大博物学時代 への航海 ― 2024年07月21日
「一人の人間が、この世界の全てを識ろうとすることが許された最後の時代」
高校の時、図書委員に可愛い女の子がいてね。部活のいっこ下の学年の子なんだけど。
元から本好きだったから、別にその娘目当て、というわけではないのだけれど、結果的に良く図書館に通ってたんだよね。
まあ、図書館に通っていたら、いろんな本を手に取る機会があるわけで。当時、栗本薫や夢枕獏や菊地秀行とかの小説は、友達同士で部活の朝練で渡されて、放課後の部活動までに二人の手に渡って帰ってくるなんて生活を送っていたから、どんな本を図書館で読んでいたのかあんまり記憶がないのだけれど。
ダンテの神曲の新装版を頼んで入れてもらってたりしたのかな。
そんな中で、多分図書館で借りた本の中で、忘れられない一節があったんだよね。
僕の生き方とか考え方を、その後40年経っても左右する、それくらいの忘れられなさ。
それが、冒頭の。
「一人の人間が、この世界の全てを識ろうとすることが許された最後の時代」
40年も前に一回読んだきりの、うろ覚えの一節なんだけどね。
その後、大学に行って、企業の研究職について、博士号もとったりして。
専攻は分子生物学、その頃はやっていたバイオテクノロジーってやつで。大学の頃は細菌の遺伝子相同組み換えとか、大学院に行ったらDNA複製の調節機構とか、そういうものを研究していたんだよね。
要は、顕微鏡でも見えない、ミクロの世界。細菌っていう小さな、単純な生物が生きて営んでいるシステムの、ほんのほんの、ほんの一部分が、どのようになされているのか、それを研究するのが、分生生物学だったんだよね。
企業での研究も、もちろんその分子生物学っていう槍を持って入っているから、その延長線上で。
だから、その頃は、顕微鏡で見えない小さいものをどう理解しようか、って躍起になっていたんだよね。
この世界の全てを識ろうとする事とは、全く反対にね。
企業に入って、少し視野が広がっても、この世界で起こっていることを知るっていうのは、学術論文や特許を読んで、競争相手の同じ研究をしている研究者や、同じ薬を創ろうとしている製薬メーカーの成果や動向を理解すること、だったんだよね。
それはそれで、顕微鏡よりもさらに小さい分子の世界を理解することで、病気を治すことが出来て、食い扶持を得ることができる、とても大切なことなのだけどね。
なのだけれど。
研究は続ければ続けるほど、深く入り込めば入り込むほど、領域が細分化されて、他の人のやっていることが理解できなくなってきて、自分のやっていることを理解させることができなくなってくるんだよね。
もちろん、研究成果がたとえば薬になって、大勢の患者さんを救える可能性だってあって(皆それを目指してやっていて)、やりがいだってあるのだけどね。
でも。
僕が一流の研究者ではなかったからなのかもしれないけれど。
なんか、他の事もしてみたくなったんだよね。
その時には、高校生の時に読んだ本の一節なんて、全く頭によぎったりしたわけではないのだけれど。
それで、研究職から、ライセンス導入の部署に移ったんだ。今で言うオープンイノベーションの先駆け、になるのかな。
顕微鏡のその先の、ミクロな研究は他の人に任せて、その研究の成果を社会に役立てるために、発掘して、薬を創るノウハウとお金を(アカデミアの研究者よりは)持っている企業にと、薬を創るための共同研究をマッチングする。そんな仕事なんだけどね。
その頃は、ちょうど大学発ベンチャーって言うのが流行っていて。大学発ベンチャー1000社計画とか、大学の研究成果を企業に導出するためのTLO(テクノロジートランスファーオフィス)とか、そんなこんなで大学の研究成果を社会に使ってもらおう、って言う機運が高まっていてね。
そういう流れから、少しベンチャーを創るお手伝いをしてみたり。
そういうことをやっていると、会社のこととか、お金の流れのことが気になってきて。運良く職場の近くにあった大学で、経営学、って言うものを少しかじってみたりしたんだよね。
僕が今までやっていた、生物学とか分子生物学っていうのは、大きなくくりでいうと自然科学、ってやつなんだよね。自然で起こっていることを理解しましょうって言う学問。自然界で起こっている現象(ヒトは受精卵から個体になって、熱いものにさわると火傷する、とか)をどう理解しようか、あるいは理解した上で少し運命を変える(病気を治すとか、寿命を延ばすとか)ことを考える人たち
の学問。
それに対して、経営学って、人間の営みに対して、それを理解しようとする学問なんだよね。社会科学、って言うのだけれど。
それってものすごく大きな違いで。
