レ・ミゼラブル 〜雨音のノイズと長廻し〜 ― 2013年04月03日
別の映画を見に行ったときにやっていた予告編、というよりもミニ・ドキュメンタリーみたいな紹介フィルムを観ていたからね。アカデミー賞にノミネートされたよ、っていう頃。
だから、ただのミュージカルではない、っていう認識は持って、観に行ったのだけれども。
まさか、こんな、とはね。
物語は有名らしいのだけれど。名作嫌いの僕は、良く知らないんだよね、ものがたり。だから、どきどきはらはらした分もあれば、後から考えると、深読みしすぎて逆に理解しづらい部分もあったよ。例えば、銀の燭台の件とかね。ぬか喜びさせてあとが心配、とか思っていた僕は、心がきれいではないのだろうね、きっと。
でも、そういうことが細かい、些細なことと思えるほど、引き込まれてしまったよ。
それは、驚くべきことに。ストーリーにではなくて。唄って踊る、ミュージカル映画として引き込まれたんだよね(あんまり踊らないけれど)。
歌も同時に録る、っていう撮影方法だから、(たぶん)必然的に長廻しとクローズアップが多い画面でね。
ミュージカルイコールみんなが突拍子もなく歌い出す。だから観ている方が照れくさい、っていうのが、ウエストサイドストーリーまで含めて、僕の今までのミュージカルのイメージだったのだけれども。
台詞を喋って、芝居をして。そのままの表情で歌い出す画と音声とで、その照れくささを感じさせることがなかったんだよね。この映画。(ラッセル・クロウの歌だけはちょっと照れくさかったけれど)
つまりは、ストーリーと演技、そして歌にも自然に、何重にも感情移入できる、お得な映画だったってこと。
お得とか、観ているときには考えることもなく、ただただ圧倒されてしまったっていうことなんだよね。
失恋の歌に絡まる雨の音さえも愛おしい。久しぶりにコレクションしたい映画、だったよ。
アカデミーの授賞式、作品賞ノミネート作で観ていたのはこれだけだったのだけれど、当然これがもらうものだと思い込んで、授賞式観ていたよ。
余興でみんなで唄ってくれたので、賞はともかく大満足だったけれど。
ミュージカルがちょっと苦手、っていう人にも、出来れば映画館で、観てもらいたいなあ。これでもかっていうアップ&長廻しの緊張感と、一発録りの臨場感。そういうのって、映画館じゃないと体感できないものね。
ただ、それだけのはなし。
バイバイ、ブラックバード 〜伊坂幸太郎のファンタジー???〜 ― 2013年04月06日
東京出張に行く時にね。あわてて荷造りをしたものだから。iPadとKindleを家に置いてきてしまったことを、新大阪に向かう電車の中で思いだして。
新大阪駅であわてて文庫本を一冊買ったんだよね。伊坂幸太郎の、「バイバイ、ブラックバード」何にも考えず、平積みにしてあった新刊を手にとって。伊坂幸太郎って、何か聞いたことあるよね、くらいの予備知識だったのだけれども。
読みはじめて、すぐ、「あの」伊坂幸太郎だったのか、って。
あの、っていうのは、ゴールデンスランバーの、っていうことなのだけれどもね。
ゴールデンスランバー。僕はWOWOWで放映した映画しか観ていないのだけれど。「なんじゃこりゃ」感が満載で。そのなんじゃこりゃ感は、(多分)小説を読んでも解消されない種類のなんじゃこりゃ感で。だからといって、作品として「なし」なのかと聴かれたら、「なし」ではないけれど、万人の賛同は得られにくいだろうなあ、っていう、そんな「なんじゃこりゃ感」なんだよね。
そして、この「なんじゃこりゃ感」が、このバイバイ、ブラックバードにも満載で。
つまり僕は、この「なんじゃこりゃ感」は最後まで解消されないものとして、比較的最初から読んでいったんだよね。
なのだけれど。
その手法を、積極的に評価していく気分にはどうしてもなれないんだよね。
あ、物語はね。
(これから読む予定のある人は、ネタバレなので読まない方がいいと思うけれど)
