大フィルさんの、真新しい、春の祭典 第474回定期演奏会 ― 2013年12月30日
11月の、下野竜也の戦争レクイエム、結構よかったんだよね。合唱団を二つ使った、大がかりな音楽。ちょっと長いけれど、飽きずに聴かせてくれてね。
そのつぎの月。
12月の大フィルさん。
僕は、とんでもない失敗をやらかしたんだよ。
わーい、今日は大フィルさんの日だ、ってうきうきしながら、会社を少しはやく抜け出して。グランフロントのロータリーを横切ってシンフォニーホールまで歩いて。
入場の列を作るホールの入り口に並んで。冊子になっている年間チケットをとりだして。
あれ。
なんか違和感を感じたんだよね、その時。
今日って、こんな日付だったっけ?
まあいいや、もぎりのヒトに差し出したチケット。
でも、カウンターに置いてある半券と、僕の持っているチケットは、違う色。
あれ。
ああ、そうか。
今日は、一日目なんだ。僕の持っているチケットは、明日のやつ。
「本日のチケットはお持ちではないですか?」
っておねえさんは親切に聞いてくれたけれど。二日間聴くほどのマニアではないんだよ。と答えることも出来ずにそそくさと退散したんだよ。
後で考えると、ちょっと後悔、なのだけれど。
という訳で、次の日。二日目の公演。
満を持して、また、同じルートを歩いて、今度は無事に聴いてきたよ。
クシシュトフ・ウルバンスキの、春の祭典。
日にちだけはフライングするほど楽しみにしていた、ように見えるのに、誰が、何を振るのか、全然知らなかったんだよね。
だから、プログラムを見て。ああ、春の祭典なんだ、って。
ハルサイは、もちろん僕の大好きな曲で、それは大歓迎なのだけれど。
でも、オオウエエイジが最後の定期で振ったのって、まだそんな前じゃないよね。オオウエエイジの棒で、まだ片言が抜けなかったハルサイ。ポーランドの若い指揮者が、どうやって振るんだろう。
楽しみでもあり、ちょっと心配。
結果的には、申し訳ない心配、だったのだけれども。
凄まじい、演奏だったよ。
この、若いポーランド人の指揮は、すごくわかりやすそうでね。演奏者も見やすそうだけど、昔、ハルサイのスコアを買って、レコード聴きながら必死に譜面をおったことのある僕にとっても、後ろから見てても(やっぱり難しいことが)よく分かる指揮で。
そういう指揮から出てくる音は。
歯切れがよくて、煌びやかで、確信に満ちて、分厚くて。
今数えてみたら、僕のiTunesには、ピアノ版も入れると48種類のハルサイの演奏が入っているのだけれど。
あとから何を聴いても、僕の中でのベスト1の演奏は揺らぐことがなく、ムーティ/フィラデルフィアの演奏なのだけれど。
歯切れがよくて、煌びやか。確信に満ちて、分厚い。
それって、そのままムーティの演奏を形容する言葉、なんだよね。
そう、この日の、大フィルさんが奏でるハルサイは、まるで若き日のムーティが、オーマンディに躾けられた、弦の派手なフィラデルフィアに、管楽器の咆哮を持ち込んだ、あの演奏を、生で聴いているかのよう。
この曲に関しては、音の重なりとか重厚感とか、そういうことではなくって。
エッジの効いた輪郭と、揃った縦の音が醸し出すみっしり感。ラッパの効果音。
そういうものみんなが、ああ、日本のオケだなあ、って過去二回聴いたときの照れくささ感を全てぬぐってくれて。
あとはもう、ただただ興奮。
年甲斐もなく、終わった瞬間にブラヴォーコールしちゃったよ。
クシシュトフ・ウルヴァンスキ。
絶対に一流の指揮者になるね。名前、憶えておこう、っと。
ただ、それだけのはなし。
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