例えばヒトはだいたい十月十日で生まれてくるし、桜は同じ環境にあるものは、だいたい3月の終わりか4月に一斉に咲くよね。
だけど、経営って、会社って。同じ環境にある隣の会社が上手くいったって、こっちの会社が上手くいくとは限らないし、同じ期間で育っていくわけではない。だいたい大半は潰れていくし。
研究する分野だって、ヒトモノカネのは位置を考える経営戦略から、お客さんに買ってもらうためのマーケッティングから、良い組織を作るためのリーダーシップとモチベーション論とか。何でもあり。
要は、経済の営みである会社経営、っていうものを、いろんな視点から見ていきましょう、そういう学問なんだよね。
それって学問っていうのかな。
って最初のうちは思ったのだけれど。
でも、それが、全部を見る、全部を識るための方法なのかな、って思ったんだよね。
世界の全てではないけれど、経営学は、ヒトの営みの、経済(ではないかも知れないけれど)の大きなプレイヤーである会社のことを識るための道具にはなるんだな、って。
その頃から、なのかな。
冒頭の一節が、わりと頭をよぎるようになったんだよね。
世の中って、しらないこといっぱいあるよね。
何で戦争やっているのかとか、何で朝焼けきれいだと雨が降るのかとか、ブルックナーはなにを目指して作曲したのかとか。チャットGPTがどう世界を変えていくのか、とか。
このごろ、思うんだよね。
世界を識りたい。って。
もちろん、世界の全てを識ることができるほど世の中は単純じゃないし、僕に残された時間もそんなにはない。
だから、全部を識りたいなんて大それた事ではなく。僕の好きないくつかのことを、もっと楽しめるように、その成り立ちや背景や、それを創るための技術、そういうものを知りたいな、って。
その上で。
できるならば。
世界を創りたい。
そんなに大それたものでは無くてね。
絵だって音楽だって、物語だって皆一つの世界だよね。
背景成り立ちを理解して、技術を身につけながら先人の作品を味わいながら。
最終的に自分の世界を、一つでもふたつでも、創ってみたいんだ。
それが、40年頭の中に熟成した、大博物学時代、
「一人の人間が、この世界の全てを識ろうとすることが許された最後の時代」
への憧れ、なんだろうな。
ちなみに、古本屋さんで黄ばんでいた荒俣宏さんの大博物学時代を入手したのだけれど。
この言葉は、僕が思っていたはじめにのところにはなかったんだよね。内容的には同じ事をいっているのだけれど。
でも、まずその憧れへの第一歩として、もう一度、全部読むところからはじめよう。40年間のうろ覚えが、どのように変化しているかを楽しみに、ね。
ただ、それだけのはなし。
ロシアW杯 日本の空気感コロコロ記 ― 2018年06月30日
サッカーって、面白いよね。
僕は、加茂監督が更迭された頃からの、4年に一度のにわかウォッチャーなのだけれど。
もっと正確に言うと、Numberっていう雑誌に、「戦略的加茂監督更迭論」って言う記事が出て、僕の目にとまったときから、なのかな。
あの時は、ドーハの悲劇のあと、日本がまだW杯に出場できるって信じられていない人が多くて。それでも次回の自国開催が決まっていて、今回はどうしても自力で出場しなくては次期開催国として恥ずかしい、っていうプレッシャーがあって。
そんなアジア予選の中、勝たなければいけない試合に勝てない加茂監督を、予選のさなかで電撃解任して。
まあ、その頃はサッカーのシステムとか、協会がどうのとか全く分からなかったけど、会長のインタビューで、「辞任ではなく解任、更迭です」って言っていたのが、すごく印象に残っているんだよね。とはいえ、言葉遣いはあやふやだけれども。
まあいいや。
それから20年も経って。
幸運にも日本は、それからずっとW杯の本戦にコマを進めることが出来ていて、今ではW杯なんて出て当然、と日本中が信じ切っている。そういう環境を日本のサッカーは作り上げてきていて。(イタリアでも出れない事がある、って言う事実を、いつか噛みしめるのだろうけれど)
そんな中では、予選突破したから英雄とか、参加することに意義がある、とかではなく、本戦で我々観客を楽しませてくれるのか、という事で監督の人事が動くんだよね。
いろいろなヒトが、予選直後から言っていた監督交代論、何があったか知らないけれど、本戦の2ヶ月前になって実現して、新監督はお手軽な日本人、それも、前監督を補佐する立場なのに孤立を避けられなかった(公式な解任理由によれば)ヒトに決まった。
時間の無い新監督が選んだ人選が、世代交代を進めようとしていた前監督とはちがって実績重視の布陣に見えた事もあって、また、最後の強化試合3連戦の内の二つが、なすすべ無く負けたように見えたこともあって。
