PAC 第153回定期演奏会 ― 2024年10月01日
クラシック音楽が好きでね。
それも、オーケストラの奏でる音楽が好きで。
僕の住んでいる大阪には、プロフェッショナルのオーケストラが4つあって。それから近くの京都や兵庫にもオーケストラがあるんだよね。
だから、オーケストラを聴きにいく機会っていうのは、山のようにあるのだけれど。
その中で、僕は大阪フィルって云うオーケストラ(大フィルさん、っていっているのだけれどもね)の定期演奏会を、この四半世紀くらい聴き続けているんだよね。正確には、2000年からになるのかな。
定期演奏会って、大フィルさんの場合だと、年10回、ほぼ毎月のようにあるから、オーケストラがいっぱいあるからと言って、全部のオケの定期演奏会に行くわけには(時間的財力的に)いかないから、必然的に聴きにいくのは大フィルさん中心、になってしまっていたのだけれど。
このたび、もう一つのオケの定期会員になったんだよね。「兵庫芸術文化センター管弦楽団」、略してPACっていうんだね。PACってなんだろう、って思ったら、Performing Arts Center Orchestraの略なんだね。芸術文化センターがPerforming Arts Center
なんだね。
このPAC、兵庫県立芸術文化センター管弦楽団は、阪神淡路大震災からの復興目的で芸術を発信するために創られたKOBELCOホール、そのホールを根城とするオーケストラなんだよね。正確ではないかも知れないけれど、若い団員を集めて、最長任期を2年か3年として、常に若い音楽家を育成して、世に出していく、そういうコンセプトのオケで、佐渡裕さんが設立からずっと芸術監督をやっている、そういうオケなんだよね。
このオケのすごいところは、一回の定期演奏会について、3日間公演して、それでもチケット取りにくい程の人気、っていうところなんだよね。西宮って、そんなに大きな街ではない(大阪市、とかに比べたらね)のに、3公演が満員になる、ってすごいよね。
僕は、20年前の設立されたときの記念演奏会で、ベートーヴェンの第九を聴きに行ったあとは、あんまり聴いた記憶がないんだよね。下野さんが振ったときにいったのかな。何年か前に、佐渡さんが振るブル8のチケットが取れて、喜び勇んで金曜の7時に駆けつけたら終演後だった、っていう苦い記憶(と使えなかったチケット)があるのだけれど。
このオケの定期は、金、土、日の3日間公演で、開演時刻が全て午後3時、なんだよね。大阪のオケだと、平日は夜7時、休日は午後3時、が普通で、そうでないときにはマチネー公演だ、って断りがあるのが普通だと思っていたので、何にも考えずに行って、呆然とした記憶があったな。
定期以外では、毎年のようにやってくれているオペラ/ミュージカルは結構観に行っているので、オケの演奏は聴いているのだけれどもね。
これがPACの人気の秘密の一つだと思うのだけれど、定期会員(毎回同じ曜日、同じ席のチケットを束で買ったヒトね)への特典として、公開リハーサルへの招待があったんだよね。金曜公演の前日に、1時間程、ホールリハの様子を会場で見せてくれるの。
大フィルさんでもあるのかな? 大フィルさんの場合は、定期会員ではなく正会員向けのサービスであり、また会場がホールではなくて西成かどこかの練習場だかだったと思うけど、行ったことないんだよね。
もちろん、平日の昼なので、普通のサラリーマンは行きにくいのだけれど、今回はせっかくの機会だから、行ってみたよ。
ホールの1階席後ろにお客さんが入れるようにして。結構いっぱい入ってたな。思い思いの服装の団員さんが音出しをしていて。
