モレスキンに、合うインク 〜紙と万年筆とインク1〜2013年03月16日

 さて。

 僕は、この何年か、正確に言えば2005年の4月から、日常の筆記用具として万年筆を愛用していて。

 もともとコレクター趣味があるからね、万年筆関連のグッズもいろいろ増えたりしてきていて。あ、万年筆関連グッズっていうのは、万年筆それ自体と、ボトルに入ったインク、そして、万年筆で書くためのノートや原稿用紙などの紙のことを指すのだけれど。

 そうやって、いろいろな種類のペンやらインクやら紙やらを使っていると、これがなかなか、相性っていうのかな、この紙に適したペンやインク、適さないペンやインクなんてもの出てきたりして。

 グッズの種類が増えてくると、経験則で培った記憶が朧になってきて、どのペンはどのインクが入っていて、どの紙に使うべきか、使わざるべきかが曖昧になってきたりして。結構困ることがあるんだよね。

 

 だから、紙と万年筆とインク、って題したこのシリーズでは、グッズの相性とか、僕にしか価値のない好き嫌いやら蘊蓄やらを、気が向いたときに書いていこうと思っています。

 

 まず、最初はね。僕がとっても困っていることのために、状況を整理するところからはじめるよ。

 僕は、仕事のメモにモレスキンのノートと、伊東屋のリーガルパッドを使っていてね。どちらもお気に入りなのだけれど。ところが、モレスキンのノートは、結構なわがままものなんだよね。万年筆のインクを選ぶんだ。

 相性の良いインクを使えば、それはそれは良い感じで書けるのだけれども、相性の悪いやつだと、紙の裏側にインクが滲み出て、とても両面では使えない。ひどいときには次の紙まで写ってしまったりして。鹿も、その相性の良くないインクが、決して少なくないんだよね。

 はっきり言って、インクを選ぶノート。

 でも、書き味と、大きさと、使い心地が良いんだよね。

 


 ということで、シリーズ第一回目は、モレスキンに合うインクを、探します。

 

 もちろん、別に僕は雑誌社でもないしボランティア精神もないので、探すといっても、手持ちのインクでモレスキンに合うのはどれか、って書いてみるだけなのだけれどもね。

ちょっと数えてみたら、現在手持ちのボトルインクは、18種類。もちろん全部を平等に使っているなんてことはなくって、万年筆のおまけについてきたり、ちょっと使ってみてそれっきりになってしまっているやつもあるのだけれど、その18種類で、とりあえずモレスキンにいたずら書きしてみたよ。

 もちろん、万年筆がそんなにある訳ではないから、ガラスペンで書いたのだけれども。それがこの写真。





 裏もね。



 

 裏の方がわかりやすいのだけれども。

 こうしてみると本当に、モレスキンに使えるインクって少ないなあ。

 ラミーのブルー、ブルーブラック、それからモンブランのミッドナイトブルー。全然裏に抜けないのはこの3つだけだね。

 

 ちなみに、僕が2005年に最初に万年筆を自分で買ったのは、ラミーのアルスター。それに付いていたカートリッジのブルーのインクをしばらく使っていてね。生協のリーガルパッドとモレスキン。

 ラミーのブルーの、明るい碧さ加減が黄色いリーガルパッドに映えたのもあるし、モレスキンでなんの問題もないのもあって、しばらくはその組み合わせを使い続けていたのだけれども。

 ところが、いろいろ欲が出てグッズが増えていくうち、この組み合わせ程相性が良いのはあまりないぞ、ということが分かってきてね。特にモレスキンに合うのは、仕事で使うインクの必須条件なのだけれど、なかなか見つからなかったんだよね。

 ラミーのブルーブラックも良いのだけれど、古いインクを使っているからか、ちょっと色も古ぼけて、色つきも浅いように見えるからあんまり好きじゃないんだよね。

 

 今回こうやって試してみると、うちにあるインクで使えるのは、モンブランのミッドナイトブルーだね。

 よし、今度来る新しい万年筆には、このインクを入れて仕事で使おうかな。

 わくわく。

 