5股を掛けていた、極ふつーの、さえないサラリーマン。(多分)どっかで作った多額の借金(らしい)のせいで、もうすぐ「あのバス」に連れ去られる(らしい)。
「あのバス」に連れ去られる前に、それぞれ本気でつきあっていた5股のおねーちゃんたちにお別れを、、、
っていう話なのだけれど。
つまり、伊坂幸太郎は、あるシチュエーションに追い込まれた人間がどう動くか、だけに興味があって、そのシチュエーション自体は「所与のもの」としてしか扱わないんだよね。それは、ドラマツルギーとしては「あり」なのかも知れないけれど、あんまり納得感がないんだよなあ。
そのシチュエーションを含めて、これはファンタジーだ、っていってしまえば良いのかも知れないけれど。ファンタジーはリアルに宿るものだものね。
「あのバス」とか、謎の組織とか。別にその詳細を知りたい、とか思わないけれど。バスに乗せられる理由を借金、って限定するのなら、そこにいたる何かを見せてくれないと、主人公の人物像も描けないし、入り込めないんだよね。
なんか知らないけれど、女にもてて5股掛けてるけど、弱気なサラリーマンで、法外な借金のかたに「あのバス」に乗せられる運命で、「謎の組織」の見張り役が付いていて。今生の最後の願いに、5股のおねーちゃんたちへの最後の別れに出向く、って。
もてる理由もなくモテモテの主人公と、謎の借金、謎の組織、謎のバス。出来の悪いエロ小説か、っていうくらいの設定だよね。
それらは、ゴールデンスランバーと、全く同じしかけで。だから、これが人気の秘訣なのかなあ、と思ったりもするのだけれど。
それは、僕向けではないなあ。
いくつか、いい話や、良いシーンがあったりするのだけれどもね。
ただの、新幹線で読んでハイ、おしまいのエンターティメントだったね。
おしいなあ。
追伸。
あとがき、っていうか巻末のインタビューで、これは特殊な形で書かれた、作家にとっても軽い感じの物語なんだよ、気合いは書き下ろしと同じくらい入っていたけれど、みたいなことが書いてあったのだけれども。
なんかだまされた感じだなあ。
文庫本なんて、っていうか本なんて、グラムいくらで買うものだから、作家の気合いとか、位置づけとかを評価して値段付けするものでは無い、と分かっているけれど。
でも、作家の著作権とか芸術的価値が、とかいって自炊や古本売買、図書館での無料貸し出しに反対する立場の人であれば(伊坂さんがそうか知らないけれど)、グラムいくらで企画ものを掴まされた人の身にもなって欲しいなあ。
そうじゃなきゃ、創作の結晶としての成果物に付加価値を払う、っていう習慣がなくなっちゃうよ。
なんの予備知識もなしに、タイトルに惹かれちゃって手にとった僕が悪いのかなあ。
ただ、それだけのはなし。
海賊と呼ばれた男 百田尚樹 〜祝!本屋大賞受賞〜 ― 2013年04月10日
永遠の0、ではもちろん、大泣きしたのだけれど。だからといって、作家としての百田尚樹を、全面的に信用するぞ、一生ついて行くぞ、っていう感じではなかったんだよね。デビュー作故の下手さ加減もあって、もしかしたら一発屋なのではないか、っていう疑念、というか、素直に泣いちゃいました即惚れちゃいました、なんていってたまるか、っていう意固地魂もあったりしてね。
だから、っていう訳で。その次にモンスターっていう長編を読んで。
これはいわゆる美容サスペンスもの。このジャンルは、沢尻エリカで映画になったヘルタースケルターとか、唯川恵のケッサク短編、きれい、とか、ひとつのジャンルを形成する、傑作郡が既にあって。そういうのと比べながら読むと、ああ、男性作家だなあ、と思うことが多かったのだけれども。それでも、商業作家としての引き出しはいくつもあるんだな、っていうのがよく分かって。安心したんだよね。
それで、満を持して。
読んだんだよ。海賊と呼ばれた男。
帯に書いてある以上のことはなんにも知らずに、読みはじめてびっくり。海賊の話じゃないんだね。(って帯もロクに読んでない、ってことだね。)
このごろこういう手応えのある本はいつもそうであるように、出張の新幹線の中で読みはじめたのだけれど。第一章に入る前、プロローグから、既にやられちゃったんだよね。
