尾高忠明の、ブルックナー1番2024年11月21日

 いやあ、古狸の尾高さんに、すっかりだまされちゃったね。


 尾高さんが毎年テーマを決めてシンフォニーホールで開催する特別演奏会。何回かの演奏会で、集中的にある作曲家の作品を取り上げるのだけれど。ベートーヴェンとかブラームスとか、チャイコフスキーやドヴォルザークもやったんだっけ? 

 僕は、年によっていったり行かなかったり。また、チケットは取っても行けなかったことも結構あって。なかなかにもったいない感じだったのだけれども。


 今年は、モーツァルトとブルックナー。シンフォニストの理想を求めて、っていうサブタイトルがついていて、ブルックナーの初期の交響曲と、モーツァルトの後期の交響曲を一曲ずつ、3回のコンサートで演奏する、特別演奏会。

 僕は、オオウエエイジの時代に定期演奏会を聴いていた席の近くに陣取って、3回のコンサートを聴いたよ。とはいえ、最初は6月だったかな。東京出張と重なって、東京での後始末を仲間に頼んで、新幹線に飛び乗って、新大阪からタクシーでシンフォニーホールに飛び込んだときには、モーツァルトは終わっていて、ブルックナーの0番にやっと間に合った、って言う感じだったのだけれど。


 まあ、過ぎたことはいいや。


 0番、2番と聴いてきて、今回は1番。

 ブルックナーの初期の交響曲って、あんまり聴く機会がないんだよね。全曲演奏を目指しているオケと指揮者とか、新人に機会を与えてみようか、っていう時くらいしかステージにかからない気がする。(違ったらごめんね)

 大フィルの音楽監督になってから、ブルックナーの交響曲を録音してきた尾高さん、この3曲と来年早々の4番で全集になるんだよね。ご苦労様でした。


 とはいえ、演奏機会が少ないのはやっぱり人気が、中期後期の交響曲に比べたら劣るからであって。平日夜のコンサートのわりには、ちょっと空席が目立つのはもったいなかったね。


 さて、モーツァルト。

 って言う事になるのだけれど。

 これはもう、ひたすらに心地いい時間で。それが、モーツァルトの心地良さなのか、尾高さんと大フィルさんの心地良さなのか、僕はもう考えるのを放棄するしかないのだけれど。

 41番、ジュピターっていう名前のついた、溢れるように曲を作ってきたモーツァルトの、最後の交響曲。だいたいベートーヴェン以降の交響曲は、9番縛りというのが呪いのように存在していて。9曲作ったら神に召されてしまう、っていう都市伝説なのだけれど。41番、っていうことはその前に40曲も作っているわけで。9番縛りなんてモーツァルト(とハイドン)には全く関係ないんだよね。

 それだけ、1曲1曲がライトで短い者が多いのだけれど。でも、この41番は演奏時間30分を越える立派な交響曲でね。

 その分、その音に浸らせてもらったよ。


 そして、ブルックナー。

 

 その前に、今回の演奏会の入場時にもらったチラシには、来年度の定期演奏会のプログラムがついていてね。あ、定期演奏会って、ほぼ毎月、年10回の演奏会で、オーケストラの主要な公演なのだけれど。

 まあ、攻めたプログラムであること。

 井上さんのときから、ドイツものはイヤや、っていうプログラムを組むことが結構あったのだけれど。来年は振り切ってるね。

 まず、ベートーヴェン、ブラームス。ブルックナーやマーラーとかの交響曲がいっさいない。交響曲って、ハイドンとチャイコフスキーがひとつずつくらいなのかな。

 尾高さんは、ブルックナー全曲終わったからって、大好きなエルガーばっかりだし、他にはハルサイとかデュトワのダフクロとか、それからモツレクとか。久しぶりの演奏会形式のオペラとか。

 なんだ、聴き所満載じゃないか。

 個人的にエルガーがあんまり得意じゃないので、ちょっとエルガー克服年度になるのかな。でも、デュトワのダフニスとクロエ、80年代の埼玉の吹奏楽少年としては聴かずに死ねるか系の演奏会になりそうだね。

 交響曲は、特別演奏会でベートーヴェンのチクルスやってくれるみたいだし。

 というわけで、来年も楽しみだね。


 あ、ブルックナー。

 休み時間に読んだプログラムに、尾高さんのインタビューが載っていて、そこには、「僕のブルックナーはウィーン仕込みですから、朝比奈さんみたいながなるだけの音楽とは違うんですよ。楽団員にはジェントルに行こうね、っていうんですけど、やっぱり「がーん」ってなっちゃうんですよね。体質ですかね、大フィルの」(意訳)。みたいなことが書いてあって。さぞかし上品なブルックナーを聴かせてくれるのだと思っていたのだけれど。


 いやあ、すごいなあ。

 1番って、こんな曲だったっけ。

 隙あればバリバリならすトロンボン。楽章の終わりの音が切れるときに、ふわっ、ではなくざらっと粒子が残る生々しさ。

 これは、ジェントルに行こう、っていって出来る音楽じゃないよ。

 楽しー。


 ブルックナーの交響曲は、トロンボン優性の演奏とホルン優性の演奏に分かれる、っていうのを読んだことがあって。まあ、それぞれ活躍の場があるからどっちか黙っとけ、というわけではないのだろうけれど、トゥッティのバランスのときにどちらに耳がいくか、っていうことなのだと思うのだけれど。

 でも、今日の1番は、曲としてトロンボンが優性な曲、にきこえたんだよね。大優性。

 それを気持ちよさそうにバリバリするトロンボン。いいなあ。


 それが尾高さんの棒なのか、大フィルさんが「ドン」とやったのかわからないけれど、終楽章の最後の方、結構アンサンブルが乱れて。トゥッティの出が揃わないところがいくつかあって。

 

 最後の、コーダ。

 あれ、トロンボン、なんかやらかした?

 ちょっと早く出ちゃったヒトがいたかな。

 まあ、それも盛り上がりの一環、っていうくらいに大盛り上がりで怒濤のブラーボーコールだったね。


 拍手を受けているときにトロンボンの3人を見ていると、トップの福田さんが自分を指さして「私、私」みたいな感じで笑っているやら謝っているやら、だったけど。


 でも、1番って退屈なのか、と思っていたんだけど、認識あらためます。面白い曲。面白い演奏だったな。

 尾高さんのインタビュー、結構前から考えていた韜晦というか、しゃれだったのかな。食えないオッサンや。

 大好き。


 ただ、それだけのはなし。


2024年11月14日
ザ・シンフォニーホール特別演奏会 シンフォニストの理想を求めて
モーツァルトとブルックナー III