関西フィルの、ワーグナー 〜がんばれ在阪オケ!その1〜2009年03月28日

 降ったりやんだりのどんよりした天気が続いたりして、すっかり春だね。
 がんばれ大フィルさん改め、春のがんばれ在阪オケシリーズ第1段として、関西フィルのワーグナーを聴きにいったよ。

 僕はたぶん、大フィルさんの演奏会はそれこそ100回以上聴きにいっているのだけれど、在阪のほかのオケを聴く機会って、あんまりないんだよね。聴く機会っていうか、自分で望まないと聴かないんだから、聴こうと思わなかった、というのが本当のことだけれども。
 どうしてか、っていわれれば、まあ、浜崎あゆみは毎回いくのに、どうして倖田來未はいかないの、っていうのと一緒で、特に興味がないから、って答えるしかないのだけれど。

 ただ、偶然なんだけれども、在阪のほかのオケで、おもしろい企画がいくつか重なったので、春のがんばれ在阪オケシリーズとして、いくつか見に行くことにしました。大フィルさんと違って1日しかないから、いけないやつもあるかもしれないけれど。

 というわけで、最初のいっこ。飯守さんのワーグナー。

「ジークフリートなんて、俗な名だ」
 高校時代から、ワーグナーの音楽には親しんでいたのだけれど、それは序曲とか管弦楽曲としての抜粋とかで、オペラとか楽劇とかって、ぜんぜん知らないんだよね。指輪も、CDでは2セット持っているけれど、どちらも台詞の対訳はおろかあらすじさえも(日本語では)のってないから、どんな物語なのかもよくわからない。ああ、松本零士のマンガで読んだか。でも、神々の黄昏は未刊行だしなあ。
 そういえば、昔BS-hiで指輪全編を放送したやつをD-VHSに録画して、ラインの黄金だけは観たな。

 というわけで、だからワルキューレとかジークフリーととかラグナロック(神々の黄昏)とか、どっちかっていうと銀英伝の言葉としての方がなじみが深いんだよね。っていうくらいの無知さ加減なのだけれど。

 だから、字幕付きの演奏会形式での演奏や、指揮者によるプレトーク付きのワーグナー、とっても楽しみにしてたんだよね。

 今回の演奏会のタイトルは、バイロイトの神秘。バイロイト音楽祭に、一昨年だっけ、日本人で初めて指揮者として登場した(そして、あまり評価されなかった)オオウエエイジに当てつけたとしか思えないこのタイトルは、飯守さんが20年間、バイロイト音楽祭の音楽助手を務めたことからきているみたいだね。
 まあ、そんなことはどうでもいいのだけれど、僕はワーグナーってよくわからないんだよね。モーツァルトとは別の意味で、あんまり指揮者が介在しない音楽なのかな、っておもってしまう。まあ、僕はオペラ全般そう思ってしまうから、単なる感性不足なのだと思うけれど。
 もちろんフルトヴェングラーのローエングリンは別格だけれども、そのほかのワーグナーの聴き方って、オケの機能に重点を置いているのかなあ。地獄の黙示録に使われた、カラヤンのワルキューレの騎行も喜んで聴いてしまう。その点、関西フィルのオケの機能ってどうなんだろう、っていうのが、初めて聴く身としてはちょっと心配だったのだけれどもね。

 関西フィルのいつもがどうか知らないけれど、今日のホールは満員。字幕の関係で、ステージより後ろ側には人を入れないから後ろ側がっぽり空いていたけれど、僕のいた二階席は超満員。客層はちょっと大フィルさんと違うのかな。若い人と、髪の毛びしっとセットした昔若かったおねえさんが多い気がする。

 プレトークで、指輪の全体像と、ワルキューレのお話を解説したあと、第一部はトリスタンとイゾルテ、前奏曲と愛の死。そういえば、去年ライブビューイングで観たな、トリスタン。
 ワーグナーの管弦楽曲として抜粋されるのって、多くが管楽器が活躍する派手な曲で、高校生のブラス吹きだった僕は、だからワーグナーが好きだったんだけれども、この曲だけはちょっと違ったんだよね。弦楽器主体の、高校生にしてみたらちょっと退屈な曲なんだけれど、なんか涙がでてくるんだ。なけなしのお小遣いをはたいて買った、バーンスタインのレコードでね。

 あ、演奏だね。
 曲の頭からいきなり二つ隣の人が大いびきをかいていて出鼻をくじかれてしまったけれど。でも、いいなあ。
 この曲に限らず、ワーグナーに抱くイメージって、キャタピラと巨大エレベーター。キャタピラは、無限軌道っていった方が近いかな。車輪じゃなくって、すべてを踏んづけてどんなところも粛々と進んでいく無限軌道。そして、上り坂とか下り坂とか、方向性を示さないのに全体がぐわっと持ち上がったり下がったりする巨大エレベーター。
 ブルックナーの浮遊感が、大きな池の底から浮上してくる巨大な水泡だとしたら、ワーグナーの浮遊感は水面そのものが波紋も立てずにせり上がってくる、そんな感じなんだよね。
 そして、愛の死の最後、弦楽器による浮遊感はまさに僕の思っているワーグナー。2階で聴いててよかったな。

 そして、休憩はさんでワルキューレ。
 ワルキューレの第一幕って、歌い手さん3人しかいらないんだね。
 物語は、ボーイミーツガール。行き倒れた男。助けた女に一目惚れ。女が人妻であろうが生き分かれた双子の妹であろうがかまわない。英雄にしか抜けない剣だって、女を手に入れるためなら抜いてやる。ああ、あなたは私の運命の人。私が名付ける、あなたの名前はジークムント。そして私はジークリンテ。
 産まれた子供はジークフリート、っていうのは第2幕以降なのかな。

 お話のおもしろさとか、ロータリートランペットの音のきれいさとか、チェロのソロのすごさとか。字幕を読むのに一生懸命だったりして。あっという間の第一幕だったのだけれども。
 最後に向けて、だんだん高揚していく二人の愛、そして音楽。
 その音楽がね、何ともシンプルに聞こえるんだ。たぶん関西フィルとして考えられる最大編成で、ワグナーチューバ4人も入れると管楽器なんていつもの倍くらいいたんだと思うんだけれども。
 それがぜんぜんガチャガチャしないで、シンプルなんだよね。なんていうんだろう。みんな自分の役割を守って整然と音楽を作っている。音は込み入っているのだろうけど、弦が土台を作って、管が厚みをつけて。アクセントとして木管のソロがあって。その固まりがすごくシンプルだから、オケの音量が大きくても、歌が伝わってくる。
 これって、実はすごいことなんじゃないだろうか。
 だから、最後のジークリンデの歓喜が、オケのトゥッティと一緒になって、ホールのお客と一緒になって高揚していって、フィニッシュ。

 いやあ、楽しかったなあ。

 オケの機能が心配とかいって、ごめんなさいね。まとまりのいい、いいオケだね。
 また、おもしろい企画があったら遊びに来るね。

 ただ、それだけのはなし。

DATA
2009/3/27
関西フィルハーモニー管弦楽団
第209回定期演奏会
飯守 泰次郎:指揮
畑田 弘美:ジークリンテ
竹田 昌弘:ジークムント
木川田 澄:フンディング
@ザ・シンフォニーホール