水滸伝 18巻 ― 2008年03月22日

僕は、わからないんだよね。
来月の今日、僕は、水滸伝の19巻を、本屋さんで手に取れるんだろうか。
毎月一冊ずつ、文庫本になっていった北方謙三の水滸伝。来月で完結なんだよね。
先月は、僕の大好きな隻腕の魯達が死に、今月は、騎馬隊の淋仲が死んだよ。
水滸伝を今まで読んだことのない僕も、この頃はやっと分かってきたからね、水滸伝が漢達の死に様の物語だってことが。だから、覚悟して読むから、死にゆくことに過度に心を揺り動かされたりはもう、しないのだけれども。
でも、来月の最終巻。
僕はやっぱり、わからないんだよね。
本屋さんで手に取るかどうか、がね。
だって。
水滸伝は、野望の潰える物語、なんだよね。
だとしたら、最終的に勝利は童貫の、宋のもので、史進も宋江も、みんなみんな滅んでいくんだよ。その死に様に向き合うには、こっちもそれだけの準備をしないと、失礼だよね。
ただ、もう続編が出ている、ってことで死なないと分かっている陽令だけは、安心して追いかけていられるけれど。でも、ちょっと唐突にスーパーマン過ぎるなあ。今月の陽令君は。
前に、水滸伝のもうひとつの楽しみは解説者、っていう話をしたことがあったけれど。もうひとつあるんだよね、水滸の楽しみ。
それは、最終巻が出たあとにまとめてゆっくり紹介するとして。
今回は、もう一回解説の話をするね。
最後の近い今月の18巻は、徹頭徹尾戦のお話で。苛烈な激闘の末のほんの小休止を経て、最後の大決戦に向かう緊張感で終わるのだけれども。
その、最後のページをめくって。
いきなり左のページから始まる解説。
今月の解説者、夢枕獏なんだよね。
ページをめくったとたんにそれが目に飛び込んできて、なんかほっとした。知り合いのいなくて緊張しているパーティに、不意に旧知の友人を見つけた時みたいにね。
夢枕獏はね、北方謙三と大体同じくらいにデビューして。いろいろなジャンルを書くのだけれど、一見ハードボイルド風な物語もそのレパートリーのうちだから、どこかでつながりがあるのかも知れないね。
僕が知っている二人のつながりは、棋翁戦てんまつ記っていう本の中で、北方が獏さんに手紙を書いている、その部分だけなのだけれど。
この棋翁戦てんまつ記っていう本は、ホントにしょうもなくて、僕は大好きなのだけれど。
推理作家協会な人たちがどっかで飲んでいて。このうち誰が強いんだ、っていう話になって。
俺だ俺だ、それでは相撲で勝負じゃ。いや店内では迷惑がかかる。それでは将棋で勝負じゃ。ってことになって。
その素人の棋譜と、勝者の雄叫びと、敗者の苦悶の言葉がどっかの雑誌に載っかって。ええいにっくき○○。某が負けた△△にかわって成敗いたす、ってことでどんどん乱入で膨らんで。そんなときに北方が、
「お前ら、小説で勝負しろ」って手紙を書いて。
あいつは将棋が打てないからあんなことを言うんだ、ってあんまり効き目はなかったのだけれども。
参加したバカな作家は、夢枕、逢坂、船戸、志水、黒川、宮部などなど。なんかもう一回読みたくなってきたな。
そういうわけで、まあ遊び仲間だな、というのは知っていたのだけれど。
大河ドラマのように、時の流れが主役で細部にこだわらない物語を、ファンタジーはリアルに宿るといいきる獏さんがどう解説するのかな、と思ったのだけれど。
案の定、というべきなのか。
ひとっことも、水滸伝には触れず。
まあ、それもありだよね。
この緊迫したクライマックスに、現代娯楽小説における北方水滸伝の位置づけは、とかいわれても困るものね。
徹頭徹尾お遊びの話題に終始した獏さんの解説。勿論賛否両論で、否の方が多いかも知れないけれど。
でも、それがなかったら、ぐぐっと入り込んだ三時間から目覚めることもできず、来月まであの物語の中に取り込まれるハメになったかも知れないものね。
そう考えると、僕が獏さんのファンだということを抜きにしても、いい解説だったよね。
さて。
僕は手に取ることができるのかな。
