PAC154回定期と大フィルさん ― 2024年10月24日
大フィルさんは、二日ある演奏会の二日目で、だいたいは土曜日に行くことが多くって、PACは、三日間の公演のうち、一日目、金曜日のチケットだから、金曜にPACを聴いて、土曜に大フィルさんを聴く、なんてことも起こるのだけれど。
今月が、まさにそれだったんだよね。金曜に西宮でPACを聴いて、土曜はフェスティバルホールで大フィルさん。まあ、自分で望んだことだから、嬉しいのだけれど。
今月のPACは、下野竜也さんの指揮で、ドヴォコンと、伊福部昭のシンフォニア・タブカーラっていう、これは交響曲なのかな。そういう取り合わせ。ドヴォコン、っていうのは、ドヴォルザークのチェロ協奏曲のことなんだけどね。
ドヴォルザークっていう、チェコの作曲家と、伊福部昭っていう、日本の作曲家。もう一つ、5分くらいの小品だけれど、ショスタコーヴィッチっていうロシアの作曲家のプログラムも入れて、クラシックの王道であるドイツ語圏ではない、オリエンタルな作曲家のプログラムだったんだよね。
プログラムの曲もう紹介には、「懐かしい」メロディや響き、っていう言葉がたくさん使われていて。確かに稀代のメロディーメーカーで、親しみやすい曲が多いドヴォルザークの曲は、懐かしい感じがするよね。ゴジラの音楽を創った伊福部昭も、日本っぽい、それも戦後の(白黒映画ゴジラの時代の)日本を思い起こさせる、それが懐かしさ。
懐かしさ、っていうとなんか口語っぽいから、ちょっとかっこよく郷愁に満ちた、とか行ってみたいのだけれど。郷愁のしゅうは、秋っていう意味を含むのかな、ようやく秋らしくなってきたところだし、と思ったのだけれど、別にそういう意味はないみたいだね。まあいいや。
というわけで、PACの演奏会。下野さんは大フィルでも良く指揮をしている方で、NHKのドラマの音楽とかも良く指揮してるよね。広島のオケでブル8聴いたな。在阪の僕らにとっては、朝比奈隆の弟子、という印象が強いのだけれど。
ドヴォルザークのチェロ協奏曲は、マリオ・ブルネロっていう方がソリストでね。客席が5階まである、縦にでっかいホールの、僕は2階席で聴いていたのだけれど。そこから聴くと、チェロ一本でホールを揺るがす、音量系のチェリストではなくってね、でもあったかい音で、オケの間からもきちんと聞こえてくる。ドヴォコン、生で聴くのははじめてか、かなり久しぶりだと思うけれど、ドヴォルザークの曲は、やっぱりやさしくて、どっかで聞いたことあるようなちょっとセピア色の懐かしさがあって。いいなあ。
アンコールは、チェロのソロで、ナレク・グレゴリオスのハヴン ハヴンっていう曲だったのだけれど。ピチカートのボン、ボン、っていう音を通奏低音に、ゆったりとした、これもまた懐かしいメロディを歌いあげる曲。なんかしんみりしちゃうよね。
ショスタコは弦楽四重奏のための2つの小品、からの一曲。弦楽アンサンブルの、きれいな曲。ショスタコーヴィッチって、交響曲5番革命とか、7番レニングラードとか、ロシアの政情に迫害されたりプロパガンダとして使われたり、あんまりしあわせな作曲家人生ではない印象があるヒトなんだけれど、その作風は、縦のりで、あんまり聴いてて嬉しくない曲が多いんだよね。表面的には戦争賛美の行進曲風に書かないと身が危ない、という事なのかもしれないけれど。
それでも、この曲はすごくきれいで聴きやすかったな。下野さんがなんて美しい曲なんだ、って思ったみたいなことをプログラムに書いていたけれど、さもありなん、って言う感じ。ちなみに僕のなんてきれいな曲なんだ、は、ラヴェルの「亡き女王のためのパヴァーヌ」かな。
そして、伊福部昭、シンフォニア・タブカーラ。
1955年の初演、という事だから、ちょうどゴジラと同時期に作曲されたようなのだけれど。その頃の日本の音楽シーンは、ヨーロッパのクラシック音楽が入ってきて、この曲は時代遅れといわれた、みたいなことが書いてあったのだけれど。
聞く前は分からなかったんだよね。この曲、あるいは伊福部の音楽と、西洋のクラシック音楽がどうちがうのか、って。
だけれども。
曲が始まったらすぐに分かったよ。
これって、吹奏楽。
今はどうか知らないけれど、吹奏楽コンクールの課題曲4曲のうち、1曲必ず入っている邦人現代曲。いわゆる吹奏楽オリジナルの曲にありがちな曲。
もちろん、1955年だから、伊福部さんの方が圧倒的に古くって、つまりこれがその後の日本の吹奏楽オリジナル曲の原型になったのだろうけれど。大阪でオケの曲も吹奏楽も作曲した大栗さんとどんな時間関係なんだろう?
