ウイントン・マルサリス @ iTunes2006年02月13日

 Apple党の僕は、当然iPodも、iTunes Music Storeも愛用していてね。それも今みたいな、カラーのすごいやつじゃなくって、白黒の、ちっちゃい画面のやつね。
 だけど、まさかこの僕が、Jazzをダウンロードすることになるなんて、思わなかったなあ。
 
 なんだかんだいったって、やっぱり圧縮したデーターだからね。しかもCDの1/10くらいに。SACDだやっぱりアナログだ、とかいってる耳には、全然物足りないんだよね、音質的に。
 いや、イヤホンで聴く分にはいいんだけどさあ。スピーカーから聴こうと思わないじゃん、iPodつないでさ。
 
 あ、別にけなしてる訳じゃないよ。僕のマシンには、Popからジャズから、クラッシックまで、30Gくらいの音楽が詰まっているし、iPodでもその半分くらいを持ち歩いているんだから。(ほとんどすべて、自分が所持するCD音源だけど)
 Popなら、iPodだけで聴けばいいけれど、ジャズを買うんなら、スピーカーからも聴きたいよね、だから、欲しいモノはCDで買うよね、っていうだけのこと。
 
 前置きが長くなってしまったけれど。
 そんな僕が、ダウンロードしたジャズ。これは反則技。
 ウイントン・マルサリスのiTunesオリジナル音源。しかも、動画付き。
 この動画がね。
 
 僕はウイントンがとっても大好きなのだけれど、彼についていいたいことは、ムラカミハルキが、『意味がなければスイングはない』の中で全部いってくれてるから、興味ある人はそっちを読んでね。あ、僕は、ムラカミさんの言う退屈さまで含めて、ウイントンがやっぱり好き。
 
 ウイントンのラッパはね、ひと言で言うと、みっしり。今は違うけれど、水掻きのついた、いかにも重そうな楽器からでてくる音は、高音から低音まで濃密で。しかもどんなに速いフレーズでもミスタッチ無しの計算尽く。勢いに任せて、なんてあり得ない、圧倒的なテクニック。
 ともすれば冷たく感じそうなんだけれど、そのテクニックが醸す擬似勢いに圧倒されているうちに本当に熱くなっていく。その瞬間がね、とっても好き。
 
 あ、iTunesのウイントンね。
 演奏はもう、テクニック満載の吹きまくりウイントン。それはまあ、想定の範囲内なんだけど。
 その動画。
 iPodのCMでおなじみの、iPodを手に踊る黒いシルエット。そのシルエットとウイントンとの競演。踊るウイントン、スイングするバンド。30秒のスポットなんだけれども、これがもうかっこいい。
 30秒だから、購入しなくっても全部見られます。iTunesの右上の検索に「"Sparks" iPod Ad」って入れてみて。
 
 こういうオドロキのコンテンツ、まだまだ出てくるのかな? 楽しみ楽しみ。
 
 ただ、それだけのはなし。

モネの、手の長さ2006年02月19日

 このごろご無沙汰だったんだけれどもね。東京に行くと時間のあるかぎり通う所があるんだ。
 
 ブリヂストン美術館。
 
 常設展示が主体のこの美術館にね、僕の大好きな絵が一枚あって。その絵に逢うために時間を作っては何十回、っていうのはオーバーだけど十何回の上の方は少なくとも通ってるな。
 その絵はね、この、モネの睡蓮の池。
 モネがあのでっかい睡蓮を完成させるためにいっぱい描いた、秀作のひとつだと思うんだけどね。でも、この絵が好きなんだよね。となりにあるもう一つの睡蓮や、他の絵なんて全く眼にはいらないくらいに。
 
 この絵はね、不思議なんだけど。
 絵との距離によって、全く違うモノが見えるんだよね。
 今、この絵は2番目の部屋の、入り口から真っ正面の壁に掛かっていて、その前にはソファーが置いてあるのだけれども。
 ソファーよりも少し前の位置から見ると、水面に浮いている睡蓮がよく見える。真ん中の睡蓮だけ、少し浮いて見えるんだけど、その不思議さに目を奪われるんだよね。
 一歩ずつ後ろに下がりながら観ていくと、入り口から一歩前に進んだくらいの距離の所で、急に水面に映るしだれ柳がリアルに迫る。今まで水面に揺れる儚い影だったものが、急にそれこそが世界の主みたいに存在感を増して。
 一歩近づいたり下がったり、そうしながら僕は、何時間でもこの絵と対話ができるよ。
 
 少し前まではね、この絵はこんなに入り口に近いところではなくて、二間続きの部屋の、一番奥に掛けてあった。そうするとね、部屋を飛び越えて二間分の長辺の距離から観ることができた。もう詳細が解らないくらいの距離から、それでもくぎ付けになりながら近づいていく快感は、今は薄れちゃったんだけれども。
 そのかわりにね、新しい見方を発見したんだ、今回。それはね、角度。向かって左45度の、ちょっと離れたところから観るこの絵は、またまたすごいよ。睡蓮もしだれ柳も、どちらもリアルに息づく角度。もし本物観る機会があったら、是非試してみてね。
 
