ミュンヘンフィルの、ブル9 @大阪 ― 2018年12月09日
なんかもう、ね。
このごろ、生活が雑になっていて。って前にも言ったことがあると思うのだけれども。
ほんとうに、雑になっていて。
もったいない、と思うんだよね。あとから振り返ると。
たとえば。
ちょっと前に、僕はゲルギエフ/ミュンヘンフィルの来日公演を見に行ったのだけれども。
実は、というか、僕はゲルギエフのミュンヘンフィルを、ガスタイクで聴いたことがあったのだけれども。
外国のオケを、その土地のホールで聴くなんて、そんな贅沢なこと、そうそうある訳ではないのだけれど。その記録というか、記憶も含めて、あんまりないんだよね。もったいない。
ちなみに、ガスタイクで聴いたのは、2015年11月4日、ハートマンの交響曲2番、ショスタコの9番、そして辻井伸行のピアノでベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番。そういうプログラムだったのだけれども。辻井さんをやたら立てていた指揮者が、ゲルギエフだったんだね。
ガスタイクでは、2009年にも聴いているんだけど、こちらは指揮者も不明。まあ、記録を探るのは老後の楽しみにしておこうかね。
という訳で。
大阪に来てくれたゲルギエフ/ミュンヘンフィル。しかもプログラムはブル9。となれば、聴きに行くしか無いでしょう。
あ、その前に、僕はゲルギエフをずっと誤解していてね。多分、その名前の響きの仰々しさから、だと思うのだけれども。
僕の持っているCDの中に、とても猟奇的なレスピーギ・ローマ三部作のCDがあってね。ロシアの名前の指揮者と、ロシアのオケの演奏なのだけれど。まあ、多分どっかの通販サイトで、グロテスクな演奏、というところで怖いもの見たさで購入したのだと思うのだけれども。
ほんとうにそれば、グロテスクな演奏で。人の皮を全部剥いだ、筋肉標本を見せられているような、ちょっと勘弁して欲しくなる様な演奏なのだけれども。
それを、なんの故もなく、ゲルギエフの演奏、と信じて疑わなかったんだよね。気がつくまで。
だから、僕はゲルギエフの演奏は実は春の祭典しか持っていないのだけれども、なんか仰々しい演奏をする指揮者と、ローマの誤解が解けたあとでも勝手に思ってしまっているんだよね。
だから、今回聴きに行ったのは、ミュンヘンフィルのブルックナー、という期待が大きかったから、なのだけれどもね。
今回は、ユジャ・ワンって言う若い女性のピアニストで、プロコのP協3番と、そしてブルックナーの9番。
ユジャのピアノは、すごく手数が多くて粒も揃っていて、きれいなんだけど、オケが入っちゃうと、抜けてこないんだよね。ソリストは音の大きさ(というか存在感)、と思っている僕には、ちょっと退屈なプロコのP響だったな。
2曲演奏したアンコールの、ビゼーのジプシーの歌とか、すごく良かったんだけどね。
ところで。
ブルックナーの大編成で顕著なんだけど。オケの並び方が面白いんだよね、このオケ。ヴァイオリンを両翼に並べて、コントラバスが左に来るのだけれど、どう見ても左側の方が人数が多い。左右非対称。
そのおかげで、指揮者が少し右側に寄ってるんだよね。背の高いゲルギエフは指揮台を使わないから、あんまり目立たないけれど、指揮台あったら異様な光景に見えるかも。
これって、横に広くて左右非対称なミュンヘンの本拠地、ガスタイク仕様なのかな。チェリビダッケの銅像が踊り場にひっそり置かれているガスタイク、少し想い出しちゃったよ。
という訳で、期待のブルックナー。
休憩中に読んだプログラムの解説では、ゲルギエフとミュンヘンフィルは、互いの個性をぶつけ合っている最中で、今回のプログラムはややミュンヘンフィルに有理、なんていう無責任な事が書いてあって。どうしてもそういう風に聴いてしまうのだけれども。
そういう風に聴くと。いや、そういう風に聴かなくても、かも知れないけれど。
第一楽章、どうしようかと思ったんだよね。
ブルックナーの曲って、3番とかに顕著なんだけど、なんか変だよね。
各楽器の、フレーズの始まりと終わりに、ものすごく細かいしかけが施してあって、食いついたり遅れたり、多分スコア通りなんだろうけれども上手く聴こえない。
テレビの書き割りのセットみたいに、ある一つの角度からでしか、世界として成り立たない、そんな事を感じることがあるんだよね。
そのヘンさが、めいいっぱい増幅されて聞こえてきた第一楽章。
僕は、二階席の前の方の、比較的真ん中ヘンで聴いていたのだけれど。
テンポ感の合わない指揮者とコンマス、かまわず突っ込むホルン、とか。なんかあたふたした気配が漂ってきてね。どうすんのかな、と思っていたら。
2楽章、縦のトゥッテイでテンポ感を持ち直したのか、だんだん一体感が出てきて。
そして、トリオあとの後半のダカダンダンダッダッダの最初の入り。
思わず背筋が伸びる、完璧なアンサンブル。
ああ、ここからがゲルギエフのブルックナー。
そう思ったんだよ。
そしたら、そのあとに聞こえてきたのは、なんて極上の音色。
なんなんだろうね。ダイナミックレンジが広い、って言うのかな。
トゥッティの音量に、限界が見えないんだよね。どこまでも膨らんでいく。
そして、それが、どこまで行っても攻撃的にならずに、分厚い、柔らかい音色のままホールを満たしていく。
ガスタイクなんて広いホールで演奏しているから、フェスであっても楽勝なんだろうけれど。
ああ、これがもしかしたら。
チェリの作った音の欠片をいま、僕は聴いているのかしら。
そんな、ゲルギエフには失礼なことを少し思ったりして。
でも。
そんな、なにかを考えるなんて実はしていなくて。この、あったかくておっきくて、なんとも魅力的な音の響きの中で、恍惚としていただけなんだろうなあ。きっと。
大フィルさんとはかなり違う外タレオケの客層の中には、いの一番に拍手をしようと待ち構えているブラボーおじさんがちらほら見受けられたりして。
あの、天国のようなワグナーチューバのロングトーンのあとの、魔法の静寂も永遠に続いた訳ではないのだけれど。
フライングの拍手を居心地悪くさせる緊張感が勝って、もう一度の静寂を噛みしめたあと、拍手。ブラボー。
いやあ。
すごいね。
外国から来てくれるオケ。
大阪に来てくれる機会はほんとうに貴重だから、聴き逃さないようにしないといけないね。
ただ、それだけのはなし。