まあるい、虹 その22005年06月02日

 ちょっと長めの連休を北海道で満喫して、4時頃の飛行機に乗ったんだ。千歳から伊丹行き。
 前の日の雨が嘘みたいに、すっかりいいお天気でね。早めにチェックインして窓側の席を取ったんだけど、その窓からずうっと、下界の様子が見えてたよ。千歳から海まで広がる、大部分は耕し中で、ちょっとだけ緑色の畑とか、広い海に、頼りなげに浮かんでいるタンカーとか。日本地図ではおなじみの形だけど、名前は忘れちゃった津軽海峡の半島とか。
 海峡渡ったから(って渡ってないけど)もう本州なんだろうけど、やまが連なっていてね、これが山脈っていうんだ、って妙に納得したりして。
 その山脈の、上の三割ほどが、白い。雪の冠。いや、この表現は正確じゃないな。山脈にはいろんな高さの山があるからね、それぞれの山の三割に雪が残っているんじゃなくって、雪の残っている高さは決まっているんだ。雪と地肌の境界線の高さが決まっていて、だから小さい山にはちょっとしか雪がない。この境界線が、きちんと等高線を成しているのが飛行機の上からだとよく解るんだよ。
 この雪の残り方もそうだけど、桜の開花とか、森林限界といわれている山肌の植物相とか。自然界の境界って、測ったように一様だよね。限界まで我慢して、一斉に主役を草花に明け渡す木々とか、春の訪れを一斉に祝う桜とか。みんな必死にがんばって生きてるんだろうね。
 ちなみに札幌の桜は、いろんな種類があるのかどうか、バラバラに咲いていたけれどもね。

 それからね、行きの飛行機では気がつかなかったけど、ビールも出るんだね、この路線。行きは朝イチだったからなかったのかな。
 気圧の関係で泡アワなのかと思った缶ビールもおいしく飲んで、ぼんやり外を見ていると、どんどん雲が多くなってきた。そう、関西は曇りなんだよね、しゅん。
 いつも不思議なんだけど、雲も同じ高さに並ぶよね。もこもこした雲が、ちょうど飛行機のすぐしたに、同じ高さで並んでいるのは、まるで水面に浮かんだ綿菓子。ってそんな場面は見たことがないんだけれどもね。
 飛行機の影が映るその綿菓子の群れを見るとも無しに眺めていたんだけどね。

 目を疑ったよ。

 ちょうど日の差し込むのとは逆の窓側にいたんだけれども、ちょうど飛行機の影のあるあたりに、虹が見えるんだよ。
 虹って、まあるいんだけれども、半分だよね、普通。地平線や、地面に遮られて半分しか見えない。ところが、空に出来る虹は遮る地平線がないからね、まあるいんだ。360度。しかもよく目をこらすと、七色の光の輪のその外側に、さらに淡い七色の光の輪。
 よく逆光で太陽を見ると、六角形の光の結晶が見えるじゃない。そういうのかと思ったんだけどね。何度目をこすっても、見る位置を変えてもやっぱりあるんだ、虹。ちょうどもこもこ雲と飛行機の影の境目くらいでね。きれいだったな。レインでもなければボウ(弓)でもないんだけどね。
 写真とりたいな、って思ったんだけどね。悔しいことにデジカメはおっきい鞄に入れて上の棚に置いちゃった。悔しいな。ディバックは足下に置いてあったからね、悔しさ倍増。棚を開けてカメラ取ろうかとも思ったんだけどね、目を離した隙に虹がいなくなっちゃうのが怖くて、目に焼き付ける方を選んだよ。だからこの文章は、僕の頭に焼き付いた虹をもう一回や着付ける印画紙なんだよね。

 もうずっとにらめっこ状態だったんだけどね、虹はずっと続くって訳にはいかなくって、いつの間にかフェードアウトしちゃったんだけどね。
 すっかり虹の消えた雲の絨毯から、視線を前の方に移したらね、これまた。
 さっきもいったけど、同じ高さに並んでいる雲はまるで水面に浮かぶ綿菓子。たまには切れ間っていうモノもあるんだけど、無意識のうちに雲の切れ間には水面があるんだ、って思うよね、だって水面に浮かんだ綿菓子なんだから。
 ところがね、視界の前方にある雲の切れ間は、ただの穴でね、そこから覗けたのは、もうちょっと下に、これまた同じ高さで並ぶもこもこ雲。
 当然水面があると思った視線の先にね、すぐそこにある雲の絨毯と同じ絨毯がもう一個あって。しかもどっから光が差し込むのか知らないけれど、すぐそこの雲と同じように輝いていて。
 それはまるで、合わせ鏡。二枚の鏡をあわせると、同じ景色がちょっとずつ小さくなりながらひたすら並ぶよね、それと同じような感覚で、くらっとめまいがしたよ。
 もちろんアクリルの窓越しなんだけど、自然が作る万華鏡。

