オオウエエイジと、オルガン2009年08月03日

 やっと明けたね、梅雨。

 暑いね。それにしても。
 もう8月で、大フィルさんをはじめとするオーケストラは夏休みに入ったのだけれども。7月の終わりの定期、行ってきたよ。

 暑気払いの大フィルさん。今夜のプログラムは、パガニーニとサンサーンス。
 もちろんお目当ては、サンサーンスのオルガン付き。とはいえ知らないんだよね、この曲。たぶん前に聞いたことあるはずなのだけれども。

 パガニーニの協奏曲。ソリストは大きなお兄さんでね。音も大きくて、おもしろかったな。プログラムにもあるように、オケはかなり単純な事しかやっていなくてね、本当に唄伴、っていうかんじなのだけれど。っていうか半分くらいは裸のカデンツァ?
 技術は堪能したのだけれど、小技が多すぎて、本当に譜面がその通りなのかがよくわからないんだよね。楽屋落ちのねたが多くて、おもしろいんだかそうでないんだかよく分からない芸人みたいな感じ。
 とはいえ、オケのトゥッティの中からも抜けてくる音。気持ちよかったな。

 休憩の後は、オルガン。
 この曲はね、もう細かいところはどうでもよくて。
 オルガンって、こんなに存在感のある楽器なんだ。オケのトゥッティが終わって、沈黙の中かき鳴らされるオルガンの和音。ハッとするほどのとげとげしい存在感を持って僕に襲いかかってきたよ。そんなに音量があるとは思えないのにね。
 そして、存在感があるのは、なにも裸の時だけではなくて。
 ブルックナーの交響曲が、オルガン的だってよくいわれるよね。上から下までのすべての音域が同じ質感で鳴り響く、主にブラスが形作るコラールの響きがオルガン的だって。
 まさにそうなんだけどね。
 一人で弾くオルガンと、100人で奏でるオルガンの響き、どっちが好きかっていったら、やっぱり100人の方を選ぶなあ、僕は。だって贅沢だもの。
 ところが今日は、その100人のオルガンと一人のオルガンをまとめて聞けちゃうんだ。それが楽しみだったんだよね。

 曲は、まずオルガンがコードを提示して、それがブラスをはじめとするオケに取って代わっていくという構造が多くって。なるほど大フィルさんのコラールはやっぱりオルガン的なんだな、とか楽しんでいたのだけれど。
 びっくりしたのは、最後のコーダ。
 最後にいたってようやく、フルパワーの100人とフルパワーの一人がガチンコにぶつかって101人のコードになるのだけれども。
 
 なんと。
 僕は、そうなったらもちろん、オルガンの音なんかかき消されてしまって、大フィルさんのコラールになるんだろうと決めてかかっていたのだけれど。
 なんと。
 判定は、対等。あるいはオルガンの優勢勝ち。
 100人のコードにどうしてもできる、輪郭のギザギザなところや小さい穴を、オルガンの柔らかい音が埋めていく。
 コップに入れたたくさんの大豆、そこに水を入れていくみたいにね。
 結果的に、音の輪郭を支配するのは、オルガン。まさかそんなことが起こるとは思わなかったよ。

 平均律のオルガンの、微妙なうねりがその存在感を呼ぶのかなあ。いろいろ考えてみたのだけれど。
 もしあの響き、オオウエエイジとオルガンの室住さんがねらって作ったとしたら、とてつもないね。二人とも。

 そうだ、10月に韓国のインチョン・フィルがオルガンやるんだ。そこで確かめてみようかな。オオウエエイジのマジック。

 ただ、それだけのはなし。