Japanese Bluesと夕焼け空2008年07月08日

 ジェロっていうんだっけ。この頃出てきた、黒人の演歌歌手。
 僕は、この人の唄をほとんど聴いた事がないのだけれど。新聞記事かなんかでこの人が演歌のことを、Japanese Bluesって呼ぶっていうのを読んでね。ああ、そうか、って。
 
 バカなでも、なるほどでもなくて、ああ、そうか。
 この人は、そういう考え方をする人なんだ、っていう意味での、ああ、そうか。
 
 僕も昔はそう思っていた時期があってね。演歌って、日本のブルーじゃないか、って。
 僕は、まず最初にJazzが好きで、そのジャズのルーツとしてリスペクトしていたのがブルーズ。ジャズの源、黒人の心。そういう風に思っていて。
 一方演歌。昔僕が在籍していたのはジャズのバンドなんだけれど。その頃はそんなに上手くなくってね。ひとつの曲を仕上げるのにちゃんと何度も練習しなくちゃいけなかった。それがたまに唄伴で演歌やるとね、初見なのにめちゃくちゃ上手いんだ。ああ、やっぱり演歌は日本人の心なんだなあ、ってね。
 黒人の心と日本人の心。だから、演歌はJapanese Blues。確かにそれもひとつの考え方なんだよね。
 
 でも、それはあくまでも、イメージとしてのブルーズであってね。実際の音楽としてのブルーズは、ちょっと違うんだよなあ。
 大体踊るための音楽だからね、ブルーズって。今日も明日も綿花畑では辛い労働が待っている。だから週末の夜くらい全てを忘れて踊ろう。哀しい気持ちはブルーノートにほんのちょっと溶け込ませて、シャウトだ、ジャンプだ、朝まで跳ね回ろう。それがブルーズ。
 酒場や、ハンドルの水平についたトラックの運転席で、おっさんが泣くための演歌とはちょっと違うんだよね。
 だから、ジェロが演歌をJapanese Bluesっていったときにね、この人は、演歌の事はよく分かっているけれど、Bluesについてはあんまり知らないんじゃないかな、って。そう思ったんだよね。
 だから、ああ、そうか。
 
 じゃあ、どんな曲がJapanese Bluesかっていうとね。いい例が、あるんだよね。
 
 「上を向いて歩こう」 by 坂本九。
 
 これが、これこそが日本のブルーズでしょう。
 
  上を向いて歩こう
  涙がこぼれないように
  想い出す春の日
  ひとりぼっちの夜
 
 哀しい気持ちを、「幸せは雲の上に、幸せは空の上に」の「は」のブルーノートに隠して。でも曲は楽しく、明るく。
 泣きたくなる気持ちを堪えて、上を向いて生きよう。
 これが、Japanese Bluesの神髄。あらためて聴いてみな、いい唄だからね。
 
 あ、なんでこんな話をしてるかっていうとね。
 ある人が、メイルをくれてね。
 今日の夕焼け、見た? すごく綺麗だったね、って。
 僕は、別のところから、偶然その夕焼けを見ていてね。ああ、綺麗だなあ、って。
 そう返事を返したら、お前はたまたま見たんじゃなくって、暇人だからいつも空を見てるんだろう、って。
 まあ確かにそれも一理あるのだけれど。
 
 別に僕が、こぼれる涙を堪えるために空ばっかり見てるわけではないんだけどね。でも、七夕に天の川も見えないような都会に住んでても、夕焼けや、その時に下から照らされる雲くらいは、綺麗に見えるんだよね。
 そういうのって、毎日あるんだけど、もったいないじゃん、見逃したら。儲けた気になるじゃん、見つけたら。
 
 ケータイのメイルを打ちながらや、路に落ちた吸い殻の数を数えながら歩くのもいいけれど、たまには上を向いて歩こうよ、みんな。
 別に涙をこぼれないようにするためじゃなくってもさ。たまには、ね。
 
 そして、見つけた夕焼けを遠くにいる人と共有できるのって、儲けものだよね、ホント。
 
 ただ、それだけのはなし。

スコアのいない、譜面台。 〜朝比奈隆 生誕100年記念特別演奏会2008年07月09日


 今日は、7月9日。
 2008年の、7月9日。
 1908年7月9日に生まれたじいさんの、100歳の、誕生日なんだ。
 もちろん、じいさんは7年前に逝っちゃったのだけれども。その100歳の誕生日を、オオウエエイジが、ブルックナーの9番でお祝いするコンサート、行ってきたよ。
 ブルックナーの9番てね、じいさんが、大阪で最後に振ったコンサート。
 僕が、最後にじいさんを聴いたコンサート。
 8番を2度振っているオオウエエイジだから、じいさんの誕生祝いには、この曲しかないよね。
 