 明るいうちからビールを飲んで、いつもは観られないとびっきりのショーを特等席で楽しんで。空を飛ぶって、おもしろいよね。

 ただ、それだけのはなし

〜血を流せ、さらば与えられん〜2005年06月05日

模倣の出来ない事業システムについての一考察 〜血を流せ、さらば与えられん〜

【導入】

 この数週間、我々はいくつかの成功したビジネスモデルについて考察した。
 セブンイレブンは徹底した顧客情報の収集により、他のコンビニエンスストアよりも高い店舗売上高を達成している。アスクルは自社製品にとらわれない幅広い品揃えと迅速な配達システムにより顧客を広げている。キーエンスは汎用品の外部生産による低コストとセールス・エンジニアシステムにより製造業では考えられないほどの利益率を達成している。
 もちろん、これらの企業の事業システムは紙面に書き表せるほど単純ではなく、また外部から全てを透視できるものでもない、ということを我々は学んできた。外部から見えないミッシングリングを、理論により推測し、検証していくことが事業システムについて学ぶことだと。

 この考えに沿って、事業システムについて考えると、ひとつの疑問に突き当たる。なぜ、事業システムは真似できないのか、長期にわたって競争有意を保てるのか、という疑問である。
 外部から見える事業システムとは氷山の一角であり、大半は海中に没して伺うことが出来ない。すなわち知る事が出来ないということが事業システムの優位性である、と講義では論じられた。しかし、私はこの考えに違和感を感じる。知っていても出来ない、これこそが優れた事業システムの強みではないか、と考えるからである。
 このレポートは、優れた事業システムが真似できない仕組みについて考察するものである。


【〈競争優位〉のシステム】

 本講義の前提となる、競争優位のシステム(加護野忠男著)では、優れた事業システムの評価基準を五つあげている。すなわち、
1.それにより顧客のメリットを増大するか
2.同業他社と比べ効率がよいか
3.模倣が難しいか
4.優位性を長期にわたって持続しうるか
5.発展性があるか、である。
 また、優れた事業システムを観察すると、次の三つの共通論理が浮かび上がることを指摘している。すなわち、
a.スピードの経済
b.組み合わせの経済
c.集中特化と外部化、である。
 この著書では、何故模倣が難しいかについては多くのページを割いてはいない。以下のように述べているのみである。「事業の仕組みは、競争相手にも見えにくい。商品のように、買ってきてリバースエンジニアリングをするというわけにはいかないからである」「しかも、この仕組みは、企業の総合力を反映している。〜中略〜真似しようと思えば、競争相手の企業と同じ企業をつくらなければならない。それには時間がかかる」(ともに〈競争優位〉のシステム p22より)
 これらの記述、特に後者は、事業システムの模倣が難しいことの理由が、その見えにくさ以外のところにも存在することを示唆している。では、仮に企業活動の全てのデータが明らかになった場合、競争劣位の企業は競争優位の企業の事業システムを模倣することが出来るであろうか。本著書では、それが否である理由を、企業の総合力に求めている。
 事業システムを模倣させない総合力とはなにか。それを繙く目的で、分かっていても真似の出来ない事業システムの例を、以下に見ていくことにする。


【キーエンス、アスクルの例】

 キーエンスは、工業用センサーを主力製品とするメーカーである。製造業としては業界平均の15倍以上にも当たる売上高経常利益率55%を達成している(2004年3月)。キーエンスの事業システムは、キーワードとしては比較的理解しやすいと思われる。すなわち、ファブレスによる製造コストの低減、子会社クリエによる製造法の確立、汎用品で在庫を持つ流通管理、コンサル機能を持つセールス・エンジニアによる営業システム等である。ノウハウや個人の能力に依存する部分が大きいとはいえ、比較的透明度の高そうなこのシステムを模倣してキーエンスに準じる業績を上げている企業は見あたらない。
 一方、アスクルは文具メーカーのプラスの販促事業として立ち上がったが、中小企業のオフィス用具のカタログ販売会社である。親会社のプラス製品にこだわらない顧客重視の品揃えと値段、迅速配達の物流システム、エージェント制による代金回収システムなど、こちらも事業システムの透明度は高い。しかしながら、後発の最大手文具メーカーコクヨの同様なシステム、カウネットは、「アスクルのシステムのパクリです」(加登が紹介したコクヨ幹部の言葉)という割にはアスクル程成功してはいない。