新監督はものすごく批判をされたね。前監督の方が良かったとか手のひら返すようなことも言われたりして。
そして、最後の強化試合。がらっと先発陣を入れ替えてのパラグアイ戦では、なんとまさかの快勝。どう見ても想い出造りメンバーと見えたのにまさかの好成績で、喜んでイイやら今後のメンバーどうするのか、余計な心配をかき立てられたりして。
でも、日本にいるぼくらのムードはこれで一転。新監督は稀代の戦術家なのでは、という期待も持てるようになって、お祭り前夜の盛り上がりを、ようやく見せてきた。
そして、開幕。
H組の日本は、開幕からずいぶん待たされた気がする初戦。コロンビア戦。
とはいえ前評判はやっぱり高いものでは無かったけれど。
ところが、メンバー発表でこれまでの大黒柱、ホンダの先発落ち。これはカントク本気だぞ、というのが野次馬的に伝わってきて。
そして、ゲーム開始。
思い切りのいい大迫のシュートのこぼれ球を拾った香川のボレー。たまらず手が出たコロンビアの守備。
PK。そして退場。
列島爆発。最高潮。
細かい難点はいろいろありそうだけれども、打ち合い上等の日本代表なんて、アジアでしか見たこと無かったからね。10対11だった、ていうことは置いといて、みんなで応援する強い日本代表が、ようやく姿を現した。
つぎは、セネガル戦。
セネガルって、僕がにわかになり始めたフランスW杯の開幕戦で、開催国のフランスに勝ったセネガルだよね。どこからでも足が出てくるアフリカ勢だし。これは守りに入るかな。
と思ったらね。
勢いって怖いね。打ち合い上等のまま試合に入って。こちらも初戦勝ってモチベーションの高いセネガルと打ち合った。
引き分けだったけど。
チャンスもミスもいっぱいあったけど。ニシノ監督の采配は、途中出場のホンダが前回のアシストに続いてゴールしたことで、魔術師の域に(評価が)達していて。
それでも暫定一位。ただし勝負は3戦目。
そして、裏では、11人いるコロンビアの強さをまざまざと見せつけられていて。日本の闘ったコロンビアって、なんだったんだろう、という思いも少しよぎりーの。
この時、列島のファンはどうだったんだろう。まだ一週間も経ってないのに、良く思い出せないよね。
日本は、勝ち点取れば決勝リーグ進出。負けても裏試合が引き分けでなければ進出。
相手のポーランドは、2敗で敗退決定。それでも誇りをかけて1勝を取りに来る。中には敗退でモチベーションが、とかいっている人もいるけれど、どうだろう。日本の最初のW杯、3戦目のジャマイカ戦にモチベーションがなかったとか思っていたヒトって、いないよね。
そして、裏の試合。
グループ二位と三位の最終戦は、勝てば勝った方が進出。負けたら敗退。日本が負ければ、引き分けでも可。
そういう試合。
僕は、夕方5時からの東京での会議を終えてから新幹線に飛び乗って、タクシー飛ばして前半の真ん中くらいから観戦、という感じだったのだけれども。
新幹線の中でメンバーはチェックしていて、これまでの先発から6人交代、ってところで、心配はしていたのだけれど。
なんだろう。
ポーランドを甘く見てるのか、裏試合の引き分けはないとみてるのか。
日韓のときに、奇策がずばり当たって調子に乗ったトゥルシエが、トーナメント一回戦のトルコ戦で変なメンバー組んで試合にならなかったこと、想い出しちゃったよ。
そして、家に帰ったら、試合を見ていた家人のひと言。
おかしいの。横パスばっかり出して、全然前に行かないの。
見ればその通り、もらったパスを足下に止めて周りを見渡し、前にコースが見つけられなくて横斜め後ろにパスを出す。
いつもの、おなじみの日本代表の試合。
僕の中では、ナカムラシュンスケに代表される、つまらない日本代表。
あるいは、
雰囲気に飲まれ、攻めあぐねている日韓のトルコ戦。
その再現。
グループリーグは、別に全部に勝つ必要は無いからね。主力温存で引き分け狙いでもいいとは思うのだけれども。
それでも。
後半にポーランドに先制されて。それでも攻めあぐねている感は変わらなくて。
そうしている内に、同点だった裏試合でコロンビアが先制して。
残り時間が少なくなって。
そしたら。
あろうことか。
日本は、自陣でパスを回して、露骨な時間稼ぎにでた。0対1の一点差負け狙い。
もとより、ポーランドは誇りをかけて勝ちに来ているけど、1点差と2点差に意味は無くて。1点差で勝たせてくれるならOK。その時間稼ぎ、乗った。
という事で、双方の利害が一致して、あの、醜悪な5分間。
それは別にいいんだけどね。双方の利害が一致して、これ以上点を取るのを放棄してパス回しをするのは。グループリーグの第3戦なら珍しいことではないし。他のゲームでの、のどかな終盤はいくつもあったし。
