がんばれ大フィルさん2008年06月14日

みなさん。
大フィルさんがピンチです。
ハシモト知事の緊縮政策によって、大フィルさんの助成金、貸付金あわせて1.2億円以上の予算が、今年から0になってしまいそうなのです。

オーケストラは金食い虫です。
どんなにコンサートが満員になろうとも、決して単体で黒字にはなりません。
贅沢品かも知れません。

でも。

なくなったら寂しいと思いませんか?
じいさんが50年以上かけて育て上げたオーケストラ。
オオウエエイジが1万人動員できるまでに育てたオーケストラ。

縮小したり、中断したり、最悪解散したりしたら、
絶対に元に戻らないんです。
あのブルックナーが、ベートーヴェンが、マーラーが、
二度と聴けなくなっちゃうんです。

僕は、府の代わりに1.2億円は出せません。
寄付だって、心づくしを一回しただけです。
なるべく演奏会に通う、それしかできません。

でも。

それじゃあ、間に合わないかも知れない。
大フィルさんが、いなくなっちゃうかも知れない。

6月7日、マーラーの巨人のアンコールで演奏した花の章。
あんなきれいな音楽だって、出版社の都合でかんたんに切り捨てられてしまうんだよ。
復活まで、80年もかかったんだよ。

僕は、いやだよ。
大フィルさんがいなくなるのは、いや。

だから。
一人じゃなんにも出来ないけれど。
ちっちゃい事でもいいから、少しずつでもいいから。
なんか、できないかな。みんなで。

大フィルさんと、花の章2008年06月15日

 さて。
 きちんと向かい合わなくっちゃいけないね。
 あの演奏と、フェスティバルホールと、大フィルさんと。
 
 この演奏会は、大阪国際フェスティバルっていう、フェスティバルホールを舞台に毎年行われている国際的なお祭りの一部で。そのお祭りは今回で50回目で、そして、今回でしばしのお休み。
 フェスティバルホールが、立て替え工事に入るから、会場がなくなっちゃうんだったら、っていう事で、お休みに入るんだ。
 
 僕にとっては、第九以来のフェスでの大フィル、オオウエエイジ。そして、二度目のオオウエエイジの巨人。
 
 フェスって、大きいよね。
 あんまり大きくて、じいさんがいなくなってから、フェスを鳴らし切った演奏会って、そうそうないんだよね。
 オオウエ時代になって、シンフォニーホールを鳴らし切る事はできるようになった大フィルも、会場がフェスに移ったとたん、おっきくてデッドな音響に、ちょっと期待からはずれる事が多かった気がするなあ。
 今日は、ひさびさのフェス、そして二階席だから、心配半分だったんだよね。ホントのはなし。
 
 フェス二階から見下ろすステージ。最初はモーツァルトだから、フェスのステージにしてはこぢんまりの編成なのだけれど。あれ、両翼にヴァイオリンがいる。空いてる弦バスは上手においてあるから、マーラーは普通の置き方なんだ。面白いの。
 
 そして、モーツァルト。
 あ、やられた。
 
 僕はモーツァルトを生で聴く事に、あんまり興味を覚えていなくてね。曲が完成されていて、なおかつどっから切り取ってもモーツァルトの匂いがぷんぷんしてるから、演奏者の匂いがあんまりしないんだよね。(っていうか僕が感じられないんだよね)
 だから、40枚組のモーツァルトをBGM代わりに聴く事でかなりのところ満足してしまうのだけれども。
 
 でも、このモーツァルトはね。
 っていうか、この響きはね。
 なんか違う。今まで聴いた事がない、響き。
 小さい編成からでてくる音は、ざらっと感にあふれていてね、それでいて、フェスの大きさに負けてない。響き渡るんじゃなくって、漂う、っていうのが近いのかな。
 ふわふわとそこにあって、会場全体は知らないけれど、僕の周りは確かに満たしてる。そんな、今まで聴いた事がない音。
 これがオオウエエイジらしさかっていうと解らないけれど、でも、そこに人が居て、確かに呼吸をしながらモーツァルトを演奏しているんだ。
 そういう生々しさ、決して汗臭さじゃなくって、演奏者の息吹を確かに感じたモーツァルト。不思議な演奏でした。
 
 そして、休憩のあとのマーラー。
 
 僕は、甘く見てたんだろうな。
 マーラーにシンパシーを持ちつつ、じいさんが決して振らなかった一番。
 コバケンやオオウエエイジの、汗臭い演奏が印象的なせいもあるし、「歌謡曲ですな」っていうじいさんの言葉が脳裏にこびりついているせいもあるし。
 だから、交響曲としてどうなんだろう、っていう、ね。そういう風に、甘く見ていたんだよね、無意識的に。
 
 でも、見直したよ。
 もちろん、金管楽器ばかりではなく、木管楽器も効果音に使った華美なオーケストレーションや、独立して関連のない、甘美な旋律の羅列を聴いていると、歌謡曲ですな、っていうのもよく分かるのだけれどもね。
 でも、その上で。
 ど頭の、袖で演奏したラッパの音から、思わず居住まいを正しちゃったよ。
 このラッパのトップ、新しい人なんだっけ。袖のソロだけじゃなくって、全部に渡って完璧。すごい。思わずブラボーって声かけちゃいました。それは終わった後の話だけれど。
 ラッパが遅れて入ってくるときに、忍び足なんだけれど鴬板のステージがきーきー鳴ってたのはご愛敬。
 モーツァルトと変わって、普通の配置に戻ったけれど、納得したよ。マーラーの低弦は、右からきこえてこなくっちゃね。
 
