尾高さんのエニグマと、祝Trb復帰!! ― 2026年04月13日

 春だね。

 桜の花は今年も見事に咲いて、そして今では散ってしまったけれど。今、うちには5年前にもらった胡蝶蘭が、最後の蕾を開かせようとしているよ。


 4月といえば、新年度だね。僕の生活環境もちょっとだけ変わって。

 そして、大フィルさんの定期演奏会も、新しい年度に突入したね。


 大フィルさんの定期、会場がフェスティバルホールに移ってから、ずっと同じ席で聴いていたのだけれど、今年度から、少し場所を移ったんだよ。

 BOX席真後ろど真ん中の席は、音は良いのだけれど、ちょうどフルートあたりが指揮者の影で見えない席でね。音の小さい楽器ががんばっているのを耳だけじゃなくって目でも追いかけたくって、少し後ろ、少し角度のある席に変えたんだ。

 今日が初めての新しい席、どんな音がするんだろう。


 新年度最初の定期は、尾高さんの指揮で、エルガーのエニグマ変奏曲。って、2月にオールエルガープログラムやってたやん、尾高さん。ホント、好きなんだね。


 残念なことに、僕はあんまりエルガーが好きではなくって。

 エルガーの音楽って、縦乗りなんだよね、基本的に。威風堂々は行進曲だから当たり前っちゃああたり前なのだけれど、他の曲もみんなそう聞こえる。ショスタコーヴィッチもそうんだけど、両方とも、僕はちょっと苦手。ウィンナワルツみたいに、とはいわないけれど、腰が動くような横乗りの方が聴いてて楽しいんだよね。あくまでも僕の好み、だけど。


 最初の曲は、尾高尚忠の交響曲第1番。尾高さんのお父さんの曲だね。なんかの番組で、伊福部さんの音楽を評して、「西洋音楽が入ってこない状態で創られた、西洋音楽の模倣ではない、日本独自のクラシック音楽」っていっていたのを見たけれど、尾高お父さんのこの曲も、そういう感じ。

 シンバルとティンパニの強奏から始まるロングトーンは、吹奏楽の曲みたいだな、と思って聴いていたのだけれど。

 

 なのだけど、あれ、なんか変わった?


 大フィルさんの音が、なんか違う。

 シンバルとティンパニが去った後の弦楽器の伸ばし。こんなに透明感があったっけ。

 ピッチとか、アーティキュレーションとか、そういうものではなくって、なんか、音がそれぞれ透明で、すべての楽器の音が手に取るように見える。なんか変だけどそういう感じ。

 音が織りなす景色が、それが持つ意図が、明瞭に、見える。


 それは、座席の位置が変わったからそう聞こえるのか、それともこのごろトラ頼みだったトロンボンのトップの人が帰ってきたからバランスが締まってそう聞こえるのか。

 それとも今回だけの幻なのか。よく分からないけどね。


 とにかく、スッと曲の世界の中に入れて、楽しく聴けたんだよ。


 後半のエニグマも同じで。

 変奏曲の変奏メロディの一個一個が、生き生きと踊り出す感じ。あれ、この曲全然縦乗りくさくないや。

 トロンボンのソリも、揃った高さに並んだ、まっすぐ前を向いたベルから出てくる明るい響き。懐かしいなあ、嬉しいなあ。


 ちょっと景色が変わった大フィルさんの定期、今年も楽しませてもらいます。


 次回はタバシュニクのプルチネルラ、だね。これも楽しみ。


 ただ、それだけのはなし。



デュトワの魔術決定版!! ダフニスとクロエ ― 2025年11月26日

 コロナ禍での来日中止が印象に残っているけれど、大フィルさんの客演も常連になってきたデュトワ。ありがたいね。
 2022年のペトルーシュカ、23年のラヴァルスに引き続き、今年はなんと、ダフニスとクロエの全曲。


