あの日。 前編 〜まだ読んでいないけど〜 ― 2016年01月28日
僕はね、あの事件を。
研究のお作法を知らない未熟な女の子が、手元にある写真やデータのあれやこれやで、頭にあるストーリーを紙芝居風に組み立てて。
それを、そんなにお作法を知らない研究者がいるなんて見たことも聞いたこともない純粋な研究者のおっさんたちが、妄想の紙芝居を実験に裏打ちされたデータだと信じて。
そして、
論文にしてしまった。
妄想のなせる業だとは夢にも思わずに。
そういう、不幸な事件だと、思っていてね。
不幸な事件って言うのは。
題材がブームに乗った再生医療につながるモノであったことや。
張本人の容姿であったり、とってつけた小細工としての割烹着やなんやが、狙いとはずいぶんずれたけれどものすごく効果的に、世の劣情に満ちた妄想を刺激してしまったことや。
そして、一番不幸なことは。
そうして、事件がワイドショー的フォトジェニックであればあるほど。
受け手のリテラシーが、絶望的に低かったんだよね。
それは、絶対的な罪悪、といえるほどに、ね。
受け手、っていうのは。
ネットにあふれる、玉石混淆、どころか石くずばっかりの情報を、全く吟味することも無く、ほとんど読むこともなく、感覚的に「徹底的に叩いていい」人間を選び出してえげつなく叩く、まあおなじみのノイジーマイノリティ。だけではなくてね。
まあ、レベルはあんまり変わらないのだけれど。
ワイドショーから、報道ステーションのような情報バラエティから、報道番組と言われるニュース番組を含めても。
STAP細胞はあるのかないのか、あの論文はねつ造だったのかそうでないのか。
そこにばっかり目が行ってね。
というか、そういう切り口でしか、受け手も送り手も、理解できなかったのだと思うのだけれど。
そもそも象牙の塔たる研究者、再生医療村にとって、この論文が、この出来事が、どういう意味を持つのか。どのように起こりうるのか。
それを、(受け手にスキルがあれば)一番的確に伝わるはずの、研究者の言葉で伝えようとしたS先生の言葉を全く理解するリテラシーがない大衆と、そのリテラシーの無さに甘えて、自分たちがわかりやすくかみ砕かなければいけないんだ、という報道者としての矜恃を喪った送り手が、下世話なワイドショーに落とし込めて叩き続け。
そして、この出来事が不幸な事件になった。
昔、研究者の端くれだったことがある人間としてはね。
効果的に物事を伝える研究者の言葉を使った、なるべくヒトの手を伝わっていない元ネタに近いソースの情報で、この事件を説明してもらいたかったんだよね。
それが、妄想に満ちた物であっても、そこを自分で判断できるような。
「細胞塊の大きさがESとは違っていたので、STAP現象として説明するのが適切だと判断した」
という感じで、当事者側から説明してくれる事を期待して。
普段この手の本は絶対に買わないのだけれど。Kindle版をポチ、っとしてしまったよ。
あの日。小保方晴子。
まだ、少ししか読んでいないのだけれども、ね。
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