 そうそう、今回発見したもう一つのアングル。それは、至近距離。
 なんか、今までは近寄れなかったんだよね。おそれおおい、っていう感じで。今回、モネの他の絵がいっぱいあったから、それの年代を見ていくうちに何気なく近寄って、観た。
 そしたらね、近くから見るこの絵は、絵、なんだよね。きらめく光や、揺れる水面や、そこに映る柳ではなくて、見えるのは油絵。
 
 なんか不思議だよね。
 モネの手って、どんな長さだったんだろう。
 近くで見るとふつうの絵で、遠くに行けば行くほど魅力的に見える絵を、モネはどれだけの距離から描いたんだろう。
 何十メートルも手が長かったのかな? それとも、弱視だから遠くから観ることができたのかな。
 
 どっちでもいいけれど、本物の睡蓮って、こんなに遠くからゆっくり観られないんだよね?
 ああ、もったいない。
 
 ただ、それだけのはなし。

村上龍の優しい文脈2006年02月24日

 高校生の時に、コインロッカーベイビーズを読んでぶっ飛んでからずっと、そして浪人生のときに出た愛と幻想のファシズムからはリアルタイムに村上龍のファンなんだよね。長いね。
 愛と幻想のファシズムと、ちょうど同じ年に出たムラカミハルキのノルウェイの森。こちらもこのくらいからリアルタイムだな。いや、羊をめぐる冒険もハードカヴァーで持ってるな。春樹の方がリアルタイム歴が長いんだろうか。
 
 あ、今回のテーマは、村上春樹は関係ないんだった。同時代に出てきたダブル村上が、その資質が正反対だってことを万人に知らしめたのが、ちょうど僕が二人の著作にリアルタイムに追いついた年だったな、ってちょっと懐かしく思いだしたよ。
 
 今回はね、村上龍 文学的エッセイ集。
 僕はあんまりエッセイって読まないんだよね。龍や春樹、山田詠美や花村萬月のような大好きな作家でも、エッセイを読むことはほとんどない。ついでにいうと短編を読まない作家っていうのもいてね。村上龍は典型的な短編読まない作家。悲しき熱帯で痛い目にあったからね。
 
 その、村上龍のブ厚いエッセイ集。JMMの宣伝につられて買ったんだけどね。
 龍は、春樹に「あいつは鮫だ。ひとつの所にとどまっていられない」っていわれるほど、変化を続けていてね。テニスを見続けて、マッケンローとラリーしたよ、って自慢したかと思えば、F1全部見て、それからサッカー一筋になって。音楽は、昔はブルーノートのレコードにライナー書くほどジャズが好きだったかと思えば、ジャズとロックは死んだと宣言して、キューバ音楽にどっぷり。
 エッセイや小説でいえば、アメリカは世界だ、っていったそばから、飛べなくなったスーパーマンにアメリカを映して。カリスマは情報だ、情報は経済だ、とばかりに経済にはまる。リアルタイムで見ていて、こんなに面白い人もそうはいないよね。
 
 このエッセイ集は、サッカーとキューバ音楽と経済に、興味の(表現の)対象が落ち着いてきたくらいの、外部的な時間でいえば、バブルはじけて日本が自信を全く喪失した1990年代後半からのブンガク的エッセイを集めたモノです。
 
 アメリカは世界だ。日本にはなんでもある、ただ希望だけがない。って大声で言い続けている龍のエッセイだからね。バブルはじけてどうしようもなくなっている日本を、それ見たことかと踏みつけるようなエッセイなのかと思っていたら。
 
 ものすごく、優しいんだね。
 
 450ページもある、膨大なエッセイに共通するメッセージはね。
 日本は1970年代に近代化を達成した。必然的に右肩上がりの経済成長は止まった。だからいい学校に入っていい会社に入ることがいい人生のモデルではなくなったが、そのことを誰もアナウンスしない。
 いい人生というコンセンサスが機能しなくなった今日、自分の「いい人生」に対する価値判断と、それを達成するためのスキルを身につけることが、人生に対するリスクを減らすことになる。
 っていうくらいのことかな。
 
 あっ、もう一つね。
 日本人はもっと誇りを持っていいのではないか、って。世界に比べるもののないほど短期間で近代化を達成したことに。冬のオリンピックのすべての競技に、有力な代表団を派遣できることに。
 客観的に見て、日本が成し遂げてきた数々のすごいことについて、日本はもっと自覚的に誇りを持つべきなんじゃないか、って。
 
 もちろん大人に対しては辛辣なんだけどね。大人が形成する社会において弱者であり悪者にもされる子供や若者には、君たちに原因はないよ、君たちは悪くないよ、って。でもだから甘えていいよ、ではなくって、自分の人生は自分の力で切り拓くものなんだよ。そのためにはスキルを身につけることが大切だよ、って。

 「いまどきの若いもんは」っていう、何万年も繰り返されてきた決まり文句を、したり顔でまた繰り返す厚顔無恥なマスコミや評論家。
 それに比べて、村上龍の視点はなんて建設的でなんて優しくて、そしてなんて説得力があるのだろう。
 だからといって、他のエッセイ集をせっせと読むかといえばやっぱり読まないのだけれども、小説は、大事に読もう、っと。
 
 ただ、それだけのはなし。