 デュトワのダフクロ、って、僕らの間では伝説的な名演奏、なんだよね。今回のではなく、1980年録音、モントリオール交響楽団の、ダフニスとクロエ全曲、がね。あ、僕らっていうのは、高校時代のブラバン仲間ね。
 なんでかっていうとね。1986年、僕らが高三の夏、埼玉県の吹奏楽コンクール。僕たちの演奏はどうしょうもない評価を受けて、あっけなく終わったのだけれど、その翌日(?)に行われた選考会を聴きにいったんだ。埼玉県は吹奏楽の激戦区で高校数も多いから、県内の地区ごとに予選があって、その金賞の中でも優秀校が、関東大会に進むための選考会を行うのだけれど。
 その、選考会。昨年ディオニソスの祭りで全国大会に出場した埼玉栄高校は、招待演奏、という位置づけだったと思うけど。そこで演奏されたのが、ダフニスとクロエ。
 もう、この演奏がね。
 圧倒的。
 それは、前にも書いたことがあるからくり返さないけれど、吹奏楽っていうフォーマットでこれ以上の演奏はないなって、吹奏楽団で演奏することに未練を残さない、くらいのインパクトだったんだよね。
 その、埼玉栄のダフクロのマスターテープ、って当時云っていたけれど、お手本としていた演奏が、デュトワ/モントリオール響の演奏でね。後でそれを聞いたら、あまりのそっくり振りに呆れるやら感心するやらだったのだけれども。
 ダフニスとクロエって、フランスの作曲家モーリス・ラヴェルのバレエ音楽。全曲は60分くらいかかる、合唱付きの豪華絢爛な曲なのだけれど、コンサート用に短く編集された第一、第二組曲っていうのもあって、演奏回数はそちらの方が多いのかな。
 デュトワのCDは全曲版で、出はじめのCDにはなぜかトラックが切られておらず、60分1トラックの扱いに困るCDだったんだよね。曲中に「夜明け」っていう場面があって、当時まだ自家用車で行けた9月の乗鞍スカイラインでご来光を拝むのに、日の出の時間に合わせて「夜明け」の場面を聴こうと開始の時間を考えて長い曲を聴いてたのはいい想い出だな。
 その後、いざご来光、と車の外に出て、結局は聴こえなかったのだけれど。(ちゃんとしたプレイヤーだと、インデックスが切ってあって飛べるのだけれど、後付け車載のCDプレイヤーではそんな機能ないんだよね)
 
 まあ、いいや。
 というわけで、80年代学生時代の僕にとっては、デュトワはムーティと並ぶ同時代のヒーローであって、デュトワのダフクロは、ムーティのローマ三部作やボレロと並んで、クラシックを聴き始めるお気に入りの演奏だったんだよね。

 というわけで、大フィルさん。定期はいつも二日目、土曜日に聴きに行くのだけれど、今回は別のコンサートと重なって、一日目に変更。いつもと同じ列でいつもよりも右側の席。どう聴こえるんだろう。

 第一部は、モーツァルトのピアノ協奏曲。ラヴェルよりもずいぶん小さい編成(あたり前)で奏でられたその曲は。
 なんだか。
 モーツァルトの曲って、誰が演奏してもモーツァルトの曲で、演奏者の顔が前に出ることはない、って思っていてね。だから、生演奏でモーツァルトを好んで聴くことはしないんだけれど。この演奏は、なんだろう、モーツァルトが前面に出てくる訳でもなく、デュトワに期待するフレンチの香りが匂い立つわけでもなく。生々しい、「響き」になれない「音」が聴こえてくるんだよね。
 小菅優のピアノは、僕好みのパラパラ系ではなく、コロコロ系(音の分離よりも丸みを帯び手音のつながりを聴かせるような演奏? )の音で。演奏前に読んだプログラムで、カデンツァはモーツァルトではない誰かの書き譜だ、って云うのを知ったのもあって、そんなに拍手喝采、というわけではなかったんだよね。別に書き譜が悪いわけではないのだけれど、ジャズピアニストの「尺が変わる」カデンツァを聴き慣れていたから、そういうものだと思っていたんだよね。

