ウィーンフィルの、ブル7 ― 2016年10月22日
もともと、あんまり外国のオケの来日公演って、聴きに行かないんだよね。
物見遊山で来た、旅行疲れのオケに高い金払うより、地元に根を下ろして、必死に気合い入れた演奏が聴ける大阪のオケをたくさん聴いた方がいいんじゃないか、と思うし。
幸いにも、海外のいろんな所で、その地元のオケを聴く体験も出来てるし、ね。
あ、それから。
大阪には、あんまり超有名処が来ることがないんだよね。東京に比べて。それも理由のひとつ、なのかな。
そうだったんだけどね。
今回は、その信念(というほどのものでは無いのだけれど)を曲げて。
行ってきたよ。
ウィーンフィルの大阪フェスティバルホール公演。
大フィルさんの演奏会、8回分。その値打ち、あるのかなあ。
って、ずっと迷ってたんだよね。
なんだけど。
これまで、いろんな所で、わりと幸運にも、その地方の有名なオケって、聴けてたんだよね。自由になる夜なんて、一つか二つしかない仕事での出張の中で、ね。
ムーティのシカゴ響とか、ミュンヘン、ニューヨークフィルとか、この前のサンフランシスコとか。オペラで言えば、スカラ座、ミュンヘン、そしてウィーンのフォルクスオーパー。
なんだけど。
ウィーンでは、誰もが納得のウィーンフィルと国立歌劇場のオペラは、まだ見れてないんだよね。公演がなかったり、チケットが売り切れだったり。その分、ゲヴァントハウスとか、ウィーンシンフォニーをステージ上で聴いたりとか、楽友会館には2度ほど行ったのだけれどもね。
その楽友会館が作った、ウィーンフィルの響き。「音程なんか合ってなくても、響きが豊かだから合って聴こえるんだ」ってかっちゃんが絶賛した響き。
物見遊山でも旅行疲れでもいいから、一度は聴いてみたくってね。
大枚はたいたよ。Apple Watchが買えるくらいの二階席。
という訳で。
どんな演奏会なんだろう。わくわく。
心なしか客層も違うのかな。おしゃれをした人が多そうなホール。
そこに整然と入場する団員たち。わき起こる拍手。
あ、今回。ウィーンフィルとプログラムだけでチケット買ったから、指揮者のことノーチェックだったんだよね。
というか、何度見ても憶えられない名前。ズービン・メータ。
知らない訳じゃないんだよね。メータ。
高校の頃、飽きるほど通ったレコード屋さん。その頃のレコードには、わりと派手な帯がついていてね。「メータの巨人」とか、派手な書体ででっかく書いてあった。
その頃は、カラヤン、バーンスタインが現役スターとしてがんばっていて、小澤やムーティで飛ぶ鳥の勢いで。そして、中堅処としてロリン・マゼール、メータと、もう一人いたんだよね。同じよう名前の人が。カール・ベームだったっけ。
まあ、いいのだけれど。
とにかく、ズービン・メータっていう名前、演奏中にも想い出そうとがんばったんだよ。まあ、どうでもいいのだけれども。
僕の隣に座った若いカップルの女の子が、メータはゾロアスター教のインド人、と教えてくれて(僕にじゃないけどね)、それでzから始まるんだ、って憶えられてからは、名前を呼び出すのが少し楽になったのだけれどもね。
ほんとに、どうでもいい話だね。
という訳で、ウィーンフィル。
もうねえ。
なんというか。
モーツァルトの36番、なのだけれど。
なんというか。
言葉が浮かんでこないんだよね。
今まで聴いてきた物と、違いすぎ。
休憩に入る前に、さっきの若いカップルのおねえさんが、ひと言だけつぶやいたんだ。
なんて上品なんだ。
ああ。そうか。
こういうのを、上品って言うんだ。
半分納得もしたのだけれど。その上品さの中に潜むぎらっとした迫力も、聴くことが出来たんだよね。
とにかく言えるのは。
ものすごく心地いい。
ってだけ。
しあわせ。
さて。
お次はブルックナー。七番。
オーストリアのオケの奏でるブルックナー。どんなだろうね。
もちろん。
ものすごく心地いい。
それだけで話を終わらせることが一番いいのだろうけれど。
でも、その思いを少しでも具体的に頭に焼き付けたいからね。少し無理して言葉にしてみると。
僕は、生でオーケストラを聴いたとき、一番の判断基準は、音が届くか届かないか、なんだよね。
コンサートに何回も行っていると、ステージからの距離によって、楽しみ方が違うことが分かるよね。
かぶりつきで見て、その音楽の中にどっぷり浸って愉しむやり方と、ステージで行われている演奏を、わりと外から客観的に愉しむやり方。
ロックフェスで一挙手一投足に悲鳴を上げているヒトと、後ろでバーベキューでもしながら寝転んでいるヒト、みたいな、ね。
オーケストラの演奏会も同じでね。演奏の内側に入って、感情移入出来るときと、同じ席なのに、なんか入り込めなくって客観的に見ちゃってるときと。
もちろん、入り込んだ方が楽しいんだけどね。
その、入り込む状態、それはオケの醸す音が球状に広がって、その球の内側に入るかはいらないかっていうイメージなんだよね。演奏によって、球の大きさが違うから、同じ席でも入れるときとは入れないときがある。
この、ウィーンフィルはね。
広いホールの2階席にも関わらず。
ブルックナーの、最初のトレモロ。
音が聞こえるか聞こえないか分からないくらいの時に。
すでに、音楽の球の内側に入り込んでいたんだよね。
しかも。
そこから、参加する楽器が増えて、クレシェンドで強奏になるコラール。そこまで、音質が変わらず、シームレスに行くんだよね。
なめらかなのに、柔らかい音のまんまなのに。
楽そうな音のままなのに、気がつけば最強奏。
上品、ってばかりじゃないんだけどね。
音の入り方、切り方が揃っている訳でもないんだけどね。
一人一人の音さえ聴き分けられるように思うくらい、遠い二階席からでも臨場感にあふれた音。
ヴァイオリンの、オーボエのたった一人でも、このフェスティバルホールを音楽の球で包み込む、音。
トロンボーンも、持ち替えじゃないワグナーチューバも。ラッパもクラも、なにもかもが魅力的に響いて。
こういう世界が、あるんだね。
ウィーンの楽友会館って、そんなに大きくないんだよね。いずみホールくらいの。
そんな中で鍛えられたウィーンフィル。フェスを満たすことが出来るの?って半分意地悪に持っていたんだけどね。
ごめんなさい。
そして。
ありがとう。
僕の良く知っている、ブルックナーの七番。良く知っている分、どのくらい終わりに近づいたかも分かってしまうのだけれども。
永遠に終わらなければいいのに。
って、思ったよ。
外タレオケ。
侮るべからず、だね。
大フィルさん8回分。
しっかり愉しんだよ。
ただ、それだけのはなし。