PAC アルミンクのブルックナー7番2025年02月26日

 ちょっと前に、大フィルさんの4番を聴いて、ブルックナー聴きすぎなのかな、と思ったりもしたのだけれど。

 その次の週もまた、聴きに行って来たよ。

 兵庫芸術文化センター管弦楽団(PAC)の、ブルックナー第7番。


 プログラムの前半は、ジャズのトロンボンプレイヤー、中川英二郎のトロンボン協奏曲、なんだよね? Trisenseっていう曲。

 中川さんは、JJジョンソン以来の、というか史上最高の速吹きトロンボニスト。トロンボン界のアラン・ホールズワースみたいな人で。最初のリーダー作が16歳の時だったのかな。その時の衝撃を鮮烈に覚えているよ。

 マイケルとランディのブレッカーブラザースの「Heavy Metal Be Bop」っていうアルバムのライナーノートに、「日本中のフュージョン小僧の目を点にした」っていうフレーズがあって。リアルタイムには間に合わなかったけれど、あとから聴いてもそれは間違いなくそうだっただろう、って納得したのだけれど。

 この、中川君のデビュー作 Eijiro Nakagawa &Funk' 55の一曲目、SCRAMBLEも、全てのジャズトロンボン小僧の目を点にして、酸欠でぶっ倒した演奏だったんだよ。

 ブッパヤの、共演者誰もついてこれないブルース。デビューアルバムの一曲目なのに、なかなか廻ってこないソロ。共演者がしどろもどろになりながらソロを廻して、最後、コーラス終わりのリフから、ブレイク。そのあと2コーラスの無伴奏アドリブ。ちょっとトロンボンをかじった人なら、そのブレイクの間は息が吸えない、圧巻の速吹き。

 この前はお父ちゃんとご機嫌なディキシーランドジャズを聴かせてくれたけどね。


 その中川君(デビュー作が、たぶん僕が大学生の頃で、その時16歳だったから、中川君って呼んでるんだよね、僕の中で。)が書いた、元々はなんだろう、トロンボンとピアノのデュオのために作った曲を、音楽一家中川家のお兄ちゃんにオーケストレーションしてもらって、協奏曲として演奏してくれたのが、今回のトライセンス。

 思ったほどジャズジャズしていなくて、大きなベルのトロンボンで朗々と歌う中川英二郎。やっぱり上手いなあ。

 アンコールは、アメイジング・ブレイス。


 ブルックナーの前にジャズ? プログラム見たときにはそんなことをちらっと思ったりもしたのだけれど、そんなにジャズではなく、堂々たるトロンボン協奏曲でした。


 さて、ブルックナーの7番。

 今回は2階席から視ているから、編成がよく見えるのだけれど、ワグナーチューバ4本とホルン5本を並べる金管群と比べて、木管楽器って全部で8人しかいないんだね。ちょっと意外。

 指揮者のアルミンクさんは新日フィル、去年からは広島交響楽団の音楽監督もやっている、日本ではおなじみの人なんだね。僕は多分はじめてだけれども。


 さて、PACからでてくるブルックナーの響きは。


 その前に、ちょっと前に久しぶりに、朝比奈さんのブルックナーの新作(?)が発売になったんだよね。もちろん新録音ではなくって、過去のライブ演奏の初発売、っていうことなのだけれど。1978年の東京都交響楽団のライブ。この組み合わせでの初めてのブルックナー7番。

 1970年代って、まだまだ日本のオケは海外のオケの演奏レベルには達していない、って思われていたし、だから高校生がお小遣いを持ってレコード屋さんで2時間悩んだ挙げ句に手に取るのは、海外のオケとか指揮者のレコードが多かったのだけれども。

