海のリビングとバーボン 〜kへ〜 ― 2023年08月26日
暑いね。夏だね。
バンドもやるアイドルグループがホストをしている音楽番組があって、僕はいつも録画して楽しみに見ているのだけれども。
その番組の、海の歌特集で、鈴木鈴木っていう兄弟ユニットの「海のリビング」っていう歌が紹介されていたんだ。
いつも一緒にいる男女のグループが、車に乗って海に行く、っていう日常をそのまま歌にしたような曲なんだけど。
その中にね。
「♪4人乗りの車で走らす」っていう歌詞があって。4人乗りの車で走らす、湾岸線とか、海岸沿いとか、海のドライブの光景が続いていくんだけど。
なんか、その言葉と、若い男女の眩しいmv見てたら、ちょっと鼻の奥が熱くなってきちゃったんだよね。
クルマを4人乗せて走らせるのって、免許取り立てで、みんなとつるんでいる、学生時代の短いひととき、しかないよね。
そのあとは二人乗りになったり、働き始めたら一人で乗ることが多くなったり。もちろん家族ができたら、4人で乗ることもあるのだろうけれど。
だから、「4人乗りの車で走らす」のって、楽しいことしか考えない、後から振り返ると「あの頃」としか形容のしようがない一時期のこと、なんだよね。
ちょうど、最近。
僕と「あの頃」を一緒に過ごした友達ーーkって呼ぶけどーーが、亡くなったって知らせを受けたんだ。
それで、いろいろなこと思い出してね。
だから、4人乗りの車で涙流したって、許してくれるよね。
kとはね、高校の部活が一緒で。
一年遅れて僕が大学に入学して、免許をとってからは、いつも3人、時にはそれに誰かを加えて、狭い車に乗っていろんなところに行ったんだよね。
あんまり海には行かなくて、山方面が多かったけれど。
じいちゃんばあちゃんが住んでいた、築70年以上のオンボロの平屋が長野にあるのをいいことに、そこを拠点に乗鞍、上高地、美ヶ原、白馬やいろんなところに出没したり。
テントを乗せて、北海道まで2週間の旅に出たり。
「悲しみ本線日本海」を聴くためだけに北陸の海岸線走りに行ったり。
レポート終わったからってkを呼び出して、夜中の箱根、芦ノ湖に満月のムーンリヴァーを見に行ったり。
学生の頃は、違う大学に行っているのに、週末はいつも一緒にいたんだよね、3人で。
その時には、もちろん鈴木鈴木の歌なんてまだなくて。カセットテープやcdでいつも聴いていたのは、BEGINのデビュー作、音楽旅団っていうアルバムに入っている、「Slidin' Slippin' Road」っていう歌だったなあ。
♪ろくでなし on the heaven
今日のこと笑い飛ばして
30になったとき
うまいバーボン飲むのさ
30になったって
奴とバーボン飲むのさ♪
今に比べたら、当時僕は全然お酒が飲めなかったのだけれど、この歌に憧れてバーボン飲んでは、消毒液臭い、って吐いてたんだ。
当時、30になった時に飲むのか、30になっても飲むのか、そういうくだらない議論をしてたけど。
30になった時にいいお酒飲むぞ、とは思ってたけど。30になっても奴とバーボン飲むのは、当たり前すぎて、疑いもしなかったんだよね。その頃は。
でも、あの頃がずっと続かないのも当たり前すぎて。
大学を卒業して、僕が金沢に引っ越した時には、二度ほど、遊びに来てくれたのかな。
一度目は、実験に追われていた時期で、あんまり相手もできなかったので、勝手に観光させて帰らせちゃったんだよね。
その時のことを、僕が地元の仲間に面白おかしく吹聴したんだろうね。あんまり覚えてないけれど。
それからしばらくして、金沢のボロアパートの駐車場に停めてある僕のボログルマの助手席に、
「あることないこと言わないように」
っていう手紙と、ブラントンっていう高級ウイスキーが一瓶、転がっていたんだ。それが二度目。その時はだから、kには会ってないんだよね。
それから、何度会ったのかな。
30になって、バーボン組み交わすことあったっけ?
僕が、故郷を離れて金沢から大阪に来ちゃったからかな、お互いまめに連絡し合うような奴じゃなかったから、ほぼ音信不通が続いてて。
最後に会ったのが、高校の部活の仲間がみんな50歳になる年に、部活の合宿で使った伊豆温泉宿にみんなで行こう、って言って集まった時だったね。
30年ぶりくらいのやつも結構いて、それぞれの人生と30年以上前の演奏を肴に、語り明かしたのが、最後だったね。
亡くなったのが2年以上前だってことだから、あの伊豆の夜から、そんなに経たないうちだったのかな。
そんなに音信不通でも、何にも気にしない仲だから、亡くなったと言われても全然実感もなかったのだけれど。
「k君のお墓は〇〇墓地です」
っていう連絡は、応えたよ。
kは、この世界からいなくなっただけじゃなくって、お墓の下にいるんだね。
これまでのように、僕の近くにいない、それだけじゃなくって、お墓の下にいるんだ、本当に死んじゃったんだ、って。
そう思ったら、初めて泣けてきた。
kよ。
あの頃を共に過ごした仲間として。
お前はどんな人生を送ったんだ?
