海猫 umineko ― 2006年04月03日

なんか全く誤解していて。
本気でアクションものだと思ってたんだけれども。
もちろんそうではなくて、シリアスな文芸物。不器用な夫と義理の弟、そして(多分)実の弟にも愛された、薄幸な女の物語。
伊東美咲の官能シーンにばっかり話題が集中してた記憶があるよね。僕が見たのもまあそのせいなんだけれども。
まあそのシーンとか、そもそも伊東美咲が青い目のロシアンハーフに見えるか、ってこともおいといて。この映画、結構いいよ。
まあ、脚本はね、あんまりいいとはいえないんだけれども。大胆に削られた説明と時間が、漁師の嫁にきた伊東がどうやって追いつめられていったのかとか、強面で情けない旦那(佐藤浩市)がホントに伊東を愛してたのかとか、そういう感情の動きを全く読み取らせてくれないんだよね。そこらへんは「ニッポンのブンガク」の文脈に任せきり。
そして、この映画の見所は、たった一カ所。
「俺は、いやだよ」
想いを寄せる伊東が、旦那に抱かれているのに耐えきれず家を出て行く義理の弟(仲村トオル)。雨の中を帰ってきた仲村が出迎えた伊東に言うセリフなんだけれども。
俺は、いやだよ。兄貴があんたを抱いた。って。
この、ひと言がね。
悔しさと情けなさと、ほんのちょっとの甘えと自己憐憫。そういう物が絶妙にブレンドされて、ああ、仲村トオルっていい役者なんだ、って。
これだけで、もう。
このあと、物語は不幸の大団円に向かうのだけれども、弟の子を産む女がそんなことで壊れるか? っていう疑問は消えないままだったね。
でも、久しぶりに森田芳光の名人芸、堪能したな。
そうそう、再放送のトップランナーの、岩井俊二を見てたら疑問が氷解した。
海猫じゃなくって、海猿だったのね、アクションは。
ただ、それだけのはなし。
本気でアクションものだと思ってたんだけれども。
もちろんそうではなくて、シリアスな文芸物。不器用な夫と義理の弟、そして(多分)実の弟にも愛された、薄幸な女の物語。
伊東美咲の官能シーンにばっかり話題が集中してた記憶があるよね。僕が見たのもまあそのせいなんだけれども。
まあそのシーンとか、そもそも伊東美咲が青い目のロシアンハーフに見えるか、ってこともおいといて。この映画、結構いいよ。
まあ、脚本はね、あんまりいいとはいえないんだけれども。大胆に削られた説明と時間が、漁師の嫁にきた伊東がどうやって追いつめられていったのかとか、強面で情けない旦那(佐藤浩市)がホントに伊東を愛してたのかとか、そういう感情の動きを全く読み取らせてくれないんだよね。そこらへんは「ニッポンのブンガク」の文脈に任せきり。
そして、この映画の見所は、たった一カ所。
「俺は、いやだよ」
想いを寄せる伊東が、旦那に抱かれているのに耐えきれず家を出て行く義理の弟(仲村トオル)。雨の中を帰ってきた仲村が出迎えた伊東に言うセリフなんだけれども。
俺は、いやだよ。兄貴があんたを抱いた。って。
この、ひと言がね。
悔しさと情けなさと、ほんのちょっとの甘えと自己憐憫。そういう物が絶妙にブレンドされて、ああ、仲村トオルっていい役者なんだ、って。
これだけで、もう。
このあと、物語は不幸の大団円に向かうのだけれども、弟の子を産む女がそんなことで壊れるか? っていう疑問は消えないままだったね。
でも、久しぶりに森田芳光の名人芸、堪能したな。
そうそう、再放送のトップランナーの、岩井俊二を見てたら疑問が氷解した。
海猫じゃなくって、海猿だったのね、アクションは。
ただ、それだけのはなし。
続・抜け殻の地 ― 2006年04月04日

あ、もう一枚、ね。
ただ、それだけのはなし。
ただ、それだけのはなし。
抜け殻の地 ― 2006年04月05日

僕の勤めているところの近くにある遊園地がね、3月31日で閉鎖したんだ。
これまでも、やってるかやっていないかわからないような、ナマケモノの遊園地だったからね、しょうがないとは思うんだけれども。しかも3月31日までって。せめて春休み中くらいやっててもいいやん、って思うんだけどね。まあ、年度替わりで区切りがいい、っていうお役所発想なんだろうけれど。今年度の予算が付かなかったのかな。
僕ももちろんいったことが無くて、ずっと営業していても行くことはなかったと思うんだけれどもね。でも、もう動かない観覧車やジェットコースター、メリーゴーランドなんかを見ると、なんか妙にもの悲しくなるよね。
というわけで、あり合わせの携帯で写真とってみました。
僕の携帯のカメラって、300万画素なんだけれど。スペックだけ見ると、それはそれは立派に見えるんだけれども。最初に試し撮りしたときに愕然としたんだよね。なんじゃこりゃ。全く使い物にならない画質。
そりゃあ、レンズも記録部も、光路もこれだけ小さいんだからしょうがないけれど。
でもまあ、がんばっていろいろ使って見ると、なんとかなれてくる物で。
まあ、そんなことはよくって。
