PACのマーラー6番 第155回定期演奏会 ― 2024年11月10日
いやあ、壮観だね。
今月の兵庫芸術文化センター管弦楽団、PACの定期演奏会。マーラーの6番。悲劇的。
普段見慣れている大阪のフェスティバルホールに比べると、兵庫県立芸術文化センター大ホール、通称KOBELCOホールのステージは、そんなに広大というわけではないのだけれど。
それにしたって、ステージを埋めつくすオーケストラ。途中で数えられなくなったけど、堂々100人規模のメンバー。おまけに台座に陳列された巨大なハンマーとそれが叩く箱。ハンマーは、シティハンターだったら100tって書いてあるに違いないインパクト。重たいんだろうなあ。100tだもんなあ。
途中で数えられなくなっちゃったけど、どんな編成かっていうと、ヴァイオリンが第一、第二ともに16人ずつ。これが左右に拡がる両翼の配置で。両翼配置だと、ビオラが右側、チェロが左側で、コントラバスも左に来るんだね。それが、10,10,8なのかな。右側にはハープ2台とチェンバロ。ステージの前半分でそれだけ。あまりに多いから、弦楽器も後ろの方はひな壇に乗ってて。
管楽器は、もう訳分からないけれど、ホルン9人、ラッパが6人、位までは数えていたのだけれど、木管楽器、プログラムを見ると、クラリネット5,フルート5,オーボエ5,ファゴット5!。トロンボン4にチューバ1が普通に見えてしまうよね。そして、打楽器7!!。もう、訳ワカラン。
KOBELCOホールのステージは、さっきもいったようにそんなに広くないから、100人の音楽家が並ぶと、ほぼすき間がないんだよね。それが、壮観。
こんな人数、もちろん自前で確保できるはずもなく、トラの人たちが多いのだろうけれど。と思ったら、何やら見たことある顔が。
ホルンの高橋将純さんではないですか。大フィルのトップ奏者で、見た目のインパクトもさることながら、僕が勝手に日本一のホルン吹きと断じている人。今回は大フィルさんの定期とかぶらなかったからこちらに応援、なんですね。得した気分。
で。
マーラーっていうのは、僕がクラシックに物心のついた遙か昔の頃から、人気のプログラムでね。大編成で派手な曲が多いから、定期演奏会の花形の演目なんだよね。たぶん、今でも。
僕が高校生の頃は、まだまだ日本のオケの演奏技術って、そんなに高くない(そんなに聴いていたわけではないから、誤解なのかもしれないけれど、高校生の少ないお小遣いから数ヶ月に一枚やっと買うレコードで、積極的に日本のオケの演奏を選ばない、っていうくらいの偏見はあったよね)から、それも含めて特別感があったのかな。
大人になって、なのか大阪に来て、なのか分からないけれど、ブルックナーっていう作曲家を知ると、僕自身はマーラーの交響曲の派手さや外連味や、そういうものを限度を超えた支配欲、と感じてあまり好んで聴かなくなっていったのだけれど。でも、定期演奏会の中で取り上げてくれると、それはそれで得した気分になるんだよね。
まあ、PACの定期は、プログラムに関係なく三日間のチケットが入手困難なほどの人気だから、客の入りにはあんまり関係ないと思うのだけれども、ね。
さて、その100人の大編成を率いるのは、シンガポール出身のカーチュン・ウォンさん。若そうに見えるけれど、日フィルの首席指揮者、ドレスデン・フィルの首席客演指揮者などなど引っ張りだこみたいだね。ロンドンフィルのマケラさんもそうだけれど、指揮者は歳くっていた方がいい、っていう時代は終わったんだね。
PACの定期、僕は2階席から聴いているから、ステージのどこで何が起こっているかよく見ることができたのだけれど、それでもどの楽器が演奏している音なのか分からない不思議な音がたまにしていたよ。それはよく見るとバスクラだったり、たぶんバスクラとファゴットかなんかのユニゾンなのかしら、と思う音だったりするのだけれど。
