オオウエエイジの、奇跡の、ブル9 大フィル第501回定期 ― 2016年08月27日
長い間、更新が止まっているけれど。
音楽を聴きに行くのをやめた訳ではなくってね。相変わらず大フィルさんをはじめ、いろんな音楽を、たまに聴きに行っているのだけれども。
大フィルさん。いつもはお休みの8月。ようやく少しだけ、夏も終わるんだ、って信じられるようになった8月の末に、大フィルさんの501回目の定期演奏会があったんだよ。
ミレニアムの時、2000年と2001年はどっちがホントに祝うべきか、という議論がちょっとだけあったけれど。
大フィルさんは、500回目はミッキーのベートーヴェン英雄。そして501回目は、オオウエエイジのブルックナー9番っていう、とっておきのプログラムを持ってきて、両方でお祝いをしたんだよね。テレビ放送があるのはミッキーの方だけだと思うけど。
ミッキーが音楽監督になってからの大フィルさんは、わりとプログラムが偏っていて。音楽世界旅行、みたいな感じで、ドイツもの以外を良く取り上げるようになって。結果的に、ベートーヴェンとかブルックナーとか、そういう王道路線がしばらく定期で聴けなかったんだよね。
ちょっとフラストレーションがたまっていた身としては、なんだ、キメの時は結局ドイツ物に頼るんじゃないか、とか意地悪に思ったりもするのだけれど。でもまあ、それをいやがる理由は全くなくて。
ミッキーの英雄も、良かったしね。
という訳で、オオウエエイジのブル9。
僕の憶えている限り、オオウエエイジのブルックナーは9番4回、8番3回、7番1回、くらいなのかな。大フィルで演奏したのは。開演前のトークサロンで,誰かが好き嫌いをしてるんじゃないか、って聞いてみたら、そういう訳ではないらしいのだけれどもね。
まあでも。
ミッキーのブルックナーは、西宮に行かないと聴けないから、フェスで聴くブルックナーは、はじめて、なのかな。
ちょっとだけ、不安があったんだよね。
オオウエエイジ時代、大フィルさんの定期が古いフェスから、音響の良いシンフォニーホールに移って。
感覚的には、シンフォニーホールで「楽をした」大フィルさんの音は、たまにフェスに来たときに、音の圧力で会場を満たせない、すかすかに聴こえる演奏が多くって。音のでかい大フィルさんは過去の物、になりつつあってね。
ミッキーの時代になって、新しいフェスに定期を映してから、今回は鳴ってる、今回はすかすか、っていうのをくり返して。
僕的には、4大オーケストラ饗宴のときのダフクロで、一皮むけて鳴るようになったな、っていう印象があって。
もちろん、数年前に加入してくれたホルンのトップの方の圧倒的な音、っていうのも大きいのだろうけれど。
そういう下地の中で、501回目のオオウエエイジ。
前半はね、日本人の曲なのだけれど。
なんじゃこりゃ。
邦人作品らしい、細かいパッセージの曲なんだけど、それにしても鳴らない。リハしてないんじゃないか、っていうくらい、自信なさげな音。50人の高校の吹奏楽の方がよっぽど良い演奏できるよ。
って思ったのだけれど、演奏終わってオオウエエイジが振り向いたときには、やっぱり拍手をしちゃったのだけどね。でも、不安は大きくなったよね。
という不安の中。
ブル9。
なにこれ。
聴いたことない。こんなブルックナー。
こんな大フィルさん。
つぎの音がいつやってくるんだろう、って思わず息苦しくなってしまうくらい遅いテンポからでてくる音は。
薄皮一枚のあんパンみたいにみっちり詰まっていて。
ぎりぎりまでネジを巻いたギターの弦みたいに、ちょっとさわったらパチン、て切れてしまうんじゃないか、っていう緊張感に満ちていて。
それでいて、どこを取ってもおおらかで優しくて。
ステージのどこでどんな音が出ているか、手に取るように分かるくらい、立体的な音なのに。
ブルックナー休止の音の止みかたまで計算しているんじゃないか、っていうくらいフレーズの最後まで丁寧に奏でられていて、その余韻が消えた後には、オオウエエイジの呼吸と、タキシードの衣擦れの音が聞こえてくるくらいの、静寂。
こんなにクリアなのに、トゥッティだけじゃなく、クラリネットのソロでも、会場全体が満たされる、その響き。
全体の中にも埋もれない、チェロと弦バス。
どんな魔法を使ったんだろう。
もう。ね。
1楽章のブルックナー休止のたびにうるうるきて。
一転、すげー早くなったスケルッツォ。渾身のダカダンダンダンダンダンの後ろの、これまた渾身のラッパのロングトーンにまた涙堪えて。
そして。
あの。
ワグナーチューバのロングトーンが消えて。
最後の静寂。
いつまでも終わらない、静寂。
涙が止まらなかったよ。
蜂の巣をつついた拍手の中、思ったよりブラボーコールが少なかったのは、きっと、みんな泣き声で叫びたくなかったからだよね。
僕と同じで、ね。
2001年の、じいさん最後のブル9を聴いたとき、ブル9はフィナーレがないから、こんなにアダージョまでで音圧を上げられるんだ、って思ったんだけど。
きっと、ブルックナーは。
比較的早い時点から、3楽章で完結する音楽を作ろうとしてたんだよね。
調整の違うテ・デウムなんかをつけるんじゃなくって、3楽章のままで永遠に残る音楽。
オオウエエイジ、愛してるよ。
大フィルさん。大好き。
ありがとう。
ただ、それだけのはなし。