なのだけれど。
日本のこれは、ちょっと違うんじゃない、って思っちゃうよね。ちょっと違うから、海外メディアからもさんざん悪評を連ねられているのだろうけれど。
なにが違うって。
このまま0対1で試合終了。
双方めでたしめでたし。
そうならない可能性が、これを仕掛けた日本にはあって。それは、同時刻に試合をしているセネガルが、コロンビアからたった1ゴールを決めることで。
もっと正確に言うと。
このままでは予選敗退するセネガルが、決勝トーナメント出場を掛けて必死で1点取りに来るのに対して、たとえ1点取られても、結果的には決勝に進めるコロンビア。(一位と二位の差はあるけどね)
これだけモチベーションに差がある裏の試合。
その中で、セネガルが1点差を追いつけない。それを前提としたおままごと。
これが、西野カントクが選んだ賭。
僕が、世界が嫌悪した、賭。
他人に、自らの命運をゆだねる。それも、自力で勝ち取る事を努力する機会も能力も時間も持ちながら、それを全て放棄して、コロンビアの堅守に全てをゆだねる。そういう賭。
もちろん、確率とリスクと、いろんなものを秤に掛けて、出した結論だ、って言うのは分かっているつもりだけれどもね。
特に、アトランタ五輪で2勝1敗で決勝トーナメント逃がしている西野が、良く恐怖に打ち勝ったな、とは思うのだけれども。
それでも、好きにはなれないね。
僕は、最後の数分間、コロンビア対セネガル戦を見ていたよ。だって、日本の命運は、こちらのゲームが握っているからね。
セネガルが意地を見せて、消極的な日本に鉄槌をくれてやればいいのに、と少しだけ思いながら、ね。コロンビアは強かったけれど。
打ち合い上等のイケイケチームから、一歩路を外されただけで、攻めあぐねて横パスしてしまうチームにすぐになってしまう日本。
トーナメント一回戦の相手はどこがいいですか?と聞かれて「なるべく強い相手とやりたい」と言ってしまう選手がいる日本。(それって、1回戦敗退を前提としている発言だよね。勝ち進めばイヤでも強いチームと出来るから)
最後の強化試合から大盛り上がりの日本列島は、この第3戦で少し我に返ったのかな、と思うけれど。
それでも、勝てば正義の一発勝負。
一つ勝って、日本のこれまでの壁を、壊して欲しいなあ。
稀代の戦術家、西野カントクの魔術に、期待してるよ。
なんだかんだいっても、ね。
ただ、それだけのはなし。
大阪市民管弦楽団の、ブル9 〜第85回定期演奏会〜 ― 2017年03月12日
突然だけど、「不機嫌な姫とブルックナー団」、っていう小説があるんだ。
ブルックナーオタクの生態と、ブルックナーその人の生態を、オタクと、オタクになりきれないファンの視点から描く、っていう、ブルックナーそのものに興味がない人にはなかなかにつらい小説なのだけれど。
その中にね、オタクの集団であるブルックナー団の入会資格テスト、っていうのがあって。全十問。8問○で晴れてブルックナー団加入。ファンである姫は、5問○だったのだけれども。
どんな問題かと言えば。全曲全楽章の区別がつくとか、CD100枚以上持っているとか、そういうのから、3番初演と聞くと涙が止まらない、とか、ハンスリックは生涯の敵だ、とか。
僕は、ブルックナーCD100枚以上持っているほかは全問×で、晴れて程度の低いファン認定、なのだけれどもね。
その中で、一問、こういうのがあってね。「ブルックナーの演奏会に、年20回以上行く」って。
日本第二の都市、大阪に住んでいても、遠征なしでこの回数は無理なんじゃないかなあ。東京ってどんなとこやねん、とは思ったのだけれども。
それでも、何となく気になるよね。たとえば大阪のブルックナー、全部聴きに行ったら、何回くらいになるんだろう、って。
今年のことを考えると、まず、1月のミッキーの5番 in KOBELCOホール。ミッキーは脱朝比奈を意識するあまり、フェスでブルックナーとかベートーヴェンとか出来ない自縄状態に陥って。だからブルックナーを西宮まで行って演奏しているのだけれども。
全6回シリーズの5回目は、5番。じいさんが最晩年に、シンフォニーホールで、金管を倍にして描き出した荘厳な音の建造物を、普通の人数でやろうとしたら、なんか荒さばっかりが目立ってしまった感があって、ちょっとがっかりだったけれど。
でも、実は5番ってあんまり聴けないんだよね。だから、久しぶりで楽しかった記憶はあるのだけど。
そうそう。
長々と枕話をしてしまったけれど。
僕のお友達の、というか先輩が演奏している大阪市民管弦楽団。こちらも、何度かいったり行かなかったりが続いたけれど、今回は、ブルックナー 9番。ちょっと前の7番蝦蟇だ印象に残っているけれど、どんな演奏を聴かせてくれるんだろう。