来月。
ただ、それだけのはなし。
来月の今日、僕は、水滸伝の19巻を、本屋さんで手に取れるんだろうか。
毎月一冊ずつ、文庫本になっていった北方謙三の水滸伝。来月で完結なんだよね。
先月は、僕の大好きな隻腕の魯達が死に、今月は、騎馬隊の淋仲が死んだよ。
水滸伝を今まで読んだことのない僕も、この頃はやっと分かってきたからね、水滸伝が漢達の死に様の物語だってことが。だから、覚悟して読むから、死にゆくことに過度に心を揺り動かされたりはもう、しないのだけれども。
でも、来月の最終巻。
僕はやっぱり、わからないんだよね。
本屋さんで手に取るかどうか、がね。
だって。
水滸伝は、野望の潰える物語、なんだよね。
だとしたら、最終的に勝利は童貫の、宋のもので、史進も宋江も、みんなみんな滅んでいくんだよ。その死に様に向き合うには、こっちもそれだけの準備をしないと、失礼だよね。
ただ、もう続編が出ている、ってことで死なないと分かっている陽令だけは、安心して追いかけていられるけれど。でも、ちょっと唐突にスーパーマン過ぎるなあ。今月の陽令君は。
前に、水滸伝のもうひとつの楽しみは解説者、っていう話をしたことがあったけれど。もうひとつあるんだよね、水滸の楽しみ。
それは、最終巻が出たあとにまとめてゆっくり紹介するとして。
今回は、もう一回解説の話をするね。
最後の近い今月の18巻は、徹頭徹尾戦のお話で。苛烈な激闘の末のほんの小休止を経て、最後の大決戦に向かう緊張感で終わるのだけれども。
その、最後のページをめくって。
いきなり左のページから始まる解説。
今月の解説者、夢枕獏なんだよね。
ページをめくったとたんにそれが目に飛び込んできて、なんかほっとした。知り合いのいなくて緊張しているパーティに、不意に旧知の友人を見つけた時みたいにね。
夢枕獏はね、北方謙三と大体同じくらいにデビューして。いろいろなジャンルを書くのだけれど、一見ハードボイルド風な物語もそのレパートリーのうちだから、どこかでつながりがあるのかも知れないね。
僕が知っている二人のつながりは、棋翁戦てんまつ記っていう本の中で、北方が獏さんに手紙を書いている、その部分だけなのだけれど。
この棋翁戦てんまつ記っていう本は、ホントにしょうもなくて、僕は大好きなのだけれど。

推理作家協会な人たちがどっかで飲んでいて。このうち誰が強いんだ、っていう話になって。
俺だ俺だ、それでは相撲で勝負じゃ。いや店内では迷惑がかかる。それでは将棋で勝負じゃ。ってことになって。
その素人の棋譜と、勝者の雄叫びと、敗者の苦悶の言葉がどっかの雑誌に載っかって。ええいにっくき○○。某が負けた△△にかわって成敗いたす、ってことでどんどん乱入で膨らんで。そんなときに北方が、
「お前ら、小説で勝負しろ」って手紙を書いて。
あいつは将棋が打てないからあんなことを言うんだ、ってあんまり効き目はなかったのだけれども。
参加したバカな作家は、夢枕、逢坂、船戸、志水、黒川、宮部などなど。なんかもう一回読みたくなってきたな。
そういうわけで、まあ遊び仲間だな、というのは知っていたのだけれど。
大河ドラマのように、時の流れが主役で細部にこだわらない物語を、ファンタジーはリアルに宿るといいきる獏さんがどう解説するのかな、と思ったのだけれど。
案の定、というべきなのか。
ひとっことも、水滸伝には触れず。
まあ、それもありだよね。
この緊迫したクライマックスに、現代娯楽小説における北方水滸伝の位置づけは、とかいわれても困るものね。
徹頭徹尾お遊びの話題に終始した獏さんの解説。勿論賛否両論で、否の方が多いかも知れないけれど。
でも、それがなかったら、ぐぐっと入り込んだ三時間から目覚めることもできず、来月まであの物語の中に取り込まれるハメになったかも知れないものね。
そう考えると、僕が獏さんのファンだということを抜きにしても、いい解説だったよね。
さて。
僕は手に取ることができるのかな。
来月。
ただ、それだけのはなし。