じいさん、ブル8,東京交響楽団@19932008年01月14日

 久しぶりに、じいさんの演奏を、ちゃんと聴いたよ。
 ブルックナーの、8番。
 しかも、東京交響楽団、1993年11月13日@サントリーホール。

 前に、じいさんのブル8は、1994年の空前絶後と、2001年の伝説の8番がすごくって、他は見分け(聞き分け)がつかない、っていうことを書いたことがあるのだけれど。
 この演奏、すごいよ。

 なんだろう。
 ポニーキャニオンのCDだから、上記の二つのブル8とおんなじ、江碕さんの録音に違いないと思うのだけれど。三つとも、サントリーホールでの演奏会だったと思うのだけれど。
 その質感、っていうか、ざらっとした感じが、違うんだよね。こっちの方がざらざらしていて、ああ、人間が演奏してるんだな、って。

 でも、違いはそういうところじゃなくって、一番には、最初のテンポ。
 大体じいさんのブルックナー、それも晩年のブルックナーは遅いのだけれども、こんなに置いてきぼりにしちゃって良いの、っていうくらいの遅さ。
 今、演奏データを見てたら、1994年の空前絶後の方が、(最初の拍手を差っ引いても)1分くらい長いんだね、1楽章。でも、こっちの方が遅く聞こえたなあ、なんでだろう。聞き比べなんて野暮なことはしないけど。
 その遅さがね、緊張感とインパクトの両面から、耳をさらっていって。
 新調した300Bの真空管アンプから出てくる音に、久しぶりに引き込まれたよ。(あ、新調したのは真空管であって、アンプじゃないけどね)

 もちろん、というべきか悲しむべきか。85分のクラッシック音楽に、正座して耳を傾ける気持ちの余裕は今の僕にはなくって、ヤフオクで落札した1970年代の音楽之友社のムック、ブルックナーを読みながらの、ながら聴きだったのだけれど。
 このムックも、ジャンジャンを録音し終えた当時のじいさんのインタビューとか、ブルックナー協会会長のフルトヴェングラーの講演とかそのほかいろんな人が熱くブルックナーを論評していて、とてもおもしろいのだけれど。でも、どうしても耳を吸い込まれてしまう演奏だったんだ。

 聴きながら、こういう演奏をどう表現しようか、って思って、音楽をことばにする無力感に苛まれていたのだけれど。
 荒々しい、音が割れる一歩手前のブラスのコラールと、弦楽器のトレモロの奏でる原始の霧。その間から出てくる木管のすすり泣き。
 フルトヴェングラーや、いろんな人のエッセイによれば、(僕もそれに大筋同意するのだけれど)ブルックナーの音楽は、時代や、人の喜怒哀楽から離れた、永遠や神に捧げる音楽なのだけれど。
 でも、この演奏。1993年にサントリーホールに響いたこの演奏は、こんなにも人間くさくって、それでいてやっぱりじいさんの匂いがぷんぷんして。

 在京のオケから見たらその音楽、そしてセールスの面から見ても日本の長老としての尊敬を一身に集めていた時期の、創立50年に燃えるオケとの共演。きっと双方気合いが入ってたんだろうね。

 じいさんのブル8、あらためていろいろ聴き直さなくっちゃ、ね。

 ただ、それだけのはなし。

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