って、楽しみにしていたにもかかわらず。
休日だから3時開始、ってなんの疑問もなく信じていて、そろそろ遅めのご飯を食べに出かけようか、ってチケットを見たら、なんと2時開演。
あわてて出かけて、指定席に取り替えてもらって、開演5分前に滑り込んだ座席は、3階席RB。コントラバス側の、ステージ真上のバルコニー席。指揮者の顔が見える席。
昔、ウィントン・マルサリスのセプテットをこんな席で聴いたときには、右耳から生音、左耳から太鼓やラッパの反響音が時差を持って聞こえてきて、それは大変な思いをしたのだけれど。今回はどんな音響なんだろう。久しぶりのシンフォニーホール、もっと早く気がつけば良かったな。
とはいえ、視覚的には、トロンボンより向こう側はよく見えるので、それはそれで愉しみ。
このオケはね。
普通に聴いていたら、アマだって事を忘れて、普通に聴いてしまうんだよね。なんていうんだろう、アンサンブルが安定してるから、分厚い曲をやると、とても心地が良い。
そういう意味で、未完成とブル9って、理想的だよね。
ヴァンドの最後の来日コンサートの曲目。僕はいけなかったのだけれど、いろんな所でさんざん自慢されまくって、なんかとてつもなくおしいことをした感じになっているのだけれど。その演目とダブるんだよね。未完成と、ブル9。
どちらも未完成なのだけれど、形式的に未完でも完成しちゃったからそこでやめちゃったシューベルトと、命の残り時間を計算しながら、物理的にそこで途切れてしまったブル9と。
楽しみだなあ。
演奏はね。
ワーグナーのときは、この席の音響の癖がちょっとだけ気になったのだけれども。
未完成、その第一楽章。
弦の主題が、3階席までふわって、浮かんできて。ああ、なんて気持ちがいいんだろう。
そして、ブル9。
最初に生で聴いたブル9は、朝比奈じいさんの、シンフォニーホールでの演奏なのだけれども。
その時に感じたのと、全く同じ事を、多分全く同じ箇所で感じたんだよ。
ああ、これが9番なんだ、って。
9番は、フィナーレのない交響曲で、その分なのかどうか分からないけれど、ダイナミックレンジが最初から全体的に二目盛くらい上なんだよね。
どこだったか思い出せないけれど、1楽章の早いうちに、そのフレーズ、そこまで音量出すんだ、って思うところがあって。そして、その音が、確実に三階席まで届いてくれたことで、もう、どっぷり。これはブルックナー。
とはいえブルックナーだからね。
最晩年の9番になっても、たとえばシューベルトの流麗な音楽と比べると、なんかちょっと違うんだよね。
それは、何か一つだけの楽器が半拍早く飛び出したり、そのフレーズはスラーだろう、っていう所をぶった切ってみたり。
丁寧な演奏であればあるほど、なんかしらの違和感が、どんどん目立つんだよね。あとでスコア見ても、なるほど、ホントだ、ていうことも多々あったりして。
その違和感を、ごまかすのか、そのまま違和感として差し出すのか、あるいは、それを内包したままより大きな衣で包むのか。
そんなことを考えながら、聴いていたよ。
この、眺めの良い席から聴く今回のブル9は、まじめに、違和感を違和感として差し出す演奏。そりゃあ、そこをごまかしたら、アマチュアがブルックナーを演奏する意味ないし、全てを覆う衣は、神様が気まぐれに掛けてくれるものだしね。
それを一番感じたのは、2楽章の、ラッパ。ダカダンダンダンダンダンの有名な動機に向かって、ラッパのトップがひたすらのロングトーン。循環呼吸か、っていうくらいの長いロングトーンを、それも、結構テンションっぽい音で引っぱる引っぱる。
正面から聴いていると聴き逃すかもしれないけど、横から、奏者の顔を見ながら見るこのロングトーン、すごい。
これもじいさんの例えで悪いけど、ベト7のスケルッツォのラッパのロングトーンを想い出したよ。あれをこれくらい引っぱれるのは、朝比奈さんと岩城さんの二人のじいさんくらいだもんね。
そして、アダージョ。
どこだか忘れちゃったけれど、弦楽の合奏が盛り上がって、そして1st ヴァイオリンだけが残るところ。僕は音楽雑誌のような言い回しが嫌いだから、なるべく使いたくないのだけれど、官能的、って言うのは、こういうことを表すための言葉なんだなあ、って思ったよ。
そして。
残念ながら席の真下で姿は見えないのだけれども、ワグナーチューバの、永い永いロングトーン。
ベートーヴェンが作った、交響曲(=世界)を9個作ると、神様に召されてしまう、という神話。
マーラーは神に召されるのに9曲とちょっとだけ必要だったけれど、ブルックナーは、あのアダージョを書き上げて、そのくらいで勘弁してくれ、と神様に言われたのかな。