幸せな瞬間が、たくさんあったのか?
あの頃のことや、あの頃の仲間は、お前の人生の、糧になっていたのか?
俺やあいつと、一緒にバーボン飲もうと思ったことはあったのか?
俺は、
決して強くはないけれど、
少しはバーボン飲めるようになったよ。
スキー場でお前が酔い潰れた時ほど飲んだら、やっぱりお前みたいに酔い潰れると思うけど、飲むだけは飲めるよ。
二人で飲んでも、
多分お前はほとんど喋らないから、結局二人して注いで飲んでを繰り返すだけになりそうだけど。
でも、
そういう時間を、持ちたかったよ。
k。
仲間が連れ立って、お前の墓参りを企んでいるんだ。
僕は、行かないから。
仲間の墓参りに合わせて、お前の置いて行ったブラントンか、うまいバーボンかわからないけれど。
離れたところから献杯することにするよ。
いつかいくから、待ってろ。
行ったら、きのうも会ったような、なんでもないそぶりで、
なんにも喋らず、
静かに飲もう。ふたりで。
ガーシュイン! ガーシュイン!! ガーシュイン!!! ― 2022年08月28日
ぼくは、その演奏は聴いていないのだけれども。
でも、やっぱりうれしいよ。おめでとう。
ぼくの所属しているバンドには、いろんな人がいて、その中には、中学校の先生とか、編曲者とかも含まれる。その中学校の先生は、ついでに吹奏楽部の顧問なんていうものをしていて、そのバンドは、普通のクラッシック編成ではなくて、ジャズの、ビックバンドといわれる編成だったりする。
吹奏楽部の主な活動っていうのは、まあ学校によってちがうのだけれども、夏のコンクール、っていうのはほとんどどのバンドにとってもかなり大きな活動になるよね、きっと。
その、コンクールというのは、お堅い新聞会社が主催しているから、というか当然のことなのだけれども、クラッシック、といわれている音楽を演奏するところが多い。というか他の音楽を聴いたことは、ない。
この中学校のバンドは、ビックバンド編成だから、いわゆるクラッシックっていうのは普段から演奏しないんだけど、それでもコンクールにはでることにしたんだ。この編成のまま。ガーシュインという、アメリカの、ジャズっぽいクラッシックを作曲する人の曲で。
そして、編曲は、ぼくが属しているのバンドの編曲者。
最初にもいったけど、ぼくはこの演奏は聴いていないんだ。
コンクールの結果は、一次予選を勝ちあがり、県大会出場。
おめでとう。ほんとにおめでとう。
譜面が揃ったのが5日前で、それからきちっと練習した生徒たちに、おめでとう。
公の場で評価される譜面を書き上げた編曲者に、おめでとう。
波紋を呼ぶのを覚悟の上で、まったく評価されない可能性もあったのに、敢えて挑戦した先生、ほんとうにおめでとうございます。
なんか、ぼくまでほんとうにうれしいです。
なにより、演奏者の人たちがきっと楽しんでいただろうことが。
そして、当然クラッシックを期待してきているだろう審査員の人たちに、それなりに評価されたことが。
楽しいでしょ? 音楽って。
今度の合同演奏会も、楽しくやろうね。
楽しいでしょ? 音楽って。
がんばれブラバン その1 ― 1986年04月11日
がんばれブラバン!