 というわけで。
 ちょっとはやめについた、雨のシンフォニーホール。ロビーの階段横には、じいさんのパネルと、楽譜が飾ってあった。
 9番のスコアの表紙裏には、この曲の演奏記録が書いてあって。シカゴの客演から2001年までが手書きで書いてあったから、最後のコンサートに使ったスコアなのかな。
 それと、手書きのパート譜。じいさんが外遊したときに、フルトヴェングラーと逢って。ブル9を振るならば原典版にしなさいよ、っていわれて、あわてて原典版のスコアを買って。
 それをあわてて日本に送って大栗さんに写譜させたって話、どっかで読んだから、このパート譜は大栗さんの手書きかな。
 久しぶりに、じいさんモードだね。
 
 もちろん、この演奏会は僕にとっても特別な演奏会でね。普段は予習なんて全然しないのに、先週末、ひさびさに予習をしたよ。じいさんのブル9を予習にするのはいかにもえげつないかな、って思って、シューリヒトのライブ盤を聴いたんだ。土曜日に1000円で買ったやつね。
 もちろん、そんなことしても、あるいはしなくても。じいさんの9番、耳に焼き付いてるんだけどね。
 
 9番って、難しい曲だよね。聴くのが、ではなくって評価が。
 未完の曲だからね。
 ゆったりと荘厳なアダージョで終わるから、体裁は整っているけれど、でも、だからこそ。フィナーレがあったらどんなところまで行っちゃったんだろう、って。未完の曲をありがたがる事が、ブルックナーの本意なのかな、って。そういう余計な事を考えちゃうんだよね。
 だから、家で聴く事も少ないのだけれども。
 でも、とっても大事な曲なんだよね。じいさんの最後の演奏、CDやDVDで聴き返して、技術的に最高の演奏でなかった事は分かってるけれど。でも、そんなことがなんの関係もないくらい、印象深い演奏だったんだよね。
 
 ああ、今日はオオウエエイジの演奏会だったね。
 
 カップリングは、モーツァルトのピアノコンチェルト。伊藤惠は、じいさんお気に入りのピアニストなんだろうね。何回か見たよ。ベートーヴェンが多かった気がするけれど。
 パンフレットによれば、ピアノコンチェルトでも、じいさんはベートーヴェンを偏愛してたんだね。モーツァルトよりもベートーヴェンの方がずっと演奏回数が多かったらしい。
 
 僕は、ピアノコンチェルトをどうこう言う視点を持ち合わせてないから、演奏の事はよく分からないけれど。
 2階席の、じいさん最後のブルックナーを聴いた席に近い席から見た会場は、なんか特別な緊張感に包まれていてね。
 映像用と録音用と、多分両方があったんだと思うけれど、つり下がった大量13本のマイクと、物々しいテレビカメラ。でも、それ以上に物々しかったのは、会場の雰囲気なんだよね。張り詰めた、っていうのかな。
 その空気の中、モーツァルトの最初の数小節を聴いてね。
 ああ、よかった。
 今日は、音が上まであがってきてる。
 つまりは、良い演奏が聴ける、ってこと。
 僕は、多分100回くらい大フィルさんの演奏会に行ってるからね。それくらいは、自分の経験則を信じてもいいよね。
 
 かなりの長さのある、いつもはちょっと眠くなるモーツァルトのコンチェルト、今日はずっと楽しんで聴いたよ。
 伊藤恵って、いくつになるんだろ。もう既に、昔若かったおネエちゃん、っていう部類に入る、つまりはベテランなんだろうけれど、若いよね。いや、見かけだけじゃなくって。瑞々しい、って言ったらいいのかな、演奏が、ね。
 
 長く続くカーテンコール。
 アンコールは、モーツァルトのピアノソナタより。有名な、中学生相手のピアノ教室から聞こえてくるような曲。
 渾身のコンチェルトのあとに、こういう小品でおんなじ拍手を受けるって、演奏者としてはどうなんだろうね。僕は拍手する気にはなれないなあ。コンチェルトで満足してるからね。
 
