寸評 カムイ外伝 ― 2009年11月08日
出張でホテルに泊まっていたりすると、出かけるためのエイやっていうハードルはずいぶん下がるけれど、それだってやっぱり選択は働くもんね。
その中で、映画の当たり外れをかぎ分ける目って、あんまり外れないと思ってたんだけどね。久しぶりにやっちゃったな、うーむ、ってやつ。
カムイ外伝。
おもしろくなかったわけではないのだけれどもね、決して。
僕はマンガをほとんど読んでいない人で、カムイも全く読んだことがないので、原作の情念が全く抜け落ちているとかそういうことをいうつもりは全くなくって。価値判断は、エンターティメントとしてお金を払う価値があったのかどうか、っていうことにつきるのだけれども。
観ながら、久しぶりに出てきたよ。このごろほとんど思ったことないし、嫌いな言葉でもあったのだけれども。
「うわっ、日本映画だなあ」って。
それは小雪の戦闘シーンのポーズがことごとく決まっていないこととか、ワイヤーアクションで回転の重心とタイミングがずれまくっているとか。
そして、一番決定的なのは、波をかぶるボートや船の船体が、全く濡れないこととか。そういう、細部のこだわり感のなさ、なんだよね。
昔、藥師丸の里見八剣伝で、洞窟にどう見ても発泡スチロールの巨石が迫ってくるシーンのようなやっちゃった感。
ワイヤーアクションのグリーンディステニーとかマトリックスとか見て、あんなの俺でも出来るけんね、ってやったのだろうけれど、彼らの細部へのこだわりとかシーンに対する愛情とかそういうところはぜんぜん学ばないで、10分の1の予算でやったらこうなりました、っていう感じなんだよね。
現実にあり得ない映像を創るためには、現実ではないっていうこと以外の部分では絶対にうそをついてはいけないんだと思うのだけれど、そういう心意気が全く感じ取れなかったんだ。
残念だね。
波を受けたら船体に水が残って落ちていく、そのくらいのCG、そんなに高かったのかな。
脚本はおもしろかったのにね。非人であることの、悲しさとか情念とかは早々に見切ったクドカンが、抜け忍の追跡劇に的を絞って、村の人たちや他の人にもさんざん感情移入をさせた後のラスト。
あのくらい気持ちのいいラストって、あんまりないよね。そういう意味では、残念だなあ。映像が、ね。
ただ、それだけのはなし。
閑話休題 ― 2009年11月23日
ずいぶんさぼっちゃっているね。
コンサートを聴きにいく頻度はそんなに落ちていないのだけれど、それを記事にしてホームページやブログにアップロードすることを、ね。
このごろ、音楽の聴き方が変わってきたんだ。
家では、300枚入りのCDジュークボックスをくるくる回して聴きたいものを選ぶ、っていうやり方から、手持ちのCDすべてを非圧縮フォーマットでiTunesに取り込んで、iBookのUSBからUSB-DACを通して聴くようにしたんだ。手持ちの1000枚以上のCDに対して300枚のジュークボックスでは、何十年も一回も聴いていないディスクとかもでてきたりして可哀想だからね。だから、すべてのCDをとりあえず非圧縮でもう一度リッピングし直して。同じCDに交響曲2曲とか入っている奴は、別のアルバムとして整理し直して、アルバム毎ランダムでBGMにしたりして。
何であのころ、こんなCD買ったんだろうって今にすれば思うのもあったりするけれど、懐かしさから再生すれば結構覚えているんだよね。少ないお小遣いから買い集めたディスクたち。いろんな発見がありました。
それと同時に、関連しているかどうかは知らないけれど、同時期に、コンサートの聴き方も少しずつ変わっていったんだ。
前はね、何か書かなくちゃいけない、何かこの演奏会のスペシャルなものを見つけなくっちゃいけないっておもっててね、勝手に。
だから、その後に書くエッセイのネタを探しながら聴く、そんなことをしてたんだよね。
もちろん、それも十分音楽を楽しむ、僕なりのいい聴き方なのだけれど。
でも、ね。
このごろ、そういう聴き方をしなくなったんだ。
だからどんな聴き方なのか、っていわれるとちょっと困るんだけどね。たぶん、このごろは音楽をあんまり聴いていないんじゃないかな、って思うんだよね。
毎月職場から歩いていけるホールに行って、薄暗い席で2時間、100人の、子供の頃から絶え間ないトレーニングをし続けている選ばれたプロフェッショナルが必死に奏でる音楽に身をさらす。それってものすごい贅沢だよね。
その贅沢に身を浸しながら、僕はいろんなことを考えているんだよね。仕事のことであったり、昔、人をどうしようもなく傷つけた記憶や、傷ついた記憶をなぞってみたり。将来への不安に身をよじってみたり。
