半透明の、瓦礫 〜ザオ・ウーキー〜2008年04月14日

 僕がつけているお小遣い帳によると、この三年間で8回ほど、通ってる事になるんだね。
 ブリヂストン美術館。
 
 前に書いたと思うけれど、この美術館は常設展示が主体の美術館で。だからいつも大体常連さんの絵は見覚えのある場所に飾ってあるのだけれど。
 ちょっと前にいったときにはね、New Horizons コレクションの地平 20世紀美術の息吹 っていう題名で特集を組んでいて。昨日で終わっちゃったから今更紹介しても心苦しいのだけれども。
 
 平日の夕方、出張の要件が終わって終電の新幹線まで間があるな、って終わり間際の美術館に飛び込んだのだけれども。
 あんまり時間がないから、いつもなら、とりあえず一周して、それから僕の大好きなモネの睡蓮の前でじっともの思いに耽るのだけれども。
 今回は、モネが霞んじゃうほど強烈なインパクトがあったんだよね。
 ザオ・ウーキー。
 中国出身でフランスに帰化した人らしいんだけど。
 いつも、最後に部屋に印象的な絵が二つくらい掛かっていて、名前は覚えていたのだけれども。
 今回は、二部屋にわたってザオさんの絵ばっかり、一面に並んでたんだよね。いや、二面か、二部屋だから八面か。
 
 最初の部屋はね、墨で書いたモノクロームなでっかい絵と、エッジングの小さい絵。
 でっかい、屏風絵くらいあるでっかい水墨画があってね、僕はそれにまず、吸い寄せられたんだ。薄い墨で描いた、大きい模様と、黒い墨で描いた、細かい混沌と。それらが醸し出す絶妙な立体感に、僕は吸い寄せられたんだよね。
 そのほかに、空白の多いレイアウトに、漢詩が書いてあるのもあったりして、思わずザオさんて日本人?って館員の人に聞いてしまったのだけれど、そんな筈ないよね。名前からして。館員の人は呆れた顔もせずにさっきいった事、フランスに帰化した中国人だって、教えてくれたんだけどね。
 この、モノトーンの部屋のインパクトも大きかったんだけれど。
 
 何が待ち受けているか全く知らないまま踏み入れた、次の部屋。
 僕は、思わずうなり声を上げたよ。
 次の部屋は、油絵のザオ・ウーキー。
 おなじみの、青い絵もさることながら、あんまり観た事がない、ミドリの絵もウーキー。
 ザオの絵って、瓦礫の絵なんだよね。
 抽象的な色彩の中に、ぽんと置かれた瓦礫の固まり。それが海辺に打ち上げられた木の枝の固まりに見えたり、草原に漂よう藁のボールに見えたり。
 そして、その瓦礫が、みんな半透明に見えるんだ。存在感が希薄で、どことなく所在なげ。
 そういう幻想的な絵だからね、じっと見ていると、いろんなものが観てきて、まばたきをすると、全く別のものにも見える。
 たとえば、僕のお気に入りの青い絵は、浜辺に打ち上げられた瓦礫にもみえるし、その上に銀河鉄道999のプロメシウムが炎の中に浮き上がっているようにも見えるし、ディズニー映画のファンタジアの、迷子になった子鯨が迷い込んだ氷に閉ざされた海にも見えるし。
 
 絵っていう窓を通して、いろんなものが見える。そういう絵が、僕は好きなんだよね。
 モネの睡蓮に通じるものが、ウーキーにもあったんだね。
 
 今度行くときは、どんな絵を見せてくれるんだろう。楽しみだな。
 
 ただ、それだけのはなし。