~心の音楽(うた)をブッとばせ~
大宮市民会館いっぱいに、吹奏楽の奏でる音楽がひびきわたっていた。
高く、低く、強く、弱く、楽しく、寂しく、楽器は唄っていた。
おれらの最後の演奏会だった。
一部クラッシック、二部ポップスと続いてきたこの演奏会も、いよいよ、二部最後の曲、デューク・エリントン・メドレー、十分間の大曲だ。 その曲も、おわった。
最後の曲に、大きな拍手が寄せられた。
いよいよ最後の演奏会もトリだ。この瞬間のために、いままで死ぬほどがんばってきたんだ。いろいろな思いが胸をよこぎった。思わずジンとしてしまう。
泣いちゃだめだ。ポップスで終る演奏会、涙は似合わない。
大きな拍手が、リズムを作り、大きな二拍子になっていった。一人の人からはじまった二拍子が、会場いっぱいの、全員に伝染していく。おれのいちばん好きな瞬間だ。
この気分も、もう最後かと思うと、ツンとこみあげるものがある。でも、やっぱりだめだ。人前でなくなんて、そんなダサイこと、だれがやるもんか。
二拍子のリズムが、演奏を誘うように次第にはやくなる。アンコール、アンコール、と声が聞こえてきそうだ。
ずん、ずん。
しだいに熱を帯びていく拍手のなか、曲は、しかしゆっくりとしたシンセサイザーの低音で始まった。
お客さんが、何ごとかと手拍子をやめる。しめしめ、こっちの思惑どうりだ。みんな、なにが始まるのか見当もつかないで。とまどっているぞ。
アンコール曲は、
愛の兆し。
二人がかりで弾いている、シンセの、荘厳なプロローグがおわって、ドラムスが参加する。そして、いきなりテンポチェンジ。 ドラムスが小気味のいいテンポをきざんで、あとはのりのいい8ビート、木管のメロディに、ブラスのちゃちゃが絡む。かっちゃんの自慢の編曲だ。
会場全体が、拍手と手拍子の渦に巻き込まれた。
そして、お客さんをさんざん楽しませたあとは、毎年恒例の、ちょっと静かなこの曲でしめくくり。
みんな知ってる、ディズニーの曲だ。
ゆったりとした、ユニゾンのメロディで静かに二コーラス続けたあと、司会がまえに出る。暗くなったステージの、司会者にだけスポットがあたる。
二部の司会、二年生のクラリネットのあわちゃんが、泣きながらしゃべる。
「私達は、みんなで心を一つにして、一つの音楽を作り上げるため、今日まで努力してきました」
クサいセリフだ。でも嘘じゃない。おれらは努力してきたんだ。いままでも、そしてこれからも。
自分の考えたせりふに赤面しながら、それでもおれは、気持ちよかった。ざまあみろ。だれにでもいい。そう叫びたかった。ざまあみろ。
司会のしゃべりは、さらに続く。
「本日は、お忙しいなか、わたくしたちのつたない演奏のためにお集まりいただき、本当にありがとうございました」
会場のみなさまにお礼を言ったあと司会のあわちゃんが自分の席にもどった。フォルテにもどりさらに二コーラス盛り上げる。
そして、コーダ。 リタルダンド、どんどん、どんどん遅くして、クレッシェンド、どんどん大きく、盛り上がっていく。極限までのぼりつめたら、そのままのばし。 最後のフェルマータで幕が下がる。Fのすけべコードのロングトーンだ。
トゥィィィィィ・・ッ
上井のラッパのハイ・ノートが、全員の、フォルテッシモのトゥッティのうえを駆け回る。いい調子だった。
が、緞帳はまだまだ降り切らない。 あまりの長さにたえきれなくなって、上井が途中で息つぎをした。
トゥィッ・・・
緞帳はあと三分の一ほどのこっている。音の一部にポッカリと穴があいたような、奇妙な、間。
みんなのひんしゅくを買いかいながら、上井が吹き直したときには、もう幕は閉まったあとだった。
閉演のアナウンスが会場にながれ、客席に灯がついた。
みんな脱力していすにへたりこんだ。誰も真っ先には動こうとしない。 おつかれさま。
一番最初に動いたのは、そでに待機していたOBの先輩がただった。場慣れしている先輩がたは、手際よく片付けを進めていく。
先輩につづいて、みんなものろのろと楽屋へ動き出した。楽器を片付けてお客さんにあいさつをするためにロビーに向かう。
ロビーで、演奏会に来てくれた友達に、ありがとう、っていっていると、ようやく実感がわいてきた。本当におわったんだ。おれらの演奏会も、これで、もうないんだ。
でもそんな感傷に浸っているヒマはなかった。二部のあたまでかなりトラブッたから、時間もかなりおしてるはずだった。
おれらはざわついているロビーに未練を残しながら、ステージのほうに、集合していった。
こうしておれらの最後の演奏会がおわった。冬演、春演、冬演ときて四回目。四回の、合計入場料は千五百円。おれらの代になってからは二度目の演奏会だった。
だけど、おれらの代はまだおわりじゃない。もう一つ、でっかい花火を打ちあげてやるぜ!
がんばれブラバン その2 ― 1986年04月10日
そうだ、俺達は授業サボッてるんだっけ。 やばい……本気でそう思った――何せこの部は、先生方に嫌われているんだ――みんなは、でもどうしようもないままじっと息を殺して、ただ待っていた。
がんばれブラバン その3 ― 1986年04月09日
健朗が言い出した。そうだ、もう四月も終わりごろ、花だって見に行かないとおわっちゃうんだ。
コップの倒れる、この小さい音が、宴会の空気を凍らせた。ヤバい、パンチパーマのおお兄さんの顔がチラついた。ど、どうしよう・・・
その時、おじさんの手から突然マッチが離れた。半分に折れたマッチの軸が燃え尽きて、熱くなったんだ。
決まった。桑原と藤森。