映画監督、押井守のしたいこと 〜イノセンス〜 ― 2007年10月13日
押井守って、特に好きではないのだけれど、やっぱり、絶対に無視できないカントクなんだよね。実際には、巨匠ミヤザキ監督よりもよっぽど影響を与えているヒトだろうし。
僕は、いわゆる押井カラーっていうのがちょっと苦手でね。僕の中の押井カラーっていうのは、青臭い人生訓をオッサンがぶつぶつたれたり、とにかくセリフに頼りすぎってことなんだよね。
うる星やつらのメガネの大演説に始まり、甲殻機動隊やパトレイバーのオヤジのおしゃべりがどうも楽しめないんだ。
僕の中の押井の傑作は、文句なしにアヴァロン。実写で、英語が基調で、長いおしゃべりもない分、押井の映像っていうのが浮き彫りになった。モノトーンっぽく、アクションものなのに淡々としたその映像は、とってもかっこよくってね。
嫌いな言葉なんだけれど、世界観って言うことでいえば、タッチの差でマトリックスよりあとだったけれど、マトリックスよりもすごく洗練された舞台設定。もちろん、マトリックスの元ネタは甲殻機動隊なのだけれど、これ見たら、恥ずかしくてマトリクスは作れなかっただろうな、っていうくらいの、僕の大好きな映画なんだよね。あんまり賛同してくれる人は多くなさそうだけれども。
立ち食いなんとか列伝は見ていないのだけれど。
そんななか、久しぶりに押井のアニメ、見たよ。イノセンス。
WOWOWでやったのを、90インチのプロジェクター、5.1chで。
なんて、キレイな映画なんだろうね。
CGによる3Dの映像と、それと違和感ない程度にきちんとリンクした2Dのセルっぽい映像。どれもが良く動いていてね。ふんだんにあるモブシーンにもお金かかってるなあ、っていうことがよく分かって。
甲殻機動隊の続編っていうくらいの知識しかなかったから、またあのおしゃべりが続くのか、って思ったのだけれど。喋るはしゃべるけど、まあ、楽しめるレベルだったよね。
でも、思ったのはね。
なんで、押井監督は、アニメでこれをやるんだろう、って。
もちろん、予算や技術の関係で、アニメっていう方法が最適って選択しているのだろうけれど。それならば何故、こんなに実写に近づけたいんだろう、って。
そんなことを思いながら、このキレイな映像を、見ていたよ。
答えは、途中で見えたんだけどね。
実写にできて、アニメにできないことって、この頃の特撮映画を見てると、そんなになくなってきてるんだよね。もちろん、予算のことはおいといてだけれども。
じゃあ、アニメにできて、実写にはできないこと、ってなんだろね。そう考えると、押井節を構成してるのがなんなのか、なんで押井監督がアニメから離れないのかが、分かったような気になったんだよね。
アニメにできて、実写にできないこと。
それはね。
静止。
あるいは、沈黙。
映像を、動かそうと思わなければ動かないアニメーションは、逆に言えば、クリエイターの意図した動きしかない、そういう世界だよね。風に舞う木の葉や、自動車のクラクションの音なんかも、意図した範囲でしかあり得ない。逆に言えば、実写映画では、100%監督の意図した動きしかない映像なんて、あり得ない。
だから、例えば何か返答に窮すことを問われて、沈黙と静止でそれに答える。時の経過を示すのは灰皿で煙を立てながら短くなっていく煙草。そして窓から差し込む陽の光に遊ぶ小鳥の影。
みたいな、えせハードボイルドな場面を描こうと思うと、アニメっていい媒体なんだよね。
そして、イノセンスは、そんな沈黙がいっぱいで、しかも効果的に使われていた。朴訥なオヤジの長台詞には、当然その反作用として静止と沈黙が必要でね。そうでないとしゃべり続けるあぶない刑事になっちゃうからね。
もちろん、この沈黙と、えげつないほど動き回るアクションシーン、どちらも同じテンションで見せつける演出が押井の押井たる所以なのだろうけれど。