佐渡さんがマイクを持って入ってきて。挨拶から。
PACに、13人の新しいメンバーが加入して、新年度が始まる(PACは9月からが年度なんだよね)。
来年、震災から30年、終戦80年、PAC出来てから20年になる。そのためのプログラムとして、マーラー9番や戦争レクイエムを演奏することにした。
今回のブラームス4番、既に本番もやっているしいい出来なので、リハでは通しを基本にやっていきたい。ブラームスはベートーヴェンのフォロワーで、第1番ではベートーヴェンの創った交響曲の黄金パターン(暗く始まって長調で高らかかに歌いあげる、「運命」パターン)を蹈襲した。これは、ショスタコ、チャイコフスキーの5番などと同じ。今回の4番は、3楽章で盛り上がって、でも4楽章は内省的に静かに終わる。これはチャイコの6番「悲愴」、マーラー6番「悲劇的」などと似ている。各楽章にバラエティに富んだ工夫がされている、、云々云々。
そういう挨拶があって、第1楽章から通して行ったんだけどね。
リハだし、客席も(1階席後方以外は)からっぽだし、本番とは違うんだ、って思いながら、聴かせてもらったよ。
ブラームスの音って、なんか独特で。中低音が分厚いんだけど、全体として枠がはまっているような音がすることが多いんだよね。箱庭の模型を水槽に入れて、額縁掛けて観ているような、そういう音。
高校の頃、ノイズが入るFM放送を録音して聴いてたのがブラームスだったから、その時のイメージが残っているのかもしれないけれど。
リハの第1楽章は、箱庭の音もそうなんだけど、その箱庭自体がずいぶん遠くにあるように感じられたんだよね。届いてこない、っていうか。
それに加えて、弦のつややかさがあんまりなくて、ざらっとする感じとか、管がすごいがんばっていて、所々がなっている様に聞こえるところとか。ああ、若いなあ、って思って聴いてたんだよね。
もちろんプロだから、全然レベルが違うのだけど、高校の吹奏楽部の定期演奏会の当日のゲネプロで、熱く演奏していて気がついたらお、客さんいないやん状態になったことを思いだしたよ。
そんなこんなで、ブラームス4番のリハを観て。
つぎの日、本番。
定期のチケットは2階席を取ったから、昨日とは違う距離と角度からの演奏、どう聴こえるのかな。
前半のプログラムは、ショパンのピアノ協奏曲第1番。亀井さんっていう若い男性のピアニストは人気者なのかな。佐渡さんの前説でも、今回は亀井さんを見に来たヒトが多いだろう、っていっていたし。
僕は、協奏曲のピアニストの違いがよく分からないのだけれど、音離れのいい亀井さんのピアノは爽やかに聴こえたよ。
休憩開けて、ブラームス。
最初の音から、ちょっとね。すごかった。
眠気が吹っ飛んだ、というか、居住まいを正した、っていうか。
昨日の印象と全然違う。
弦が倍になったか、っていうくらい力強い音。
バランスを取ろう、きれいに聴かせよう、っていう音ではないから、荒いヤスリで仕上げたみたいにざらつくところがあるんだけど、それが生々しくきこえて。ああ、人間が奏でてるんだな、って。思い切りの良かった管楽器も、弦が前に出てきたからか少しバランス変えたのか、とげとげしさが消えて。
みっちりした音楽を、思いっきり鳴らしながら、でも全体の形を崩さない。一つ一つの音を、確かに一人一人が奏でているのが聴こえる。
ブラームスって、こんなに重厚で、こんなに劇的な音楽だったんだ。って思ったよ。
ずいぶん前に、ウィーンの楽友会館で聴いたリッカルド・シャイー/ゲヴァントハウス管弦楽団のブラームスを思い出したよ。
このざらざら感、ちょっと癖になりそうなのだけど、ホールのせいなのかな?