それから、打楽器の人が左右からでたり入ったり。その度に袖からチャイムの音が聞こえてくるのも楽しいな。
マーラーの演奏をとやかく言う言葉を、僕は持っていないのだけれど、この大編成を確信を持って鳴らし切る指揮者を見ると、いわゆる拍を刻んでいるところはあんまりなくって、腕をぐるぐる振り回したり、指揮棒をトンボの目を廻すみたいにくるくる動かしてみたり。きちんとリハが出来てるからそういう指揮でついてこられるんだね。
そして、この曲の中でのベストプレイヤーは、ホルンの、たぶん宇名根さんなのかな、いろいろなところでソロを吹いていた方。すごくきれいな音色で、いいソロだったね。隣に高橋さんがいたので怖かったと思うけど、トラじゃなくって純正メンバーがソロ取るんだ、っていう気概も良かったよ。
もちろん、お立ち台まで作ってもらったハンマーの2撃もね。
それにしても。
次回1月の定期もマーラー。8番なんだね。
震災復興事業として出来たオケが、あれから30年、1月17日に捧げる祈りとしての「千人の交響曲」。楽しみにしているよ。
マーラー、マーラー、そしてそのつぎはブルックナーっていうハードなプログラム、がんばってね。聴く方も体力つけようっと。
ただ、それだけのはなし。
尾高忠明の、ブルックナー1番 ― 2024年11月21日
いやあ、古狸の尾高さんに、すっかりだまされちゃったね。
尾高さんが毎年テーマを決めてシンフォニーホールで開催する特別演奏会。何回かの演奏会で、集中的にある作曲家の作品を取り上げるのだけれど。ベートーヴェンとかブラームスとか、チャイコフスキーやドヴォルザークもやったんだっけ?
僕は、年によっていったり行かなかったり。また、チケットは取っても行けなかったことも結構あって。なかなかにもったいない感じだったのだけれども。
今年は、モーツァルトとブルックナー。シンフォニストの理想を求めて、っていうサブタイトルがついていて、ブルックナーの初期の交響曲と、モーツァルトの後期の交響曲を一曲ずつ、3回のコンサートで演奏する、特別演奏会。
僕は、オオウエエイジの時代に定期演奏会を聴いていた席の近くに陣取って、3回のコンサートを聴いたよ。とはいえ、最初は6月だったかな。東京出張と重なって、東京での後始末を仲間に頼んで、新幹線に飛び乗って、新大阪からタクシーでシンフォニーホールに飛び込んだときには、モーツァルトは終わっていて、ブルックナーの0番にやっと間に合った、って言う感じだったのだけれど。
まあ、過ぎたことはいいや。
0番、2番と聴いてきて、今回は1番。
ブルックナーの初期の交響曲って、あんまり聴く機会がないんだよね。全曲演奏を目指しているオケと指揮者とか、新人に機会を与えてみようか、っていう時くらいしかステージにかからない気がする。(違ったらごめんね)
大フィルの音楽監督になってから、ブルックナーの交響曲を録音してきた尾高さん、この3曲と来年早々の4番で全集になるんだよね。ご苦労様でした。
とはいえ、演奏機会が少ないのはやっぱり人気が、中期後期の交響曲に比べたら劣るからであって。平日夜のコンサートのわりには、ちょっと空席が目立つのはもったいなかったね。
さて、モーツァルト。
って言う事になるのだけれど。
これはもう、ひたすらに心地いい時間で。それが、モーツァルトの心地良さなのか、尾高さんと大フィルさんの心地良さなのか、僕はもう考えるのを放棄するしかないのだけれど。
41番、ジュピターっていう名前のついた、溢れるように曲を作ってきたモーツァルトの、最後の交響曲。だいたいベートーヴェン以降の交響曲は、9番縛りというのが呪いのように存在していて。9曲作ったら神に召されてしまう、っていう都市伝説なのだけれど。41番、っていうことはその前に40曲も作っているわけで。9番縛りなんてモーツァルト(とハイドン)には全く関係ないんだよね。
