生々流転 by 横山大観 ― 2009年01月25日
ただいま。
東京出張から、帰ってきたよ。
別に、東京への出張は珍しいことではないのだけれど。今回の出張先は、ちょっと珍しかったんだよね。
東京国立近代美術館。
去年だったと思うけれど、東山魁夷展を観に行ったあの美術館。その地下の講堂で行われたシンポジウムに行って来たんだ。
あ、別に美術関係のシンポジウムでは全くなくってね。下世話な、ベクトル的にはほとんど正反対の、シンポジウム。
それはそれで面白かったのだけれども。その後、約束の時間まで少し間があったから、美術館に行って来たよ。
そこで、逢ったんだ。
横山大観の、生々流転。
40メートルの、巻物に描かれた水墨画なのだけれど。それが、ガラスのケースにずらーっと拡げられていて。
最初はね、冷静だったよ。僕は。
原始の森の、滝から始まる水の一生の物語。
右から左に物語が流れていって。
河や、森や。人の営みや、鳥や。
ケースに置かれた長い長い絵物語を、一歩一歩歩きながら見ていって。
白い朱鷺がいて、黒い水鳥がいて。
広葉樹から、松の雪山から、柳に樹相が移り変わっていって。
そして、船を曳く人夫達を最後に、大きな海に舞台は移って。
小さいさざ波から、大きな波に。
そして、巨大な波が弾けたところから、真っ暗な空に緻密に描かれた龍が昇っていく。
あとには巨大な水のうねりだけが残って。
そして、空白。
落款。
最後の海くらいからね、ぐいぐいぐいぐい、この世界に入っていって。
最後までたどり着いたら、虚脱状態。涙も出てこない。
そして、真下ばっかり見つめていた視線を、今たどってきた右側へと移すとね。
なんだこりゃ。
海がね、うねってるんだよ。
海がね、生きてるんだよ。動いてるんだよ。
水墨画だから、ただの無彩色の濃淡なのに。確かに命が宿ってるんだ。
あわてて、振り出しに戻って。最初から見ていったよ。
一回目は、解説もなんにも読まずに、ただ見ただけだから、二回目の前に、説明のパネルをちょっと観たりして。
そして、真下だけじゃなくって、左側の、未来の風景を時々眺めながら、もう一度、水の一生の旅を始めたんだ。
そしたらね。
視線を斜めに向けるだけで、とたんに世界が生き生きするんだよね。
二つある松の雪山の、あの立体感はどうだろう。
そして、やっぱり。
最後の海を、まだ旅立っていない時点から眺めると。
なんて恐ろしいんだろう。そして、なんて魅力的なんだろう。
水面がうねって、波がはじけて、最後にうずまきが待ち受けてる。墨の濃淡だけでそれが現されていてね。
そこから見たときに、僕は唖然としたのだけれど。
今まで、照明のせいだと思っていた、画面の光と影。それって、全部墨なんだ。
輪郭が全然なくって、でも濃淡にははっきりとした意志があって。でも、水で滲んだあとなんてみじんもなくって。
これって、どうやって描いたんだろう。
一つのかげって、50センチとか1メートルとかあるんだよ。筆で描けるような大きさじゃないし、筆で描いたら、っていうより描いたら輪郭が出来るだろうし。エアブラシみたいに下品じゃないし。
どうやって、描いたんだろう。
待ち合わせの時間も迫っていたのだけれど、どうしても立ち去りがたくて、40メートルを早足で戻って、三度目の旅を、満喫したあと、後ろ髪を引かれながら、この壮大な物語をあとにしたよ。
最後の5メートルだけでも、複製でもポスターでもいいから、いつでも見られるところに飾っておきたいな。
でも、そんなことしたら、吸い込まれちゃうんだろうな。
3月8日まで、竹橋の近代美術館でやっているから、皆さん、是非観に行ってみてね。僕ももう一回観たいな。
