大植英次のベートーヴェンチクルスII ― 2007年09月02日
大フィルさんも、シーズンオフの筈の8月の最後の日に、やってくれました。ベートーヴェンチクルス第二弾。働き者だね。
前回の1,2,3番に続いて、今回は4,5,6番。あと、7,8番と第九、って続くのだけれども。
例えばこの四回の組み合わせに、好きな組み合わせ、っていう意味で優劣をつけるとすると、今回の曲って、微妙だよね。
もちろん、題名曲の運命と田園を含んでいる回だから、人気っていう意味では一、二を争うのだと思うけれど、この四回(の曲)を、好きな方、期待する方から並べていくと、どうなんだろう。
9番はおいとくとすると、7番と3番っていうのが、僕の中の2大名曲でね、だから、どうしてもそれを含む演奏会が楽しみで、そう考えると、今回の組み合わせって、休憩プログラムか、とも思っちゃうんだよね。特に前回の、奇蹟のような2番の演奏を聴いたあとだとね。
なんて贅沢なんだろう。
さて。
もちろん、席は前回と同じく二階席で。見慣れたアングルの俯瞰ショット。弦バスが一番上に来る両翼の配置の俯瞰にも、違和感感じなくなってきたね。
今回はテレビカメラも入って。
整列して入ってきたオケに続いて、オオウエエイジ。あのドタキャン以来なのかな。元気になったみたいだね。よかった。
指揮台に登って、長い長い一礼。このまえはごめんなさい、っていう意味なのだと思うのだけれど、実は、今回のお客さんって定期のお客さんと大分客層が違うんじゃないかなあ。客席の雰囲気がかなり違うんだよね。まあ、それはオイオイ。
でも、長い長い一礼、前回のベートーヴェンの時も確かそうだったよね。いかんなあオオウエエイジ。仏の顔も三度、だからね。ご自愛下さいね。
さて、4番。
さっきの、長い長い一礼が醸す緊張感とぎこちなさを、そのまんま引きずった出だし。え、4番ってこんなに緊張感のある曲だったっけ。合わないザッツと、進んでいかない音楽。
それが、異様な緊張感を生むんだよね。冒頭から葬送行進曲か、みたいな。
もちろん、中盤から音楽が流れるようになると、オオウエエイジのダンスが始めるんだけどね。
2楽章くらいかな。ヴァイオリンの1番と2番だけになったときに、ゾクゾクしたんだよね。左右に分かれているヴァイオリンのステレオ効果で、いきなりホールが音に包まれた。今までは緊張感はあったけれど、どことなく他人行儀だったのが、その一瞬で自分もプレイヤーになって。
そして3楽章。
えっ、こんなに分厚い音がするんだ。トロンボンもいなければホルンも二人だけなのに、まるでブルックナーのような、大きな池の底からわき上がってくる巨大な水泡のような音。祇園で表すと,ぐわっ、っていう音。ベートーヴェンで聴けるとはね。
うれしいなあ。
今回は二時間半の長丁場だからね、聴く方もペース配分しなくちゃね、とか思ってたのだけれど、そんなことは吹っ飛んじゃうほど幸せに包まれてしまいました。
休憩無しに、続いて5番。
トロンボンが入ったり、編成が大きくなってるんだけど、それ以外にも結構管の人とか入れ替わってるんだね。そりゃあそうだよね。岩城のじいさんが九曲連続演奏会をやったときも、オケは二つか三つだったもんね。
いつもの見覚えあるソリストの人たちがステージに集まってきた。
その中でオオウエの運命。
おお、早い。
テンポも速ければ、フェルマータもほとんどなく、でも力強く運命の動機が奏でられていく。僕はベートーヴェンはほとんどじいさんの演奏でしか聴いたことがないから、時折現れる違和感、っていうか新発見は,じいさんとの違い、っていうことになるのだろうけれど。
そんなことはどうでもよくて。
1楽章の、オーボエのソロ。
管楽器はローテーションがあるからだろうけれど、結構トラの人もいて。オーボエのソロを吹いたのは見かけないガイジンの人で。あとであわててプログラム見て、ドミトリー・マルキンっていう人だって知ったのだけれども。
なんだこれ。
