完結。北方水滸伝2008年04月19日

 結局僕は、むさぼるように読み切ったよ。
 しかと見届けたよ。北方水滸伝の、完結を。
 
 もちろん、読まないわけにはいかないのは分かっていたし、数日前からそわそわしていたりもしたのだけれど。
 でも、実際に買ってきた本を家で取り出すと、ずっしり重たいんだよね。今まで18冊読んできたのに、おんなじ分量なのに、重たいんだ。
 だから。
 ずっぽりはまって、こっち側に戻ってこれなくなるのを防ぐために。音楽を流しながら、読む事にしたよ。
 
 普段なら絶対にBGMにしない、じいさんのブルックナーを聴きながら、読む事にした。
 今年はカラヤンに並んで、じいさんの生誕100年で、その記念でSACDで再発売されたたくさんの演奏のひとつ、2001年の、シンフォニーホールの、5番。
 もちろんCDでは持っているのだけれども。EXTON盤の中では唯一、オーディオ的に不満があったCDだから、買い直したんだけれど、じっくり聴く機会がなかなかないんだよね。だから、目と耳とで、どっちも現実につなぎ止めておくために、今回BGMとして使ったよ。
 
 北方水滸伝は、特に戦闘シーンは。誰の視点で描かれているか、ぼやぼやしてると見失う事があるんだよね。節ごとにめまぐるしく変わるし、多分意識的にだろうけれど、誰の視点をなかなか明かさなかったり、明かしても一回きりだったり。
 SACDになってやたらクリアになったからか知らないけれど、とっても人間くさい、どちらかと言えば瑕疵の多い演奏をやや大きな音量で聴きながらの読書だと、どちらにも感情移入してしまって、何度も何度も、前のページまで戻りながら読み返したよ。
 それが、じいさんのブル5を選んだ理由なのだけどね。
 
 水滸伝は。
 その最終巻は。
 
 梁山泊が潰える物語であり、英傑達が死にゆく物語であり。
 同時に、想いが受け継がれる物語であり。
 そして、決して、絶望の物語ではなく。
 
 僕は、しかと見届けたよ。
 叛乱が、大国の奥深さが産んだ一人の才能によって潰える様を。
 潰えた叛乱から、小旗に託した想いが受け継がれる様を。
 あの日、シンフォニーホールで5番を振ったじいさんの立ち姿と、騎馬と歩兵と剣と槍と矢が飛び交う戦場を脳裏に描きながら。
 ひとつのセリフに、一行の描写に何度も涙しながら。
 僕は、しかと見届けたよ。
 想像力の限界に挑んだ、北方謙三のあがきを。
 
 ありがとう。
 北方謙三。
 
 僕は来月から、月に一冊の約束で、三國志をもう一度読む事にするよ。
 それが終わる頃、楊令伝は多分、一気読みしちゃうだろうな。
 
 楽しみだな。
 
 ただ、それだけのはなし。