再会 フルトヴェングラーのワーグナー2021年12月31日

 今年は、まだ、かろうじて2021年で。

 昨日の12月30日に気がついたのだけれども。朝比奈のじいさんが亡くなってから、20年経ったんだね。

 大フィルさんがいつもやっている12月29日、30日の演奏会の、一日目は地上から、二日目は天上から見守ったのが21世紀初めての年末だったから、12月29日が命日なんだね。

 だからか。

 今年はやけに朝比奈さんの再発モノが多かったよね。いろんな名目でのボックスセットが、限定700個生産で、毎月のように再発されていた。

 もちろん、喜んで全部買っちゃう、僕のような人たち向けの商売なんだけどね。


 このごろ、家のオーディオを新しくしたんだよね。

 20年ほど使い続けた、自作のバックロードホーンのスピーカーをメインからサラウンドに追いやって、フランスのメーカーのトールボーイを買ったんだよね。

 そうしたら、今度はアンプが欲しくなっちゃって。スピーカーと同じくらいの値段がいいよ、って誰かに言われて。だからこれも20年近く使っていたAVアンプを、買い換えたんだ。20年近く前のAVアンプは、HDMIに対応していないし、Blu-Layのオーディオフォーマットにも対応していないから、Blu-Layプレイヤーは、5.1chのアナログ出力が必須で。これは10年近く前なのかな。その時既にマルチチャネルのアナログ出力を備えたプレイヤーって日本製ではほとんどなくて。苦労して探したんだよね。今ではスマホメーカーになってしまったOppoのプレイヤー。

 買ってからは、ディスクで映画を観ることもあんまりなくなって、ほぼUSB DACになっていたのだけれど。


 まあ、そんなことがあって。

 そして、最近はコロナとは関係ないところであんまり外に出ない生活を送っていたので、アップグレードしたオーディオセットと向き合う事が多かったんだよね。


 そんな中で、朝比奈のじいさんの演奏が、SACDでバンバン再発されて。

 ちょっと前から、ようやくスピーカーとアンプのエイジングが整ってきたのか、SACDがよく鳴る様になってきたんだよね。しあわせなことに。


 そういうシステムで、Amazon Musicを聴いたり、じいさんの演奏を聴いたりしていたのだけれども。


 この前、偶然。

 僕が30年近く、もう一回聴きたいな、と思っていた演奏に再会することができたんだよ。


 フルトヴェングラーの指揮でね。

 ワーグナーのタンホイザー序曲。


 高校生の頃、ユーフォニアムからトロンボーンに楽器を持ち替えた僕は、トロンボーンの活躍する曲をいろいろ探していたんだよね。いろいろ探して、って言っても、レコード買うお金はないし、FMのエアチェックはノイズが入るし、レンタルレコード二はクラシックはほとんど置いていないし、という事であんまり集められなかったんだけどね。

 そんな中で、どうやったんだろ、多分運良くレンタルレコード屋さんに置いてあったのかな、カセットテープに録音して、聴きまくったんだよね、当時高校生だった僕は。

 ワーグナーって言うのは、長い長い楽劇(オペラとどこが違うか、よく分からないのだけれど)をたくさん創った人でね。トロンボンを中心にした金管楽器が活躍するから、中高生のブラバン小僧がクラシックを聴き始める一つの道、なんだよね。

 このアルバム、というかカセットには他にもワルキューレの騎行とか、いろいろナ曲が入っているのだけれど、僕がその後ことあるごとにもう一回聴きたいなあ、と思ったのは、タンホイザー序曲、だったんだ。


 この曲には、というかタンホイザーのオペラには、巡礼の合唱って言われる有名な曲があってね。

 オペラの序曲って言うのは、その劇中のメロディのいいところを短くまとめた曲なのだけれど、声楽は入っていないから、その巡礼の合唱をトロンボンが主体となって演奏するのだけど。