 そんな時代の、都響のブルックナーの演奏をあらためて聴いてね。なんか、涙が出そうになったんだよね。

 なんて魅力的、なんだろうって。


 もちろん、朝比奈さんの指揮だと思って聴くからひいき目に感じるところが大きいし、この時代のアナログ録音の、ざらっとした音質が気分をもり立ててくれるのだろうけれど。

 なんていうか、演奏者の息づかいっていうのか、気迫っていうのか。目の粗いのこぎりで大木を切っていく、そんなエッジの効いた演奏が生々しく聞こえてくるんだよね。

 これがあったかい演奏なんだろうな、って嬉しい新作だったんだよ。


 あ、PACの演奏だよね。

 冒頭、ヴァイオリンのトレモロから浮き出てくるチェロとホルンの上昇音型。僕は最初、チェロにばっかり目と耳がいって、ホルンがソロでユニゾンしてるのに気がつかなかったんだよね。それほど、自然に溶け込んで聞こえたんだ。

 ホルンのソロだから、張り切って吹くのではなくて、音色も、アーティキュレーションも、音量もチェロと溶けあうように気を遣って。もちろんピッチは完璧。

 なんて丁寧な演奏なんだろう。

 最初の4小節で感じた事が、そのあともずっと続いたんだよね。


 僕がオーケストラのコンサートを聴き始めた頃の感想を読み返すと、ピッチとか音の長さとか、そういうことに気を遣う丁寧さとか、そういうことに良く言及していたな、と思うんだよね。今でもそうだけれど、音楽の構築力とかフレージングとか、そんなことが分かる耳もないから、吹奏楽時代にコーチに仕込まれたポイントで演奏を聴いている感じなのだけれど。

 いつの間にか、そういうところを丁寧に聴くのをやめちゃってたのかな。それと共に、感想を残さなかったり、買ったチケットをブダにすることも多くなっていたのかな。


 あとになって、そんなことを考えたくらい、この演奏を聴いている時には、弦のエッジとか、ホルンやワグナーチューバのロングトーンの音の切り方や変わらないピッチや。ラッパのちょっと苦しげな音色とか。

 そういう細かいところに、すごく耳がいったんだよね。

 そして、そういう細かいところが、とっても魅力的な演奏、だったんだよね。


 特に、何度かある全休止。ブルックナー休止っていわれるその無音の時間。音の響きがホールに吸い込まれていって、演奏中は常になっている音がなくなる無の瞬間。

 これって、全員の譜面に休符を書いたら実現するわけじゃなくってね。

 全休符に至までのフレーズの盛り上げ方、音の切り方、観客の咳払いを押さえ込む演奏の緊張感。ホールの残響。そういうものが重なって、印象的なブルックナー休止になるのだけれど。

 何度も出現したよ。印象的なブルックナー休止。


 プログラムのメンバー表を見ると、そもそものメンバーはそんなに多くなくって、特にこんな大編成の曲の時は、トラの方が多いのだろうけれど。

 にも関わらず音の長さ、切り方、ピッチ、息継ぎのタイミング。そんなことを徹底して、丁寧な演奏を聴かせてくれるのは、オケの文化なのか、アルミンクさんの指導なのか。

 よく分からないけれど、気持ちの良い演奏だったよ。


 70年代の都響に感じた、発展途上の熱さとひたむきさ、それらを感じることができる魅力的な演奏、楽しみにしてるね。


 ただ、それだけのはなし。



尾高さんの、ブルックナー 完結2025年02月18日

 去年は、ブルックナーの生誕200年の年で。

 大フィルさんをはじめ、いろんなオケがブルックナーの交響曲をたくさん演奏してくれたのだけれど。

 年が明けて、2025年2月。大フィルさんの定期では、ブルックナーの4番が演奏されたんだ。


 尾高さんが大フィルの音楽監督になってから、定期やその他の演奏会で、コツコツと年にひとつずつくらいブルックナーを演奏して。大半は東京での演奏の録音だけれど、コツコツとCDを出していたのも、6曲までは発売されて。

 去年、特別演奏会で0,1,2番をエイヤって演奏・録音して。

 そして、最後に残った4番を、この定期と、東京定期として演奏して、全曲録音、完結なんだね。


 演奏会場には、去年の0,1,2番のCDが先行発売されていたから、買い求めて。

 最後の4番、どういう演奏を聴かせてくれるんだろうね。


 しかし、東京の人は、この数年、大フィルさんといえばブルックナーしか聴いていない、っていうことになるのかな? 大フィルはブルックナーのオケと思われていると想像するけれど、それは朝比奈さんのおかげではなくて、もう尾高さんのせい、なのかもしれないね。