 まあいいや、メインはダフクロだもんね。

 大フィルの音楽監督である尾高忠明は、「僕はウィーン風の雅な音楽をやりたいけれど、大フィルはどんどんがなりたがる」みたいなことを言っていて。ここ最近の尾高さんの指揮は、がなる大フィルを押さえられないのか諦めたのか、あんまりデリカシーの感じられない演奏が多いと感じられるのだけれど。
 でも、大フィルさんは、指揮者によってがなるだけではない、凄い音を出すことがあるんだよね、時々。クシシュトフのハルサイとか、ヴィンシャーマンの管弦楽組曲とか。最近(?)では、スラトキンのコープランドとか。
 デュトワも、そういう魔法を大いに期待できる指揮者で、そしてなによりもダフクロ。どんな音を聴かせてくれるんだろう。

 バレエ音楽だから、バロック建築のような構造美とか、軽やかなメロディが織りなす物語、とかよりも、場面場面のフレーズの綺麗さとか、管楽器やハープや、どんな楽器でもアクセントになる自在な色彩感を楽しむための曲だよね。
 最初、弦が重たいな、って少しだけ思ったのだけれど。クラリネットがキラッて入ってきたり、ハープが弦楽器に絡まったりすれは、それはとたんにフランス、デュトワ節。
 ホルンの音を堪能したり、トランペットのタンギングって、どんな譜割なんだろうって思ったり。1時間ぶっ続けのびっくり箱。
 そして、夜明け。
 僕は誤解していたんだ。埼玉栄のダフクロで、クラリネットが演じる細かなさざ波。夜明けの序奏なのだけれど、これ、弦楽器がやっているのをクラに移植したのかと思っていたのだけれど。実は、オーケストラでもクラリネットでやっていたんだね。いや、でも、クラリネット(2本?)だけでこんな音は出せないはず、どうやっているんだろう。これが、ラヴェルマジック。そして、目の前で演じられる、デュトワマジック。
 しかも、今回は合唱入りだよ。歌詞のない合唱が、大フィルさんの、がなる音の粒子の間に入り込んで、全体をひとつの響きにまとめ上げる。気持ちを盛り上げる。
 そこからは、寄せては返す音の大波、打ち寄せるごとに大きくなって。
 最後は一気呵成。

 埼玉栄高校のドキュメンタリーの書籍「心の音楽(うた)を奏でよう」っていうのがあって、その中で、ダフクロの全国大会での演奏の熱狂を、「あまり聴き慣れないクラシックの曲に、自身も出場者である聴衆は何が何だか分からないまま、熱狂だけが高じて、終演と共にギャーと言葉にならない叫び声と拍手で会場が満たされた」みたいなことが書いてあって。

 そりゃあそうだよ。
 分かってたって、ギャーとしか叫べないよ。

 この演奏を聴きに、高校時代のトロンボン仲間が埼玉から駆けつけたのだけれど、終演後にひと言「今日だけはブラヴォーおじさんを許す」って送ってきた。そうだよね。この曲には指揮者の棒が降りてから、静寂から沸き起こる拍手、っていうのは似合わないよね。

 いやあ、いいなあ。
 魔法にかかった大フィルさん。

 こんなんあるから、また次回を楽しみに通ってしまうんだよね。

 ありがとう、デュトワ。また来てね。



大阪フィルハーモニー交響楽団 第593回定期演奏会
2025年11月21日 @フェスティバルホール
指揮:シャルル・デュトワ
ピアノ:小菅 優
合唱:大阪フィルハーモニー合唱団

モーツァルト ピアノ協奏曲 第22番
ラヴェル バレエ音楽「ダフニスとクロエ」全曲

尾高さんの、最後の?、ベートーヴェンチクルス I ― 2025年10月11日

 久しぶりに、連続のシンフォニーホール。

 尾高さんの、今年の特別演奏会は、ベートーヴェンのチクルス。


 大フィルは、創設者の朝比奈さんが、「指揮者たるもの、自分のオケを持ったらベートーヴェンを全曲演奏すべし」っていう考えを持っていたからなのかどうか、指揮者が変わるたびにベートーヴェン交響曲の全曲を振ることが多いよね。