それだけ、1曲1曲がライトで短い者が多いのだけれど。でも、この41番は演奏時間30分を越える立派な交響曲でね。
その分、その音に浸らせてもらったよ。
そして、ブルックナー。
その前に、今回の演奏会の入場時にもらったチラシには、来年度の定期演奏会のプログラムがついていてね。あ、定期演奏会って、ほぼ毎月、年10回の演奏会で、オーケストラの主要な公演なのだけれど。
まあ、攻めたプログラムであること。
井上さんのときから、ドイツものはイヤや、っていうプログラムを組むことが結構あったのだけれど。来年は振り切ってるね。
まず、ベートーヴェン、ブラームス。ブルックナーやマーラーとかの交響曲がいっさいない。交響曲って、ハイドンとチャイコフスキーがひとつずつくらいなのかな。
尾高さんは、ブルックナー全曲終わったからって、大好きなエルガーばっかりだし、他にはハルサイとかデュトワのダフクロとか、それからモツレクとか。久しぶりの演奏会形式のオペラとか。
なんだ、聴き所満載じゃないか。
個人的にエルガーがあんまり得意じゃないので、ちょっとエルガー克服年度になるのかな。でも、デュトワのダフニスとクロエ、80年代の埼玉の吹奏楽少年としては聴かずに死ねるか系の演奏会になりそうだね。
交響曲は、特別演奏会でベートーヴェンのチクルスやってくれるみたいだし。
というわけで、来年も楽しみだね。
あ、ブルックナー。
休み時間に読んだプログラムに、尾高さんのインタビューが載っていて、そこには、「僕のブルックナーはウィーン仕込みですから、朝比奈さんみたいながなるだけの音楽とは違うんですよ。楽団員にはジェントルに行こうね、っていうんですけど、やっぱり「がーん」ってなっちゃうんですよね。体質ですかね、大フィルの」(意訳)。みたいなことが書いてあって。さぞかし上品なブルックナーを聴かせてくれるのだと思っていたのだけれど。
いやあ、すごいなあ。
1番って、こんな曲だったっけ。
隙あればバリバリならすトロンボン。楽章の終わりの音が切れるときに、ふわっ、ではなくざらっと粒子が残る生々しさ。
これは、ジェントルに行こう、っていって出来る音楽じゃないよ。
楽しー。
ブルックナーの交響曲は、トロンボン優性の演奏とホルン優性の演奏に分かれる、っていうのを読んだことがあって。まあ、それぞれ活躍の場があるからどっちか黙っとけ、というわけではないのだろうけれど、トゥッティのバランスのときにどちらに耳がいくか、っていうことなのだと思うのだけれど。
でも、今日の1番は、曲としてトロンボンが優性な曲、にきこえたんだよね。大優性。
それを気持ちよさそうにバリバリするトロンボン。いいなあ。
それが尾高さんの棒なのか、大フィルさんが「ドン」とやったのかわからないけれど、終楽章の最後の方、結構アンサンブルが乱れて。トゥッティの出が揃わないところがいくつかあって。
最後の、コーダ。
あれ、トロンボン、なんかやらかした?
ちょっと早く出ちゃったヒトがいたかな。
まあ、それも盛り上がりの一環、っていうくらいに大盛り上がりで怒濤のブラーボーコールだったね。
拍手を受けているときにトロンボンの3人を見ていると、トップの福田さんが自分を指さして「私、私」みたいな感じで笑っているやら謝っているやら、だったけど。
でも、1番って退屈なのか、と思っていたんだけど、認識あらためます。面白い曲。面白い演奏だったな。
尾高さんのインタビュー、結構前から考えていた韜晦というか、しゃれだったのかな。食えないオッサンや。
大好き。
ただ、それだけのはなし。