 前半の曲は、松村禎三っていう方の、管弦楽のための前奏曲。20年くらい前まで存命だった、伊福部昭さんと同時代の作曲家らしいけれど、初めての曲。

 現代ヨーロッパの分かを否定していた人らしく、いわゆるクラシック音楽の方法論ではない曲で、それはまあ伊福部さんもそうなのだけれど、この曲はなかなか癖があるね。

 ヴァイオリンとピッコロが高音域でロングトーンをしている、としか覚えていないけれど、ちょっと耳にさわるキーキー音。ピッコロのピッチがずれないのはすごいなと思うけれど、ごめん、そのくらいしか感想がないや。


 という事で、休憩はさんでブルックナー。

 大フィルさんは、金管楽器のトップ奏者は、後半しかステージに載せないことにしているらしく、僕が大好きなホルンの高橋さんも、トロンボンの福田さんも、メイン曲しか載らないんだよね。

 と思っていたら、後半になってもトロンボンは男性ばっかり。あれ、福田さんいないんだ。

 この前の1番で、そこまでやるか、っていうくらいバリバリ吼えていたトロンボン隊を率いている福田さん。今回も楽しみにしていたのに、ちょっとしょんぼり。


 まあでも、4番の主役はホルンだからね。それを楽しみにしようかな。


 なのだけれど。

 この演奏、どう言葉にしたらいいんだろう。


 冒頭のホルンが、ちょっとだけ完璧でなかったからなのか、そのあとの16分音符の唄い方ほんのちょっと違和感があるのか、そのあとのトゥッティのバランスのせいなのか。

 ああ、0,2,1番の演奏の続きではないんだな、って感じたんだよね。


 別に、去年の0,1,2番の演奏が好みだったか、というとそういう訳でもないし、あったかみ、という事ではこの4番の方が僕の持っている尾高さんのイメージに近いのだけれども。


 なんか、福田さんのいないトロンボンがあまり前に出てこないような気がして、それが曲の解釈のせいなのか、そうでないのかって悶々としちゃう演奏だったね。


 そして、4番の4楽章を聴くといつも思いだしてしまうのが、ガラガラのシンフォニーホールで聴いた、朝比奈さんの4番。

 シンフォニーホールの、丸みを帯びた反射板がつり下がっている高い天井から、朝比奈さんに光が射して、フランダースの犬の最後のシーンのネロみたいに見えたんだよね。

 それを思いだして、フィナーレ聴いているときに天井を見上げてみたけれど、フェスティバルホールの無機質な天上からは光が射すわけもなく、現実の音として、あったかい、みっしりとした、等身大の4番が聴こえてきたよ。


 ちょっとブルックナー聴き過ぎちゃったかな。

 尾高さんのブルックナーって、どうだったんだっけって確かめるために、発売ごとにコツコツ買ってきた尾高さんのCD、ちょっとまとめて聴いてみようっと。


 ただ、それだけのはなし。


尾高さんの、ブルックナー 完結2025年02月18日

 去年は、ブルックナーの生誕200年の年で。

 大フィルさんをはじめ、いろんなオケがブルックナーの交響曲をたくさん演奏してくれたのだけれど。

 年が明けて、2025年2月。大フィルさんの定期では、ブルックナーの4番が演奏されたんだ。


 尾高さんが大フィルの音楽監督になってから、定期やその他の演奏会で、コツコツと年にひとつずつくらいブルックナーを演奏して。大半は東京での演奏の録音だけれど、コツコツとCDを出していたのも、6曲までは発売されて。

 去年、特別演奏会で0,1,2番をエイヤって演奏・録音して。

 そして、最後に残った4番を、この定期と、東京定期として演奏して、全曲録音、完結なんだね。


 演奏会場には、去年の0,1,2番のCDが先行発売されていたから、買い求めて。

 最後の4番、どういう演奏を聴かせてくれるんだろうね。


 しかし、東京の人は、この数年、大フィルさんといえばブルックナーしか聴いていない、っていうことになるのかな? 大フィルはブルックナーのオケと思われていると想像するけれど、それは朝比奈さんのおかげではなくて、もう尾高さんのせい、なのかもしれないね。