 朝比奈さんの晩年、定期と企画演奏会、それに年末の第九を組み合わせた1年間で全曲演奏。オオウエエイジのチクルスは、一演奏会で3曲の交響曲っていうハードな企画だったね。

 定期でのドイツ物を徹底的に避けた井上道義(音楽監督、っていうポジションではなかったよね、多分)はやらなかったけど、尾高さんは、就任後早速、ベートーヴェンチクルスを振ったね。7年前になるのかな。


 そして、今回。尾高さんが大フィルと2度目のチクルス。

 9年(?)かけて、ブルックナーの交響曲全曲をレコーディングして、それが完成した翌年に二度目のベートーヴェン、っていうと、どうしても大フィル音楽監督としての集大成、とか思ってしまうのだけれど、まだそういうニュースは聞こえてこないよね。


 というわけで、尾高さんのベートーヴェン、26年前に朝比奈さんのベートーヴェンを聴いた(近くの)席、シンフォニーホール2階の右側最前列から、聴かせてもらいました。


 前回の尾高さんのベートーヴェン、あんまり良く覚えていないんだよね。その頃出張とか多くって、シリーズでとったチケットもずいぶん無駄にしてしまう事があって。全階のシリーズも多分2回か3回しか聴けてないんだよね。Blogを見てみても、記録も残ってないし。

 その前の、オオウエエイジのチクルスは印象に残っていて。交響曲を順番に3曲ずつ、演奏するチクルスだったから、1,2,3番、4,5,6番って2回の演奏会で進んでったんだよね。9番はさすがに独立したから、7,8番と9番の残り2回で完結したのだけれど。

 この時は、1番を聴いて、なんかとんでもないことが起こっている、ってぞわぞわして、そして、2番が神曲、神演奏に聴こえたんだよね。3番はさすがに体力的にしんどかった記憶があるけれど。ベートーヴェンと云えば合唱、運命、田園、英雄などのタイトルがついている交響曲が人気あるけれど、1,2番って云う初期の、地味(?)な交響曲も棄てがたい、って思ったんだよね。


 まあいいや、今回の尾高さん、だよね。


 2階席から見る今回の編成は、こぢんまりとしていてね。初期の交響曲だから、トロンボンは編成に入っていなくって、金管はトランペット2本とホルン2本、木管だってクラリネット、ファゴット、フルート、ダブルリードそれぞれ二人ずつ。それに大フィルさんから見たら十分小編成の弦楽器とティンパニ。2階席から見ると、それがステージ中央にこぢんまりと乗っかっていて。


 そして、序曲。プロメテウスの創造。

 ベートーヴェンの曲を、ひと言で云うとね、「ゲージツは、爆発だ」。

 破裂音が多いんだよね。破裂音、っていうのか、Tuttiでみんなで短音をフォルテシモでドカン、っていうやつ。英雄の冒頭のジャン、、、ジャン、、、とか、運命のジャジャジャジャーンもその変形だし。今回の曲も含めて、序曲のはじまりにもそういうの多いよね。

 俺の曲が始まるぞ、みんなこっち向いて集中しろ。自己顕示欲の強い(といわれている)ベートーヴェンさんだから、この位のことは考えていたんだろうと思うんだよね。


 それはものすごく効果的で。

 短音の連発にこもる指揮者と演奏者の間の緊張感っていうのかな。見てると予備動作もあんまりない尾高さんの手から、エッヂの効いたTuttiが繰り出されていく。ああ、やっぱりベートーヴェンは爆発なんだ。


 多分1番の感想と混ざり合っているけれど。

 爆発のあとの響きが、なんかブラームス的なのがちょっと気になってるんだよね。ブラームスを生でも録音でもいいから聞くときに良く感じる、中音域がこもって、音域のレンジが小さいんじゃないか、っていう音。AMラジオで聴いているみたいな、ね。音域に枠をはめて四角く切り取っているみたいだから、僕は箱庭的な音、って呼んでいるのだけれどもね。

