ゲヴァントハウスの、ブラームス @ ウィーン ― 2013年11月18日
なんか。
ウィーンフィルと、ベルリンフィルが、同時に日本に来ていたみたいだね。
僕は、どちらにも行かなかったけれど。
なぜなら。
僕が、入れ違いでウィーンに行っていたから、ね。
もちろん、というか、残念ながら、というか。仕事がらみなのだけれどもね。
短い滞在期間の、夜の予定の空いてる日なんて、ホントに少なかったのだけれども。そこはウィーン。
楽友会館でのコンサートと、オペラ。堪能してきたよ。
楽友会館は、いわずとしれた世界屈指のオーケストラ、ウィーンフィルの本拠地でね。オペラ座ほど威風堂々としてもいないし、目立つ場所にもないけれど、やっぱりここは、音楽の聖地、なんだよね。数年前にきたときには、ウィーンで2番目のオケ、と僕が勝手に思っている、ウィーンシンフォニカーで、チャイコの5番を、それもステージ上の席から聴いたのだけれども。
今回、日程をやりくりして聴きに行ったのは。
ライプツィヒから演奏旅行にきている、ゲヴァントハウスオーケストラ。何でかな、名前は知っているけれど、聴いたことのないオケ、なんだよね。どうでもいいけれど、Webの翻訳サイトでGewandhausorchesterって入力すると、衣服家オーケストラ、ってでてくるんだね。そういう成り立ちなのかな。
二度目のウィーンで、いろいろ歩き回ったこともあり、既に勝手のしれた界隈、なのだけれど、チケットハウスもホールも、結局いろいろ迷った末にたどり着いて、予約していたチケットを無事受け取り完了。二度目の楽友会館に、いざ、出陣。
前回は、ホントに最後の1,2席だったのかな、ステージ上の、チェロの後ろから見たのだけれども。今回は、1階バルコニー3個目の、一番前の席。横からになっちゃうけれど、もともと縦長のホールだから、すごくいい席。
このホールは、白い壁に金色の修飾とか、女性をかたどった柱とか、フレスコ画の天井とか。そういう飾りを除くと、ほぼ体育館と同じ造りでね。真四角の箱。反響板とかそういうものも目につかない、デッドな響きが予想されるホールなんだよね。
ウィーンフィルの、芳醇な響きが、どうやってここに鳴り響くんだろう、って。そういう事に興味がいってしまうような、そういうホール。シンフォニーホールよりも、フェスに近いイメージ、なんだよね。
そういうところで、ライプツィヒから来た衣服家オーケストラ、どういう演奏をしてくれるんだろうね。
プログラムは、ブラームスプロで。
一曲目、ヴァイオリン協奏曲。ソリストは、Leonidas Kavakos。指揮者はRiccardo Chaily。
シャイーは僕でも知っている、有名な指揮者さんだよね。
その、ヴァイオリン協奏曲。
最初の音。オケの音もそうだし、ソロの音もそうだけど。なんて、なんて。
なんて、飾り気のない音、なんだろう。
ヴァイオリンって、いろんな音を出すことが出来る楽器だって、もちろん僕は知っているけれど。
それでも、ヴァイオリンの音っていえば、まずは、メンデルスゾーンのような、甘い音が真っ先に浮かぶんだよね。シェヘラザードのソロとか。そのあとに、ヒラリー・ハーンのごりごりとか、髪の毛振り乱して(かどうかは定かではないけれど)弦を切っちゃった諏訪内さんのプロコフィエフとか。そういう、女性のソリストが思い浮かぶのだけれども。
この、おっさん。
もちろん、名前知らないし、聴くのもはじめてだと思うけれど。飾り気のない、音なんだよね。
言い換えれば、華のない、音。
オケの音もね。それと似たような感じで。がさがさした、華のない音、だと思ったんだよね。
最初は、ね。
それは例えば、ヨーロッパの家の、石造りのベランダの片隅に置かれた、木製のロッキングチェア。長い間置かれたおかげで、ニスははげて、所々ささくれ立っている。
そういう、音。
最初はね、それは違うんじゃないか、って思っていたのだけれど。
ところがね。聴いているうちに。
ああ、ブラームスの音、なんだな、って。そう思えてきたんだよね。
特にヴァイオリン。
表面はがさがさして、色っぽくも艶っぽくもないのだけれど、枯れゆくマッチョの色気、っていうのかな。ぽっぽやの時の高倉健の後ろ姿のような、男らしさ。日本刀で斬りつけても、簡単には骨まで届かないぞ、っていう、筋肉質の音。
特に、長いカデンツァでね。ホールに反響した音を聴いているのか、生音が直接語りかけているのか。もう訳がわかんなくなったよ。
僕が聴いた1階席のバルコニーはね。アリーナの横にしつらえた、十数人入りの個室みたいな感じでね。僕の隣は老夫婦。その隣は若いおねーちゃんとそのお母さん、という感じだったのだけれども。
そのおねーちゃんはクラシックを聴くよりも、スマホがどうも気になるようで。開演のとき、指揮者が入場してもメールを打っていて、隣の老夫婦の奥さんに注意されて。祖列でもバックの奥にスマホを突っ込んでそこでメールを演奏中に打っていて。
ああ、オーストリアでもあんまりかワンないんだなあ、と思っていたら、休憩終わったらその親娘はいなくなっていたんだよね。
という訳で、より、演奏に集中した後半。交響曲 第4番。
何度も書いているけれど。僕はずっと、ブラームスの音っていうのは箱庭的だ、って思っていてね。あんまり大きく広がらずに、決まった範囲を満たす音。その外側から聴くと、盆栽をみているように、ミニチュアの世界が見える、そんな音。
そういう音がするスコアなんだ、って思ってたんだよね。
この、4番を聴くまでは、ね。
なんだろうね。
ニスのハゲかけた、ささくれだったよな木肌のヴァイオリンにやられちゃっていたからね。
おなじみの4番が、前半のソロと同じ音色で始まったときに、もう、訳わかんなくなっちゃってね。
あれ、おれ、世界の中にいる。ここは盆栽じゃない。
生々しい、音。取り繕う表面なんかなんにもなくって、ただ、抜き身の白刃がぎらぎらしている、そんな、音。
のこぎりで丸太を切っているような、ごりごり感とぎざぎざ感と、ちび散る大鋸屑まで見えるような弦楽器。ぶりぶりした裸の白刃の管楽器。トロンボン。
ああ、ブラームスも、世界を作ったんだ。盆栽なんかでは決してない、本物の、世界を。
そう思ったらね。
二楽章くらいからかな。涙が止まらなくなった。
ヘンな外人のおっさんが一人で来て、気がついたら鼻すすって涙流してる。
そりゃあ、不気味な図だったんだろうね。
隣の、老夫婦のおばさんが、終演後、こっちを気遣うようにちらちら見ていてね。
僕は、ドイツ語は話せないけれど。
こんなブラームスは聴いたことがないよ。ありがとうウィーン。ありがとうゲヴァントハウス。
って、そのご婦人に向かって話しかけてたよ。英語だけどね。
ありがとう。ウィーン。
ありがとう。ゲヴァントハウス。
ありがとう。リッカルド・シャイー。
世界は広いんだね。
やっぱり、いろいろなオケ、聴きたくなったよ。