 前半の曲は、松村禎三っていう方の、管弦楽のための前奏曲。20年くらい前まで存命だった、伊福部昭さんと同時代の作曲家らしいけれど、初めての曲。

 現代ヨーロッパの分かを否定していた人らしく、いわゆるクラシック音楽の方法論ではない曲で、それはまあ伊福部さんもそうなのだけれど、この曲はなかなか癖があるね。

 ヴァイオリンとピッコロが高音域でロングトーンをしている、としか覚えていないけれど、ちょっと耳にさわるキーキー音。ピッコロのピッチがずれないのはすごいなと思うけれど、ごめん、そのくらいしか感想がないや。


 という事で、休憩はさんでブルックナー。

 大フィルさんは、金管楽器のトップ奏者は、後半しかステージに載せないことにしているらしく、僕が大好きなホルンの高橋さんも、トロンボンの福田さんも、メイン曲しか載らないんだよね。

 と思っていたら、後半になってもトロンボンは男性ばっかり。あれ、福田さんいないんだ。

 この前の1番で、そこまでやるか、っていうくらいバリバリ吼えていたトロンボン隊を率いている福田さん。今回も楽しみにしていたのに、ちょっとしょんぼり。


 まあでも、4番の主役はホルンだからね。それを楽しみにしようかな。


 なのだけれど。

 この演奏、どう言葉にしたらいいんだろう。


 冒頭のホルンが、ちょっとだけ完璧でなかったからなのか、そのあとの16分音符の唄い方ほんのちょっと違和感があるのか、そのあとのトゥッティのバランスのせいなのか。

 ああ、0,2,1番の演奏の続きではないんだな、って感じたんだよね。


 別に、去年の0,1,2番の演奏が好みだったか、というとそういう訳でもないし、あったかみ、という事ではこの4番の方が僕の持っている尾高さんのイメージに近いのだけれども。


 なんか、福田さんのいないトロンボンがあまり前に出てこないような気がして、それが曲の解釈のせいなのか、そうでないのかって悶々としちゃう演奏だったね。


 そして、4番の4楽章を聴くといつも思いだしてしまうのが、ガラガラのシンフォニーホールで聴いた、朝比奈さんの4番。

 シンフォニーホールの、丸みを帯びた反射板がつり下がっている高い天井から、朝比奈さんに光が射して、フランダースの犬の最後のシーンのネロみたいに見えたんだよね。

 それを思いだして、フィナーレ聴いているときに天井を見上げてみたけれど、フェスティバルホールの無機質な天上からは光が射すわけもなく、現実の音として、あったかい、みっしりとした、等身大の4番が聴こえてきたよ。


 ちょっとブルックナー聴き過ぎちゃったかな。

 尾高さんのブルックナーって、どうだったんだっけって確かめるために、発売ごとにコツコツ買ってきた尾高さんのCD、ちょっとまとめて聴いてみようっと。


 ただ、それだけのはなし。


尾高さんの、ブルックナー 完結2025年02月18日

 去年は、ブルックナーの生誕200年の年で。

 大フィルさんをはじめ、いろんなオケがブルックナーの交響曲をたくさん演奏してくれたのだけれど。

 年が明けて、2025年2月。大フィルさんの定期では、ブルックナーの4番が演奏されたんだ。


 尾高さんが大フィルの音楽監督になってから、定期やその他の演奏会で、コツコツと年にひとつずつくらいブルックナーを演奏して。大半は東京での演奏の録音だけれど、コツコツとCDを出していたのも、6曲までは発売されて。

 去年、特別演奏会で0,1,2番をエイヤって演奏・録音して。

 そして、最後に残った4番を、この定期と、東京定期として演奏して、全曲録音、完結なんだね。


 演奏会場には、去年の0,1,2番のCDが先行発売されていたから、買い求めて。

 最後の4番、どういう演奏を聴かせてくれるんだろうね。


 しかし、東京の人は、この数年、大フィルさんといえばブルックナーしか聴いていない、っていうことになるのかな? 大フィルはブルックナーのオケと思われていると想像するけれど、それは朝比奈さんのおかげではなくて、もう尾高さんのせい、なのかもしれないね。