サムライの精神を持つ明治生まれの豪傑。古き良き日本人を体現する男。その男が作り上げた商店が大企業になり、日本の、世界の商業の形を変えていく。
この男に出逢った人たちはみんな、敵・味方を問わずそのサムライ精神にあてられて、自然と道を開けていく。日本人のみならず、ロシア人やアメリカ人だってそう。世界中からリスペクトされる、日本男児。
気持ちいいよね。
ビジネス書としてみればね、この男の情報処理能力、情報判断能力、常にぶれないビジョン、交渉力、実行力、義理堅さ、涙もろさ。いくらでも分析が可能なのだろうけれど。そうではなくて、ただ、ベタぼれ。
すごい男が、いたんだね。
小説としてみるとね、伝記小説だからしょうがないけれど、クライマックスは、やっぱり前半の立身出世の部分なんだよね。
後半だって、政治的な駆け引きの、ぎりぎりとした緊張感はあるのだけれど。やっぱり、海賊と呼ばれた男の面目躍如は、やんちゃな盛りの怖いものなしの武勇伝や、終戦直後の、悲愴な覚悟と包容力に比べちゃうとね。アクション的、あるいは感情的な盛り上がりには、後半はどうしても欠けちゃうんだよね。
円熟期の見せ方、読ませ方。
このまま百田の術中にはまるのはなんか口惜しいから、あえて難癖つけようとすれば、それが次回の課題、かな。
楽しみにしているよ。
追伸
本屋さん大賞とったんだね。
アカデミーと同じく、これもノミネート作多分これしか読んでないけれど、取って当然、驚きも何もないよ。
でも、おめでとう。永遠の0もとったんだっけ?
ただ、それだけのはなし
優柔不断のクルマ選び 番外編 Volkswagen GOLF GTI (VI) ― 2013年04月17日
フォルクスワーゲンの、行きつけのディーラーさんが最近、といっても少し前になるのだけれども、引っ越しをしてね。そのせいか分からないけれど、一回千円で洗車のサービスをはじめたんだ。
自分でちょろちょろホースを持ち出して洗う場所なんかないし、ガソリン屋さんで洗うと1,500円くらい取られるし、ノーブラシのコイン洗車は込んでるしで、たまにディーラーさんで洗ってもらうことにしてるんだよ。僕のpolo。
洗車中にコーヒーをもらったり、具合の悪そうな所を相談できたりするのも良いよね。
そして、もう一つ。
引っ越ししてから、試乗車が少し増えたのかな。乗ってみたかったあのクルマやこのクルマ、洗車の待ち時間に少しだけ乗らせてもらうのも、それはそれは、楽しみなんだよね。ここだけの話。
という訳で、乗ってきました。
ゴルフ GTI。
巷では、発表されたばっかりの新型ゴルフ(7番目のモデルだから、ゴルフVIIっていうんだね)の評判で持ちきりなのだけれど、実車はまだ来てないし。フツーのゴルフには今のところあんまり興味ないんだけれどもね。GTIは別でしょ。これは、もうすぐ旧モデルとなってしまう、ゴルフVIのGTIだけれどもね、もちろん。
試乗車置いておいても、このクルマ、まだ買えるのかなあ? なんてことはおいておいて。
あれ、乗りたい。
このディーラーのありがたいところはね。もちろん今すぐ買う気がない、って分かっているのに乗らせてくれるのもそうなのだけれども、「コースもお時間もお任せします」っていって、送り出してくれる所なんだよね。
まあ、買う気がない人に販売員一人つけるのは無駄、っていうことなのだろうけれど、嬉しいよね。
という訳で、コーヒーとお菓子目当てでついてきた家人と一緒に、ゴルフGTI、乗ってきたよ。
2リットルターボのゴルフGTIはね、価格帯の違いもさることながら、2リットルターボだったらレガシイでいいやん、っていうことで、前回のクルマ選びの俎上には載らなかったんだよね。だから試乗も初めて。わくわく。
僕の乗っているポロGTIと比べるとね、ゴルフGTIは、200キロ重くて30馬力大きいのかな、大まかに。そして、0-100km加速は同じタイム。
