尾高さんの、ブル8 in 2024 ― 2024年12月23日
だから、いろんなオケでブルックナーの演奏を聴く機会があって、嬉しいのだけれど。
その中で、僕としては今年の白眉の演奏会があったんだよね。
尾高忠明指揮、大阪フィルハーモニー交響楽団 ブルックナー8番 @ザ・シンフォニーホール。
大フィルさんは、その設立から50年以上にわたって、朝比奈隆っていう一人の指揮者がずっと音楽監督を務めていて。50年以上って、第二次世界大戦中満州のオケを振っていた朝比奈さんが帰ってきてオーケストラをつくって以来、っていうことだから、まあ、日本人が奏でる戦後クラシック音楽の歴史そのもの、っていうことになるよね。
その朝比奈さん、っていう指揮者は、特に晩年は、ブルックナーの交響曲の演奏にとても人気があって。それって、日本になじみの薄かったブルックナーを根気よく取り上げて、オケも、お客さんも育てていった結果なんだよね。
そういうわけで、大フィルのブルックナーときたら朝比奈さんが振らないといけない、ということになっていたようで。特に一番の大曲、8番は、朝比奈さんの没後も時の音楽監督しか振ったことがない、という事みたい、なんだよね。
確か、朝比奈さんの最晩年、パーヴォ・ヤルヴィが定期でブルックナーの4番を振ったときに、定期で朝比奈さん以外が振ったのははじめて、とかいわれていたような。(下野竜也さんは定期じゃなかったっけ?)
まあ、そういうのはどうでもいいのだけれど、数あるブルックナーの交響曲の中で、一番長くって、完成している最後の交響曲で。ブルックナーが生涯追い求めていた(だろう)「神の創った世界を音楽で再現する」ことに一番近づいた作品、だと思うんだよね、第8番って。
ベートーヴェンが、第九で「人類の到達点」としての作品を実現して、そのつぎはないままに神に召された、って僕は思っていてね。「まあ、人間としてはこの位にしておこうか」って。その後、「交響曲9曲創ると神に召される」って言う9番ののろいの都市伝説があったみたいなんだけど。
ブルックナーの場合は、第8番でその域に到達して、第9番の作曲途中に「まあ、この位にしておこうか」って神様に召された、という意味では、ベートーヴェンよりも一楽章分だけ偉大な作曲家、だと思ってるんだよね、ぼくは。あくまで個人の感想なのだけれど。
というわけで、朝比奈さんが亡くなって四半世紀になろうとしているけれど、まだまだブルックナーを得意とするといわれている大フィルさんの、8番。楽しみだなあ。
指揮者の尾高さんは、あんまりブルックナー(だけ)を得意としている、という印象はないのだけれど、大フィルさんを指揮して、コツコツとブルックナーの録音を発表して。3番から9番のCDを発売済で、この前0,1,2番の演奏会をしたから、ブルックナーは二巡目になるんだね。大フィルで二度目の8番、どうなるんだろう。
僕が取った席は、この前の0,1,2番とほぼ同じ、オオウエエイジの時代の定期演奏会を聴いていた席に近い、一階席通路直後の右側、10列目くらいなのかな。このごろは、フェスの定期は15列目で、PACは二階席だから、もう少し後ろの席で聴くことが多いのだけれどもね。
演奏はね。
その、いつもの席より前めだからなのか、響きに満たされるシンフォニーホールだからなのか。
よくきこえるんだよね。
この前の第1番のときにも書いたけど、それぞれのパートをしっかり鳴らしているから、どのパートがどんな音を出しているのか、っていう音の解像度がとても良くて。
僕がはじめてブルックナーの8番を生で聴いたのは、朝比奈さんの昔のフェスでの定期演奏会だったと思うけど。その時はブルックナーを知ってすぐで、今に比べたら聞き込んでもいなかったから、「曲があまりにも巨大で、取り付く島がない」って感じたんだよね。その敗北感というかもったいなさというか、今でも良く覚えているけれど。
今回は、それよりはもう少し曲のことが分かっていて。だから、いつもは意識しない楽器のフレーズとかがよく聞こえててくるのだけれど。
よく聞こえてくるのだけれど、なんか、それが一つの音にならないんだよね。
一つ一つの音はとてもよく聞こえてくるのに、それがまとまった音楽として聴こえてこない、って言う感じかな。何度もくり返すけど。
その上で、一つ一つの音量が大きくて、一楽章からトロンボンはがなっているように聞こえるし、ラッパに至ってはその音量についてこれないし。
なんかちょっと、too muchなんだよね。
広いフェスティバルホールで鍛えられた大フィルさんだから、シンフォニーホールでは収まりきらない音を出しているのか、いつもより近い席で聴いているから反響と生音のバランスが違うからなのか。
全体を見回せる距離から見るといい映画を、最前列でいちいち視線を動かさないと全体が見えない、っていう感じなのかな。
あ、僕は映画館では結構前の方に座るのが好きなんだけどね。
ブルックナーの交響曲には、神々しさを求める聴き方と、もう一つは大編成が奏でる大音量のカタルシスを求める聴き方があって、それはべつに相反するものでは無いのだけれど、今回の尾高さんの8番は、後者に重きを置いているように感じちゃったんだよね。
それはそれで楽しくて、シンフォニーホール特有の、音が天井に吸い込まれるブルックナー休止とか、楽章の終わりの静寂とか愉しんだのだけれど。
生音がビビッドに聞こえてくる分、アダージョのワグナーチューバのロングトーンを含め、やっぱり神々しさは期待したものでは無かったなあ。
それでも、終楽章に至るまで全く衰えないパワーで、心地よい高揚感と虚脱感を味わえたから、いい気分で帰途についたんだけどね。
そろそろ、いろんな人にブルックナー振ってもらってもいいんじゃないかなあ。
それも楽しみだもんね。
ただ、それだけのはなし。
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