じいさん、ブル5,エクストン2006年10月15日

 夜長の秋だね。
 一年半のお祭りが終わりを告げて。けじめをつけた先週の土曜日。三連休だったから、あと二日も余っちゃってね。久しぶりに、家でクラッシック音楽を、いろいろと聴いたよ。
 
 それも、じいさんの、ブルックナー。
 
 人に勧めるのは、断然8番なんだけどね。それも1994年のやつ。でも、あの演奏に限らずじいさんの8番を聴くことって、滅多にないんだよね。特にこのごろ。
 あれだけのおおきくて峻烈なものと対峙するための、心の準備と覚悟がなかなかできなくってね。
 
 だから、今回聴いたのも、8番ではなくて、5番と4番。2001年の、EXTON盤。
 2001年は、じいさんが亡くなった年で。この、21世紀最初の年に、じいさんはブルックナーの主な交響曲を、たくさん演奏して、それらがどんどんCDになった。それがEXTON盤。あ、4番は2000年だったね。
 その中で、僕が聴きにいった演奏会がCDになってるのは、この5番と4番、それから7番かな。あ、9番もやね。
 
 まあ、それらはオイオイとして。今回聴いたのは5番と4番。
 4番は、ロマンティックっていう副題(正式なものかどうか知らないけれど)がついていて、結構聴きやすくてポピュラーな曲。聴きやすいっていうのは、感情移入ができるメロディがある、っていうこと、なんだろうね。
 5番は、金管大活躍の、これぞブルックナー、っていう感じの曲なのだけれども、CD一枚に収まりきらない長さと、あんまりコンサートにかからない(オケの負担が大きいんだろうね)こともあって、僕が好きなほど、評価はされてない気がするんだよね。それが、これぞブルックナー、なんだけれどもね。
 もちろん、じいさんにはこの演奏の他に、たくさんの演奏が残されているんだけれど。僕が生で聴いたのは、どっちもこの演奏一回だけ。
 
 改めて、ちゃんと聴くとね。
 ああ、なんてきれいなんだろう。
 
 家の、キットを組み立てた真空管アンプとバックロードホーンのスピーカーは、たぶん低音域が鳴りすぎで、それがブルックナーに良く合うんだろうけれど。もちろんその響きもそうなんだけれども、きれいっていうのはね、その透明感。
 
 僕はたぶん、最近の大フィルをたくさん聴いている何百人かのうちの一人にはいると思うのだけれども。だから、大フィルのうまさをよく知っているつもりなのだけれども。
 それでも信じられないんだよね。
 この透明な響きを、大フィルが出したんだ、ってこと。そして、それを僕は、生で聴いていたんだ、ってこと。
 5番に関してはね、コーダで、トラが入ったときに感じたあのめくるめく感じが再現してるとは言い難いんだけれども。
 でも、そんなこと問題にならないくらいの、心地いい驚き。
 4番を生で観たときに感じた、上から光が降りてきて、じいさんに降り注ぐようなイメージが、そのまま保存されてるんだよね。
 年と共にいろんなものをそぎ落としていって、最後に残ったのは、これが本当のブルックナー。ってじいさんが思った響きなんだよね。あらためて、ありがとね、じいさん。
 
 じいさんのブルックナーって、たくさんあって個々の印象がよくわからないから、違った種類を聴くたびにちょこちょこ書いていこうと思うんだけどもね。
 この分じゃあ、本当に自分のための備忘録にしかならないね。まいっか。
 
 ただ、それだけのはなし。