 これら2つの例と、他の企業を分けるものは何であろうか。どうして他の製造業やカウネットは、キーエンスやアスクルのように収益を上げられないのだろうか。
 私は、ここにひとつの仮説を提唱したい。すなわち、事業システムが模倣できない理由は、それを構築するために多大の血を必要とするからだ、という仮説である。
 以下この仮説に沿って、キーエンスとアスクルを見ていくことにする。

 キーエンスは、独自の事業システムを構築するために、ケースで見る限り二度、大きな犠牲を伴った決断をしている。すなわち多大な血を流している。ひとつは「創業商品」であった自動線材切断機事業を売却したことであり、もう一つは大口受注先からの新規の大口注文を断ったことである。
 前者は、自動線材切断事業が不振、あるいは赤字事業となったということではなく、売上高の15%、利益率20%を達成している中での決断である。当時、センサー事業では利益率40%に達しており、当社の掲げる「最小の資本と人で最大の付加価値をあげる」という経営理念に従い、創業商品を売却したのである。
 一方後者は、汎用品販売を貫くため、一取引先との関係を低く保つためにあえて目先の収入を捨てた例である。
 この2つの例は、どちらもキーエンスが独自の事業システムを追求することを身を以て内外に示すのに役立ったと思われる。収益の出ている事業を売却し、大口の注文を断る。これだけの血を流すことにより、キーエンスの事業システムは揺るぎないものに確立していったのではないだろうか。

 アスクルの例を見る。
 アスクルは、プラスの一販売事業として立ち上がった経緯を持つ。つまり、プラスの製品を売るための販売網であった。しかしながらこの事業を任された岩田事業部長は、小オフィス向けの翌日配達システムの利便性を追求した時に生じる、当然の要望に応えることにした。すなわち、幅広くプラス以外の製品をあつかうことである。この中には、家電製品やスナック菓子などと並んで、ライバル会社の文具も含まれている。
 繰り返すが、アスクルはプラスの販売事業であった。他社製品を扱うという決断が、多大な出血の上に成り立っていたことは想像に難くない。しかし、その結果、今日のアスクルは急成長し、「オフィス向け通信販売」で揺るぎない地位を築いた。プラス製品の販売額も当然それにつれて伸びているのである。

 アスクルを模倣した事業に、コクヨのカウネットがある。文具の最大手メーカー、コクヨのオフィス向け通信販売システムである。アスクルの成功を受けて、目に見える部分は全て模倣した、あるいは出来たはずのこの後発システムは、しかしアスクルほどの成長を遂げてはいない。その理由のひとつは、やはり品揃えにあるのではないだろうか。アスクルのプラス製品取り扱い率が20%程度であるのに対して、カウネットのコクヨ製品取り扱い率は80%程度であり、コクヨの販売事業の域を出ていない。アスクルの最大のセールスポイントがオフィス用品のワンストップ販売であるとしたら、カウネットの文具に寄った品揃えではこのセールスポイントを模倣することは難しいと考えられる。すなわち、カウネットは、他社製品を積極的に扱うことが成功への鍵になることを知りつつ、それを出来ないでいると考えるのが妥当であろう。

 このような視点で見ると、例えばセブンイレブンの過剰なPOSシステムへの投資も、多大な出血というとらえ方で理解することができる。


【模倣の出来ない理由】

 では何故、分かっていても模倣できないのであろうか。
 上記の2つの例は、経営の教科書的に見れば極当然のことを行ったに過ぎない。キーエンスはより高収益の事業への選択と集中を行い、アスクルは顧客重視のマーケティングをした結果の決断である。しかも彼らは、その結果が見えていない時点で決断をしたのである。何故、後発企業は、結果の見えている事業システムに血を流して飛び込むことが出来ないのであろうか。
 もちろん、2匹目のドジョウとして同じ事業システムを取ることによる収益の低下を心配する向きもあろう。しかし、それよりも、成功率を高めると分かっていてもなお、流すことを躊躇するだけの血の量を、先駆者は流してきたと考えるべきだと私は考える。明確に2匹目のドジョウを覚悟して参入したカウネットでさえ、それだけの血を流せない実例がそれを示している。