 フルトヴェングラーの、この演奏の巡礼の合唱はね、それはもう。

 全てのバランストかテンポとか、音楽を上手く聴かせるための要素を全て取っ払って。ただトロンボンに唄わせて、泣かせる。それだけに全てのお膳立てをする。

 そういう演奏なんだよね。


 合唱の前の見得の切り方、他のパートの押さえ方、そして、朗々と歌いあげるトロンボンの、ちょっと濁った響き。周囲を圧倒する音量。

 これがオーケストラのトロンボンだ、って僕に教えてくれた演奏だったんだよね。


 その後、JAZZに夢中になって一人暮らしをする頃には、カセットテープを聴く習慣がなくなって、テープもどこかに行ってしまったのだけれど。

 大人になって、フルトヴェングラーのワーグナーをいくつか聴いてみたんだけれど、どれもしっくりこなくって。想い出補正なのかな、と思ってちょっと淋しい思いをしていたのだけれど。


 そういうわけで、オーディオセットもすっかり大人仕様になったこのごろ、ふと思って検索してみたら、フルトヴェングラーのワーグナーがSACD化されていたのを見つけたんだよね。しかも第一集、第二集ってカセットテープにつけたタイトルと似ている気もしてきて。

 じいさん以外の新品のCD買うなんて久しぶりだけど、ポチッとカートに入れてみたんだ。


 そしたら。これ。

 1952年のモノラル録音なんだけどね。ウィーンフィルの演奏で。


 これこれ。

 フルトヴェングラーの見得も、トロンボンのやり過ぎ館満載のソリも、高校生の時にむさぼるように聴いていた演奏。安物のミニコンポで聴いていた想い出補正と、SACDの音がちょうど交わり合って、どんぴしゃ思っていた音。

 嬉しいなあ。

 僕のクラシックの原点、また逢えた。


 ハイレゾとかリマスターとか、どうなん? って思っていたけど。

 良い演奏を良い音で聴けるって、嬉しいね。


 ただ、それだけのはなし。



コロナ渦一過の、ベートーヴェン 〜大フィル第539回定期演奏家〜2020年07月19日

 さて。
 猛威を振るった、といっていいのだろうけれど。
 年末に突然降って湧いた病原体によって、ぼくらの暮らしはとんでもなく大きな影響を受けて。
 それまで当たり前に感じていた生活習慣の多くのものが、あたり前ではない生活を強いられたよね。

 サラリーマンの僕にとっては、それは会社に行くあたり前とか、同僚と飲みに行くあたり前とか、コンサートを聴きに行くあたり前とか、空を飛ぶあたり前とか。
 そういう、あたり前を我慢する必要があったけど。

 だけど。これもあたり前だけど。
 そういうあたり前を支えている産業って言うのはあって。サラリーマンのぼくらは我慢すればいいだけだけど、それで生活をしている方々には、堪え忍んでがんばって、としか言えないのだけれど。

 そういう、活動を控えざるを得なかったものの一つが、音楽の業界だよね。
 パフォーマンスをすることが、必然的に人を集めることになる音楽業界は、感染防止を最重要課題とする社会のムードの中では、なかなか活動をすることができなくて。
 そんな中で、僕も、幾つものコンサートのチケットを無為にしてきたのだけれど。

 少し病原体の活動が落ち着いて、為政者の関心が経済活動の正常化に向いたのが、6月の始めだったのかな。
 そのタイミングで、世間の自粛ムードにも配慮しつつ、でも、いち早くコンサートの活動の再開を決断してくれたのが、大フィルさん。
 全国区のニュースになった、加藤登紀子のBUNKAMURAのコンサートよりも早くの開催だから、オケの中でもかなり早い決断をしてくれたのだと思うけれど。

 オオウエエイジの、ベートーヴェン。4番と5番。
 もともと6月の定期演奏会は、オオウエエイジのツァラトゥストラがプログラムだったのだけれど。
 リヒャルト・シュトラウスの曲は大規模な編成を要求するから、舞台上の感染対策がなされない、という事で、ちょうどいい編成の大きさと演奏時間のベートーヴェン4、5番に変更して、観客数も椅子一つおきの半分以下にして、演奏会をしてくれた。