 前半の曲は、松村禎三っていう方の、管弦楽のための前奏曲。20年くらい前まで存命だった、伊福部昭さんと同時代の作曲家らしいけれど、初めての曲。

 現代ヨーロッパの分かを否定していた人らしく、いわゆるクラシック音楽の方法論ではない曲で、それはまあ伊福部さんもそうなのだけれど、この曲はなかなか癖があるね。

 ヴァイオリンとピッコロが高音域でロングトーンをしている、としか覚えていないけれど、ちょっと耳にさわるキーキー音。ピッコロのピッチがずれないのはすごいなと思うけれど、ごめん、そのくらいしか感想がないや。


 という事で、休憩はさんでブルックナー。

 大フィルさんは、金管楽器のトップ奏者は、後半しかステージに載せないことにしているらしく、僕が大好きなホルンの高橋さんも、トロンボンの福田さんも、メイン曲しか載らないんだよね。

 と思っていたら、後半になってもトロンボンは男性ばっかり。あれ、福田さんいないんだ。

 この前の1番で、そこまでやるか、っていうくらいバリバリ吼えていたトロンボン隊を率いている福田さん。今回も楽しみにしていたのに、ちょっとしょんぼり。


 まあでも、4番の主役はホルンだからね。それを楽しみにしようかな。


 なのだけれど。

 この演奏、どう言葉にしたらいいんだろう。


 冒頭のホルンが、ちょっとだけ完璧でなかったからなのか、そのあとの16分音符の唄い方ほんのちょっと違和感があるのか、そのあとのトゥッティのバランスのせいなのか。

 ああ、0,2,1番の演奏の続きではないんだな、って感じたんだよね。


 別に、去年の0,1,2番の演奏が好みだったか、というとそういう訳でもないし、あったかみ、という事ではこの4番の方が僕の持っている尾高さんのイメージに近いのだけれども。


 なんか、福田さんのいないトロンボンがあまり前に出てこないような気がして、それが曲の解釈のせいなのか、そうでないのかって悶々としちゃう演奏だったね。


 そして、4番の4楽章を聴くといつも思いだしてしまうのが、ガラガラのシンフォニーホールで聴いた、朝比奈さんの4番。

 シンフォニーホールの、丸みを帯びた反射板がつり下がっている高い天井から、朝比奈さんに光が射して、フランダースの犬の最後のシーンのネロみたいに見えたんだよね。

 それを思いだして、フィナーレ聴いているときに天井を見上げてみたけれど、フェスティバルホールの無機質な天上からは光が射すわけもなく、現実の音として、あったかい、みっしりとした、等身大の4番が聴こえてきたよ。


 ちょっとブルックナー聴き過ぎちゃったかな。

 尾高さんのブルックナーって、どうだったんだっけって確かめるために、発売ごとにコツコツ買ってきた尾高さんのCD、ちょっとまとめて聴いてみようっと。


 ただ、それだけのはなし。


ビルボードライブの、大竹しのぶ2025年02月01日

 このところちょっとご無沙汰だったけど、久しぶりに、Billboard Live Osakaに行って来たよ。

 大竹しのぶ。



 もちろん、大竹しのぶは俳優であって、歌手ではないよね。僕は、一度だけ、大竹しのぶの歌を聴いたことがあってね。

 中島みゆきのトリビュートコンサート。中島みゆきの歌を、いろいろな人が唄う、っていう催しで。かっこ付きで「このコンサートに中島みゆきは出演しません」っていうおことわりがついた音楽界であったのだけれども。

 その頃、コマーシャルで「ファイト」を歌っていた満島ひかりとか、平原綾香、中村中さんとかが次々に歌っていく中で。

 大竹しのぶの、「化粧」。

 元々中島みゆきの歌って、お芝居のようなストーリー性があって、お芝居をせざるを得ないおんなの哀しみを唄った歌が多いから、俳優さん(この言い方、いまだに違和感があるから、女優さん、っていった方がしっくりくるけれど)が歌うのがしっくりくる、と思うのだけれど。

