞いただけでハービー以外にいない、ってわかる。そういうソロ。
 そういうのが、聞きたいよね。やっぱり。

 そういう意味では、わりとアコースティックっぽかったカンタロープの、ソロの1フレーズ。それが一番だったのかな。身体が騒いだのは、アンコールのカメレオンだったけどね。

 っていうわけで、わりと押して終わったお昼の部。1時間ちょっとのインターブレイクで、夜の部突入だから、ここで食べ物とアルコールの補充。
 とはいえ、アルコールは大阪の空港から飲み続けなんだけどね。
 中庭でやっているアマチュアのビッグバンドの熱演をBGMに、キューバ料理っぽい屋台に並んで、ジャガイモとチキンと。飲み物はもちろんミントいっぱいのモヒートで。
 座るところないから、おばちゃんが二人で座っていた丸テーブルに、食べ物だけ置かせてもらって。
「なんか急に混んできたね?」
「今、ホールが終わったんでお客さんが出てきてるんですよ」
「ホールでもやってるんですか? 誰出てたんですか?」
「ハービーハンコックとかですよ」
「え、ハービーハンコック? そんな有名な人きてるんですか」
「そうですよ。僕なんかこれ観に大阪から来たんですよ」
 とかいう会話を楽しんで。
 たまたま通りかかった、ちょっとジャズが好きな人にとっては、この、屋台と人がいっぱいで特設ステージからジャズが聞こえてくる、国際フォーラムの中庭が東京ジャズ、なんだね。
 渋谷に引っ越しちゃうなんて、もったいないなあ。

 というわけで、お腹もいっぱいになったところで、後半戦、夜の部。
 メセニーとクリスチャン。
 メセニーは、マウントフジが横浜だかの屋内コンサートになった時に見たのかな。山中湖でも一回来たっけ? 大学ジャズ研の時にふぁーすとさーくるとか80・81とか流行ってたけど、その頃は爽やかな音楽ってあんまり興味なくって、素通りしてたんだよね。ちょっと後のジョンスコとジョーロバーノだったっけ、あのバンドの方が好きだったなあ。

 というわけで、メセニーなんだけど。
 ウッドベースとのデュオで、アコースティク系のギター3本を使い分けるメセニー。これがいいんだよね。ロンカーターとジムホールみたいで。
 あまりに丁寧に刈り込まれた盆栽を愛でている感じで、本当に気持ちよくウトウトしちゃったよ。
 あ、めちゃくちゃ褒めてるんだけどね。

 そして、その次。
 多分、知名度から行ったらこの日のダントツワースト1なんだろうけどね。キューバのピアニスト。
 キューバの音楽って言ったらそれはもうすごいし、ゴンサロちゃんだっているから、僕的にはものすごく期待してたんだけどね。

 そして。
 いやあ。楽しかったなあ。
 ピアノはね、パーカッシブな情熱系ピアノ、っていうことでは、ゴンサロちゃんや、みしぇるかみろ、上原ひろみとかよりインパクトには欠けるなあ、と思って見てたんだけど。
 何よりも、このバンド。
 ベースが、変態。超変態。
 セネガル人のエレキベースなんだけど、暴虐無人、KY。前後のつながり全く無視して、全く違うテンポのおかずを入れまくって強引に曲を変えてみたり、ピアノより指回るんじゃないか、っていうチョッパーソロを入れてみたり。
 ピアノの弟でこれも元気のいいたいこと合わせて、サイモンフィリップスが二人いる上原ひろみトリオみたい。誰も苦笑いしながら後ろから支える、とか考えないの。やりたい放題。
 ジャンルは違うけど、マイルス黄金カルテットの時のやりたい放題感ってこんな感じだったのかなあ。まあ、ただただ楽しくって大笑いしてただけなんだけどね。

 あんまりお腹の皮よじれちゃって。
 次はトリのナベサダなんだけど。心の準備ができないまま、ハイボールだけ飲んで突入しちゃったんだよね。
 これもマウントフジ以来、25年ぶりくらいのナベサダ。あの頃から伝説の巨匠だったけど、まだまだ現役なんだよね。

 ナベサダバンドは、ルーニーとかアメリカのバリバリミュージシャンいっぱいよんで、bebopナイト。
 そうだね。ナベサダは、bebopを日本に持ち込んだミュージシャンなんだよね。多分。