 嬉しかったな。
 なんだろ。
 大フィルさんの再開のコンサートが、ケレンに満ちたオオウエエイジであったことが。そして、プログラムがベートーヴェンの、それも4番と5番であったことが。
 もちろん、編成の都合とか、リハの時間我とかいろんな事情があったとは思うのだけれど。
 骨太の音楽を、何ヶ月も待ち望んでいた、僕のようなオーディエンスに届けてくれたことが、嬉しいよ。
 ありがとう。

 奏者同士の距離も少しいつもより遠くて、手探り感のあった4番と。
 こんなに巨大な曲だったんだ、ってあらためて感じた5番、運命と。

 なんにせよ、フェスティバルホールを音楽で満たした、大フィルさんとオオウエエイジと、フェスの方々に、ほんとうにありがとう。
 ありがとうございました。

 感極まってブラボーコールをしてしまった人も若干いたけど。でも、僕らお行儀良くするから、どんどん演奏会していって下さい。
 よろしくお願いします。

 ただ、それだけのはなし。

2020年6月27日
大フィル 第539回定期演奏会
大植英次 指揮
ベートーヴェン 交響曲 第4番、第5番
フェスティバルホール

ウィーンフィルの、ブル72016年10月22日

 もともと、あんまり外国のオケの来日公演って、聴きに行かないんだよね。

 物見遊山で来た、旅行疲れのオケに高い金払うより、地元に根を下ろして、必死に気合い入れた演奏が聴ける大阪のオケをたくさん聴いた方がいいんじゃないか、と思うし。

 幸いにも、海外のいろんな所で、その地元のオケを聴く体験も出来てるし、ね。

 あ、それから。

 大阪には、あんまり超有名処が来ることがないんだよね。東京に比べて。それも理由のひとつ、なのかな。

 

 そうだったんだけどね。

 今回は、その信念(というほどのものでは無いのだけれど)を曲げて。

 行ってきたよ。

 ウィーンフィルの大阪フェスティバルホール公演。

 


 大フィルさんの演奏会、8回分。その値打ち、あるのかなあ。

 って、ずっと迷ってたんだよね。

 

 なんだけど。

 これまで、いろんな所で、わりと幸運にも、その地方の有名なオケって、聴けてたんだよね。自由になる夜なんて、一つか二つしかない仕事での出張の中で、ね。

 ムーティのシカゴ響とか、ミュンヘン、ニューヨークフィルとか、この前のサンフランシスコとか。オペラで言えば、スカラ座、ミュンヘン、そしてウィーンのフォルクスオーパー。

 なんだけど。

 ウィーンでは、誰もが納得のウィーンフィルと国立歌劇場のオペラは、まだ見れてないんだよね。公演がなかったり、チケットが売り切れだったり。その分、ゲヴァントハウスとか、ウィーンシンフォニーをステージ上で聴いたりとか、楽友会館には2度ほど行ったのだけれどもね。

 

 その楽友会館が作った、ウィーンフィルの響き。「音程なんか合ってなくても、響きが豊かだから合って聴こえるんだ」ってかっちゃんが絶賛した響き。

 物見遊山でも旅行疲れでもいいから、一度は聴いてみたくってね。

 大枚はたいたよ。Apple Watchが買えるくらいの二階席。


 という訳で。

 どんな演奏会なんだろう。わくわく。

 

 心なしか客層も違うのかな。おしゃれをした人が多そうなホール。

 そこに整然と入場する団員たち。わき起こる拍手。

 

 あ、今回。ウィーンフィルとプログラムだけでチケット買ったから、指揮者のことノーチェックだったんだよね。

 というか、何度見ても憶えられない名前。ズービン・メータ。

 

 知らない訳じゃないんだよね。メータ。

 高校の頃、飽きるほど通ったレコード屋さん。その頃のレコードには、わりと派手な帯がついていてね。「メータの巨人」とか、派手な書体ででっかく書いてあった。

 その頃は、カラヤン、バーンスタインが現役スターとしてがんばっていて、小澤やムーティで飛ぶ鳥の勢いで。そして、中堅処としてロリン・マゼール、メータと、もう一人いたんだよね。同じよう名前の人が。カール・ベームだったっけ。