たった数小節の短い、ソロっていうよりも単に裸になったところ、っていうくらいのフレーズなんだけれど。
思わず背筋を正しちゃったよ。
なんだこれ。
僕は少し前まで大フィルにいた加瀬さんのソロが結構好きだったのだけれど、加瀬さんの官能に、太い芯を通して音量を上げて、音色の輝きを倍にしたような、そこだけオーラが出てるようなソロ。
すごかったなあ。
マルキンさんのソロは、その後も何カ所かあって、その度に演奏に(というか、僕の観賞態度に)緊張感を与えてくれたんだよね。
あとは、メンバー入れ替わったホルンも大活躍だったけれど。
そうそう。客層違う、っていうのはね。拍手のタイミングが、定期と比べて早いんだよね。響きの消えないうちに始まるの。定期で、オオウエの演奏会で、そういうことってこの頃あんまりなかったから、ちょっと残念だったな。
そういうのって、普段あんまりコンサートに来なくって、外国のオケばっかり追いかけて、日本のオケなんかケッとか思ってる自称クラッシック通の人たちのせいなんじゃないかなあ、って勝手に思ってしまうんだよね。休み時間のホワイエの会話とかも聞いていると。
まあ、もちろんいいのだけどね。もう少し余韻を味わいたかったなあ、って思っただけ。
5番でオオウエエイジが唯一経たせたマルキンさん。僕は、今まで一度もしたことなかったのだけれど、思わずブラボーコールをしてしまったよ。それを受けてオオウエエイジがもう一度マルキンさんを立たせてくれたから、届いたんだね。ちょっとうれしい。
マルキンさんは6番は降り番だったけれど、今回が採用試験で、近々大フィル入り、なんてことにならないかなあ。楽しみ。
しっかし、演る方も大変だろうけれど、聴く方もたいがい大変だよね。
4番でヒートアップして、5番のオーボエで完全にいかれてしまった僕は、6番はちょっと集中を欠いたかな。
元々とらえどころのない曲、って思っていて、最初のワンフレーズの終わり方、くらいしか聴き所を思いつかないのだけれど。個々でもオオウエエイジは早かったね。
あとは、クラとオーボエかな、鳥の鳴き声のところ。すごいね。
いかんいかん。昨日のことなのに。でも、6番が休憩曲になるって、すごい演奏会だよね。
これから一週間、大阪クラッシックで出ずっぱりだと思うけれど、まだまだ残暑厳しき折、身体に気をつけて、来週も良い演奏聞かせてね。
あ、それから。
プログラムに、チクルスの記録が載ってるんだけれども、2000年のも入れといてよー。
定期との合わせ技だから、正式なチクルスではないのかも知れないけれど、僕の聴いた唯一のチクルスだから、入れて欲しかったな。
せっかくなので、ここにメモとして残しとくね。僕の記憶のために。
平成12年(2000年)
1)3月10日 フェスティバルホール(第336回定期演奏会)
指揮:朝比奈 隆
交響曲 第2番
交響曲 第6番
2)5月10日 ザ・シンフォニーホール
朝比奈隆の軌跡2000
指揮:朝比奈 隆
交響曲 第4番
交響曲 第5番
3)7月8日 ザ・シンフォニーホール
指揮:朝比奈 隆
交響曲 第1番
交響曲 第3番
4)9月24日 ザ・シンフォニーホール
指揮:朝比奈 隆
交響曲 第8番
交響曲 第7番
5)12月29,30日 フェスティバルホール
指揮:朝比奈 隆
交響曲 第9番
ただ、それだけのはなし。
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2007年8月31日
大阪フィルハーモニー交響楽団 創立60周年記念講演
大植英次 ベートーヴェン 交響曲全曲演奏会 II
大植英次:指揮
大阪フィルハーモニー交響楽団
ザ・シンフォニーホール 2階CC列9番 A席
ベートーヴェン:交響曲 第4番
ベートーヴェン:交響曲 第5番
ベートーヴェン:交響曲 第6番
夕陽が背中を押してくる お腹も押してくる ― 2007年09月09日

お盆も過ぎたっていうのに、まだまだ暑くって。ノー残業ディとかいって、まだ日も沈む前に残暑厳しい外におっぽり出された時の話し。
