東京の、不思議な夕焼け ― 2009年12月02日
東京の夕焼けは不思議だね。
だって。
少し前に、久しぶりにプライベートで東京に行ったんだ。昔の仲間との同窓会があってね。夕方からの会だったけれど、ちょっと余裕を持って、少し早めのフライトを予約して。
その日は、大阪はそうでもなかったのだけれど、ちょうどそのころ、東京は大嵐だったらしく、飛行場で2時間近く待たされたりしてね。
伊丹でビールを飲んで。到着が遅れて飲み会の前にホテルにチェックインすることも出来ず、中途半端に時間が空いてしまったから羽田でも飲んで。本番の前に、既にかなりいい気分になってしまっていたのだけれど。飲みに行ったんだからいいよね、それでも。
そんなこんなで、お昼に着くはずが、結局モノレールに乗り込む頃にはもう薄暮といっていいくらいの時間になっていてね。
そういう時間。モノレールでトンネルから地上に出たとたん、不思議な光景が目に飛び込んできたんだ。
僕がデジカメを持っていないのを悔やんでいる横で、斜向かいに座っていたおネエちゃんがケータイカメラでカシャカシャしていたから、それは美しい風景だったのは間違いないと思うのだけれども。
でも、不思議だったんだよね。
正確には、その時はちょっとした違和感だったものが、モノレールに乗っている間にどんどん不思議さを増していった、っていう感じ、なのかなあ。
あ、夕焼けの景色のことなのだけどね。
飛行機が飛べないほどの嵐がついさっきまであったとはとても思えないほど、空気が澄み渡っていて。台風一過ってこんなんだろうなあ、でも雲も多いけど。とか思いながら窓の外を見てたんだよね。トンネル抜けたとき。
窓の外は海、なのだけれど、その向こうに、夕焼けとはまだ言えない、夕方の、黄色く色づいた雲が広がっていて。
そして、雲が切れて水平線、っていうか海はすぐになくなっちゃうから地平線なのかとにかく雲と何とか線の間には、なにひとつない空が、チエコに言われるまでもなく小さくて狭い東京の空が、それでも広がっていたのだけれど。
それが、蒼い、んだ。
その上の雲は、っていうか空、あるいは景色全体を支配しているのは、間違いなく夕暮れの、気怠い黄色から橙への変化途上のムードなのだけれど、雨と風に洗い流された空の一画だけは、黄昏を否定して、若々しく瑞々しい、蒼天と言っていい蒼さを、残しているんだよね。蒼天というには、見上げるというニュアンスはないのだけれど。
それが、トンネルから出たときにはまだ夕焼けというよりも黄昏の黄色で。
でも、モノレールが浜松町に向かって走っていく間、港湾の倉庫やその向こうの高層ビルの間からちらちら見える空は、だんだんと紅く染まっていって。どんどん夕焼けになっていった。
それでも、雲の向こう、何とか線との間のチエコの空はいつまでも蒼いまんまだったんだよ。
不思議だよね。
「夕陽が背中を押してくる 真っ赤な腕で押してくる」って唄って確認するまでもなく、夕焼けが紅いのは太陽が紅いから、の筈だよね。それなのに、その太陽がいるはずの空が、いつまでも蒼いなんて。
モノレールが浜松町に着く頃には、もう空は普通の夕焼け空になっていたのだけれどもね。
この日東京に来なければ。飛行機が遅れなければ。羽田でビール飲んでなければ。モノレールじゃなくて京急を選んでいたら。そして、一本でも前か後ろの列車に乗っていたら。
こんな不思議で、こんなキレイな風景、見ることが出来なかったんだよね。
もちろん、何百何千っていうそういう風景、僕は見逃しているとは思うのだけれども。たまにでも見ることができたその幸運、きちんと喜んであげたいよね。
ありがと、僕のGood Luck。
ただ、それだけのはなし。