 まあ、いいのだけれど。

 とにかく、ズービン・メータっていう名前、演奏中にも想い出そうとがんばったんだよ。まあ、どうでもいいのだけれども。

 僕の隣に座った若いカップルの女の子が、メータはゾロアスター教のインド人、と教えてくれて(僕にじゃないけどね)、それでzから始まるんだ、って憶えられてからは、名前を呼び出すのが少し楽になったのだけれどもね。

 

 ほんとに、どうでもいい話だね。

 

 という訳で、ウィーンフィル。

 

 もうねえ。

 なんというか。

 モーツァルトの36番、なのだけれど。

 なんというか。

 言葉が浮かんでこないんだよね。

 

 今まで聴いてきた物と、違いすぎ。

 

 休憩に入る前に、さっきの若いカップルのおねえさんが、ひと言だけつぶやいたんだ。

 なんて上品なんだ。

 ああ。そうか。

 こういうのを、上品って言うんだ。

 半分納得もしたのだけれど。その上品さの中に潜むぎらっとした迫力も、聴くことが出来たんだよね。


 とにかく言えるのは。

 

 ものすごく心地いい。

 ってだけ。

 しあわせ。

 

 さて。

 お次はブルックナー。七番。

 オーストリアのオケの奏でるブルックナー。どんなだろうね。

 

 もちろん。

 ものすごく心地いい。

 それだけで話を終わらせることが一番いいのだろうけれど。

 でも、その思いを少しでも具体的に頭に焼き付けたいからね。少し無理して言葉にしてみると。

 

 僕は、生でオーケストラを聴いたとき、一番の判断基準は、音が届くか届かないか、なんだよね。

 コンサートに何回も行っていると、ステージからの距離によって、楽しみ方が違うことが分かるよね。

 かぶりつきで見て、その音楽の中にどっぷり浸って愉しむやり方と、ステージで行われている演奏を、わりと外から客観的に愉しむやり方。

 ロックフェスで一挙手一投足に悲鳴を上げているヒトと、後ろでバーベキューでもしながら寝転んでいるヒト、みたいな、ね。

 

 オーケストラの演奏会も同じでね。演奏の内側に入って、感情移入出来るときと、同じ席なのに、なんか入り込めなくって客観的に見ちゃってるときと。

 もちろん、入り込んだ方が楽しいんだけどね。

 その、入り込む状態、それはオケの醸す音が球状に広がって、その球の内側に入るかはいらないかっていうイメージなんだよね。演奏によって、球の大きさが違うから、同じ席でも入れるときとは入れないときがある。

 

 この、ウィーンフィルはね。

 広いホールの2階席にも関わらず。

 ブルックナーの、最初のトレモロ。

 音が聞こえるか聞こえないか分からないくらいの時に。

 すでに、音楽の球の内側に入り込んでいたんだよね。

 

 しかも。

 そこから、参加する楽器が増えて、クレシェンドで強奏になるコラール。そこまで、音質が変わらず、シームレスに行くんだよね。

 なめらかなのに、柔らかい音のまんまなのに。

 楽そうな音のままなのに、気がつけば最強奏。

 

 上品、ってばかりじゃないんだけどね。

 音の入り方、切り方が揃っている訳でもないんだけどね。

 一人一人の音さえ聴き分けられるように思うくらい、遠い二階席からでも臨場感にあふれた音。

 ヴァイオリンの、オーボエのたった一人でも、このフェスティバルホールを音楽の球で包み込む、音。

 トロンボーンも、持ち替えじゃないワグナーチューバも。ラッパもクラも、なにもかもが魅力的に響いて。

 

 こういう世界が、あるんだね。

 

 ウィーンの楽友会館って、そんなに大きくないんだよね。いずみホールくらいの。

 そんな中で鍛えられたウィーンフィル。フェスを満たすことが出来るの?って半分意地悪に持っていたんだけどね。

 

 ごめんなさい。

 

 そして。

 ありがとう。

 

 僕の良く知っている、ブルックナーの七番。良く知っている分、どのくらい終わりに近づいたかも分かってしまうのだけれども。

 永遠に終わらなければいいのに。

 って、思ったよ。

 