お盆休みでなまりきった身体を少しでも動かさなくちゃ、って思ってね、陽も沈みきらない暑さだったのだけれども、がんばって家まで歩いて帰ることにしたんだ。
何回か言っているけれど、会社から家まで歩いて帰るのには、淀川って言う大きな河を東から西に渡らなくちゃいけないんだけれど。
この、長い橋を歩いているときにね、不思議なことが起きたんだ。西に向かって歩いているから、夕日はほぼ前方にあるんだけれども、あるところまで歩を進めたとたん、後ろから強烈な光を感じたんだよね。
え、って思って振り返ると、後ろにもう一個、夕日があったんだよね。ふうん、って思って十何歩か歩くと、それはなくなってしまうんだ。
あわてて十歩戻って、携帯を取りだして写真を撮ったよ。それがこれ。
ね。確かに夕日があるでしょ。しかも、周りはあんまり夕焼けじゃない。
ちなみに、反対側、僕の目の前にある「本物の」夕日はこっちだよ。
そう。後ろ側の夕日は、梅田の街にそそり立つビルのガラスの壁面に映った幻の夕日なんだよね。
多分、ツインタワーのスカイビルなんだと思うのだけれども。ガラス張りのビルに映る夕陽。そういうのって、都会でなくちゃ見られないよね。
そういえば、ちょっと前にどっかのテレビ局が、街角のビルや鏡に映った花火大会の特集をしてたけど、そういうのも綺麗だろうね。
歩いてホンの数十歩。しかも、あの遠いところにあるビルの壁に反射した光が、端を渡っている僕にまで届くのは、陽が沈む瞬間のほんの数分なんだと思うのだけれども。
その数瞬の間に、この橋を渡れた幸運。そしていつもはばかにしていた携帯のカメラできちんと撮れた幸運。ノー残業デイ以外にも、だれかに感謝したいなあ。
ただ、それだけのはなし。
大植英次 in 大阪クラシック ― 2007年09月15日
さて、先週に引き続き。
休み明けのオオウエエイジは働き者だね。去年に続いて、御堂筋を一週間、音楽に染め上げる大阪クラシックを開催した。
いつもどこかで、生の音楽が御堂筋にあふれている。そういう町を挙げた贅沢な企画。オオウエエイジの面目躍如だね。
僕は、大フィルの定期会員だから、チケットは先行発売で手に入るはずなのだけれども、不精者だから、大フィルから来た封筒もろくろく開けなくって、気がついたらオケのプログラムは全て売り切れ、ソールドアウト。
インターネットのオークションを見ても法外な値段がついてしまうし、半分あきらめてたんだけどね。先週の、オオウエエイジのベートーヴェンの演奏会で、今回の公演の補助席を売り出していた。めでたくゲット、ラッキー。
というわけで、去年を含めて大阪クラシック、初体験です。
どうでもいいけれど、クラッシックではなくてクラシックなんだね。
大阪クラシックのコンセプトは、いつも生でクラシックを聴かない人に、気軽に楽しんでもらおう、っていうものだから、今回のコンサートも、一時間限定。
それにしては悲愴って言う、結構重たいプログラムなんだけどね。前に聴いたオオウエの悲愴は、2週間前に決まったスマトラ島のチャリティだったから、オオウエと大フィルのレパートリーで、あんまりリハしなくてもかたちになる曲なんだろうね。
そういえば、また、スマトラ島付近で地震があったらしいね。みなさまの無事をお祈りします。
補助席も出るくらいだから、会場はもちろん大入り満員。1500円だったらクラッシックでも大入りなんですよ、皆さん。あ、オオウエだったら5000円でも満員なんだっけ。ともかく、普段聴かない人が生演奏に触れるチャンスって言うのは、いいよね。僕みたいな人はちゃんとレギュラーのコンサート息なさいよ、って意味で去年は遠慮したのだけれど、今回はご新規さんお一人ご紹介、ってことで勘弁してね。
さて。
最初の曲は、オオウエ弾き語り、ではなくて弾き指揮のモーツァルトのピアノコンチェルト。2楽章限定。
ピアノに座ったオオウエエイジが指揮をして、曲が始まったのはいいのだけれど。
これ、遅くない?
