弥勒世 〜馳星周版「蝦夷地別件」〜2008年04月13日

 僕は未だに、馳星周の最高傑作は漂流街だって信じているのだけれど。
「俺のために唄わないなら、いらない」
 そういって、あんなになついていた、天使のような盲目の少女を撃ったマーリオ。
 そこが、馳星周のノヴェルノワールの、最高地点だったんだよね。
 
 そこからの馳星周は、女に優しいえせハードボイルドになってみたり、エルロイのパクリをやってみたり。哀しいほどに迷走して、劉健一の死と共に、僕の中でも死にかけてたんだよね。
 今までは発売日に必ず買っていた長編も、今回はひとつきくらい迷ってみたりして。でも、漢字三文字シリーズだからね、結局は読んだのだけれども。
 
 あれ。
 これって、ハードボイルド。
 全然ノヴェル・ノワールじゃない。
 
 僕の中の、ハードボイルドとノヴェル・ノワールの違いはね。
 どちらも血と硝煙の匂いがする暴力小説なのだけれど。主人公に主義や美学があるのがハードボイルドで、そんなもの糞喰らえ、っていうのが、ノヴェルノワール。
 細かくいうと、あくまでも僕の中では、主人公に美学があるのは、チャンドラー風ハードボイルド(軟)で、主義があるのがハメット風(硬)。僕はどちらかというと、(硬)の方が好き。
 
 今回の弥勒世はね、なんと。主人公が主義主張のために命をかけちゃうんだよね。しかも舞台が戦後の沖縄で。
 船戸与一がいう、ハードボイルドは少数民族の抗争を描くものである、っていう定義にもぴたりとはまってしまう。定義上完璧なハードボイルド。
 それはまるで、
 馳星周版、「蝦夷地別件」。
 
 あ、蝦夷地別件って、船戸与一のベストスリーに入る傑作ね。こちらは蝦夷を舞台にしているのだけれど。
 
 何はともあれ、感情的なカタストロフを楽しむノワールから、感情的なカタルシスを楽しむハードボイルドに移行したのは、歳とったからかな、それとも犬が死んじゃったから?
 
 それにしても、上下二冊の分厚い本を読んでいて驚くのは、多分意識的なんだろうけれど、文体に終戦直後の、沖縄の匂いが全くしないんだよね。馳小説の必須アイテムである携帯電話こそ登場しないものの、それ以外は現代と思って読んでいても全く違和感がない。
 「バブル期の事を書こうとして、現在の言葉とかなり違うのに驚いた」っていっていた馳さんだから、この無時代性は意識的なものだと思うのだけれども。
 
 いずれにしても、上下巻の分厚い物語を、三日間存分に楽しみました。
 ハードボイルド作家、馳星周の評価は次作に持ち越すけれど、でもやっぱり、ノワール作家でいて欲しいなあ。
 期待してた新藤冬樹が、どうやらただの馳フォロワーみたいだからね。
 
 ただ、それだけのはなし。