つまり、相対的にいえば、おっきな車体をおっきな力で引っぱって、結果として同じ加速、ってことだね。
そのくらいの予備知識を持って。コース未定、時間無制限の旅、いざ、出陣。
おおう。
なるほど。
乗り始めて、すぐに分かったのはね。
オトナのクルマだね、これは。
まず、音が静か。あくまでポロGTIに比べて、だけれども。
ロードノイズもエンジン音も、ポロがそれほどうるさい、とは思っていなかったのだけれども、どうやらそれは間違っていたようだね。特にロードノイズ。シャーっていう高音が伝わってこない社内は、ノイズキャンセリングヘッドフォンをかけた飛行機内みたいに、ちょっとクラシックでも聴いてみようか、っていうくらいの静かさ。会話も伝わりやすいね。
それから、エンジン音。
ポロのエンジンは、2,000rpm以下とそれ以上で、完全に音が変わってね。ちょっとパドルシフトで一段落として臨戦態勢、っていうと、音がそれを盛り上げてくれるんだよね。助手席にまで伝えてしまうのが難点だけれども。このゴルフはそんなことが全然なく、涼しい顔(音)で高回転まで余裕綽々。ちょっと小憎たらしい。
振動もね。
助手席の家人が盛んに、静か、揺れない、がたがたしない、っていうのだよね。運転している僕にしても、突き上げが静かなのは十分に伝わってきて。
あと、何をしても大丈夫な安心感。
ポロはね、最初の試乗の時から、ああ、これはFFのクルマなんだ。その時の愛車、レガシイとは違うんだ、っていうことをいろんな所で(ホイールスピンとか、タックインとか^^;)で感じていたのだけれど、このゴルフは、そういう所がないんだよね。
もちろん、僕がFFの運転とか、オートマの運転に慣れてきたとか、試乗車いじめるにも節度を持つ大人になったとか、そういう点が大きいのだろうけれど。
ポロよりも大きいのは十分分かるけれど、贅肉感のない、張り切ったボディが、たわむことなく素直に曲がって、アクセル踏むと静かに、でもポロのように素早く加速して。
なんて運転しやすいんだろう。
もちろん、その分やんちゃな所は少なくってね。
DモードからSモードにすると、ポロの場合はアイドリングが800rmpから1,000ちょっとまで上がって、さあ、走るぞモードになるのだけれど、そういうしかけ(なのかどうか知らないけれど)がないし、シートはよりホールド性が良いのかな、背中から脇いっぱいにくっついてちょっと暑気味。ポロみたいに汗かきながら運転する車じゃないのだろうね。
もちろん、ゴルフより大きくって静かで、パワフルな高級車っていうのは、それこそ数え切れないくらいあるのだけれど。
やんちゃなクルマであるポロのオーナーからみたゴルフGTIは、それはそれは頼りがいのあるお兄ちゃんで。
例えば、大阪から僕のホームタウンである安曇野まで行こうとすると。
ポロなら、東海北陸道で高山に行って、そこから安房の旧道を好んで走って、安曇野ついたらバタンキュー、っていう感じだけれども。
ゴルフのGTIならば、王道の東名、中央経由安曇野インター行き。途中のオービスだけは気をつけて。ついた瞬間に、もう少し走りたいから帰ろうか、っていう感じになるのかな。
美ヶ原や、今はいけない乗鞍を走るんだったらどっちが楽しいかなあ。
運転する身になれば、もちろん。
道のがたがたやうねりをダイレクトに感じながら、アクセルの開閉を音で感じながら、自分が操る感の大きい方が好き、なのだけれどもね。
ああ、楽しかった。
今度のゴルフVII、GTIっていつ出るんだろう? 楽しみ楽しみ。
ただ、それだけのはなし。
Muti and Pollini in Chicago!! ― 2013年04月30日
さて。
ゴールデンウィーク真っ盛りな人もいれば、分断されたお休みの真ん中に仕事に行っている人もいるのだろうけれど。
今日は、寒いね。
三寒四温を地でいっている今年の春。ただ、その振れ幅が結構大きいなあ、と感じるのは、気候の変化に身体を合わせるのが大変になってきたのかなあ。
まあいいや。
あんまり気候のことを云ってもしょうがないんだよね。
