デュトワは来た! 本当に来た!!2022年06月01日

 デュトワは実在した(いた)!

 そして、デュトワは、本当に、来た!! 


 世界規模のパンデミックで、風景ががらりと変わったよね。

 みんなの口元を見ることが無くなったし、消毒液やパーティションや、体温検知器なんかもおなじみの風景になった。

 そして、街からは、外国人が消えたよね。


 外国からの人々は、街から消えただけではなくて、コンサートホールからもほとんど消えたんだよね。毎年来てくれたウィーンフィルが奇跡の来日、といわれるくらい、コンサートホールで外国の演奏者を観ることが無くなって、もう2年以上になるんだよね。


 もう、2年以上。

 去年も、その前の年も楽しみにしていたのに、ラインナップに入っていたのに、実現しなかった外国人指揮者。その筆頭が、大フィルさんの定期に来るはずだった、シャルル・デュトワなんだよね。


 デュトワは、1980年代にブラバン小僧だった僕らにとっては、ムーティと並んで同時代のヒーローなんだよね。

 ブラバンで楽器をはじめて、それまで聴かなかったクラシックなんていう音楽を興味本位で聴き始めたときに、カラヤンやバーンスタインは既に生ける伝説で。そしてデュトワやムーティが新進気鋭で新譜を出しまくっていたんだ。

 交響曲はやっぱり難しくって手が出せない、って時に、二人のレパートリーがラヴェルやストラビンスキーやレスピーギみたいに、派手な音楽が多かったのも良かったよね。

 その中で、デュトワは、当時モントリオール響を率いていて、幻想交響曲や、ダフニスとクロエのような、今でもその曲だったらこの演奏、って言うディスクを出しまくっていたんだ。


 その、デュトワが大フィルさんにブッキングされたのは、一昨年。2020年の定期だったよね。曲はペトルーシュカ。

 ペトルーシュカはストラビンスキーの中では、ハルサイとかに比べて演奏機会が多くない曲でね。大フィルさんで最近演奏した時、なんと僕は聴き逃しているんだよね。

 だから、凄く楽しみにしていた、デュトワのペトルーシュカ。


 にっくきパンデミックのせいで、コンサートが中止になったり国内演奏家に変更になったり、もちろんデュトワも来ることができなかった。

 そして、去年も。


 その間に、ムーティは何回も来て、振っているのに。と思わないことも、無かったけどね。

 デュトワは、本当はいないのじゃないか、と思ったりもしたのだけれど。

 N響や、パリ管で来日した大昔、聞いたこともあったけど、あれもまぼろしか? とか思ったりして。


 でも。

 デュトワは実在した(いた)!

 そして、その日は、来た。


 という訳で、大フィルさんの第558回定期。

 シャルル・デュトワ 指揮

 ハイドン 交響曲第104番 ロンドン

 ラヴェル 組曲クープランの墓

 ストラヴィンスキー ペトルーシュカ 1911年版


 とはいえ、会場に行くまで今回がデュトワの回だって知らず、デュトワが振るのも、ペトルーシュカ以外は知らなかったのだけれど。


 凄いプログラムだよね。

 ラヴェルとストラヴィンスキーは、まあ分かるよ。デュトワだから。

 でも、その前にハイドンって言うのが、よく分からないよね。煌びやかな近代曲の前にこてこての古典。しかもハイドン。

 ???って言う感じだったのだけれどもね。


 聴き始める前は。


 久しぶりのほぼ満員のホール。

 ハイドン用の、小さな編成のオケ。

 2ベル鳴ってから入ってくる楽団員。

 そして、デュトワ。

 外国人の指揮者が振る大フィルさん。なんかとっても久しぶり。


 そして、ハイドンが始まった。


 始まったとたん。

 なんだ、これ。


 最初の数小節は、古典らしい、箱庭的な響きだったんだけどね。すぐに。

 聴いたことがない音。響き。

 なんだ、これ。


 音が明るい。演奏が軽い。

 木漏れ日が差す明るい森の中みたいな、音。世界。

 それも、塗りたくった油絵では無く、さらっと描いた水彩画みたいに、色がないところがたくさんあって、でもそれで完成している、それがいい、そんな、世界。

 

 技術的には、音程がクリアで、音型が揃ってて、特にフレーズの終わりの音の切り方がめちゃくちゃきれいに揃ってる。

 ハイドンの、音が切れる瞬間がめちゃくちゃSN比が高くって。それは静寂がめちゃくちゃ静かだから。

 みんな、固唾を呑んで聴いているのがよく分かったよ。僕がそうだったからね。


 現実世界を、明るく、楽しくしてくれるハイドン。

 なんて気持ちがいいんだろう。

 指揮者でこんなに変わるんだ、オーケストラって。

 すごい。


 もうこの曲だけで大満足だったのだけれど。

 もちろん、まだまだ演奏会は続いて。


 ラヴェルのクープランの墓。

 ハイドンがこんなに色彩豊かだったから、ラヴェルはどうなのかと思ったら。

 なんと。

 

 第一曲の終わりなのかな。ハープの音が引き金になって。

 舞台は現実世界から異界にがらっと変わって。

 弦の響きが全く変わって、もうどの曲の事かわからなくなっちゃったけど、金管も木管もソロが凄すぎる。

 オーケストレーションの魔術師、って、こういうことだったんだ。

 って言うのが手にとるように分かるのは、ハイドンの時もそうだったけれど、フレーズのアーティキュレーションがきちんと揃って、きちんとした唄い方だからなんだろうね。

 デュトワも凄いけど、大フィルさん、凄い。


 これだって、まだ終わりじゃないんだよ。

 ストラヴィンスキーの、ペトルーシュカ。


 ラヴェルでは、ハープの音を異世界へのドアとして、現実と異界をさ迷った感じがしたけど、ペトルーシュカはのっけから異世界。結局最後まで帰ってこなかったね。


 ペトルーシュカは、なんていうか、とても魅力的な旋律をちりばめながら、決して一所に安定してじっくり聴かせるとかそう言うことがなく、ちっちゃい子供がいろんなオモチャで遊んでいて、次から次に目移りしていく。そういう様を、魔法のようなオーケストラと、ピアノや、木管金管の魅力的なソロが彩っていく、そういう音楽なんだけど。

 そのフレーズのたたみかける様な移り変わりが、とっても視覚的でね。ああ、バレー音楽ってこういうことなのか、って思ったんだよね。

 僕が学生の頃に良く聴いた、ムーティ/フィラデルフィアのペトルーシュカのレコードでは、それぞれのメロディは魅力的に響くけど、その移り変わりの楽しさまでは分からなかったんだな。


 いやあ、凄い。

 この切れ目のない、長い音楽を、全然飽きさせないで、今度なに起こるんだろう、って目を皿のようにして観る演奏会って、いつ振りだろう。


 ラッパのソロ。

 リズムもフレーズもめちゃめちゃ難しそうだけど、すごく格好良くて。何よりも渾身のクレシェンド。フォルテから、オケを支配してホールを満たすまでのクレシェンド、しびれたよ。

 クラリネットも、オーボエも、イングリッシュホルンも。フルートは姿が(席の関係上)見えなくて残念だったけど。

 

 ああ、凄い。

 

 そんなに一般ウケのする曲じゃないし、この曲目当てに来ている客層ばっかりでもなさそうなのに。

 終わらないカーテンコール。熱のある拍手。


 パンデミックにくもった日常も、異世界のドアを開いて帰ってくればいいね。


 ああ、気持ちよかった。


 ただ、それだけのはなし。