 ただ、それだけのはなし。



あぶりぐも 〜500色の色鉛筆 そのに〜2009年06月28日

ちょっとイメージが違うのだけれども。。
   いろいろなないろ
   いろいろないろ

   菜のいろ野のいろ
   なのはなのいろ

   いろいろなないろ
   いろいろないろ

   きょうの空は、どんないろ


 赤ばっかりだって文句言っていたんだけどね。500色の色鉛筆の、初回頒布。
 でもやっぱり、なんか描きたくてね。だから、気にしてたんだ。赤のグラデーション、25色でなにがかけるのかな、って。

 そしたら、見つけたよ。
 朱や紅や橙の、いろんな赤の、とってもきれいな景色。

 炙り雲。

 何度もいっているかと思うけれど、仕事帰りに、大きな川を歩いてわたることが多いんだよね。
 このごろは日も長くって、会社をでる頃にはまだ明るいことが多いのだけれど。そして、橋を渡る頃に、ちょうど視界の向こうの山に日が落ちてくるんだよ。
 その瞬間。
 山の稜線にさしかかったお日様が、空に浮かんでいる雲を、下から照らすんだよ。
 下から太陽にあぶられる雲。
 炙り雲。

 いつもの、上から照らされる雲を下から見るのは、それは曇り空っていって、そんなに色彩的に魅力的な眺めではないのだけれど。でも、下から照らされる炙り雲は、綺麗だよね。
 だいたい夕日は、上にあるお日様よりも赤いものだよね。いつもは空を染めるその紅さが、垂れ込めた雲と地上の間に入り込んで、雲ばかりじゃなくって空気も染めていく。
 雲と地平線の間の狭い隙間に太陽がいるときでなくっちゃ、それは見られないんだよね。そして、その短い間でも橙色から紅に、そして朱にとどんどん色が変わっていく。
 前だけ見てると視界いっぱい赤色だけれども、後ろを振り向くと彩度が落ちた青空の名残がまだ残っていて。どっかにあるはずの、赤から灰色、青へのグラデーションをきょろきょろ探してみたりして。

 そういう空なら、25色の赤い色鉛筆で描けるんじゃないかな、って。

 もちろん実際に描いてみれば、僕の画力では幻滅するしかないのだけれど、っていうか幻滅したのだけど。
 でも、だいたい同じ色に見える色鉛筆をたくさん持って、あーでもないこーでもない、って色を重ねていくのって、いいね。

 でも、「インカの太陽」や「ノルマンディに沈む夕日」っていう色で空を描くのはいいけれど、「カナダのスモークサーモン」や「ほろ酔いのピーチフィズ」っていう色で雲を描くのはなんだかおかしな気分だね。
 もちろん、描いているときは色の名前なんて気にしないのだけれども、ね。

 今度はどんな色がくるんだろう。楽しみだな。下書き用の鉛筆かコンテ、用意しておこっと。

 ただ、それだけのはなし。

いろいろなないろ 〜500色の色鉛筆 そのいち〜2009年06月16日

 いろいろなないろ
 いろいろないろ
 
 菜のいろ野のいろ
 なのはなのいろ
 
 いろいろなないろ
 いろいろないろ
 
 きょうの風はどんないろ?

 
 
 いつもは忘れていて。
 たまに、痛烈に想い出すことがあるんだ。
 
 たとえば、武田双雲の講演会に行って、みんなの前で習字を書かされたときとかにね。
 
 何をか、っていうと。
 僕は、選んだんだ、っていうことを。
 
 僕は、選んだんだ。
 ずいぶんと遠い昔に。
 選んだっていうか、選択の余地がなかったっていうか。
 あきらめたっていうか。
 
 肉体を使った自己表現。
 これを、早くから、かなり自覚的にあきらめたんだ、僕は。
 運動音痴だし、絵も下手だし、字も下手。おまけに楽器も下手。それが右投げ右打ちの左利きとして生まれて、今では箸だけが左利きって言う生い立ちがそうさせたのか、小学校の時に歯の矯正をしてしかも途中で止めちゃったからなのかどうかは知らないけれど。
 体を使って走ったり投げたり、描いたり書いたりする事は、僕にとって苦手なんだ、っていう自覚はずいぶん前からあったんだ。
 