もちろん、そこで創られている音楽に対して心は開いているから、音楽を聴かずに自分に入り込んでいるわけではない、と思うのだけれど。でも、クラリネットとファゴットの重ね方がどうだとか、そういうことはあんまり覚えていないんだよね。昔は必死に頭の中にメモをしていたのだけれど。だから、今までのように原稿用紙7枚くらいのエッセイを毎回書くことは、もう出来ないんだ。
だから、そういう形でブログやHPを更新することは、もうないと思います。たぶん。
別にコンサートを楽しめなくなったわけではなくって、楽しみ方が変わっただけなので、心配しないでね。相変わらず大フィルさんの演奏にはわくわくするし、このごろは在阪オケのエンモクも気になったりしています。
前回の大フィルさんの定期、ラッパの協奏曲のあった奴ね。自分の記憶のために印象を記しておくと、ラッパのソロの最初ののばしのクレッシェンドのわくわく感と、たぶん後半の曲だと思うけれど、フレーズの終わりに、弦だけが残ってディミニエンドしていくときの艶っぽさ。ベッドメークをするときに、膨らんだシーツの含んだ空気が抜けていって、平らになるんじゃなくってねている女の人のシルエットが浮き彫りになってくる、みたいな生々しさが、印象的だったなあ。なんて曲なのかとか、ぜんぜん覚えていないんだけれども。
全部を文章で記録しなくっちゃ、っていうかってに決めたプレッシャーから解き放たれると、演奏会の印象なんてそれで十分なんだよね。それがみなさんに読んでいただく価値があるかどうかはおいておいて。
だから、これからは、そんな感じで、いい演奏会だと思ったときに、その印象をうまくみんなと共有できたらいいな、と思います。
あ、この前のカルミナは、やっぱり独立した記事にしたいと思います。すごかったもんね。
もう少ししたら、ね。
ただ、それだけのはなし。
音楽の都の、チャイ5 ― 2009年11月28日
ちょっと用事があってね。音楽の都っていわれている街に、行ってきたよ。
あくまで用事があっていったのであって、遊びに行ったわけではないからね、観光の準備万端、って訳にはいかなかったのだけれども。それでも音楽の都。webでちょっとコンサート情報をのぞいてみて、あんまりないなあ、平日だからしょうがないか、とか思っていたのだけれど。
現地に行ったら、そんなはずはない、毎日のように演奏会なんてやっているはず、ってかんじで。もう一度丹念に探したら、あったよ。
Winer Symphoniker at Grober Musikvereinssaal。ウイーンフィルではないけれど、観光客用のウインナワルツの演奏会ではない、本物のコンサートホールで演奏するウイーン・シンフォニカー。しかも、チャイコフスキーの5番(とグラズノフのコンチェルト)。ウイーンでチャイコ(ロシアの作曲家ね)、っていうのはおいておいて、僕の大好きな曲だし、なんといっても外れっこない曲。楽しみだなあ。
直前に予約したから、確認のメールも当日になってね。会議の合間のお昼に確認したら無事に届いていて一安心。5時頃、会議の終わりのレセプションでどっかのワインとベルギービールをかっくらって雨のウイーンを地下鉄でなんちゃら駅へ。
地下鉄から外へでるとね、でっかいOperaっていう建物があって。ウイーン歌劇場なのかな。ここではサロメを上演しているみたい。だからここじゃなくって、違うところにホールがあるはずなのだけれども。駅から5分って書いてあったから、どっかにそれらしい建物は、と見渡しても見つからないんだよね。辺りにあるのは、ホテルからコンビニが入っているオフィスビルまで、すべてが重厚な建物で、どれもこれもコンサートホールに見えてしまう。
傘をさすかささないか位の小雨の中、時間に余裕があったのも手伝って、結局45分くらい、白い息を吐きながら徘徊したよ。ひときわ目立つ丸い屋根の教会とその前の池の位置から、もう一度冷静に地図を見て、やっと捜し当てたコンサートホールは、路地ではないけれどちょっと奥まったところにあって、表通りのOperaやホテルなんかよりもずっとシンプルな造りで。ボックスオフィスの入り口を示す小さい看板と、高校生くらいの男の子が、チケット持ってない?って聞いてきたくらいで、行列もなんにもない。まあ、早かったからね。
雨が降る寒い外から、やっと見つけたこぢんまりしたボックスオフィスに入って。今日の昼にやっとコンファメーションのメイルが来たから、それをプリントアウトする設備なんてあるはずがなく。受付のおねえちゃんに、予約番号はこれだよって、必死にメモを見せたら、封筒に入ったチケットを渡してくれたよ。わーい。金箔入りのチケット。ドイツ語はほとんど読めないけれど。