先週一週間、別の所に行っていたのだから。
という訳で、シカゴに行って来ました。
まあ、仕事なのだけれど。
本当は、ちょうどその期間中に。日本で僕がずっと楽しみにしていた、フェスティバルホール・大フィルさんのこけら落とし公演、オオウエエイジの復活があってね。どうしても観たい公演だったから、後ろ髪を引かれながら。チケットは他の方に譲って、シカゴに旅立ったんだよ。
その替わりといってはなんだけれど。ちょうど出張の最終日の夜に、シカゴ交響楽団の演奏会があってね。こちらを聴いてきたよ。
ムーティーとポリーニ。
モーツァルト ピアノ協奏曲21番。
シューマン 交響曲第3番 ライン
そのほか。
海外に行ったときには、出来るだけ土地のオーケストラを聴きたいな、と思っていてね。ミュンヘンフィルとか、ニューヨークフィルとかの超一流のオケの他に、ウィーンシンフォニカーとか、ミラノのオケとか、日本ではあんまりCDでもお目にかからないようなオケも日にちがあえば聴きに行っているのだけれど。
出張の短期間の滞在だから、日程が選べるはずもなく、演奏者や曲目は、あるものをありがたく聴かせていただく、っていう感じなんだよね。
それが、今回。
選んだ訳ではないのだけれど、僕がずっと聴きたいと思っていた、ムーティ/シカゴ響。
何年か前、初めてシカゴに行ったときも、シカゴ響の演奏を聴いたんだよね。何を聴いたか、誰が振ったかは忘れてしまったけれど。その時に初めて、そのシーズンからムーティがシカゴ響の常任になったって知って。
ずっと聴きたかったんだよね。
ムーティは、高校生の時から、僕のFavoriteな指揮者で。その頃はフィラデルフィアを振っていて、イタリア人らしい、若々しいリズムと、管楽器の煌びやかさが大好きでね。ハルサイとか、ローマの松、ボレロなんか、今でも僕の知っている中ではダントツ一番の演奏なんだよ。レコードも、そういう、高校生に受けやすいレコードが多かったしね。
その後、ミラノ/スカラ座の音楽監督になって。僕はバブル真っ盛りのNHKホールにムーティ/スカラ座のナブッコを聴きに行ったよ。
まあいいや、その頃からのファンだったんだ。
そして、シカゴ響といえば。
吹奏楽少年だった僕にとっては、シカゴ響っていうのは、ちょっと特別なオケでね。
もちろん、ショルティが振っていた、あの、シカゴ響のことだけれども。
何しろ、金管楽器がものすごい。ぶりぶり。
ムーティの振るフィラデルフィアの金管はぴかぴかしていて、時に苦しそうにもなるけれど、シカゴはぶりぶり。涼しい顔でものすごい演奏をするんだよね。ってレコードでしか聴いたことがないから、涼しい顔かどうかは分からないのだけれど。
そんなシカゴ響を、ムーティが指揮する。考えただけでわくわくしちゃうよね。
という訳で、コンサート、行ってきたよ。
インターネットで予約したチケットを、ちょっとはやめにBox Officeに行って受け取ってね。窓口には、当日券はありません、ってセロテープで貼ってあった。そりゃあそうだよね。
シンフォニーセンターのホールはね、4階まであるのかな? 2階がボックス席になっていてね、オペラハウスのように小部屋がずらっと取り囲んでいて。僕は1階席のちょっと後ろの方だったから、2階席の屋根が張り出していてね、音響的にはちょっと不安、だけれども見やすい席。
お客さんは、老夫婦が多くて、あとはまんべんなく、ドレスで着飾った高校生たちもちらほら。もちろん満員。
そして、演奏。
コンマスが着席したステージに出てきたムーティ。僕が最後に生で見たのは、いつだったっけ、いずれにしても20年以上前だと思うのだけれども、いつの間にか白髪交じりの、堂々たる風格。歩き方はすたすたしていて、若々しいのは変わらないけれどもね。
ああ、もう。
こんな一個一個書いて行ったら、全然たどり着かないよ。
あの、音に。
ベートーヴェンの序曲で、もうその音が聞こえていたのだけれどもね。