 1番を聞いていると、クラリネットとかの木管のフレーズにホルンが被さっていて。その音色が本当に見事にひとつの音に溶けあっていて別々には聴こえないんだけど、そこで高音域がスポイルされてるのかなあ。とか、弦のTuttiにティンパニが入る時に、ティンパニが弦の少なさに遠慮して小さく叩くとそういう箱庭的な音になるのかな、とかいろいろ考えていたんだけど、よく分からないや。


 しかし、この1番、立派だね。

 尾高さんの振る大フィルさんの音、中身が詰まった音、っていうことで、みっしりっていう言い方をよくしてきたのだけれど、そのみっしりさがすごく感じられて。いいなあ。

 ベートーヴェンの中では大曲ではないし、有名な人気曲、っていうわけではないのだけれど、でも、ベートーヴェンそのものだよね。『鷹の爪』って云ったのは朝比奈さんだっけ?  全体像は見えていないけれど、確かにベートーヴェンの一部分であってそれだけで既に秀でている、っていう意味だと思うけれど、その通りだね。あ、鷹の爪って唐辛子じゃないよ。


 休憩あとの2番は、弦楽器が少し増えた。

 オオウエエイジのときに1番以上のインパクトを感じて神曲認定した曲だから、期待したのだけれどもね。

 今回は、1番の方がよかったなあ。

 なんか、編成を大きくした分、タイトさが無くなっちゃったような気がするんだよね。

 ホルンが高橋さんに変わったおかげで、木管とのSoliでホルンが(見た目的にも)勝ってしまう感じもするし。


 まあ、でも。

 ベートーヴェン楽しい。

 原点にして、頂点。

 尾高ベートーヴェンの頂点、期待してるよ。年末じゃない第九って、なんか特別感あってそれもいいよね。


 ただ、それだけのはなし。


2025年9月10日(水) 

ザ・シンフォニーホール特別演奏会

ベートーヴェン・チクルス~原点にして頂点~Ⅰ


指揮:尾高忠明

  大阪フィルハーモニー交響楽団

ベートーヴェン

 バレエ音楽「プロメテウスの創造物」op.43 序曲

 交響曲 第1番 ハ長調 op.21

 交響曲 第2番 ニ長調 op.36




尾高さんの、ブルックナー 完結 ― 2025年02月18日

 去年は、ブルックナーの生誕200年の年で。

 大フィルさんをはじめ、いろんなオケがブルックナーの交響曲をたくさん演奏してくれたのだけれど。

 年が明けて、2025年2月。大フィルさんの定期では、ブルックナーの4番が演奏されたんだ。


 尾高さんが大フィルの音楽監督になってから、定期やその他の演奏会で、コツコツと年にひとつずつくらいブルックナーを演奏して。大半は東京での演奏の録音だけれど、コツコツとCDを出していたのも、6曲までは発売されて。

 去年、特別演奏会で0,1,2番をエイヤって演奏・録音して。

 そして、最後に残った4番を、この定期と、東京定期として演奏して、全曲録音、完結なんだね。


 演奏会場には、去年の0,1,2番のCDが先行発売されていたから、買い求めて。

 最後の4番、どういう演奏を聴かせてくれるんだろうね。


 しかし、東京の人は、この数年、大フィルさんといえばブルックナーしか聴いていない、っていうことになるのかな? 大フィルはブルックナーのオケと思われていると想像するけれど、それは朝比奈さんのおかげではなくて、もう尾高さんのせい、なのかもしれないね。


 前半の曲は、松村禎三っていう方の、管弦楽のための前奏曲。20年くらい前まで存命だった、伊福部昭さんと同時代の作曲家らしいけれど、初めての曲。

 現代ヨーロッパの分かを否定していた人らしく、いわゆるクラシック音楽の方法論ではない曲で、それはまあ伊福部さんもそうなのだけれど、この曲はなかなか癖があるね。

 ヴァイオリンとピッコロが高音域でロングトーンをしている、としか覚えていないけれど、ちょっと耳にさわるキーキー音。ピッコロのピッチがずれないのはすごいなと思うけれど、ごめん、そのくらいしか感想がないや。