 外タレオケ。

 侮るべからず、だね。

 

 大フィルさん8回分。

 しっかり愉しんだよ。

 

 ただ、それだけのはなし。



東京ジャズ 15周年2016年09月11日

 15回目、なんだね。
 バブルの崩壊を受けて、マウントフジやライブアンダーとかの、大物アーティストをたくさん呼ぶジャズフェスが姿を消して。
 スイングジャーナルも廃刊になった今、CDの通販サイトは昔の音源のアナログ復刻とかばっかりで、大阪に住んでいる僕としては、ビルボードライブ大阪から送られてくるライブスケジュールくらいしか、今のジャズの情報がないんだよね。

 そんな中で、いつもテレビ放送を楽しみにしている東京ジャズ。

 新聞によく載る広告を、羨ましく見てるんだけど、今回はあまりに面白そうだったから、行ってきちゃったよ。

 あんまり書くともったいないので、簡単に感想を書いておくね。

 最初は、小曽根。
 とはいえ、小曽根は一音も発していないのだけれど。
 小曽根が4音大から選んだ選抜メンバーのビッグバンドと、アメリカの音大、バークリーではなくジュリアードから連れてきたコンボの共演。
 最初はみんな固くって、本当に学祭のジャズ研レベルだったのだのだけれども。そのうちほぐれてきて、見えるようになってきたのが、日米の主食の差。
 肉食のアメリカ人と草食の日本人、っていうことなんだけどね。
 受けるためにはなんでもやる、自分の持っている武器をあの手この手で繰り出して。そういうアメリカ人に、なんか自信なさげで、順番だけこなせばいいや、っていう日本人。ジャズ好きなら、もっと頑張ってよね。
 ちょっと欲求不満。

 次は、寺井尚子。
 僕は、メインのミュージシャンの名前だけを見て、行くことを決めたのだけれども。それぞれのプログラムには、全部じゃないかもしれないけれど、サブタイトルがあってね。寺井さんのセッションのタイトルは、なんだっけ。
 タンゴミーツジャズ、みたいなやつなんだよね。
 アルゼンチンタンゴのバンド、バンドネオンが入ったカルテットに、寺井さんがゲスト出演、っていう感じで。
 バンドネオンって、ボタンを押す、ちっちゃいアコーデオンみたいな楽器でね。タンゴの、あの物悲しい、キレの良い音を出すんだけど。
 それに比べると、ヴァイオリンっていうのは、音色そのものに色気があってね。バンドの音が全く変わっちゃうんだけど。だけど、ヴァイオリンとバンドネオンは、なかなか並び立たないなあ。バンドの中の役割、っていうか立ち位置がおんなじだからなのかなあ。
 とか思いながら、圧倒的に気持ちいい音楽と、5時半起きビール飲みまくりのせいで、心地よくウトウトしちゃったよ。
 休憩セット、これだけなんだもん。

 そして、昼の部最後は、ハービーハンコック。
 ちょと前に大阪にもきたんだけどね。ビルボードで37000円。ショーターとのデュオとはいえ、ちょっとで手が出る値段じゃないよね。
 ということで、マウントフジ、あるいはライブアンダーのVSOP以来、ともかく四半世紀ぶりの、ハービー。
 もう。
 ハービーが動いてる、ってだけで大満足なんだけどね。
 ピアノとキーボード、ショルダーキーボードやボコーダーを持ち出して、カメレオン、ウォーターメロンマン、そしてアコースティックのカンタロープとか。懐メロ、あるいはそのフレーズをちりばめて。
 楽しく聞きながら、僕の好きなハービーは、ここにいるんだろうか、ってちょっと思ったよ。