多分すぐに解体されて、おっきな家具屋さんになってしまう遊園地。誰もいない遊園地。僕がその時にここにいた記念に、ね。
ただ、それだけのはなし。
これまでも、やってるかやっていないかわからないような、ナマケモノの遊園地だったからね、しょうがないとは思うんだけれども。しかも3月31日までって。せめて春休み中くらいやっててもいいやん、って思うんだけどね。まあ、年度替わりで区切りがいい、っていうお役所発想なんだろうけれど。今年度の予算が付かなかったのかな。
僕ももちろんいったことが無くて、ずっと営業していても行くことはなかったと思うんだけれどもね。でも、もう動かない観覧車やジェットコースター、メリーゴーランドなんかを見ると、なんか妙にもの悲しくなるよね。
というわけで、あり合わせの携帯で写真とってみました。
僕の携帯のカメラって、300万画素なんだけれど。スペックだけ見ると、それはそれは立派に見えるんだけれども。最初に試し撮りしたときに愕然としたんだよね。なんじゃこりゃ。全く使い物にならない画質。
そりゃあ、レンズも記録部も、光路もこれだけ小さいんだからしょうがないけれど。
でもまあ、がんばっていろいろ使って見ると、なんとかなれてくる物で。
まあ、そんなことはよくって。
多分すぐに解体されて、おっきな家具屋さんになってしまう遊園地。誰もいない遊園地。僕がその時にここにいた記念に、ね。
ただ、それだけのはなし。
追悼 Jackie McLean ― 2006年04月18日

久しぶりにCD屋さんを覗いたらね。ジャッキー・マクリーンが亡くなったんだね。3月31日。享年73歳。
ジャッキー・マクリーンってね、ジャズのアルト吹き。
僕はハードブロウのジャズが好きだからね、アルトよりもテナーのほうを比較的よく聴くんだ。とはいえブラス吹きだから、テナーって言っても、ラッパとの2管のかた割れで聴くことが多いかな。そう考えると、アルトとブラスの2管って、ほとんど聴かないね。
そんな僕だけど、ジャッキー・マクリーンだけは、ちょっと特別だったんだよね。
アルトといえば、もちろん神様みたいなチャーリー・パーカーがいるんだけれども、僕にはちょっとぴんと来ない。って言うか唄の感じ取れないフレーズの洪水に、ちょっと引いちゃうんだよね。僕の中のアルトのイメージは、アート・ペッパー。決して感情を荒だてないリリカルな唄は、ウエストコーストジャズ=アルトサックス=アート・ペッパーって言う図式を定着させたよね。あくまで僕の中に。
テナーになると、コルトレーンやブレッカー、それにジョージ・アダムスみたいなハードブロウ屋さんが多いんだけれども、アルトにはあんまりいないよね。だからウエストコーストなんだけれども。マウント富士で見たエリック・マリエンサルはアルトなのにブレッカーフレーズで叫びまくってて、なんかちょっと見苦しかったな。
そんな中で、ジャッキー・マクリーンっていう人はね、ちょっと特別。よく鳴るんだ、楽器が。まるでテナーみたいに吹きまくる。でも、エリックやジョージ・アダムスみたいに下品にならない。あくまでアルトの音色、フレーズなんだよね。なんだろう、歌心、ってやつなのかな。
最初に聴いたのが、有名な、マル・ウォルドロンのレフト・アローンっていう曲だったかな。20年くらい前にキャバレーって言う角川映画のCMでいやって言うくらい流れてたやつ。
この曲はビリー・ホリディに捧げたバラードなんだけれどもね。僕は初めて知ったよ。バラードって、甘ったるい音色で吹かないんだね。ジャッキーも、この曲をまるでクビが3倍になったようなぶっとい音で吹く。あまくないんだけれど、切ない。これがジャッキーとの出会い。
高校生の少ないお小遣いからは、とてもアルトのレコード買う余裕はなくって、ジャッキーのレコードも2,3枚くらいしか持ってないんだけれど。
どれをとっても豪快に唄いまくるジャッキー。あの巨体にアルトが小さく見えるよね。
とはいえ、ライブを見たことは、残念ながらないんだけどね。Mt. Fuji Jazz Fes.に僕が行くようになった89年からは、山中湖には来なくなっちゃったし。
残念だったな。
今日は、久しぶりに真空管アンプに灯を入れて、SWING SWANG SWINGIN' に針を落とそうかな。
合掌
ジャッキー・マクリーンってね、ジャズのアルト吹き。
僕はハードブロウのジャズが好きだからね、アルトよりもテナーのほうを比較的よく聴くんだ。とはいえブラス吹きだから、テナーって言っても、ラッパとの2管のかた割れで聴くことが多いかな。そう考えると、アルトとブラスの2管って、ほとんど聴かないね。
そんな僕だけど、ジャッキー・マクリーンだけは、ちょっと特別だったんだよね。
