日本センチュリー交響楽団の、ロデオ 〜四季コンサート2014〜夏2014年07月16日


 ちょっとだけ前のことになるけれど。

 僕の大切な恩人であり友人である人が、亡くなったんだよね。

 

 いろいろなものを、教えてもらった人なんだ。

 クラシック音楽やジャズの、演奏の仕方とか、聴き方とか。

 音楽を聴きながら、演奏のあとに、あるいは、演奏をしながら呑むお酒のおいしさとか。

 つまりは、今の僕の、根っこになっている部分。そういうものを教えてくれた人、なんだよね。

 

 出会いはもう、30年も前になるんだね。 最初の3年間はクラシックを、そのあとはジャズを。教わったり一緒に演奏したりしたな。

 

 ありがとね。かっちゃん。いろいろお世話になったね。

 ご冥福をお祈りします。

 

 

 その、かっちゃんと最後に演奏したクラシック音楽。

 それは、コープランドの、ロデオっていう曲、だったんだよね。

 これぞアメリカのクラシック音楽、っていう、にぎやかで、陽気で、ほこり臭い煌びやかな曲。

 高校三年生の、吹奏楽コンクールの自由曲だったのだけれども。

 結局、上手くできたとはいいがたい演奏でね。今では全国大会出場を果たした名門校の歴史の中で、多分史上最悪の結果に終わったのだけれど。

 

 この演奏がトラウマになって、という訳ではないのだけれど、それからの僕は、大学に行って吹奏楽を続けるでもオケに入るでもなく、ジャズの方に行ってしまったから。結局この曲が、最後のクラシック音楽、になってしまっているんだよね。

 

 今でもたまに夢に見るよ。

 コンクールの当日。なぜか僕だけ初見でステージにのって。脂汗をかいている僕をにらみながら、かっちゃんが指揮棒を振りおろす。そういう夢。

 悪夢、の部類に入るのだけれどもね。当然ながら。

 

 まあ、いいや。

 そういう、想い出の曲。コープランドのロデオ。

 生ロデオ、聴いていたよ。

 

 ロデオって、なかなかマナで聴く機会がない曲なんだよね。

 コープランドと言えば、市民のためのファンファーレとか、がんばって交響曲第3番だっけかな。終楽章がまるごと市民のためのファンファーレのやつ。

 そのくらいしか聴いたことが亡くて。

 CDだって、バーンスタイン/NYフィルの大名演が屹立している他は、当時はスラトキンとドラティのやつくらいしかなかったんだよね。今は増えているのかな。

 

 という訳で、日本センチュリーの、生ロデオ。

 いずみホールに、行ってきたよ。

 


 この演奏会は、アメリカプロで。

 前半がガーシュインのパリアメとラプソディインブルー。後半がコープランドの、アパラチアの春とロデオ。

 こうやって聴いてみると、アメリカ、ってひとくくりにするのが申し訳ないくらい、違うんだね。はじめて気がついたよ。

 

 何が違うかって、それは、奏法。

 亡くなったかっちゃんから叩き込まれたジャズの奏法は、オフビートのアクセントと、カマボコ音型と、スタッカートの音価。

 これについて語ると長くなるから、リクエストが来たらやることにするけれど、要は、それぞれの楽器が、ビートを創り出すための奏法、ってこと。それは、クラシック音楽の奏法とは全然違うんだよね。

 

 その、クラシック音楽とは全然違うジャズの奏法を、ガーシュインの音楽は要求していて、そして、コープランドは、実は、クラシックの奏法で演奏するべき音楽なんだな、って。

 そう、気がついたんだよ。

 

 センチュリーも、がんばったんだけれどもね。

 いかんせん、クラシックの奏法だよね。NYフィルに、身体に染みついているジャズの匂いや、山下洋輔や大西、塩谷とかを連れてきて強引にジャズにしてしまう演奏とはちょっと違う、音。

 お上品なガーシュイン。ちょっとうとうとしてしまったよ。

 

 アパラチアの春はね。すごくきれいな、あんまりアメリカアメリカしていない曲。エルサロンメヒコだったらもっと良かったのになあ、とか思いながら、でもきれいな響きを堪能しました。

 

 ロデオ。

 もちろん、バーンスタインの演奏とはちがうし、その演奏を吹奏楽にのっけようとしたぼくらの演奏(の記憶の残像)とも違うけれど(あたり前、だけれどもね)。

 でも、良いなあ。

 だって。

 はじめて、プロの奏でるロデオを、生で聴いているんだもの。

 今だって、自分のパートはほとんど全て歌える、そういう曲。どの一瞬一瞬も、誰が何をやっていて、どういうバランスであるべきか。そういうことを考えながら、スコアを追いかけ、練習した、そういう曲。

 かっちゃんと最後に演奏した、クラシック。

 

 ぼくらが3年生の時に演奏したのは、カウボーイの休日、という、組曲の一曲目でね。

 さんざんな成績だったその年に懲りて、でも捲土重来を期して、翌年、後輩達が演奏したのは3、4曲目だったのかな。それは見事、創部以来2度目の関東大会に進出したんだよ。

 

 そういうところまで含めて。

 それは、ただの僕の感傷であるのだけれど。

 

 でも、嬉しかったな。

 生ロデオを、きちんと聴かせてくれて。

 センチュリーのコンサートを、僕はあまり聴いたことがないと思うのだけれども。(在阪オケはこのごろ改名したところもあったりして、記憶が定かではないんだよね。失礼ながら。)

 でも、面白そうなプログラムをいっぱいやっているんだね。

 楽しそうだなあ。

 

 つぎは秋の陣の、ペトルーシュカかな。これセンチュリーだったっけ?