 だから、っていうか。
 頭の中ではみんな天才である。それを表現できるものだけが天才と呼ばれる。どっかで読んだそんな言葉にだまされたっていうか。
 頭の中で考えたことがそのまま表現になる、言葉っていうもの。その、言葉こそが僕の自己表現の手段なんだ、っていうのを、中学生くらいの時にはもう、決めてたんだ。
 
 だから、武田そーうんさんの前でド下手な習字を披露したときも、もちろん恥ずかしいのだけれども、「一般」より劣っているのは、訓練が足りないだけ、って開き直ることが出来たんだ。ちなみに一般っていうのは、習字教室に行っていたり行ったことがあったりで、字が上手ですね、っていわれる人たちのこと。その上手さに、さらに自分の型を持つのが創作。そーうんさんまで行かなくても、文字を描くことで創作できるヒト、僕の周りにもいたな、むかし。
 
 でも、むかし決めたそんなことなんか普段は忘れていて。そーうんさんの講演会の後、習字の筆を買って落書きしてみたりもしたんだよね。
 もちろん、すぐに何で文章を手段とせざるを得なかったかを思い出して、筆も半紙もほっぽり出したのだけれど。
 
 でも、また性懲りもなく。
 そういうものが欲しくなちゃったんだ。
 
 そういうものっていうのは。
 習字の筆と一緒で、描くもの。
 今度は、色鉛筆。
 
 僕が聞きにいった武田双雲さんの講演会を主催した通販会社がね、500色の色鉛筆を発売したんだ。むかし作って、その講演会にきたお客さんに2,3本ずつあげていたみたいだから、再発売、になるのかな。
 もちろん、僕には絵心はないから、大半は一回も手にとらずに終わるかも知れないけれど。でも、こういうおばかな企画、大好きなんだ。
 
 ひとつ色の足らぬ虹 by 谷川雁
 ではなくて、493個色のおおい虹。そんなのだって、描けるんだよ。
 
 僕が楽しみにしているのはね、色の名前。
 あんな色にこんな名前。500色の違った名前。並べたら違いが分からない色だって、違う名前がついていたら、違う風景に使われるよね。
 そんな色たちが描く風景、僕は直接は紙に書けないけれど、心の中で文字にして、もう一回紙にその色を焼き付けられたら、いいな。
 
 何が届くかわからない、びっくり箱みたいな通販をするその会社らしく、毎月25色、何色が届くかは届くまで分からないんだ(よね?)。
 今回、初めての回。
 
 届いたのはね、赤。
 
 赤ばっかり、25色。
 ああ、そう来るんだ。
 
 あ、赤ばっかりっていうのは、失礼だね。赤系統の色が25色。
 もちろん色に順番をつけて、25個ずつまとめたらそうなるのだろうけれど。僕は少し違った期待をしていたんだよね。たとえば子供の頃に使う12色の色鉛筆に代表されるような色たちが、毎月ランダムに入っていて、結果として20ヶ月で500色、なのかな、って思ってた。
 だって、25色の赤色持って、スケッチ旅行に行けないじゃん。
 
 もちろん、行かないのだけれど。スケッチ旅行なんて、ばらばらな色が入っていても。
 
 でも、それをいいことに、赤ばっかりの色鉛筆、何を描こうかなって眺めているのも、いいもんだよね。
 やっと形になり始めたベランダの青いトマト。赤くなったら描いてあげようかな。
 
 それまでに、今度は何色が来るんだろう。
 この前見てきた、この原色の風景。描ける日はいつ来るんだろうか。多分描かないけれど。
 
 楽しませてね、フェリシモさん。
 
 ただ、それだけのはなし。