 まあ、それはいいけれど。
 
 休憩時にロビーに降りたら、テレビカメラがお客さんにインタビューしてたんだよね。
 僕がもし、「オオウエエイジが朝比奈さんのようになるためには、どうしたらいいと思いますか」って聞かれたらどう答えようかな、って少し考えたんだけれども。
 暗譜をやめて、それから登場するときゆっくり歩く事。そんな答えを考えついたんだよね。
 
 客席に戻ったら、セッティングの終わったステージが見えて。
 ひな壇上段に並んだ弦バス。左右に分かれたホルンとラッパ。ああ、オオウエエイジは自分のブルックナーを演るつもりなんだ、って、嬉しくなったよ。
 そしたら、気がついた。
 指揮者用の、譜面台。
 いつもは暗譜のオオウエだから、指揮台に譜面台なんて、ほとんどないのだけれど。どうしたんだろう。
 
 そしたらね。
 係の人が、恭しく譜面台においたのは、スコアじゃなくってね。
 じいさんの、写真。
 
 そうきたか。
 100歳のじいさんに見守ってもらう、そういう演奏をするんだね。オオウエエイジ。
 
 そして、演奏。
 
 9番ってね、さっきも言ったけれど、フィナーレがない、3楽章の曲。
 フィナーレって、山場だよね。クライマックス。もちろん音量的にも、そこが一番大きくなるところ。
 この曲はその終楽章がないからね。そのせいか知らないけれど、1から3楽章までの音量が、ブルックナーの他の交響曲に比べてもちょっと、強弱記号で一つか二つずつ、大きい気がするんだよね。
 少なくとも、7年前のじいさんの演奏では、そうだったんだよね。
 
 それを蹈襲してかどうか知らないけれど、オオウエエイジも飛ばす飛ばす。のっけの弦から飛ばしまくりで、足つきの9人のホルンがついて行けないくらい。
 僕の席が2階のちょっと左側で、ラッパのベルの真正面って言うのもあって、やけに攻撃的な響きなんだよね。
 じいさんのブルックナーが、そのトゥッティの響きが、湖面に浮き上がってくる巨大な水泡のようだとしたら、今日のトゥッティは、時折流れ弾が飛んでくる、戦場の土煙。
 もちろんだからどうだって訳ではなく、これがオオウエの、現在のブルックナー。
 
 すごいよね。
 オケがハレーションを起こす前に、ホールの響きがハレーションを起こし気味。
 チューバが、チェロのソリがホールを満たすのは分かるんだけれど、なんと、ほとんど裸のオーボエのソロが、それだけでホールを満たす。
 浅川さん、だよね、オーボエ。加瀬さんではあり得ない3楽章のソロ。涙出てきました。
 
 異様な雰囲気の観客と、目の前のじいさんの写真に対峙しながら、自分のブルックナーをやり抜いたオオウエエイジ。
 終演後の、望むだけの長さの沈黙。
 それが、今日の演奏を、表してるよね。
 
 あたたかい拍手の中、団員へのねぎらいよりも、観客への感謝よりも先に、じいさんの写真に語りかけるオオウエエイジ。ありがとう、って言ったのか、どうだ見たか、って言ったのか、ただキスをしていたのか分からないけれど、ずっと、譜面台の写真に顔を埋めていたオオウエエイジ。
 振り返って、その写真に加えて、胸ポケットからもじいさんの写真を取りだしたオオウエエイジ。復活の時と、おんなじ写真だね、多分。
 
 終わらない拍手。
 あきれ果てて帰る楽団員。
 でも、終わらない拍手。
 
 そして、無人のステージに出てくる、オオウエエイジ。
 満場のスタンディングオベーション。
 いわゆる、一般参賀。
 
 じいさんの記念特別演奏会だからね、やっぱりこれもやらないといけないよね。
 
 下手最前列の、一番いい席に陣取っていた高校生の男の子達は、一般参賀にもきょとんとして、そこだけ座っていたけれど。
 楽しんだもん勝ちだよ。人生も演奏会も。
 がんばって、大人のお遊び、覚えてね。
 
 ありがとう、オオウエエイジ。
 ありがとう、じいさん。
 じいさんの演奏や想い出、僕はこれからも大切になぞっていくけれど。でも、それと同じくらいに、生で聴けるオオウエエイジ、これからも大切にしていくよ。
 
 がんばれ、大フィルさん。

Data
大阪フィルハーモニー交響楽団
朝比奈 隆 生誕100年記念特別演奏会
大植英次:指揮
伊藤 恵:ピアノ
ザ・シンフォニーホール
モーツァルト:ピアノ協奏曲 第23番
ブルックナー:交響曲 第9番