何がどう、っていわれるとよく分からないのだけれどもね、西洋のクラシックではなくて吹奏楽オリジナルっぽい、っていうのが。
リズムとか、ユニゾンが多いとか、管楽器の効果音的な使い方とか、そういうこと、なのかな。sfzの音型なんかは、さすがになかったけれど。
でも、何より、なんか、みんなが一生懸命、音を張り上げて張り切ってる感じがするんだよね。そこが一番、吹奏楽っぽい
そして、みんなががんばる演奏が、PACのスタイルにものすごく合ってるんだよね。30数年前に吹奏楽小僧だった身としては、別の意味で、懐かしい曲と演奏で、ものすごく楽しかったな。
つぎの日は、大フィルさん。
大フィルさんのプログラムも、ドヴォルザークなんだよね。交響曲第7番。なんかの記念年なのかな? まあ、嬉しいことだけれど。
前半のモーツァルトのピアノ協奏曲、ピアニストが変更になったんだね。プログラムの印刷が間に合うくらいだから、直前にって訳ではなさそうだから良かったけれど。
田部京子さんっていうピアニスト、やわらかい音で、パラパラではないけれど歯切れのいい演奏で、僕は好きだなあ。
後半のドヴォルザーク 交響曲第7番。
ドヴォルザークの交響曲は、第9番「新世界から」がとても有名で、これは老若男女いくつかのメロディは誰でも知っている、ベートーヴェンの第九に匹敵するくらい有名なのだけれど、その次に有名であろう8番は、クラシック大分好きな人じゃないと知らない、くらいの知名度、なのかな。7番は、クラシックのCD2000枚くらい持っている僕でも2枚だけ(ちなみに9番は16種類、8番は7種類だった)くらい、有名ではない曲なんだよね。
なのだけれど、別に有名な曲でなくてはダメなのか、というと、そうでもなくって。生でじっくり聴くこの曲、いいよ。
今回の指揮者は、バーティー・ペイジェントっていうイギリス人なのだけれど、1995年生まれっていうから、まだ30歳前なんだよね。そうそうたるオケを振っていて、ドヴォルザークを湿っぽくならない懐かしさで振り抜ける。これからが楽しみな指揮者だな。クラウス・マケラトライバル関係になるかな。楽しみ。
そうそう、先月の大フィルさんは、尾高さんのベートーヴェン ミサ・ソレニムスだったんだよね。
荘厳ミサ、ってかつていわれていた、2時間弱の合唱とソリスト付きの大宗教音楽。
ちょっと前に、日経の私の履歴書でリッカルド・ムーティが「私はミサ・ソレニムスを触れるようになるまでつい最近までかかった。若手がホイホイ振れるような曲じゃないんだぞ」って書いているのを読んで、どんな取っつきにくい曲なんだ、と思ったのだけれど、何でもこなす尾高さんの指揮で聴くと、どんな曲でもみっちりしてあったかい、その響きの中で気持ちよくなっちゃうんだよね。
ミサ・ソレニムス(正当なるミサ曲)の歌詞は決まったものがある様で、そのためか分からないけれど、字幕がなかったんだよね。ストーリーがあるものでは無い、というのは分かるけれど、出来ればあった方が宗教曲の意味付けも含め、分かりやすいかな、と思ったんだよね。
ただ、それだけのはなし。
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