 という事で、休憩はさんでブルックナー。

 大フィルさんは、金管楽器のトップ奏者は、後半しかステージに載せないことにしているらしく、僕が大好きなホルンの高橋さんも、トロンボンの福田さんも、メイン曲しか載らないんだよね。

 と思っていたら、後半になってもトロンボンは男性ばっかり。あれ、福田さんいないんだ。

 この前の1番で、そこまでやるか、っていうくらいバリバリ吼えていたトロンボン隊を率いている福田さん。今回も楽しみにしていたのに、ちょっとしょんぼり。


 まあでも、4番の主役はホルンだからね。それを楽しみにしようかな。


 なのだけれど。

 この演奏、どう言葉にしたらいいんだろう。


 冒頭のホルンが、ちょっとだけ完璧でなかったからなのか、そのあとの16分音符の唄い方ほんのちょっと違和感があるのか、そのあとのトゥッティのバランスのせいなのか。

 ああ、0,2,1番の演奏の続きではないんだな、って感じたんだよね。


 別に、去年の0,1,2番の演奏が好みだったか、というとそういう訳でもないし、あったかみ、という事ではこの4番の方が僕の持っている尾高さんのイメージに近いのだけれども。


 なんか、福田さんのいないトロンボンがあまり前に出てこないような気がして、それが曲の解釈のせいなのか、そうでないのかって悶々としちゃう演奏だったね。


 そして、4番の4楽章を聴くといつも思いだしてしまうのが、ガラガラのシンフォニーホールで聴いた、朝比奈さんの4番。

 シンフォニーホールの、丸みを帯びた反射板がつり下がっている高い天井から、朝比奈さんに光が射して、フランダースの犬の最後のシーンのネロみたいに見えたんだよね。

 それを思いだして、フィナーレ聴いているときに天井を見上げてみたけれど、フェスティバルホールの無機質な天上からは光が射すわけもなく、現実の音として、あったかい、みっしりとした、等身大の4番が聴こえてきたよ。


 ちょっとブルックナー聴き過ぎちゃったかな。

 尾高さんのブルックナーって、どうだったんだっけって確かめるために、発売ごとにコツコツ買ってきた尾高さんのCD、ちょっとまとめて聴いてみようっと。


 ただ、それだけのはなし。


スラトキンの、ジョン・ウィリアムス @大フィルさん ― 2025年01月31日

 PACの重厚なマーラーのお次はね、大フィルさんのお気軽な定期演奏会。

 レナード・スラトキンの指揮で、オール・ジョン・ウィリアムス・プログラム。


 レナード・スラトキンはね、アメリカ人の指揮者なのだけれど。僕は高校時代から知っていたんだよね。

 高校時代、吹奏楽部に所属していた僕は、3年生の最後のコンクールで、コープランドのロデオ、っていう曲を演奏することになったんだ。コープランドっていうのは、アメリカの作曲家でね。ロデオっていう曲はとっても明るいお祭りの曲なのだけれど、あんまり有名ではないんだよね。

 知らない曲を演奏する、っていうことで、まずはレコードを聴いてみよう、っていってレコード店に行ったんだよね。

 その頃は、この曲の演奏は、3種類しか見つけられなかったんだよね。

 僕らのマスター演奏になった、バーンスタイン指揮ニューヨークフィルハーモニーの演奏と、ちょっと重々しいアンタル・ドラティ指揮のデトロイト交響楽団。そしてもう一つが、スラトキン指揮のセントルイス響の演奏。録音が古くてワイルドなバーンスタインと、テンポが遅くて重たいドラティの間で、軽くて爽やかな、若々しい演奏だったことを覚えているよ。