ただ、それだけのはなし。
東京出張から、帰ってきたよ。
別に、東京への出張は珍しいことではないのだけれど。今回の出張先は、ちょっと珍しかったんだよね。
東京国立近代美術館。
去年だったと思うけれど、東山魁夷展を観に行ったあの美術館。その地下の講堂で行われたシンポジウムに行って来たんだ。
あ、別に美術関係のシンポジウムでは全くなくってね。下世話な、ベクトル的にはほとんど正反対の、シンポジウム。
それはそれで面白かったのだけれども。その後、約束の時間まで少し間があったから、美術館に行って来たよ。
そこで、逢ったんだ。
横山大観の、生々流転。
40メートルの、巻物に描かれた水墨画なのだけれど。それが、ガラスのケースにずらーっと拡げられていて。
最初はね、冷静だったよ。僕は。
原始の森の、滝から始まる水の一生の物語。
右から左に物語が流れていって。
河や、森や。人の営みや、鳥や。
ケースに置かれた長い長い絵物語を、一歩一歩歩きながら見ていって。
白い朱鷺がいて、黒い水鳥がいて。
広葉樹から、松の雪山から、柳に樹相が移り変わっていって。
そして、船を曳く人夫達を最後に、大きな海に舞台は移って。
小さいさざ波から、大きな波に。
そして、巨大な波が弾けたところから、真っ暗な空に緻密に描かれた龍が昇っていく。
あとには巨大な水のうねりだけが残って。
そして、空白。
落款。
最後の海くらいからね、ぐいぐいぐいぐい、この世界に入っていって。
最後までたどり着いたら、虚脱状態。涙も出てこない。
そして、真下ばっかり見つめていた視線を、今たどってきた右側へと移すとね。
なんだこりゃ。
海がね、うねってるんだよ。
海がね、生きてるんだよ。動いてるんだよ。
水墨画だから、ただの無彩色の濃淡なのに。確かに命が宿ってるんだ。
あわてて、振り出しに戻って。最初から見ていったよ。
一回目は、解説もなんにも読まずに、ただ見ただけだから、二回目の前に、説明のパネルをちょっと観たりして。
そして、真下だけじゃなくって、左側の、未来の風景を時々眺めながら、もう一度、水の一生の旅を始めたんだ。
そしたらね。
視線を斜めに向けるだけで、とたんに世界が生き生きするんだよね。
二つある松の雪山の、あの立体感はどうだろう。
そして、やっぱり。
最後の海を、まだ旅立っていない時点から眺めると。
なんて恐ろしいんだろう。そして、なんて魅力的なんだろう。
水面がうねって、波がはじけて、最後にうずまきが待ち受けてる。墨の濃淡だけでそれが現されていてね。
そこから見たときに、僕は唖然としたのだけれど。
今まで、照明のせいだと思っていた、画面の光と影。それって、全部墨なんだ。
輪郭が全然なくって、でも濃淡にははっきりとした意志があって。でも、水で滲んだあとなんてみじんもなくって。
これって、どうやって描いたんだろう。
一つのかげって、50センチとか1メートルとかあるんだよ。筆で描けるような大きさじゃないし、筆で描いたら、っていうより描いたら輪郭が出来るだろうし。エアブラシみたいに下品じゃないし。
どうやって、描いたんだろう。
待ち合わせの時間も迫っていたのだけれど、どうしても立ち去りがたくて、40メートルを早足で戻って、三度目の旅を、満喫したあと、後ろ髪を引かれながら、この壮大な物語をあとにしたよ。
最後の5メートルだけでも、複製でもポスターでもいいから、いつでも見られるところに飾っておきたいな。
でも、そんなことしたら、吸い込まれちゃうんだろうな。
3月8日まで、竹橋の近代美術館でやっているから、皆さん、是非観に行ってみてね。僕ももう一回観たいな。
ただ、それだけのはなし。