モーツァルトは、同じモチーフをいろんな曲で使ったりする(よね?)から、僕の耳に馴染んでいるこのフレーズがこの曲なのかどうか定かではないのだけれど。僕の知っているメロディよりもかなり、遅いんだなあ。
このテンポは、オオウエエイジの指が規定してるのかな、って思ってしまったりして。
演奏は、別に定期じゃないからどうこう言うつもりはないけれど。
逆に言うと、定期じゃないから、アンコールで猫踏んじゃったくらい弾いてくれてもよかったのかなあ。
休憩はないけれど、ピアノは片付けて。
オオウエエイジの、マイクパフォーマンス。悲愴の聴き所解説。
1楽章に隠れる運命の動機や、4楽章頭のヴァイオリンのメロディの作り方。そういうのをパートごとに音を出して示すオオウエエイジ。4楽章のメロディ。そういう音の組み合わせでああいう音が出るんだ。そんなこと、知らなかったよ。ありがとう。
そして。
悲愴。
僕はね、すごくうれしかったんだ。
あきらめかけていたこの演奏会を聴くことができたことが。その演奏が、きちんと気合いの入った演奏だったことが。
チャイコフスキーの5番6番って、オオウエにお似合いだよね。もちろんマーラーとかシュトラウス(リヒャルト、ね)もお似合いなんだけど、クラシック聴いたことない人を引き込むには、チャイコフスキーは最適。
こんなロマンティックな音楽、あんまりないよね。
演奏は、オオウエ節、というかオオウエダンス全開で、飛ばす飛ばす。ちょうど僕の席はトロンボンのベルが直視できる位置だったからかも知れないけれど、トロンボンのバリバリ音、ひさびさに堪能したよ。相変わらず1楽章のベルトーンは速かったけどね。
そう、悲愴はトロンボンの音楽なんだよね(ごめんなさい)。1楽章のベルトーンから、終楽章の悲痛な叫びまで、聴かせどころ盛りだくさん。そういう曲でバリバリボントロ、うれしいなあ。あ、僕はトロンボン吹きだからね。気にしないでね。
今回やっと分かったんだけど、悲愴の1楽章には、全休止が2回、あるんだね。だから、交響曲は4楽章あって、最後まで拍手しちゃいけないんだ、って思ってる人が混乱してしまう。
特に、3楽章がイケイケで、大運動会の盛り上がりで終わるからね。そこで拍手がきても全然不思議じゃない。
案の定、今回そこで拍手が起きたんだけどね。オオウエエイジの背中がその拍手を封じて。弦の弓を下げることなく続いて4楽章に入ったのだけれども。
僕は、この演奏会に限れば、この拍手はすごくうれしかったし、自然なことだと思うんだよ。だって、あんなに大盛り上がりで終わったら、絶対に拍手をしたくなるのが人の感情だし、そういう感情に素直な人が、つまりはクラシックの知識よりも感情を優先させる人が会場にたくさんいた、っていうことになるからね。
僕も、いつも拍手したくなるよ。あそこで。
その拍手で満足感を表明してしまった分。
終楽章の、これぞ悲愴、っていう部分が際だった。
この演奏会を聴いた人の半分くらいは、もしかしたら3楽章で終わってくれた方が良かった、って思っているかも知れないね。そのくらい、あらためて聴く悲愴の4楽章は、ホントに悲愴だったね。
オオウエ衛士の演奏も、遠慮なく悲愴で。
アレグロでのカタルシスを拍手というかたちで味わってしまった分、終楽章の悲愴さ加減が際だったよね。
僕は、好きだけどね。
会場に鳴り響く、あったかい拍手。オオウエエイジをはじめて見る人がたくさんいるであろう拍手を、オオウエエイジは丁寧に受け止めていく。
各パートを立たせ、全員を立たせ。次に出てきたときには立たないオケの祝福を浴び、何度も何度もカーテンコールに応えるオオウエエイジ。
またファンが増えたね。僕もあらためてファンになったよ、っていうかファン度を増したよ。
ありがとね。オオウエエイジ。
ただ、それだけのはなし。
