大阪市民管弦楽団の、ブル9 〜第85回定期演奏会〜2017年03月12日

 突然だけど、「不機嫌な姫とブルックナー団」、っていう小説があるんだ。

 ブルックナーオタクの生態と、ブルックナーその人の生態を、オタクと、オタクになりきれないファンの視点から描く、っていう、ブルックナーそのものに興味がない人にはなかなかにつらい小説なのだけれど。

 

 その中にね、オタクの集団であるブルックナー団の入会資格テスト、っていうのがあって。全十問。8問○で晴れてブルックナー団加入。ファンである姫は、5問○だったのだけれども。

 どんな問題かと言えば。全曲全楽章の区別がつくとか、CD100枚以上持っているとか、そういうのから、3番初演と聞くと涙が止まらない、とか、ハンスリックは生涯の敵だ、とか。

 僕は、ブルックナーCD100枚以上持っているほかは全問×で、晴れて程度の低いファン認定、なのだけれどもね。

 その中で、一問、こういうのがあってね。「ブルックナーの演奏会に、年20回以上行く」って。

 日本第二の都市、大阪に住んでいても、遠征なしでこの回数は無理なんじゃないかなあ。東京ってどんなとこやねん、とは思ったのだけれども。

 それでも、何となく気になるよね。たとえば大阪のブルックナー、全部聴きに行ったら、何回くらいになるんだろう、って。

 

 今年のことを考えると、まず、1月のミッキーの5番 in KOBELCOホール。ミッキーは脱朝比奈を意識するあまり、フェスでブルックナーとかベートーヴェンとか出来ない自縄状態に陥って。だからブルックナーを西宮まで行って演奏しているのだけれども。

 全6回シリーズの5回目は、5番。じいさんが最晩年に、シンフォニーホールで、金管を倍にして描き出した荘厳な音の建造物を、普通の人数でやろうとしたら、なんか荒さばっかりが目立ってしまった感があって、ちょっとがっかりだったけれど。

 でも、実は5番ってあんまり聴けないんだよね。だから、久しぶりで楽しかった記憶はあるのだけど。

 

 そうそう。

 


 長々と枕話をしてしまったけれど。

 僕のお友達の、というか先輩が演奏している大阪市民管弦楽団。こちらも、何度かいったり行かなかったりが続いたけれど、今回は、ブルックナー 9番。ちょっと前の7番蝦蟇だ印象に残っているけれど、どんな演奏を聴かせてくれるんだろう。

 って、楽しみにしていたにもかかわらず。

 休日だから3時開始、ってなんの疑問もなく信じていて、そろそろ遅めのご飯を食べに出かけようか、ってチケットを見たら、なんと2時開演。

 あわてて出かけて、指定席に取り替えてもらって、開演5分前に滑り込んだ座席は、3階席RB。コントラバス側の、ステージ真上のバルコニー席。指揮者の顔が見える席。

 

 昔、ウィントン・マルサリスのセプテットをこんな席で聴いたときには、右耳から生音、左耳から太鼓やラッパの反響音が時差を持って聞こえてきて、それは大変な思いをしたのだけれど。今回はどんな音響なんだろう。久しぶりのシンフォニーホール、もっと早く気がつけば良かったな。

 とはいえ、視覚的には、トロンボンより向こう側はよく見えるので、それはそれで愉しみ。

 

 このオケはね。

 普通に聴いていたら、アマだって事を忘れて、普通に聴いてしまうんだよね。なんていうんだろう、アンサンブルが安定してるから、分厚い曲をやると、とても心地が良い。

 

 そういう意味で、未完成とブル9って、理想的だよね。

 ヴァンドの最後の来日コンサートの曲目。僕はいけなかったのだけれど、いろんな所でさんざん自慢されまくって、なんかとてつもなくおしいことをした感じになっているのだけれど。その演目とダブるんだよね。未完成と、ブル9。

 どちらも未完成なのだけれど、形式的に未完でも完成しちゃったからそこでやめちゃったシューベルトと、命の残り時間を計算しながら、物理的にそこで途切れてしまったブル9と。

 楽しみだなあ。

 

 演奏はね。

 ワーグナーのときは、この席の音響の癖がちょっとだけ気になったのだけれども。

 未完成、その第一楽章。

 弦の主題が、3階席までふわって、浮かんできて。ああ、なんて気持ちがいいんだろう。

 

 そして、ブル9。

 最初に生で聴いたブル9は、朝比奈じいさんの、シンフォニーホールでの演奏なのだけれども。

 その時に感じたのと、全く同じ事を、多分全く同じ箇所で感じたんだよ。

 ああ、これが9番なんだ、って。

 9番は、フィナーレのない交響曲で、その分なのかどうか分からないけれど、ダイナミックレンジが最初から全体的に二目盛くらい上なんだよね。

 どこだったか思い出せないけれど、1楽章の早いうちに、そのフレーズ、そこまで音量出すんだ、って思うところがあって。そして、その音が、確実に三階席まで届いてくれたことで、もう、どっぷり。これはブルックナー。

 

 とはいえブルックナーだからね。

 最晩年の9番になっても、たとえばシューベルトの流麗な音楽と比べると、なんかちょっと違うんだよね。

 それは、何か一つだけの楽器が半拍早く飛び出したり、そのフレーズはスラーだろう、っていう所をぶった切ってみたり。

 丁寧な演奏であればあるほど、なんかしらの違和感が、どんどん目立つんだよね。あとでスコア見ても、なるほど、ホントだ、ていうことも多々あったりして。

 その違和感を、ごまかすのか、そのまま違和感として差し出すのか、あるいは、それを内包したままより大きな衣で包むのか。

 そんなことを考えながら、聴いていたよ。

 

 この、眺めの良い席から聴く今回のブル9は、まじめに、違和感を違和感として差し出す演奏。そりゃあ、そこをごまかしたら、アマチュアがブルックナーを演奏する意味ないし、全てを覆う衣は、神様が気まぐれに掛けてくれるものだしね。

 それを一番感じたのは、2楽章の、ラッパ。ダカダンダンダンダンダンの有名な動機に向かって、ラッパのトップがひたすらのロングトーン。循環呼吸か、っていうくらいの長いロングトーンを、それも、結構テンションっぽい音で引っぱる引っぱる。

 正面から聴いていると聴き逃すかもしれないけど、横から、奏者の顔を見ながら見るこのロングトーン、すごい。

 これもじいさんの例えで悪いけど、ベト7のスケルッツォのラッパのロングトーンを想い出したよ。あれをこれくらい引っぱれるのは、朝比奈さんと岩城さんの二人のじいさんくらいだもんね。

 

 そして、アダージョ。

 どこだか忘れちゃったけれど、弦楽の合奏が盛り上がって、そして1st ヴァイオリンだけが残るところ。僕は音楽雑誌のような言い回しが嫌いだから、なるべく使いたくないのだけれど、官能的、って言うのは、こういうことを表すための言葉なんだなあ、って思ったよ。

 そして。

 残念ながら席の真下で姿は見えないのだけれども、ワグナーチューバの、永い永いロングトーン。

 

 ベートーヴェンが作った、交響曲(=世界)を9個作ると、神様に召されてしまう、という神話。

 マーラーは神に召されるのに9曲とちょっとだけ必要だったけれど、ブルックナーは、あのアダージョを書き上げて、そのくらいで勘弁してくれ、と神様に言われたのかな。

 

 いつもありがとうございます。

 また、良い演奏聴かせてくださいね。

 

 ただ、それだけのはなし。