 その意味で言えば、同じく講義で扱ったSPAシステムにより収益性を高めたアパレル産業の事業システムは、比較的模倣しやすいように思われる。アパレル産業のSPAシステムは、ノウハウ面、資金面の障壁は別にして、導入をためらわせる出血の多さが少ない。よって、他社の容易な参入を招き、その事業システムが成功を謳歌する時期はそれほど長くないと思われる。近年のファーストリテイングの業績の推移が、それを示していると考えられよう。


【まとめ:「ばかな」「なるほど」、「だがしかし」】

 吉原英樹によれば、よい経営とは、「バカな」と「なるほど」で表されるという。すなわち、最初に話を聞いた時には「バカな」と思い、実際に実現したものを目の当たりにすると「なるほど」とうなる。これがよい経営だ、ということである(「バカな」と「なるほど」 : 経営成功のキメ手!  吉原英樹著)。

 私は、これにもう一つ、「だがしかし」を付け加えたい。「バカな」と驚き、「なるほど」と感心する。そして、いざ自分がそれを実行しようとすると「だがしかし」と躊躇せざるを得ない。これが持続的な成功をおさめるための事業システムではないだろうか。
 もちろん、「ばかな」「なるほど」「だがしかし」の三要素を満たしたシステムが全て、成功を収めるわけではない。我々は主に成功例を中心に分析していることを忘れてはいけない。この三要素を満たした事業システムを成功に導くためには、加護野のいう「総合力」が必ず必要となろう。三要素を満たした事業システムを持ち、なおかつそれに必要な「総合力」のある企業を構築する。それが、よい事業システムを成功に導くための条件となるであろう。

ただ、それだけのはなし

【文献】

競争優位のシステム 事業戦略の静かな革命 加護野忠男 PHP新書092 1999年
キーエンス 慶応大ビジネススクール ケース
事例研究・株式会社キーエンス 高橋克義 Buisiness insight 1993年秋号
「バカな」と「なるほど」 : 経営成功のキメ手!   吉原英樹  同文舘出版 1988年
アスクル—顧客と共に“進化”する企業 井関 利明 他 PHP研究所 2001年
アスクルのビジネス・システム 西川英彦 Buisiness insight 2000年春号
プラス株式会社 慶応大ビジネススクール ケース

ジャック・ウェルチと日本的経営2005年06月07日

ジャック・ウェルチと日本的経営の比較で浮かび上がる
ゼネラル・マネージャー論

【導入】

 20年間、ゼネラル・エレクトリック社(GE)を率いたジャック・ウェルチ(ウェルチ)の経営手法は、GEに絶大な成長をもたらした。GEにおいて効果的であったその手法は、従来の日本的経営とは対照をなす、と語られることが多い。本稿は、GEの手法と日本的経営手法を対比させることにより、GEで起こったことを整理するのを目的とする。
 ここでいう従来の日本的経営(日本的経営)とは、終身雇用と年功序列に裏打ちされた大家族的な人間関係を基本的にした会社経営のことを指す。


【対比】

 ウェルチがGEで為したことの一つは、事業の流動的な再編成である。ウェルチは市場占有率で2位以内に入らない事業は高利益率を達成できないと考え、そうした事業は補正するかあるいは売却、閉鎖することを掲げ、実際にかつてGEの看板事業であった家庭用電化製品を含む多数の事業を惜しげもなく売却した。一方でGEのスケールメリットを用いれば大きなシェアがとれると判断した事業は積極的に買収を進めていった。
 この過程で、ウェルチ在籍中にGE従業員数は40万人から32万人に縮小し、大多数の社員が入れ替わっている。ウェルチの経営は、Don't fall in love with Buisinesses.という言葉が象徴するように、徹底した利益追求型である。
 一方の日本的経営においては、GEよりもはるかに従業員本位である。ある事業からの撤退や転換をするときにも、配置転換などにより可能な限り従業員をつなぎ止めようとするのが日本的経営といえる。この経営手法においては、従業員の持つスキルや技術により、事業転換の選択肢が制限される。100人の電子工学技術者を擁する事業を転換するためには、同じく100人の技術者を必要とする事業が必要になる。リストラという大義名分で従業員を減らす習慣のなかった頃の話である。
 このことは、日本的経営は、自ら事業転換の選択肢を狭めるという意味で変化する時代には向かない手技であるといえる。

 しかしながら、まさにこの方法により、日本的経営は従業員の忠誠心を得、それが高度成長期の躍進の原動力となってきたことは論を待たない。GEにおいては、従業員の忠誠心はストック・オプションを中心とした金銭的報酬に向けられていると考えられる。