 そのスラトキンは、数年前にも大フィルさんに来てくれて、ガーシュインとコープランドを振ったんだよね。どちらもアメリカの作曲家で、アメリカ人の指揮者が似合うんだよね。その時の、コープランドの交響曲第3番だと思うのだけれど、トロンボンのソロがめちゃめちゃかっこよくってね、一発で福田さんのファンになっちゃったよ。

 前回の話になっちゃったけど。


 そういう、アメリカ人っぽさを(大フィルさんに?)期待されているスラトキンが今回振るのが、オール J.ウイリアムス プログラム。

 これって、結構珍しいと思うんだよね。


 数年前から、ヨーロッパの名門と言われているオーケストラが、J.ウィリアムスを指揮者として招いて、オールJ.W.プログラムの演奏会をするようになって。TVやCDの付録のブルーレイディスクでもその模様を見ることができたんだ。

 ウィーンフィルとか、ベルリンフィルとか。日本だとサイトウキネンオーケストラにも来ていたのかな。

 でもそれって、たぶん、定期演奏会のはなしではないよね。J.W.を招いた、特別演奏会なんだと思うんだよね。

 なぜなら、ジョン・ウィリアムスの曲の多くは映画音楽で。クラシック音楽を毎月聴きに行くような人たちが、定期演奏会に求める音楽とはちょっと違うから。


 そう思っていたのだけれど、大フィルさんは、スラトキンの指揮で、オール・ジョン・ウィリアムスのプログラム、定期演奏会にぶち込んできたんだよね。


 J.ウィリアムスは、映画音楽だけではなくて、クラシック(コンサート音楽、っていういいかたをしていたかな)も作曲していて。前半はそういう曲。チューバ協奏曲って、他の作曲家でも聴いたことがなくて面白買ったな。普段はひな壇の後ろにいるチューバの方だけれど、オケの前に陣取って、オケがお膳立てをしてくれてソロを吹き出したら、その響きが広いフェスティバルホールに響き渡ったんだ。ああ、一本の金管楽器って、こんなにすごい音がするんだ、ってちょっと感動した。


 この演奏会は、スラトキンさんがマイクも持って、曲間に説明をしてくれたんだよね。通訳の方もいらして、きちんとしたMCをしてくれた。

 それによると、スラトキンさんのお母さんはハリウッドの映画音楽用の楽団の1stテロリストで。ジョーズのテーマを弾いた人らしいね。

 そんなエピソードを語りながら、映画音楽を演奏していく大フィルさん。

 誰もが知っている曲や、映画の想い出が強く残っている曲や、知らない曲でも映画の雰囲気が想像できる曲や。僕についていえば吹奏楽で演奏したことのある曲や。

 聞き慣れたサウンドトラックの多くはロンドンフィルが録音したもので。レンジの広い、明るい素直なロンドンフィルのブラスが頭に残っていると、もちろんそのものでは無いのだけれど。

 いいなあ、たのしいなあ。


 J.ウィリアムスがウィーンフィルを指揮したビデオを見るとね、みんな笑顔なんだよね。本人もそうだし、オーケストラのメンバーもニコニコしていて。そして、お客さんも笑ってる。

 それって、クラシックの演奏会ではあんまり観ない光景、なんだよね。

 だから、ちょっと違和感も感じていたりしたのだけれど。

 分かったよ。

 あたり前なんだよ。

 だって、楽しいんだもん。


 僕の年代でいえば、小学生の頃はテレビでジョーズを繰り返し見て、少し大きくなったらインディ・ジョーンズがあり未知との遭遇があり、ETがあり。シリーズ物としてずっとスター・ウォーズがあり。

 大学生になったらジュラシックパークがあり。云々かんぬん。


 つまり、映画館で見る洋画は、みんなジョン・ウィリアムスみたいなもんだよね。


 その音楽が、目の前で、こんな大編成のオケで演奏されている。ハリウッドで生まれて育ったスラトキンが指揮している。

 こんな楽しいことなんて、そうないよね。


 何度かのカーテンコールのあと、アンコールは、指揮者なしでの、ダースベイダー・マーチ。


 ああ、楽しかった。


 ただ、それだけのはなし。