 もちろん、ハービーは60年代から常に最前線で活躍して、あの偉大なマイルスが足元にも及ばないようなセールスを記録しているミュージシャンだから、いろいろな側面があるのだけれど。
 前日、ハービーってどんな曲作った人?っていう家人に、カメレオンとかスイカ男とか口ずさんでみたけどまったく通じなくって、処女航海を説明するために今夜は最高のジャズオペラを、結局全部見せてしまったのだけど。
 でも、そのどれもこれも、これがハービー、ではないんだよね。僕にとっては。
 僕にとってのハービーは、なんだろう。
 VSOPであったり、マイルストリビュートやブートレグのnyライブであったり。もちろんプラグドニッケルであったり。
 テンションの高いライブでの、アコースティックピアノでの、どこまでも行っちゃって帰ってこない、そいういうソロなんだろうな。
 上原ひろみとかとは全然違う次元で、ちょっと聞いただけでハービー以外にいない、ってわかる。そういうソロ。
 そういうのが、聞きたいよね。やっぱり。

 そういう意味では、わりとアコースティックっぽかったカンタロープの、ソロの1フレーズ。それが一番だったのかな。身体が騒いだのは、アンコールのカメレオンだったけどね。

 っていうわけで、わりと押して終わったお昼の部。1時間ちょっとのインターブレイクで、夜の部突入だから、ここで食べ物とアルコールの補充。
 とはいえ、アルコールは大阪の空港から飲み続けなんだけどね。
 中庭でやっているアマチュアのビッグバンドの熱演をBGMに、キューバ料理っぽい屋台に並んで、ジャガイモとチキンと。飲み物はもちろんミントいっぱいのモヒートで。
 座るところないから、おばちゃんが二人で座っていた丸テーブルに、食べ物だけ置かせてもらって。
「なんか急に混んできたね?」
「今、ホールが終わったんでお客さんが出てきてるんですよ」
「ホールでもやってるんですか? 誰出てたんですか?」
「ハービーハンコックとかですよ」
「え、ハービーハンコック? そんな有名な人きてるんですか」
「そうですよ。僕なんかこれ観に大阪から来たんですよ」
 とかいう会話を楽しんで。
 たまたま通りかかった、ちょっとジャズが好きな人にとっては、この、屋台と人がいっぱいで特設ステージからジャズが聞こえてくる、国際フォーラムの中庭が東京ジャズ、なんだね。
 渋谷に引っ越しちゃうなんて、もったいないなあ。

 というわけで、お腹もいっぱいになったところで、後半戦、夜の部。
 メセニーとクリスチャン。
 メセニーは、マウントフジが横浜だかの屋内コンサートになった時に見たのかな。山中湖でも一回来たっけ? 大学ジャズ研の時にふぁーすとさーくるとか80・81とか流行ってたけど、その頃は爽やかな音楽ってあんまり興味なくって、素通りしてたんだよね。ちょっと後のジョンスコとジョーロバーノだったっけ、あのバンドの方が好きだったなあ。

 というわけで、メセニーなんだけど。
 ウッドベースとのデュオで、アコースティク系のギター3本を使い分けるメセニー。これがいいんだよね。ロンカーターとジムホールみたいで。
 あまりに丁寧に刈り込まれた盆栽を愛でている感じで、本当に気持ちよくウトウトしちゃったよ。
 あ、めちゃくちゃ褒めてるんだけどね。

 そして、その次。
 多分、知名度から行ったらこの日のダントツワースト1なんだろうけどね。キューバのピアニスト。
 キューバの音楽って言ったらそれはもうすごいし、ゴンサロちゃんだっているから、僕的にはものすごく期待してたんだけどね。

 そして。
 いやあ。楽しかったなあ。
 ピアノはね、パーカッシブな情熱系ピアノ、っていうことでは、ゴンサロちゃんや、みしぇるかみろ、上原ひろみとかよりインパクトには欠けるなあ、と思って見てたんだけど。
 何よりも、このバンド。
 ベースが、変態。超変態。
 セネガル人のエレキベースなんだけど、暴虐無人、KY。前後のつながり全く無視して、全く違うテンポのおかずを入れまくって強引に曲を変えてみたり、ピアノより指回るんじゃないか、っていうチョッパーソロを入れてみたり。
 ピアノの弟でこれも元気のいいたいこと合わせて、サイモンフィリップスが二人いる上原ひろみトリオみたい。誰も苦笑いしながら後ろから支える、とか考えないの。やりたい放題。
 ジャンルは違うけど、マイルス黄金カルテットの時のやりたい放題感ってこんな感じだったのかなあ。まあ、ただただ楽しくって大笑いしてただけなんだけどね。