 

 ありがとうね。良い演奏会でした。

 

 ただ、それだけのはなし。

 

 日本センチュリー交響楽団

 四季コンサート2014〜夏

 2014年7月5日 いずみホール

 

 ミハウ・ドヴォジンスキ:指揮

 アンドレイ・コロベイニコフ:ピアノ

 

 ガーシュイン:パリのアメリカ人

 ガーシュイン:ラプソディー・イン・ブルー

 コープランド:バレエ組曲 アパラチアの春

 コープランド:バレエ音楽 ロデオ 〜4つのダンスのエピソード


完璧な朝顔 〜完全版〜2014年07月19日


「俺、完璧な朝顔って見たことない。見たい」

 その一言で決まった。アキと私の夏休みの宿題。完璧な朝顔を見る。

 夏休みの宿題っていっても、私達は小学生ではない。立派な大人。立派かどうかは怪しいけれど、それぞれが仕事を持っている。二人の休日が違うから、いつもは十分に会えない私達。だから数日間を一緒に過ごせる毎年の夏期休暇は、とっても楽しみで貴重な時間。その貴重な時間で、私達はいつもは見られない、貴重な物を見ることに決めていた。

 

 きっかけは、去年のセミの脱皮。アキがどっかから拾ってきたセミの幼虫を網戸にとまらせて、私達はその脱皮を観察した。幼虫の丸い、茶色い背中に割れ目が入って、中から白い、別の形をしたモノがのぞいた。白いモノは苦しそうにじっとしていたけれど、気が付いたら身体の大半は幼虫の皮から外れていた。白く濡れたモノに少しずつ乾いて色がつき、立派なセミの姿になるまで、息をひそめて見守ったのだった。翌日はそのセミが部屋の中を飛び回り、大変な目にあったけれど。

 

 それから私達は、いつもあるのに普段は気にも留めない風景を一緒に探すようになった。朝日や夕焼け、紅葉の最初の一葉。そんな物を見つけて一喜一憂をくり返した。

 そして今年の夏休みの宿題は、完璧な朝顔。

「なにそれ。完璧な朝顔って。朝顔市とか品評会とかの、大輪で色もよろしくてって奴?」

「そうじゃなくって、完全に咲ききった一瞬の、朝顔。だって俺の見る朝顔って、開ききってしなびたやつか、蕾ばっかりなんだもん」

 それはあなたが朝寝坊だから、と言いかけて私はやめた。瑞瑞しい、咲き立ての朝顔。悪くない。全く悪くない。

「でも、私の朝顔って、これだよ」

 私達はベランダに出て、鉢植えの朝顔をのぞき込んだ。一応針金のガイドは立っているけれど、野放図に伸びた蔓はトマトやらゴーヤやらの鉢に侵入して、一体化していた。その蔓には、既にしおれて元の色も分からなくなった花の残骸がいっぱい着いていた。

「いいじゃん、これで。こんなに花が着いてるんだから、明日もたくさん咲くよ、きっと。あっ、いい蕾見つけた」

 アキが指さした蕾は、きつくたたまれた傘のように花弁が固く巻かれて、何色の花が咲くのか見当もつかなかったけれど、ほっこり膨らんだ花弁の付け根部分が、裏側にある色の存在を感じさせていた。

「あ、見てみて」

 私達は同時に声をあげて、別々の蕾を指さした。よく見たら、私ののび放題の朝顔には、花の残骸と同じくらいの数の蕾がついていた。

 

 次の朝、まだ朝とは言えない暗い時刻に、私達は起きだした。どちらともなく声をひそめて、抜き足差し足でベランダに向かう。空の色は深夜とは違うけれど、白んでくるにはまだ間がある。ベランダは暗くて、蕾がよく見えない。電灯、着けようか。私が指で示すとアキは首を振った。もう少ししたら目が慣れるから大丈夫。

 目が慣れたのか、空が白み始めたのか。やがて蕾が見えてきた時、私達はびっくりして声をあげそうになった。ほんの数時間前に見た、固くたたまれた小さな蕾はほころんで、紅い色を透かして見せていた。植物は動かないなんて嘘だと私は知った。蕾の螺旋の襞はほころび続け、細かく畳まれた先端から花弁が開き始めた。

 ねじれながら、ゆっくりと。喇叭のように開いた花が、もっと大きく、もっと大きくと何かに引っぱられるように、開いていく。

 息を詰めて見つめていた私の手を、アキの手が握りにやってきた。アキも別の蕾の開花を目を逸らさずに見つめていた。

「オンちゃん、見た? 完璧な朝顔」

 アキの蕾は開花しきったのだろう。私の朝顔も精一杯拡がって、これ以上はない。

「見たよ、アキ。完璧な朝顔」

 私が顔を上げるとアキと目が合った。してやったりの嬉しそうな顔。こちらも嬉しくなってその手を握り返した。

 

 その時、路向かいのマンションの稜線から太陽が顔を出して、私達と、開ききった朝顔の花を照らし出した。

 熱を含んだ真夏の陽光に灼かれ、再び目を落とした時には、完璧な朝顔の瑞瑞しい真円の花弁はもう、朝露と一緒に損なわれていた。

「ああ、終わっちゃったね。完璧だったのに」

 一瞬だから完璧なんだよね。夜と昼の境目を彩って、太陽を迎えるために咲くんだね、朝顔って。

 

 私は役目を終えた朝顔の花を一輪摘んでコップに挿し、朝食の準備に取りかかった。