 ジャズっていう音楽は、時代とともに形を変えていく音楽で。bebopっていう肉食系の音楽や、それに使われていたフレーズは、ハードバップからモード、スムースジャズとかどんどん草食系になってトゲトゲ感が薄れていくんだけど。
 ナベサダのbebop、かっこいい。
 横にいるのがマイルスの物真似で世に出た(嘘だけど)ルーニーだったこともあって、それはもろにパーカーフレーズ。

 bebopって、基本的にはバンド内バトルの音楽なんだよね。誰が受けるか、誰がもてるかをバンド内で競うために、テンポは早く、メロディは複雑で、ソロは、あるものは溢れるブッ速フレーズで勝負して、あるものはハイトーン、ビッグトーンで勝負して。負けたらすごすご引き下がる、っていう、そういうバトル。
 ナベサダのbebopには、そういう匂いがプンプン残っていて。ハードバップの曲だと単なるジャムセッションになっちゃうんだろうけど、いいなあ。bebop。
 小曽根の草食系バンドの人たち、見てたかな、これがジャズだよ。

 ああ、楽しかったなあ。
 久しぶりに、思う存分ジャズ聴いたよ。

 ただ、それだけのはなし。

北方謙三、大水滸伝、完結!!! 〜岳飛伝、最終回〜2016年01月20日

 ついに。

 この日が、来たね。

 

 北方謙三の大水滸伝。最後を飾る、岳飛伝。完結。

 あ、小説すばるの、雑誌の連載の方ね。単行本は、もう少し後。

 


 僕は、この岳飛伝、小説すばるを年間購読して、毎月楽しみにしていたんだよ。

 もちろん、北方謙三の○○伝っていう物語の、終わり方はひとつしかないのだけれど。そして、その終わりが近づいているのは、それはもう、ひしひしと、ひしひしと感じていたのだけれど。

 

 でも、先月。

 来月最終回、っていう予告を見て。

 やっぱり、淋しかったんだよね。今月号が届くまでの一月。

 雑誌が届いたら、すぐ読むのかな、それとも、しばらくは飾っておくのかな、って。いろいろ考えてもみたのだけれど。

 結局は、届いた次の日の、東京出張の新幹線の中で読んでしまったんだよね。

 

 岳飛伝。

 水滸伝、楊令伝と続いてきた、北方謙三の大水滸伝の完結編。

 水滸伝は、もちろん有名な中国の物語なのだけれど。

 キャラクターとそれにまつわるエピソードだけが重要で、まとまったひとつのお話、という訳では無かったこの物語を、血湧き肉躍る革命の物語として我田引水した「水滸伝」。

 完全にオリジナルの物語として、祭りの後始末と、破壊の跡の構築の孤独を描いた「楊令伝」。

 実在の人物岳飛を使って、虚構と史実の狭間に、伝説から歴史へと移り変わる人たちの人生の決着をつけ続けた、「岳飛伝」。

 

 すごい、力業を、成し遂げてくれたよね。

 

 水滸伝を貫いた、宋江が作った替天行道の旗と志。

 楊令が背負わされた、その旗と志は、血が騒いで参加した単純で若い革命戦士の意図から離れて、もっとぶっ飛んだ、でも見た目は地味な形に変わっていって。

 楊令亡き後、革命戦士の二世たちが、親世代の背中を見ながら、志を自分なりに消化し、英雄たちを語り継ぎながら、新しい世界の形を作っていく。岳飛伝。

 

 その軸を通すのは、もちろん。

 楊令に子供扱いされていた岳飛ではなく。

 誰よりも死に場所を欲しがって、誰からも与えられない九紋龍。

 生ける伝説、湖塞の最後の生き残り、九紋龍史進。

 その生き様が、僕の中では、岳飛伝の大きなテーマであり、それはそのまま大水滸伝の軸、なんだよね。

 

 まだ、単行本が発売前だからね。

 その結末は、お楽しみに。

 

 今は、ただ、満足感と喪失感に浸ることにするよ。

 

 王進と林沖から始まった物語。最初から読み直すのも、いいな。

 

 ただ、それだけのはなし。