つきの かげの した2009年07月25日

 日蝕だったね。見た?
 僕は東京に出張だったのだけれども。午後からの用事だったから、もしかしたら見ることが出来るかなって、十一時前に東京に着く新幹線に乗って。
 お日様を見るために、アルミホイルと、部屋に転がっていた、現像済の35mmフィルムをとりあえず鞄に詰め込んで。
 見る気満々だったんだけどなあ。
 結局、見ることは出来なかったのだけれども。
 
 でもなんか、うきうきしたよね。
 日蝕なんて、いつ以来だろう。って今回は見ていないのだけれども。
 記憶に残っているのは、黒い下敷きや、割れたファンタ瓶のかけらをローソクで炙ってすすをつけて準備した事。小学校の、低学年と高学年の境目の頃、だったのかな。
 
 日蝕とか月蝕って、まがまがしいよね。まがまがしい、が漢字で書けないのが口惜しいのだけれども。(この原稿は、ライフの200字詰め原稿用紙に万年筆で書いているんだよ)
 何でまがまがしいか、わかる?
 月はいつも満ち欠けをくり返しているのに、そういう妖しさって、あんまり感じないのにね。
 僕は知ってるよ、何でまがまがしいか。多分、だけれども。
 その禍々しさってね、欠けている弧の長さから来るんだよね。多分、だけど。
 つまり、月の満ち欠けって、いつも、常に、オールウェイズ弧の半分が欠けているよね。月の弧の欠け始めと欠け終わりを串刺しにしたら、いつも月の中心を通るんだ。
 だけど、日蝕や月蝕はそうではないよね。ひとつの円を、ほぼ同じ大きさのもうひとつの円が侵蝕していく。だから、最初は弧のほんの一部が侵されるだけなんだけど、どんどん侵される長さが大きくなって、そしていきなり、全部が反転する。
 その様子が、本当に犯されていくようで、禍々しく感じるんだろうね。
 
 デビルマンの月。って僕はよんでいるのだけれど、勝手に。
 テレビアニメのデビルマンの、不気味さの象徴として使われていた、細い月。
 さっきも描いたけれど、実際の三日月って、欠けている弧は半分って決まっているのだけれど。デビルのマンの月は、十分の一くらいしか欠けていないんだ。月の円の中に、少し小さいもう一つの暗黒の丸が、ちょっと中心をずらして存在する、そんな感じ。
 実際に月がそういう形に見える事は、多分あり得ないんだけどね。
 でも、弧の月を背景に立つデビルマンや妖鳥シレーヌ。怖かったなあ。
 そういう怖さ、禍々しさが、日蝕とか月蝕にはあるんだよね。
 
 あ、今日のテーマはそんなことではなくってね。
 
 せっかくの日蝕なのに、あいにくの天気。テレビや新聞は、高いお金を払って南の島に行ったのに日蝕を見られずに終わってしまった人たちを面白おかしく記事にしていて。
 自分お時間とお金を使って、自分のリスクを取って出かけた勇気あるヒトを、公費で取材に行っているマスコミが面白おかしく書き立てるのはどうかと思うのだけれどもね。
 その中で、ものすごくいい言葉、記事の中に見つけたんだ。
 
「(日蝕は見えなかったけれど)月の影の下にいた事だけで貴重」
 日経の社会面で、土砂降りの島に行っていた人へのインタビュー中のひと言なのだけれど。
 新聞記事だから、漢字交じりで表記されているから普通の言葉に見えるけれど、声に出して読んでごらん。
 つきの かげの した。
 すてきな響き、共有できるかなあ。
 
 木陰と日陰。
 おんなじ影だけれど、この二つの言葉は、言葉として正反対って言っていいくらいに違うよね。
 木陰っていうのは、樹の作る影の中の事だよね。樹がお日様の光をさえぎってできた影。それに対して、日陰は、日の光がさえぎられてできた影の中、なんだよ。なんだ、一緒やん、っていうかも知れないけど。
 そう。一緒なんだ。一緒なんだけど、主語がね、さえぎる物とさえぎられる物。正反対。正反対なんだけれど、同じ意味。ね、面白いでしょ。
 
 月にあてはめるとね。
 月影、っていう言葉があるよね。
 広辞苑によれば、月の光と、月の光が描き出す物の形、っていうことになるようなのだけれども、ここでは月の光によってできた影、っていう意味とするよ。
 その月影に対して、月の影。
 日陰に対する、木陰。
 つまり、いつもは照らす物として存在しているお月様が、「の」の字を入れると、とたんに、今度は光をさえぎる物になるんだ。
 お月様が、お日様の光をさえぎってできた影。
 その中にすっぽりくるまれること。それが皆既日食。
 雨降りの南の島でも、その瞬間は暗くなって、影の中にいることを実感できたみたいだね。憎たらしい雲ごと、みんないっしょに月の影の下。
 それも、いいよね。
 
 つきの かげの した。
 
 その場にいて、実感した人でないと出てこない表現。
 そして、とてつもなく、ロマンティックな言葉だよね。
 
 こういう豊かな言葉を伝えてくれると、新聞もまだまだ捨てたもんじゃないなって思えるよね。
 
 26年後だっけ。つきのかげのした。行ってみたいな。
 
 ただ、それだけのはなし。