いつもありがとうございます。
また、良い演奏聴かせてくださいね。
ただ、それだけのはなし。
初めての一人旅 in the sky ― 2017年03月05日
ずっと昔から、思ってた気がするんだ。
空を飛びたい、って。
パラグライダーのムック本を買ってむさぼり読んでいたのは、もう四半世紀以上も前の学生時代だし。
社会人になってからは、クルマが楽しくなっちゃったからか、ハワイのなんちゃってスカイダイビングでとりあえず満足したのか、長い間ずっとその衝動は芽を出さなかったのだけれども。
5年ほど前になるのかな。白馬でのタンデムチャレンジに成功して、またむくっと、飛びたい欲が植えつけられて。
きっかけはなんだったのか、良く覚えていないのだけれど。
1年前の2月に、TAKさんに問い合わせのメールを送って、レッスンの体験をさせてもらったんだ。なぜかは憶えていないけれど、はじめることは決めていたから、タンデムは不要で、スクール選びのために体験を幾つか受けるつもりだった、のだけれど。
結局、TAKさんの体験後に、他を受けずに入学を決めて。
去年の4月2日に入学。
11月にグライダーを購入して。
そして、3月4日に、念願のFirst Solo Flightにこぎ着けたんだよ。
今年の冬は、雪が多かったからね。
グライダーを手に入れて、12月は毎週のように通って練習したけれど、飛ぶ機会には恵まれず。
一月に入ると、スタッドレスを履いた車でもなかなかに躊躇するような気候が続いて。1月末に年明けはじめて訪れた講習場は雪景色。助走の路を踏み固めての立ち上げ練習も、雪山を登る疲労感でなかなか本数はこなせず。
二月末の講習場はうって変わって一面緑で。冬になってから、吹き下ろしのフォローの風の中駆け下りる練習しか出来なかったけれど、この日はいい感じの向かい風。頭上安定、そこからの走り出し、のイメージを何度も復習して。
そして、The day。
3月4日。
講習場での練習時間の10時にTAKさんに着いたら。
「First Solo Flight行くから、準備して」
のお言葉。
来る途中から、濃霧も晴れて来て。穏やかな晴れかたに、いけるかも、いけたらいいなあとは思っていたのだけれど。
あわててフライトエリアの登録をして、荷物をスクールの車に移し替えて。
「上に行って忘れ物あったら下山ね」
の言葉にびびりながら、とりあえず必要なモノのイメージを思い浮かべて。
車の中では、降りる場所の写真を見ながら、降り方のイメトレ。
中学校を目指して、川手前の竹藪の先端で周回して高度を落として。そこから川上を目指し、ランディング過ぎたら右、そして右。
全ての行程には、カタカナで名前がついているのだけれど、一度学課で習ったその外来語が身についているはずもなく。
ここで45度下にランディングが見えて、ここで30度下に見える、なんてのも、まあ何となく、くらいにしかわからず。
車が峠のカーブを曲がるたび、路の脇に雪が増えていくたび、緊張感は否応なく高まっていって。
これまで1年近く、山の斜面からパラを担いで駆け下り、時にはタンデムで山から飛ばしてもらいながら、憶えたことを想い出していったんだ。
それは、たとえばこんな事。
グライダーはなにもしなかったら、まっすぐ滑り降りていく。
だから、飛び出してそのまま墜落、なんてことには(多分)ならない。
降りるときの角度と速度は、講習場の短い斜面とだいたい一緒。だから、空から降りてくるからって、そんなに怖がることはない。
危ないコンディションの時には飛ばさせない。だから、安心して斜面を駆け下りればいい。
そんなこといっても、怖いんだけどね。
ちょっとだけ、だけど。
南テイクオフには、何人かの飛び待ちの人たちがいて。それでもテイクオフのためにグライダーを拡げている人はいなくって。
もしかして、初心者のために待っててくれてたのかな。ありがとう。
ザックから、ハーネスを取りだして、グライダーを袋から出して。手袋、ヘルメット、無線機はヘルメットにつながったのをハーネスに入れて、も一つを胸に固定して。あ、コードのアダプタがない。あれ、延長コードはあるのになあ。
これは、その場にいた先輩パイロットのかたにかしてもらって。
グライダーを拡げて、片側のラインチェックも皆さんに手伝ってもらって。
あれよあれよという間に、準備完了。
踏み出す斜面は急だけど、きっと大丈夫。
よし、いくよ。
向かい風が思ったより強かったのかな。立ち上げの時に少し後ずさったのは憶えているけれど。
長野さんに助けられて、気がついたら足の下にはなんにもない。そう、空の上。
いくつか数えて、足を上げてハーネスに座り直して。
あたりを見渡せば、空と、山。