 さっきのモーツァルトの流れから、音に包み込まれはするんだけれど、決してハレーションを起こさない、分解能の高い状態は続いていてね。マーラーのオタクじみたオーケストレーションのギミック、十分に楽しんだよ。
 特に、オーボエとクラリネットだっけ。ちょっとずつずれながらおっかけっこをやるところとか、最高。
 
 巨人のフィナーレって、こんなに長かったんだ、っていうほどの長大なフィナーレを、だれずにばてずに乗り切ったオオウエエイジと大フィル。前に聴いた時みたいに力任せのイケイケじゃなくって、しっかり聴かせてくれたんだね。
 しかも、フェスを満たした音の洪水。力任せのハレーションじゃなくって、完全にコントロールされた熱狂。
 これがオオウエエイジなんだよね。
 
 降りかかるブラヴォーコールの中、何度目かのカーテンコールで、オオウエエイジが口を開いた。
 
「あんまりアンコールはやりたくないんだけれど、皆さんにどうしても聴いていただきたい曲があります。
 もともと、この1番は、5楽章からなる交響曲でした。最初の数年は、マーラーも喜んで5楽章で演奏してたんですが、数年後、出版社が出版するときに、勝手に短くしちゃったんです。大阪知事と同じように、紙がもったいないとかいって。
 その後80年、この楽章は全く失われてしまいました。もう一度出版されて、今ではたまに、5楽章で演奏される事もありますけれど、そうなるまでに80年かかったんです。
 この曲、花の章、ぜひ皆さんに聴いていただきたい」
 
 そして、花の章。
 僕は、涙が出てきたよ。
 だって、あんまりにもきれいな曲なんだもの。
 この、あまりにもきれいな曲も、出版社の都合で勝手になかったものにされちゃったんだよね。復活するのに何十年もかかったんだよね。
 
 ちょうど、このコンサートの前の日に、橋下府知事の下で府の財政再建プログラム試案が示されてね。大フィルに支出されていた補助金、貸付金合わせて1.2億円あまりが、廃止される事がしめされたんだ。
 それを受け手の、花の章、なんだけどね。
 
 こんな綺麗な曲、作曲者の意図に反して削除したらダメだよね。発掘されて復活しても、4楽章で通っちゃった曲は今更元には戻らないんだよ。
 そんなこと、ダメだよ。
 
 じいさんが作った楽団。戦後の焼け野原に響いた新世界、みんなの勇気になったじゃない。
 オオウエエイジになってから、大阪城や御堂筋で、今までクラッシックなんて聴いた事ない人達に、楽しくってちょっと心が温まる時間、提供してきたじゃない。
 非常時だっていうのは理解するけれども。だからって、今まで創ってきた伝統、文化、つぶすのって簡単なんだよ。でも、復活させるのは、並大抵じゃないんだよ。
 できないよ、そんなこと。
 
 だから、全額とはいわないけれど。
 全廃なんて、いわないでよ。
 
 そんなこと考えてたら、涙が出てきたよ。
 花の章。
 
 がんばれ、大フィルさん。

==============================
2008年6月7日
第50回大阪国際フェスティバル
大阪フィルハーモニー交響楽団/大植英次
モーツァルト:交響曲 第36番 リンツ
マーラー:交響曲 第1番 巨人
@フェスティバルホール

リゾートのキャラメル 〜風味絶佳 by Amy Yamada2008年06月24日

 三日間と半日にわたる緊張に満ちた仕事を終えて。
 ジャケットとネクタイをかなぐり捨てて、カリフォルニアの日差しの下を一時間も彷徨って。
 早めに帰ったホテルの部屋で、ワイシャツとスラックスを脱ぎ捨てつつ乾いた汗をシャワーで流して。
 
 その後であらためて。
 ホテルの部屋から見下ろせるプールサイドで、ビキニではしゃぐおネエちゃん達の声を聞くともなしに聞きながら開く本はやっぱり、Amyがいいよね。
 やけつく日差しも、遮ってくれるパラソルの下に入るともう暑さも感じなくってね。
 汗も吸い取る乾いた空気とバドライト。時折腫れぼったくなる目蓋には、その二つが、ありがたいんだよね。

「この人は、忘れ、忘れ去られる不安な気持ちを、忘れな草に変える人」
「憐れみに肉体が加わると恋になる」
「大人が初恋をやり直すって、いやらしくて最高だろ?」

 なんでこんなに、届くんだろう。Amyの言葉って。
 なんで、こんなにも、おっさんをいやらしい気持ちにさせるんだろう。
 
 そういえば、Amyの小説で、日本のおっさんが主人公になる事って、あんまりなかったよね。素敵なダディか、酒浸りのろくでなしか。ある程度の年をいった男の人って、そのどちらかが多かった気がする。しかも外国人で。
 だから、なのかな。
 日本の、働くおじさんがたくさん出てくるこの短編集、新鮮で、懐かしくて、より身につまされるんだよね。
 遠い昔の出来事として距離を置ける、放課後の音符(キイノート)なんかよりもずっと、ね。
 
 日本語に餓えた眼と心に、染みこんで乾いてを繰り返して。ぎゅっと濃縮された言葉の結晶が、確かに残ったよ。
 
 部屋に戻って、強く効かせた冷房と、氷で冷やしたコロナビール、そしてJBLから低く流れるチック・コリア。そういう中でもう一度読むAmy。これもまた、いいんだよね。
 
 暑くても涼しくても、リゾートにはAmyがお勧めだね。
 
 あ、決してリゾートに出かけたわけじゃなくってね。ただのビジネス旅行なのだけれど。
 でも、おかげで、出張あけの月曜日、みんなに日に焼けたね、っていわれたけれど。
 まあ、いいよね。
 
 ただ、それだけのはなし。