でも、それを実写でやったアヴァロンを見ちゃうとね。
そっちをもっと、やって欲しいんだよね。
おじさんとしては、ね。
ただ、それだけのはなし。
僕は、いわゆる押井カラーっていうのがちょっと苦手でね。僕の中の押井カラーっていうのは、青臭い人生訓をオッサンがぶつぶつたれたり、とにかくセリフに頼りすぎってことなんだよね。
うる星やつらのメガネの大演説に始まり、甲殻機動隊やパトレイバーのオヤジのおしゃべりがどうも楽しめないんだ。
僕の中の押井の傑作は、文句なしにアヴァロン。実写で、英語が基調で、長いおしゃべりもない分、押井の映像っていうのが浮き彫りになった。モノトーンっぽく、アクションものなのに淡々としたその映像は、とってもかっこよくってね。
嫌いな言葉なんだけれど、世界観って言うことでいえば、タッチの差でマトリックスよりあとだったけれど、マトリックスよりもすごく洗練された舞台設定。もちろん、マトリックスの元ネタは甲殻機動隊なのだけれど、これ見たら、恥ずかしくてマトリクスは作れなかっただろうな、っていうくらいの、僕の大好きな映画なんだよね。あんまり賛同してくれる人は多くなさそうだけれども。
立ち食いなんとか列伝は見ていないのだけれど。
そんななか、久しぶりに押井のアニメ、見たよ。イノセンス。
WOWOWでやったのを、90インチのプロジェクター、5.1chで。
なんて、キレイな映画なんだろうね。
CGによる3Dの映像と、それと違和感ない程度にきちんとリンクした2Dのセルっぽい映像。どれもが良く動いていてね。ふんだんにあるモブシーンにもお金かかってるなあ、っていうことがよく分かって。
甲殻機動隊の続編っていうくらいの知識しかなかったから、またあのおしゃべりが続くのか、って思ったのだけれど。喋るはしゃべるけど、まあ、楽しめるレベルだったよね。
でも、思ったのはね。
なんで、押井監督は、アニメでこれをやるんだろう、って。
もちろん、予算や技術の関係で、アニメっていう方法が最適って選択しているのだろうけれど。それならば何故、こんなに実写に近づけたいんだろう、って。
そんなことを思いながら、このキレイな映像を、見ていたよ。
答えは、途中で見えたんだけどね。
実写にできて、アニメにできないことって、この頃の特撮映画を見てると、そんなになくなってきてるんだよね。もちろん、予算のことはおいといてだけれども。
じゃあ、アニメにできて、実写にはできないこと、ってなんだろね。そう考えると、押井節を構成してるのがなんなのか、なんで押井監督がアニメから離れないのかが、分かったような気になったんだよね。
アニメにできて、実写にできないこと。
それはね。
静止。
あるいは、沈黙。
映像を、動かそうと思わなければ動かないアニメーションは、逆に言えば、クリエイターの意図した動きしかない、そういう世界だよね。風に舞う木の葉や、自動車のクラクションの音なんかも、意図した範囲でしかあり得ない。逆に言えば、実写映画では、100%監督の意図した動きしかない映像なんて、あり得ない。
だから、例えば何か返答に窮すことを問われて、沈黙と静止でそれに答える。時の経過を示すのは灰皿で煙を立てながら短くなっていく煙草。そして窓から差し込む陽の光に遊ぶ小鳥の影。
みたいな、えせハードボイルドな場面を描こうと思うと、アニメっていい媒体なんだよね。
そして、イノセンスは、そんな沈黙がいっぱいで、しかも効果的に使われていた。朴訥なオヤジの長台詞には、当然その反作用として静止と沈黙が必要でね。そうでないとしゃべり続けるあぶない刑事になっちゃうからね。
もちろん、この沈黙と、えげつないほど動き回るアクションシーン、どちらも同じテンションで見せつける演出が押井の押井たる所以なのだろうけれど。
でも、それを実写でやったアヴァロンを見ちゃうとね。
そっちをもっと、やって欲しいんだよね。
おじさんとしては、ね。
ただ、それだけのはなし。