下を見れば、尾根があって、田んぼがあって、川があって。
川の手前に中学校の校庭があって。とすれば高度調整の目印はあの竹藪で、河を渡ったところが着陸地点、ランディング。
ヘルメットからは、長野さんの声。少し左、っていってるのかな。
左に行くには、右手を挙げて、左手を下げて。ついでに体重移動を、と。
あれれ、おしりが全て体重移動が思ったように出来ない。そして、曲がらない。
時々、空気の密度が違うのか、ちょっと揺れたりして。
おーこえー。誰も助けてくれない。
と思ったら、後ろから飛んでた正一郎さんと嫁のタンデムが視界に入ってきて。
なんか言っているようだけど、聴こえないや。でも生きてるよー。
おっとっと。中学校が遙か右に。右に行かなくっちゃ。なかなか曲がらないけど、まあいっか。空は広いし。
中学校を目指すと、無線の声が、ランディングで待っている校長にかわって。
川上から、川沿いに竹藪を目指して、そこで旋回。
と思っていたら、竹藪通り越してまだまっすぐ。通り過ぎたところでUターンで、川を上って。追い風に乗っているから、景色の流れが速い。顔に感じる風は変わらないんだけどね。不思議。
ランディングを通り過ぎてしばらくして、右旋回。駐車場の上から川までを何度か行き来して、さあ、ランディングへアプローチ。
あれ、まだ高いんじゃない?
とは思ったのだけど、もちろん、僕の目視よりも校長の判断の方が正しくって。
なんと、初ランディング、無事に立ったまま着地できました。
緊張してたんだろうね。時間見たり、Apple WatchのGPS記録したりするのを全て忘れていたけれど、だいたい7分くらいの飛行時間、らしい。
もっと、ずっと長く感じたけどね。
なんにもない空間に、ぽつんと浮かんでいて。でも、落ちていない。
ずっと見てると、ほとんど変わらないのに、気がつくと違う景色が顔を出して。
どこにでも行けそうなのに、その選択肢を手に入れるのには、もっともっとの経験が必要なのだろうけれど。
それでも、楽しかったなあ。
あ、念願のFisrt Solo Flightの日、もう一つ嬉しいことがあったんだよ。
ずっと一緒に練習してきて、でも一人で飛ぶのが怖い、ってグライダーを手に入れるのを渋っていた嫁が、とうとう買う決意をしたんだ。自分のグライダー。
自分と同じくらい鈍くさい旦那(俺)が、無事生還したから、安心したのかな。
これで、これからも続けていけるね。二人で。
はじめて飛んでみて。
あらためて、いろんなヒトのお世話になっているんだなあ、って気がつきました。
ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
ただ、それだけのはなし。
西海岸の、オーケストラ サンフランシスコ響 MTT conducts Erich, Copland ― 2016年09月19日
いやあ。やらかしちゃったよ。
オオウエエイジのブル9がすごく良くて。あらためて楽しみにしていた兵庫文化芸術センター・佐渡裕のブル9。
なんとか金曜日のチケットを取ったんだけどね。補助席の。
当日、仕事終わりにそそくさと西宮の会場に向かったら。
あれ、なんかオカシイ。
暗い。誰もいない。
あれれ。
日にち合ってるよねえ。とチケットをよく見てみたら。なんと。
3時からやん。コンサート。
え。
平日3時から。。定期が。。
なんと。なんと。なんともいえん。
という訳で、いけなかったコンサートのことは忘れてね。
行って来たコンサートの話をするよ。
ちょっと前に、アメリカに行くことがあってね。サンフランシスコの近くの田舎町。
週末を挟んで違う年に移動するから、ぽっかり空いた土曜日。その土曜日に、たまたまサンフランシスコ響の演奏会があってね。わーい、ってチケットを取ったんだ。海外出張の常で、4時前に起きてiPadで遊んでた時にね。
不慣れなiPadから、エイゴのHPで入力して。わーい、いい席とれた。と思ったのだけれども。
折り返しの確認メールを見たら、あれ。金曜日になっている。。あわててキャンセルか土曜日への移動をお願いしたらね。土曜のいい席ありまっせって。前から7,8列目のど真ん中の席を取ってくれた。ありがとう。
という訳で。
サンフランシスコ空港から車でホテルに入ったから、当然僕はサンフランの郊外にいる野田と信じていたのだけれどもね。
海外ではきちんとワークするgoogle mapの乗り換え案内で見てみると、なんとホテルからサンフランまでは2時間以上かかるんだ。しかも、8時に始まるコンサート、終わってからじゃあ電車で帰れない。
まあ、いいや。
お目当ての曲は前半だし。つまんなかったら前半で帰ってくればいいし、面白かったら、タクでもなんでも使えるでしょう。