アルトといえば、もちろん神様みたいなチャーリー・パーカーがいるんだけれども、僕にはちょっとぴんと来ない。って言うか唄の感じ取れないフレーズの洪水に、ちょっと引いちゃうんだよね。僕の中のアルトのイメージは、アート・ペッパー。決して感情を荒だてないリリカルな唄は、ウエストコーストジャズ=アルトサックス=アート・ペッパーって言う図式を定着させたよね。あくまで僕の中に。
テナーになると、コルトレーンやブレッカー、それにジョージ・アダムスみたいなハードブロウ屋さんが多いんだけれども、アルトにはあんまりいないよね。だからウエストコーストなんだけれども。マウント富士で見たエリック・マリエンサルはアルトなのにブレッカーフレーズで叫びまくってて、なんかちょっと見苦しかったな。
そんな中で、ジャッキー・マクリーンっていう人はね、ちょっと特別。よく鳴るんだ、楽器が。まるでテナーみたいに吹きまくる。でも、エリックやジョージ・アダムスみたいに下品にならない。あくまでアルトの音色、フレーズなんだよね。なんだろう、歌心、ってやつなのかな。
最初に聴いたのが、有名な、マル・ウォルドロンのレフト・アローンっていう曲だったかな。20年くらい前にキャバレーって言う角川映画のCMでいやって言うくらい流れてたやつ。
この曲はビリー・ホリディに捧げたバラードなんだけれどもね。僕は初めて知ったよ。バラードって、甘ったるい音色で吹かないんだね。ジャッキーも、この曲をまるでクビが3倍になったようなぶっとい音で吹く。あまくないんだけれど、切ない。これがジャッキーとの出会い。
高校生の少ないお小遣いからは、とてもアルトのレコード買う余裕はなくって、ジャッキーのレコードも2,3枚くらいしか持ってないんだけれど。
どれをとっても豪快に唄いまくるジャッキー。あの巨体にアルトが小さく見えるよね。
とはいえ、ライブを見たことは、残念ながらないんだけどね。Mt. Fuji Jazz Fes.に僕が行くようになった89年からは、山中湖には来なくなっちゃったし。
残念だったな。
今日は、久しぶりに真空管アンプに灯を入れて、SWING SWANG SWINGIN' に針を落とそうかな。
合掌
セナの背中 ― 2006年04月23日
ここ何年かのレギュレーションの迷走でね、ほとんど見ることはなくなっちゃったF1。僕の好きなシューマッハが勝てなくなっちゃった、っていうのが大きい理由なんだけれどもね。
そのシューマッハが、イモラで行われているサンマリノGPでポールポジションを取って、セナの持つ最多ポールポジションの記録を抜いたらしい。
イモラか。
まだ覚えてるよ。94年の5月1日。イモラに散ったセナと、交代するように台頭したシューマッハ。あれがセナの最後のppだったのかな?
あれから12年。シューマッハはセナや、他の人が持ついろんな記録を悉く塗り替えまくった。勝利数を追い抜かしたときのインタビュー。言葉に詰まって、涙を見せたシューマッハ。最大のライバルになるはずが、急にいなくなってしまったセナの、見えない背中を追いかける辛いレースを続けてきたシューマッハ。
レギュレーションとブリジストンタイヤのせいで、いつの間にか追われる立場から転げ落ちたシューマッハ。
多分今回のこの記録で、追いかけるべきセナの背中は無くなっちゃったんだよね。
そんな大記録を、チャンプ争いから遠い位置で達成したシューマッハ。しかも、エンジンとタイヤとガソリンの交換制限によって、ppの意味はこれまでと比べものにならないくらい軽くなって。
もういいんだよ、休んでも。っていってあげたい気持ちもいっぱいあるんだけれども。
でもあえて、まだやめないでね。あの憎たらしい満面の笑みを、シーズンの最後にもう一度見せてくれるまでは。
ただ、それだけのはなし。
そのシューマッハが、イモラで行われているサンマリノGPでポールポジションを取って、セナの持つ最多ポールポジションの記録を抜いたらしい。
イモラか。
まだ覚えてるよ。94年の5月1日。イモラに散ったセナと、交代するように台頭したシューマッハ。あれがセナの最後のppだったのかな?
あれから12年。シューマッハはセナや、他の人が持ついろんな記録を悉く塗り替えまくった。勝利数を追い抜かしたときのインタビュー。言葉に詰まって、涙を見せたシューマッハ。最大のライバルになるはずが、急にいなくなってしまったセナの、見えない背中を追いかける辛いレースを続けてきたシューマッハ。
レギュレーションとブリジストンタイヤのせいで、いつの間にか追われる立場から転げ落ちたシューマッハ。
多分今回のこの記録で、追いかけるべきセナの背中は無くなっちゃったんだよね。
そんな大記録を、チャンプ争いから遠い位置で達成したシューマッハ。しかも、エンジンとタイヤとガソリンの交換制限によって、ppの意味はこれまでと比べものにならないくらい軽くなって。
もういいんだよ、休んでも。っていってあげたい気持ちもいっぱいあるんだけれども。
でもあえて、まだやめないでね。あの憎たらしい満面の笑みを、シーズンの最後にもう一度見せてくれるまでは。
ただ、それだけのはなし。