 あんまりお腹の皮よじれちゃって。
 次はトリのナベサダなんだけど。心の準備ができないまま、ハイボールだけ飲んで突入しちゃったんだよね。
 これもマウントフジ以来、25年ぶりくらいのナベサダ。あの頃から伝説の巨匠だったけど、まだまだ現役なんだよね。

 ナベサダバンドは、ルーニーとかアメリカのバリバリミュージシャンいっぱいよんで、bebopナイト。
 そうだね。ナベサダは、bebopを日本に持ち込んだミュージシャンなんだよね。多分。

 ジャズっていう音楽は、時代とともに形を変えていく音楽で。bebopっていう肉食系の音楽や、それに使われていたフレーズは、ハードバップからモード、スムースジャズとかどんどん草食系になってトゲトゲ感が薄れていくんだけど。
 ナベサダのbebop、かっこいい。
 横にいるのがマイルスの物真似で世に出た(嘘だけど)ルーニーだったこともあって、それはもろにパーカーフレーズ。

 bebopって、基本的にはバンド内バトルの音楽なんだよね。誰が受けるか、誰がもてるかをバンド内で競うために、テンポは早く、メロディは複雑で、ソロは、あるものは溢れるブッ速フレーズで勝負して、あるものはハイトーン、ビッグトーンで勝負して。負けたらすごすご引き下がる、っていう、そういうバトル。
 ナベサダのbebopには、そういう匂いがプンプン残っていて。ハードバップの曲だと単なるジャムセッションになっちゃうんだろうけど、いいなあ。bebop。
 小曽根の草食系バンドの人たち、見てたかな、これがジャズだよ。

 ああ、楽しかったなあ。
 久しぶりに、思う存分ジャズ聴いたよ。

 ただ、それだけのはなし。

ウィントン・マルサリスは、本当にジャズを殺したのか? 中山康樹の遺作2015年12月12日

 このごろ、読むジャズに触れる機会が多くってね。

 大抵は、マイルスがらみなのだけれど。

 

 まあ、それはあとでゆっくり書きたいな、と思っているのだけれど、マイルスから、「マイルスを読め」の中山康樹さんにたどり着いて。今年の初めになくなった中山さんの、最後の本が、ウイントン・マルサリスに関する本だったから、読んでみたよ。

 ウィントン・マルサリスは、本当にジャズを殺したのか?

 


 まあ、僕には、本当にジャズが殺されているのか、死んでいるのか、本当に死んでいるとして、それがウィントンの前だったのかあとだったのか、よく分からないのだけれどもね。

 ウィントンは、同世代に生きる、影響力の大きなミュージシャンであり、僕の中でも、一般的にも毀誉褒貶の激しいヒトであって。しかも村上春樹に「ウィントンの音楽はなんて退屈なんだろう」なんて書かれてしまって、メディアにすっかり嫌われている印象があってね。

 でも、大学時代に、出たがりウィントンの圧倒的なライブを目にすることが出来た僕は、新譜を見つけたり、来日公演を見つけたりするとせっせと買ったり足を運んだりするくらいのファンではあってね。

 ジャズを殺したのがウィントンだなんて言うのなら、あの世の中山さんに文句のひとつもたれてやろう、と読んでみたんだよ。

 もちろん、中山さんは、好きな物を魅力的に書くヒトだから、こてんぱんにはなっていないだろう、とは思っていたのだけれどもね。

 

 ウィントン・マルサリスはね、僕がジャズに興味を持った1980年代に、すごい勢いで台頭してきた、ジャズのラッパ吹きで。

 僕も金管楽器を吹いていたから、いや、楽器を演奏したことのない人にも多分ヒト耳で分かる、圧倒的なテクニックを、最初から持ってたんだよね。そう、マイルス・デイビスなんて相手にならないほどの、圧倒的なテクニック。