という訳で、行ってきたよ。
サンフランシスコ交響楽団。
MTT Conducts Copland and Reich
サンフランシスコの死役所の向かいにあるDavies Symphony hallは、何となくシンフォニーホールに似たホールでね。
高い天井からつられている透明アクリルの反射板とか、ステージ後ろに堂々と控えているパイプオルガンとか。パイプオルガンの大きさはそれこそ壁一面、っていう感じで,シンフォニーホールの比ではないのだけれどもね。
MTTっていうのは、アメリカの電話会社、ではなくってね。Michael Tilson Thomasっていうこのオケの常任指揮者。
そして、プログララムは。
コープランド、ガーシュイン。そして、良く知らないけど現代の作曲家、Reich。
いいなあ。アメリカの音楽をアメリカのオケで聴けるなんて。
とはいえ。
陽光と強風のサンフランの街を4時間もさ迷った後に飲んだビールのおかげで、とにかく眠たくってね。
僕の中でのメインプログラム。コープランドのビリーザキッド、うとうとしちゃったよ。だって、あまりにも気持ちがいいんだもの。
もったいなかったけどね。
今回のプログラムは、やたらセッティングが変わるプログラムで。
普通のオケの編成で演奏したビリーザキッドのあとは、ソプラノ歌手が入って。コープランドの中でもこれは知らない曲だったのだけれども、from Eight Poems of Emily Dickinson。歌曲集、っていうのかな。歌もの。
Susanna Phillipsっていう女性歌手が、なんともかわいくてね。コケティッシュ、っていうのかな。
英語の歌詞だから、ドイツ語よりは断片的に分かるのだけれど。
Going to Heaven!思わせぶりにくり返されちゃうと、きゅん、ってしちゃうんだよね。
そして、ガーシュイン。
プログラムに曲名があるけれど、これはこの歌手へのアンコールの位置付けで、SummertimeとI Got Rhythm。
ガーシュインはね、何度か書いているけれど、コープランドはどこまで行ってもクラシック音楽であるのに対して、ガーシュインは、ジャズ、なんだよね。演奏のアーキテクチャがJAZZのそれ、なんだ。
だから、日本のオケで聴くと、なんかちょっと気恥ずかしいことが多いのだけれども。
いやあ。さすがにアメリカのオケ。
Summertimeはまだオケの曲だったけれど、I Got a Rhythmなんて、ハンドマイク持って、オケも遠慮卯市内ビッグバンド状態。これがかっこいいんだ。なんか得した気分。
お客さんも、ブラボーコールじゃなくって、Yeah!!とか、ヒューヒューとか。口笛とか乱れ飛んで。いいなあ。
大満足の前半。
後半期かないなんて、もったいないでしょ。電車なんかどうでもいいや。
後半はね。Reichっていう現代の作曲家で。
最初の曲は、Double Sextet。まあ、その名の通り、なんだけどね。
ステージ上にふたつのセクステットが左右対称に並ぶんだけど。その編成がちょっと篇でね。
ピアノ、マリンバ、フルート、クラリネット、ヴァイオリン、チェロ。これで6重奏。鍵盤と打楽器が、ずっとリズムを奏でていて、その上で管弦がメロディーを受け渡す。
これは、ジャズだよね。
たゆたうリズムが20分もかけて盛り上がってくれば、それはもう、トランス状態。熱狂。
まだまだ元気な作曲家が2階から挨拶すれば、それはもう、大歓迎。いいなあ。
この曲が2007年の作品で、つぎの、最後の曲が1985年、なんだけどね。
この差が、完成度の差なのかな。最後のThree Movementsは、フル編成のオケで、同じように通奏のリズムの上でメロディーがたゆたうんだけど。前の曲でやってきたトランス状態がもう一度、っていう訳には行かなかったなあ。
でも。
なんかカジュアルで、ブラボーじゃない、心からの拍手と口笛が飛び交うオーケストラの演奏会。
そういうのも、いいよね。
SAN FRANCISCO SYMPHONY
September 10, 2016 at 8:00 pm
Savies Symphony Hall
Michael Tilson Thomas conducting
Susanna Phillips soprano
Copland Billy the Kid
Copland from Eight Poems of Emily Dickinson
Gershwin Summertime
Gershwin i Got Rhythm
Reich Double Sextet
Reich Three Movements
Premier Oechestra H 13