4階か5階まである、天井の高いホールなのだけど、残響が長い感じはあんまりしなくて。S/N比の高いホールだな、って今回思ったんだよね。
このホールで大フィルさんのブルックナー聴いたときには、あんまり思わなかったのだけれど、演奏中無音になったときの、静けさの透明感がすごいなあ、って。
これから1年、いろんな曲をこのオケ、このホールで聴くの、楽しみだな。
ただ、それだけのはなし。
PAC154回定期と大フィルさん ― 2024年10月24日
大フィルさんは、二日ある演奏会の二日目で、だいたいは土曜日に行くことが多くって、PACは、三日間の公演のうち、一日目、金曜日のチケットだから、金曜にPACを聴いて、土曜に大フィルさんを聴く、なんてことも起こるのだけれど。
今月が、まさにそれだったんだよね。金曜に西宮でPACを聴いて、土曜はフェスティバルホールで大フィルさん。まあ、自分で望んだことだから、嬉しいのだけれど。
今月のPACは、下野竜也さんの指揮で、ドヴォコンと、伊福部昭のシンフォニア・タブカーラっていう、これは交響曲なのかな。そういう取り合わせ。ドヴォコン、っていうのは、ドヴォルザークのチェロ協奏曲のことなんだけどね。
ドヴォルザークっていう、チェコの作曲家と、伊福部昭っていう、日本の作曲家。もう一つ、5分くらいの小品だけれど、ショスタコーヴィッチっていうロシアの作曲家のプログラムも入れて、クラシックの王道であるドイツ語圏ではない、オリエンタルな作曲家のプログラムだったんだよね。
プログラムの曲もう紹介には、「懐かしい」メロディや響き、っていう言葉がたくさん使われていて。確かに稀代のメロディーメーカーで、親しみやすい曲が多いドヴォルザークの曲は、懐かしい感じがするよね。ゴジラの音楽を創った伊福部昭も、日本っぽい、それも戦後の(白黒映画ゴジラの時代の)日本を思い起こさせる、それが懐かしさ。
懐かしさ、っていうとなんか口語っぽいから、ちょっとかっこよく郷愁に満ちた、とか行ってみたいのだけれど。郷愁のしゅうは、秋っていう意味を含むのかな、ようやく秋らしくなってきたところだし、と思ったのだけれど、別にそういう意味はないみたいだね。まあいいや。
というわけで、PACの演奏会。下野さんは大フィルでも良く指揮をしている方で、NHKのドラマの音楽とかも良く指揮してるよね。広島のオケでブル8聴いたな。在阪の僕らにとっては、朝比奈隆の弟子、という印象が強いのだけれど。
ドヴォルザークのチェロ協奏曲は、マリオ・ブルネロっていう方がソリストでね。客席が5階まである、縦にでっかいホールの、僕は2階席で聴いていたのだけれど。そこから聴くと、チェロ一本でホールを揺るがす、音量系のチェリストではなくってね、でもあったかい音で、オケの間からもきちんと聞こえてくる。ドヴォコン、生で聴くのははじめてか、かなり久しぶりだと思うけれど、ドヴォルザークの曲は、やっぱりやさしくて、どっかで聞いたことあるようなちょっとセピア色の懐かしさがあって。いいなあ。
アンコールは、チェロのソロで、ナレク・グレゴリオスのハヴン ハヴンっていう曲だったのだけれど。ピチカートのボン、ボン、っていう音を通奏低音に、ゆったりとした、これもまた懐かしいメロディを歌いあげる曲。なんかしんみりしちゃうよね。
ショスタコは弦楽四重奏のための2つの小品、からの一曲。弦楽アンサンブルの、きれいな曲。ショスタコーヴィッチって、交響曲5番革命とか、7番レニングラードとか、ロシアの政情に迫害されたりプロパガンダとして使われたり、あんまりしあわせな作曲家人生ではない印象があるヒトなんだけれど、その作風は、縦のりで、あんまり聴いてて嬉しくない曲が多いんだよね。表面的には戦争賛美の行進曲風に書かないと身が危ない、という事なのかもしれないけれど。
それでも、この曲はすごくきれいで聴きやすかったな。下野さんがなんて美しい曲なんだ、って思ったみたいなことをプログラムに書いていたけれど、さもありなん、って言う感じ。ちなみに僕のなんてきれいな曲なんだ、は、ラヴェルの「亡き女王のためのパヴァーヌ」かな。
そして、伊福部昭、シンフォニア・タブカーラ。
1955年の初演、という事だから、ちょうどゴジラと同時期に作曲されたようなのだけれど。その頃の日本の音楽シーンは、ヨーロッパのクラシック音楽が入ってきて、この曲は時代遅れといわれた、みたいなことが書いてあったのだけれど。
聞く前は分からなかったんだよね。この曲、あるいは伊福部の音楽と、西洋のクラシック音楽がどうちがうのか、って。
だけれども。
曲が始まったらすぐに分かったよ。
これって、吹奏楽。
今はどうか知らないけれど、吹奏楽コンクールの課題曲4曲のうち、1曲必ず入っている邦人現代曲。いわゆる吹奏楽オリジナルの曲にありがちな曲。
もちろん、1955年だから、伊福部さんの方が圧倒的に古くって、つまりこれがその後の日本の吹奏楽オリジナル曲の原型になったのだろうけれど。大阪でオケの曲も吹奏楽も作曲した大栗さんとどんな時間関係なんだろう?