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2007年9月7日
大阪クラシック 9月7日 第8公演
大植英次:指揮、ピアノ
大阪フィルハーモニー交響楽団
ザ・シンフォニーホール 補助席I列28番 A席
チャイコフスキー:交響曲 第6番 悲愴
この記事は、私のHPのコンサート記録からの転載です。ご興味のある人は、こちらも是非、見て下さいね。
ユイツムニスト in 神戸学校 ― 2007年09月18日
まだまだ日中は暴力的な暑さが続くね。今日なんか、午後の暑い時間に出張を仰せつかって身体が溶けるかと思ったものね。
それでも、陽が落ちるとまあそれなりに涼しい風が吹いたり、まだ頼りないけれど蟲の声も聞こえてきたり、何より三日月の輪郭がくっきりしていたり。そう。もう秋なんだよね。
先週末にね、神戸の山の手の方に出かけてきたんだ。秋の風を感じる、っていうのがテーマだったのだけれども、意に反して日向では溶けるほど暑かったのだけれども。
それでもちょっと小高い展望台に登って、クマゼミではないヒグラシゼミの声と、風にゆれる木の葉のサワサワっていう音を聴きながら日陰で休んでいると、ああ、夏も終わりなんだなあ、っていう気になるよね。
おっとっと。
神戸の山の手に行ったのは、秋の風を感じるのも重要な目的なのだけれど、もうひとつ、目的があったんだよね。
それはね、神戸学校。
友達と言うにはおこがましい僕の知人が勤めている会社が主催している、月に一回の講演会なのだけれどもね。
講演会って言うと偉い人が壇上から語りかけるおそれおおい会、っていうイメージがあるのだけれど、この会はハンドメイドで等身大な感じが、とても好感が持てるんだよね。
とはいえ、一年ぶり二度目、って感じだから、偉そうなことは何も言えないのだけれども。
この講演会の、今年のテーマは、「十二人のユイツムニスト」らしい。
僕は、カタカナが読めない人だからね。ユイツムニストってなんのことか、実はさっぱり分からなかった。ユメツムギスト(夢紡ぎスト)かな、って勝手に思ったりして。
今回、音読されてはじめて分かったのだけれども、唯一無二ストなんだね。なるほど。
というわけで、前置きが長くなったけれど。
今回の講師は、シンクタンク・ソフィアバンクの副代表、藤沢久美さん。
藤沢さんは、大学時代から三十歳までに起業する、って宣言してた人で。家政学科(だったよね?)を卒業して、「未来が見えるから」って言う理由で投信の管理会社に就職して。そこで得た経験をもとに、投信のランク付け会社を起ち上げて。その会社は数年で大手に売却して、今はソフィアバンクの副代表。っていう経歴の人。
講演内容はね、未来を見るための情報として経済を選んだ人らしく、村上龍のJMMの愛読者の僕としてはとても取っつきやすい内容で。
もちろん堅苦しい経済の話しはほとんどなくて、新しい分野で成功している女性としてものすごく魅力的な話がいっぱい聞けたのだけれどもね。
それにしても、一年くらい前に聞いたモデルのアン・ミカさんもそうだけれど、成功した女性ってどうしてこう、魅力的でかつ柔らかいんだろうね。
講演会の運営は、フェリシモって言う男の子にはあんまり知名度がないけれど(失礼)、女の子にはかなり知れ渡っている、神戸の通販会社の、入社1,2年の子達が中心になっているようで。
講演は対談形式で行われるのだけれど、その司会進行もそういう女の子。
だからもちろん、聞いているこちらが気恥ずかしくなってしまうこともたまにはあるのだけれど。でも、にもかかわらず。公演慣れしているゲストの人たちに、一般の目線で話しをしてもらうって言う意味では絶大な効果を発揮しているんだ。
ちなみに今回司会をしてくれた女性。第二部冒頭の「来ないかと思いました」のひと言、大好きだなあ、僕は。