 この忠誠心の拠り所の差が、GEと日本的経営を端的に隔てていると考えられる。すなわち日本的経営では、従業員と会社は家族のような関係であり、擬似的にでも利害が一致するという幻想を与えた。この幻想の範囲は従業員全員に及び、社長からブルーカラー、パートタイム従業員に至るまでが大家族という関係(の幻想)の中に含まれている。
 他方、GEにおいては、忠誠心の拠り所である金銭的報酬を直接的に得られるのは、一定以上の役職に限られている。その数は32万人の従業員数に対して数千人オーダーである。つまり、GE従業員の金銭的モチベーションは、一握りの上層部に限られていると考えられる。もちろん、安定した雇用、地元での評価などで下層部にもGE従業員でいることのメリットは当然あることは承知している。
 このことは、日本の大企業の社長が従業員を「家族」と呼ぶのに対して、ウェルチが「People」といった時に指すのは全社で500人程度のStuff職以上であるという事実に端的に表れている。

 フラクタルという言葉がある。本稿では全体も細部も同様の構造を持つ形状、ほどの意味で用いる。
 企業組織の形は、大抵の場合ピラミッド型をなす。社長の下に副社長、事業部長がおり、研究所長の下にはプロジェクトリーダー、研究員がいる。工場長の下には工程長、班長などがおり、この形態はGEでも日本的経営でもそれほど変わらない。そして、この形は全体としてピラミッドであり、また個々の部分をみてもピラミッド型を為している。すなわちフラクタルである。

 同様のフラクタル構造を持ちながら、GEと日本的経営はどう異なるのか。これについて考えてみたい。
 日本的経営の基本は、先に指摘したとおり従業員、あるいは技術オリエンテッドである。事業の多角化を目指す際にも「我が社の技術を生かせる」事業に拡大していくというコメントを新聞などでよく目にする。この場合、組織の形状は「下から上へのフラクタル」というべき物になる。つまり、従業員や技術が大事であり、それらを守る発想が組織の意志決定のプライオリティになる。
 一従業員からGMになる過程で、個人は様々なピラミッドを経験する。主任になり始めて部下を持ち、課長、部長、本部長となるに従い部下が増えていく。そしてGMとなり、自分の知らない分野の人間を、直属の部下として迎え入れる。当然のことであるが個人の経験は下方のピラミッドから上方のピラミッドの順番でなされるため、下位の従業員の頃の記憶を持ち続ける。
 日本的経営において、GMが家族意識を持ち続けるのはこの頃の記憶が過剰に作用しているのではないだろうか。

 もちろん、GEのウェルチにおいても、下位のピラミッドから上位にのし上がってきたはずである。しかし、伝記などを読むかぎり、ウェルチはそのキャリアの極初期から事業を、構成員や技術ではなく、市場規模とその中で生み出す利益として捉えていたように思われる。それは、常に大局から物を眺める視線であり、この発想から生まれる組織は「上から下へのフラクタル」であ、ここでは技術や従業員よりも利益や効率がプライオリティを持つ。そしてその視線こそが、マネージャーとゼネラルマネージャーを隔てる一線であろう。
 日本的経営のトップは、GMとしての視点に欠けている、ということも出来る。

 ウェルチの手法が日本的経営と反するのは、国民性と国の文化に負うところが大きい。GEを解雇されても、「GEにいた」ということで次の職を手に入れられるアメリカと、馘首になったというだけで白眼視される日本では、ウェルチの手法によるリスクが違いすぎる。
 にもかかわらず、産業構造において国際化が必須な現代においては、効率に勝るウェルチの手法を意識しないわけには行かなくなっているのが現状である。
 従業員、国民の意識改革と、雇用の流動化を促す施策が求められる。個人的には増えつつあるベンチャー企業がその役割を負うのではないかと考えるが、それは次の機会に論じたい。


【結論】

 以上、見てきたとおり、GEと日本的経営では、組織の形は相似であるが、その方向性が異なる。日本的経営の視線は内側、下側に向けられ自身の技術、従業員の継続発展を指向する。それに対しGEでは、ウェルチの視線は常に外側、上方に向けられ、外部の技術、事業を積極的に取り込む。
 GEをGEたらしめているのは取り込んだ事業は必ず自社の既存事業とのシナジーがあること、そして明確な価値基準が社内にあること、であろう。
 産業が成熟し、GNPの右肩上がりが伝説となってしまった現在、その状況下でも成長を維持し続けるGEの視線を、日本的経営は学ばなければならない。