何がどう、っていわれるとよく分からないのだけれどもね、西洋のクラシックではなくて吹奏楽オリジナルっぽい、っていうのが。
リズムとか、ユニゾンが多いとか、管楽器の効果音的な使い方とか、そういうこと、なのかな。sfzの音型なんかは、さすがになかったけれど。
でも、何より、なんか、みんなが一生懸命、音を張り上げて張り切ってる感じがするんだよね。そこが一番、吹奏楽っぽい
そして、みんなががんばる演奏が、PACのスタイルにものすごく合ってるんだよね。30数年前に吹奏楽小僧だった身としては、別の意味で、懐かしい曲と演奏で、ものすごく楽しかったな。
つぎの日は、大フィルさん。
大フィルさんのプログラムも、ドヴォルザークなんだよね。交響曲第7番。なんかの記念年なのかな? まあ、嬉しいことだけれど。
前半のモーツァルトのピアノ協奏曲、ピアニストが変更になったんだね。プログラムの印刷が間に合うくらいだから、直前にって訳ではなさそうだから良かったけれど。
田部京子さんっていうピアニスト、やわらかい音で、パラパラではないけれど歯切れのいい演奏で、僕は好きだなあ。
後半のドヴォルザーク 交響曲第7番。
ドヴォルザークの交響曲は、第9番「新世界から」がとても有名で、これは老若男女いくつかのメロディは誰でも知っている、ベートーヴェンの第九に匹敵するくらい有名なのだけれど、その次に有名であろう8番は、クラシック大分好きな人じゃないと知らない、くらいの知名度、なのかな。7番は、クラシックのCD2000枚くらい持っている僕でも2枚だけ(ちなみに9番は16種類、8番は7種類だった)くらい、有名ではない曲なんだよね。
なのだけれど、別に有名な曲でなくてはダメなのか、というと、そうでもなくって。生でじっくり聴くこの曲、いいよ。
今回の指揮者は、バーティー・ペイジェントっていうイギリス人なのだけれど、1995年生まれっていうから、まだ30歳前なんだよね。そうそうたるオケを振っていて、ドヴォルザークを湿っぽくならない懐かしさで振り抜ける。これからが楽しみな指揮者だな。クラウス・マケラトライバル関係になるかな。楽しみ。
そうそう、先月の大フィルさんは、尾高さんのベートーヴェン ミサ・ソレニムスだったんだよね。
荘厳ミサ、ってかつていわれていた、2時間弱の合唱とソリスト付きの大宗教音楽。
ちょっと前に、日経の私の履歴書でリッカルド・ムーティが「私はミサ・ソレニムスを触れるようになるまでつい最近までかかった。若手がホイホイ振れるような曲じゃないんだぞ」って書いているのを読んで、どんな取っつきにくい曲なんだ、と思ったのだけれど、何でもこなす尾高さんの指揮で聴くと、どんな曲でもみっちりしてあったかい、その響きの中で気持ちよくなっちゃうんだよね。
ミサ・ソレニムス(正当なるミサ曲)の歌詞は決まったものがある様で、そのためか分からないけれど、字幕がなかったんだよね。ストーリーがあるものでは無い、というのは分かるけれど、出来ればあった方が宗教曲の意味付けも含め、分かりやすいかな、と思ったんだよね。
ただ、それだけのはなし。