 ただし、水掻きのついた、いかにも肉厚のモネ製のラッパから出てくる音は、どっちかって言うとクラシックの音で。マイクの前で仁王立ちになって、足の位置を動かさずにクールに圧倒的なソロを吹く様は、ハイトーンに逃げたり、音を外したりという、ジャズを聴き始めの高校生にとっての「分かりやすい」熱さがないから、ちょっと近寄りがたかったんだよね。

 その頃のぼくらのアイドルは、火を噴くトランペット、クリフォード・ブラウンだったからね。

 

 大学のジャズ研に入っても、まあみんなの印象もそんな感じで。その頃聴いてたのは、ハンコックや、メッセンジャーズのやつだったかな。高校の時には、ブラックコーズとか聴いてるやつもいたな。

 

 その評価が、僕の中で一変したのは、マウントフジジャズフェスに、ウィントンが来たとき。

 マジェスティ・オブ・ブルースが出た頃かな。ディキシーウィントンっていわれてた頃の、7重奏団。

 もちろん、自分のバンドはそれはそれで、すごかったのだけれども。でも、やっぱりディキシーでは、二十歳そこそこの若者は燃えないんだよね。

 なんだけど。

 ウィントンは、三日と二晩、あらゆるセットに、ラッパを持ちながら袖で控えててね。

 ジャムセッションや、ジャムっぽいディジー・ガレスピーのビッグバンドなんかに出ずっぱり。ジミー・スミスもいたっけ?

 他人の出番のステージに招かれて、嬉しそうに出てくるウィントンを、ぼくらの仲間が「出たがり〜」ってやじったら、カメラマンのおっさんが、こっちを向いて大受けしてたな。

 そんな、大先輩のバンドに飛び入りし多ウィントンは、吹ける喜びに満ちあふれた、熱い、圧倒的なソロを繰り広げてね。

 エレクトリックベースがチョッパーしている横で、モネのラッパでオールドスタイルなソロを取るウィントンに、ぼくらは両手を挙げて喝采を送ったんだよ。テレビ放送を見てとやかく言う輩には、生で観なきゃわかんないんだよね〜、って、同情したりして。

 

 そこから、昔のも含めて、ウィントンを聴きだしたんだ。四半世紀も前の話だね。

 


 だから、リアルタイムで聴いたのは、マジェスティ・オブ・ブルースから。それから、クリスマスカード、Tune in Tomorrowあたりは、大好きだったな。一番聴いたのは、Standard Time Vol.3の、オヤジさんと一緒にやった、Resolution of Romanceだな。この、音色の多彩さ、これが僕にとってのウィントン。

 あとは、エルビンとやったPitInnのライブかな。

 その後の南部3部作、それからリンカーンセンターの音楽監督になっちゃって、なかなか新譜も来日もしなくなっちゃったけれど。

 でも、今でも新譜が出る、って分かったら、結構マメに買ってるんだよね。

 

 そうそう、中山さんの本だよね。

 60年代に生まれ、70年代って言う、「ジャズのない時代」に、デビューして、マイルスやクリフォードなど、伝説の大物の再来、にしたがるレコード会社をすり抜けながら、「勉強したジャズ」を演奏する、クラシックの演奏家。やがてジャズの歴史に傾倒し、アメリカ音楽のアイデンティティを伝承する意志を固めていく。

 結果を観ると、そういうことになっていくんだよね。

 

 ウィントンの評価を巡る、日米の乖離。それは、この本ではじめて気がついたけれど。確かに、昔騒いだほどには、ウィントンの新譜も話題にならないよね。

 ただ、スウィングジャーナル無き今、なかなか海外ジャズの情報が無いんだよね。

 僕がスウィングジャーナルを読んでいたのは、気がついたら中山さんが編集長をしていた時代と重なっていて。

 そうか、中山さんにすり込まれたんだな。ウィントン。

 

 でも。

 リンカーンジャズセンターの監督になってから、あんまり聞こえてこなかった、ウィントンが、アメリカでこんなに評価されている、っていうのは、嬉しいよ。

 

 なんだかんだいっても、同世代のスターだしね。

 

 ただ、それだけのはなし。