【エピローグ】

 ゼネラル、とは将軍のことを指す。
 将軍は大群を指揮するが、その意識と指揮は大隊長に向けられ、一兵卒に向けられることはない。そして、指揮内容はもっぱら戦略的な物に限られ、戦術は隊長レベルに委ねられる。
 戦術指揮を大隊長のみに向ける将軍と、一兵卒の運命に気を遣う将軍。どちらも全員の運命に対して責任を負うことにかわりはない。
 どちらが、長期的により武勲をあげられるかは、自明のように私には思われる。
 ある局面において、どちらが一時的に多大な犠牲を強いるかも、また然りである。その犠牲を取らず、しかるに大局的に大きな武勲を追わない、という考え方もあるが、それは衰退の一歩をたどることにつながるであろう。

覚え書き for KA学2005年06月12日

 覚え書き
 
「企業は複数の事業を経営することによって総体としてのリスクを小さくできるが、そのようなリスク削減のための戦略は、一般的に言って外部の株主の利益に対して直接価値をもたらすことはない。というのも、株主はより低いコストで自分自身のリスクを低減できるからである」
  バーニー 企業戦略論 下 P89 
 
 って。。
 まあそうなんだけどね。
 企業が、あれこれ手を広げて業績悪化のリスクを減らすように減らすように、ってしてるのに、その企業の持ち主である株主は、「そんなことしないでいいよ、うちらいろんな会社の株買ってリスク分散しとるからね」って言う、ってこと。
 もちろんそうなんだけどね。
 俺は他でリスク分散するから、お前はヘタなことするな。ってことだよね。
 なんか、ね。
 
 ただ、それだけのはなし。

Bopsy2005年06月19日

Bopsy ~ the concluding part ~


Three years had passed since Bopsy died.
People got to forget about Bopsy day by day, except few people. Bopsy's parent, of course, didn't forget him any time. They still felt extraordinarily sad.
And Fireman Bob was also thinking about Bopsy many times. Bob also wanted to be a fireman when he was a child, like Bopsy because he wanted to help other people. He had thought a fireman was able to help people only when fire or accident, but Bopsy let him know that the fireman could help people on the other way, too. He was pleased himself with what he did for Bopsy three years ago, but unless that, or therefore, he wished he could make Bopsy's dreams come true greatly. He wanted Bopsy to live for long time. He thought Bopsy was his younger brother or child.

One day, Bob got a fire call. There was great fire at the hospital.
He arrived there in five minuets by the fire truck. The fire was so great that the windows of third floor were broken and flamed up. "Are there anyone there?" Bob cried. "No, everybody got out of fire" a nurse answered, "but some of them are badly ill and they need an ambulance". "Okay, an ambulance will come soon".
When Bob answered, he saw somebody moved at the window of third floor. "Did all of them leave the building?" he asked the nurse. "Yes, all of patient had left" the nurse answered. "So, who is the boy standing by the window" he pointed to the window.
"Please help him, he is my boy!" a young woman cried. "We came to the hospital to see grandfather, and he went to restroom alone when fire occurred, so he couldn't get out, please help him"

Bob raised the truck's ladder up to the window on the third floor and climbed up to the ladder into the window. The fire was so hard that he couldn't see anything. He wore his mask and got into the fire room. "Hey boy, I came to help you. where are you?" he cried.
"Are you Bob?" small voice replied. Then the boy ran up to Bob, wearing a small fireman uniform.
"Yes, I am Bob. Are you Okay?" Bob said with relief, "And why do you know my name? And how did you get your fire-suit?"
"I don't know what's happened. I was left alone in the fire, I was crying with fear. Then, a boy like me appeared and gave me a fireman's suit. And he told me a fireman, Bob will come to help me, so I wore the suit and wait for you, Bob"
"Bopsy, it was Bopsy!" Bob excited and cried. "Do you know where he went to? Is he still there ?" Bob asked the boy, but he didn't know.
"Hey, Bopsy, can you hear me? " Bob cried, but nobody answered.
"Do you know him, who was him?" the boy asked Bob.
"I knew him, he was my friend but,,. Anyway, my friend helped you. I'm proud of him. However, it is so hot here, why don't we get out and meet your mother? She was very worried about you " Bob said and walked to the ladder.

When Bob got out of the room, he heard somebody whispered in his ear.
"Bob, am I really a fireman now?"
"Certainly you are, Bopsy" he said in his mind.

It's just that,,,