ピアノがステージに上ってきて、ポリーニの、モーツァルト。ポリーニも、ピアニストに詳しくない僕でも名前を知っている巨匠。まだしゃきっとしていたよ。
その、ピアノ協奏曲。
最初はね、ちょっとポリーニが急いでるのかな、って思ったんだよね。
弦のアンサンブルの上を滑るピアノ。なんだけれど、ちょっとだけ上滑りをしていて指が転びそう。フレーズの最後で何となく帳尻あわせをしている、様に聞こえたんだ。
ちょっとはらはらしたのだけれど。
その状態でも、びっくりするのが、音。
なんていうんだろう。ポリーニのタッチは、すべての音の形が一緒なんだよね。パラパラと音離れの良い、アルデンテよりももう少し固め、髪の毛2本分くらいの芯がそれぞれの音に残っている、そんな、音。
その髪の毛2本分が、ピアノでもフォルテでも、長い音でも細かいパッセージでも、いつも変わらない。
オケだってよく鳴らしているのに、常に涼しい顔で主役として飛び出てくる、音。
それが、何とも言えず心地良いんだよね。
特に、3楽章からは、走りまくりのずれが気にならなくなって(多分、僕の耳の問題なのだと思うけれど)、オケの合奏の上を、息ぴったりに、自由に飛び回るポリーニのピアノ。全編カデンツァなんじゃないか、って思うくらい自由で楽しそうで。
ああ、モーツァルトなんだなあ。
っていうより、ああ、しあわせだなあ。こんな音の中にいられるなんて。
堪えきれない観客のスタンディングオベーション。僕も迷わず立って拍手を送ったよ。
ブラボーは云わなかったけれどもね。だって、声を出したら、眼からも何か出てきそうだったからね。
休憩のあと、メンデルスゾーンでラッパ3本のファンファーレを堪能して。
シューマンの、ライン。
この演奏会のチケットを取ってから、意識してこの曲のCDを聴いてみたり、来る飛行機の機内放送でもこの曲があったから聴いてきたりして。シューマン、っていう作曲家やその時代からイメージするより、ずっと親しみやすい曲だなあ、と思っていたのだけれど。
もう、楽しい。
アウフタクトやシンコペーション、三拍子とか、とにかくギミックが多い曲なのだけれど、まず、弦のアンサンブルがすごい。かっちり合わせる所から、フレーズの最初に1,2人飛び出す(ように聴こえる)ところまで、自由自在で、しかも堅苦しくない。
つまり、楽しい。
そして、シカゴの醍醐味。金管楽器。
もちろん、ぶりぶりのパワーもそうなんだけれども。それより驚いたのが、音色。ホルンのトゥッティが下降して、トロンボンに受け渡すところがあるんだけれど、上から下まで、トロンボンに変わっても音が変わらない。音の張りが変わらない。そんなことってあるの?
もちろんトゥッティの爆発力も堪能したのだけれど、もう一つびっくりしたのがその危なげのなさ。メンデルスゾーンのラッパ3重奏もそうだけれど、シューマンにも金管のソロがいくつもあったのだけれど、彼らには、息が足りなくなって音がふらつくとか、ハイトーンは失敗する確率だってあるんだ、とか。そういう常識は通じないんだね、きっと。手に汗握っているのはこっちだけで、涼しい顔で(涼しい顔そうな音色で)、危なげなく音が過ぎていく。
ああ、楽しかった。
シカゴ/ムーティの演奏、あんまりCDになってないんだよね。もっと聴きたいな。今回もマイク20本も立ててたんだから、発売してくれないかなあ。
ただ、それだけのはなし。
Chicago Symphony Orchestra
Riccardo Muti, conductor
Maurizio Pollini, piano
Muti and Pollini
04/25/2013 8:00 pm
Symphony Center
Main 1/3 Cntr. S 111
Beethoven: Consecration of the House Overture
Mozart: Piano Concerto No.21
Mendelssohn: Calm Sea and Prosperous Voyage Overture
Schumann: Symphony No.3 Rhenish