等身大の講演内容と、1200円っていう等身大の入場料。
仕事にがんばっている女性で、ちょっとだけ生き方について誰かに励まされたい、っていう人。特に神戸付近に住んでいるヒトは、是非一度、聞いてみたらいいな、って思う、アットホームな講演会だったよ。
興味のある人は、ホームページがこちらなので見てみて下さいね。
ちなみに、事前登録がないと、当日は入れないですよ(笑)。
あ、そうそう。
ふと思ったのだけれども、ようやく分かったよ。ユイツムニストが僕の中で意味をなさかなった理由。
きちんと書くのだったら、「ユイイツムニスト」なんだよね。どちらでもいいけれど。
ただ、それだけのはなし。
秋の映画:ヱヴァンゲリヲン ― 2007年09月22日
もう、アニメーションから足を洗った頃に始まった番組だったからね。リアルタイムで見たことはないのだけれど。
同じくリアルタイムでは見逃した先輩がLDを貸してくれて、そこからだね、僕のエヴァ体験は。
だから、最終回近くのあの騒動も、話しとしては知ってから見た。まああれもありかな、ッって言うのが当時の感想なのだけれど。
だから僕は、別にエヴァに帰依していたわけではないと思うんだよね。まあ何回かは通して見たし、劇場版もその度に足を運んだけれど。
僕の中でのエヴァは、衒学趣味と方向性のないパワーに満ちあふれた、時折はっとするほどのクオリティを持つアニメ。っていうくらいの位置づけなのかな。今から見たらね。
そのエヴァの、新劇場版。
情報に疎い僕はよく分からないのだけれども、完全新作って言うわりには、当時の作画などもかなりの部分使っている、半端なリメイクなのかな。
イマイチよく分からないまま、でもやっぱり、なんだかなんだって言いながら10年間忘れなかった作品だからね、礼儀として観に行ってもいいでしょう、って行ってきたんだけれども。
まあ、観たよ。
記憶の定かでないTVシリーズや、直前にちょっと読んだコミックが掘り起こした記憶と見比べると、ああ、やっちゃったな、って云う部分もあるのだけれど。
それは、シンジがエヴァに乗るまでの部分、そして葛藤する部分なのだけれども。
ガンダムの第一話で、アムロがガンダムに乗るまでの演出を「完璧だ」っていって、ストップウォッチを持ちながら分析した庵野監督らしく、テレビ版の、シンジがエヴァに乗るまでの演出はそれなりに必然性を持っていたと思うんだよね。
もちろん、この劇場版もそれを基本的には踏襲しているのだけれど、でも時間の制約がある分、この場面にあんまり時間を割けなくて。
その結果、シンジの葛藤が、その結果エヴァに乗る必然性が薄くなった。
乗ったあとの葛藤も、駅のホームのシーンがカットされた分、伝わりにくくなった。
もちろん、観客はみんな僕程度にはエヴァを観ていて、思い入れもある人たちだから、そういうことを分かった上で観てくれる、って云うのがあるのだろうけれど。その甘えが伝わってきてしまう分、独立した作品としては???だったな。
作画も、目新しいことはCG取り入れたメカのシーンくらいで。別に登ってくるビルの上に備え付けられたクレーンがCGでくるくる回っていても、ヤシマ作戦の電車が3Dで動いていても、そういうことにもう感動はしないんだよね。
物語に関しては、TVでは後付で思わせぶりな設定をその都度考えていたものを、一度完成させたものとしてもう一度伏線を張り直して。
カヲルがこの段階から出てくるのは、ちょっとわくわくしちゃうけれど。
でも、この作品の価値は、予告編なんだよね。三号機はいいとして、4,5,6号機?なんだそりゃ。おもろそうやんけ。
ってことで、やっぱり術中にはまって、次回が楽しみなんだよね。単純な俺。
そうそう、チルドレンって、言わなくなったのかな。後世に残すべき作品として、あまりにも恥ずかしいタームだったものね。
ただ、それだけのはなし。