さあ、ホールはどこだ。建物は、ホールのほかにもいろんなことに使ってるみたいで、いくつかの部屋が並んでいて。あんまり案内板とかないから、そこら辺の女の人に聞いてみると、「そこ曲がって下に行ったところが入り口だけど、まだ入れないよ」って。じゃあもう少し時間つぶしてから、って出ていこうとしたら、「ちなみに、外出るんだったら、正式な入り口はここじゃなくって、左に回ったところね」(すべての会話はかなり想像に頼ってます)って。
ちょっとおなかが空いていたので、地下のクロークにコートを預けて、キオスクでワインとパイを。おしゃれな老夫婦、みたいな人が多いんだね。
そして、ちょっとだけほろ酔いの範疇を越えた頃に入ったホールは。
ホールは、イズミホール位なのかな。大きさ的には。でも、ぜんぜんホールらしくなくって。イズミとかシンフォニーホールとか、日本でコンサートホールっていっているホールらしくなくって、かな。正確には。
スクエアな、長方形の、箱。バルコニーの二階席を支える柱は全部半裸の女性だったり、天井には宗教画のような女性の絵が一面に描かれていたりするけれど、反響板や幾何学的な凹凸や、そんなものなにもなくて。意匠を凝らした体育館、ってかんじ。マイクだけはたくさんぶら下がっていたけれど。
ウィーンのオケは、こんな箱で鍛えられてるんだね。
僕の席は、Orchester 15という席なのらしいけれど、何のこっちゃさっぱりわからん。案内のお兄ちゃんにチケットだして聞いたら、つれてってやるっていって一目散に歩きだしたのは、ステージのほう。人でごった返すホール周りの廊下を突っ切って、弦バスがたくさん立てかけてある楽器置き場らしき部屋を突っ切って、出たのは(入ったのは)ステージ上手。案内された僕の席は、なんと、ステージの雛壇の上。チェロのすぐ上の段。譜面代にかけてあるチェロの譜面、ふつうに読める位置。
なにげにイスの下の床を見たら、チェロや弦バスの脚があけた穴が、床に帯を作っていて。そのあいた穴の上から何度もニスを塗っているから、ざらざらなんだけどテカテカなんだよね。さわってみたら、ささくれたりとかもしてるんだけど、埃っぽくはなかったよ。これが歴史、なんだね。
いやあ、びっくりしたなあ。
こういう席があることもだし、それが、たぶん最後の数枚まで売れ残っていることもだし、ふつうに使う楽器がおいてある部屋を通ってくることもだし。
こっちでは、楽団員さんと人々の距離が近いっていうけれど、距離がない、の間違いだね。僕が昔、クラシックを演奏していた頃に座っていた位置とちょっと近いな。
ステージ上の席から見ると、客席の前1、2列は、観光客の日本人か中国人。ホールやステージの写真を撮っている人がいっぱい。真ん中辺りは定期会員なのかな。白髪の夫婦の方が多そうだね。僕の周りは地元の若いお兄ちゃんが一人できてることが多いのかな。
演奏はね。もう、冷静に聞くことなんかできないのだけれど。とにかく、音が太いんだよね。ラフマニノフのコンチェルトはもう、ほとんど覚えていないのだけれども。
チャイコの5番はね。6番なのではないか、って思うほど重厚で沈痛な響きがしてね。最初のクラリネットからずっとそうだったんだけど、遅い、重い。
そして、以外と乱暴なんだよね。ピッチやザッツに関して。これは、ステージ上で、演奏者の位置で聴いているから、なのかもしれないけれど。
ウィーンフィルって、よくいわれるよね。ピッチもザッツもそんなにあってないのに、全体としてすごい響きがする、って。それは、個々の楽器がなってるからだ、って。
シンフォニカーがそうなのかわからないけれど、この、残響の少なそうなホールでずっとやっていたら、楽器は鳴るようになるよね。
その、鳴る楽器をフルに鳴らすチャイ5の盛り上がり。よく、N響アワーにあるアングルで、トロンボンとラッパのベルの行列を横から撮ったアングルがあるんだけれど、ほぼそういう位置から見る、聴くチャイ5。バストロの音がこれでもか、って割れてね。かっこよかったなあ。
終演後は、団員さんの退場路と僕らの帰り道が一緒で、お客さんも気軽に団員さんと談笑してたよ。ドイツ語、もっと練習しておけばよかった。
クラリネットの人には、声かけたいなと思ったんだけど、ずっとステージの真ん中で楽器の手入れをしていたよ。
いやあ、楽しかったな。
みぞれの降る帰り道も、全く苦にならず、幸せな気分でホテルに向かったよ。
ただ、それだけのはなし。