 それにしても、大竹しのぶの「化粧」。

 ふられた女が、最後に一度だけ、男に逢いに行く。その男に、もう一度振り向いてもらいたくて、別れを後悔させたくて、普段しない様な化粧をして出かけていく。もちろん、そんなこと無理だと、化粧なんて無駄だと分かっているけれど。でも、このきれいな顔を男に見せるために、今だけ流れるな、泪。

 若いアイドルでの女優では、歯が立たないこの芝居を、見事に唄いきった大竹しのぶ。すごいなあ。

 もう、何年も前のことだけれどもね。


 そんなことがあったから、大竹しのぶの歌を生で聴きたくってね。ビルボードの発売日にがんばって席を確保したんだよ。

 ところが。

 当日、勇んでビルボードに行って、名前を言っても全然通じない。何度も通っている店だから、電話番号で照会してもらったら、「お席を探された形跡はありますけど、最後までプロセスが進んでません」って。あらら、そんなことまで分かるんだ。きっと最後のエンターキーを押さずに安心しちゃったのね。良くある不注意。。致命的な、不注意。。。

 運良く、キャンセル席があったらしく、元々取ろうとしていた席のすぐ近くに入る事が出来たんだ。


 会場は、アラ還からもう少し上の男性が多くって、女性はそれよりもう少し若い層なのかな。ビルボードはほぼ満席。

 時間になって、出てきたバンド、そして大竹しのぶ。若い、顔小さい。

 曲は知らない曲で、「東京ブギウギ」のう様なブギ、あるいはシャッフル。ステージを端から端まで動き回る大竹しのぶ。

 そこからは、山口百恵を2曲。絶体絶命と、イミテーション・ゴールド。そして、みゆきを2曲。化粧と、この空を飛べたら。歌詞を見ないでも歌える曲がこんなに続くライブって、アルフィー以来かな、30年以上前の。


 MCでもいっていたけれど、大竹しのぶって女優だから、自分の持ち歌ってないんだよね。(若い頃に歌出したこともあるらしい、みかんだっけ?)だから、お客さんは何をしにくるんですか? ってラジオの放送作家に言われたらしい。確かにね。僕は大竹しのぶの歌を聴きにきた、と思っているけれど、じゃあなんの歌を唄ってくれたら嬉しい、とかそういうイメージがあったかというと、ないんだよね。漠然とした、歌。そして、実物を近くで見ることが出来る。それ大事。特にビルボードのような小さい箱ではね。


 歌はそれから、シャンソンとか洋楽になって。通常60分のビルボードなのに、ある歌終わりにそそくさと一人だけ退場して、あれ、アンコールにはまだちょっと早いんじゃない、って思ったら、なんと衣装替えをして出てきて。


 後半のMCでは、2度の結婚生活などもネタにしながら、近年世界で起こっている戦争の悲惨さ、に触れながら。

 浅川マキのようなムードの洋楽(たぶん)を何曲か歌ったあと、歌ってくれたのが「愛にできることはまだあるかい」。RADWIMPSの、天気の子の主題歌。

 僕は、天気の子を録画して、3回に分けてようやく見終わるくらいしかこの曲にはなじみがないのだけれど。

 大竹しのぶの、一言一言が聴きながら書きとれるように迫ってくる唄で、曲と歌詞を噛みしめながら聴くとね。なんか涙が出てきた。一人で来たおっさんがハンカチ取りだして目を押さえている図なんて、みっともないなと思いながら、でもしょうがない。愛にできることは、まだあるんだから。身構えていた化粧より、そのあと不意に飛んできたこの空を飛べたらより、愛にできることが飛んできた。


 最後は、もちろん、愛の賛歌。


 そして、アンコール。

 千のバイオリン。

 ヒマラヤほどの 消しゴムひとつ


 これは反則だよね。

 爆発的な衝動、以外に武器を持たない若者の音楽じゃない、パンクって。(当時の)若者にとってのブルースじゃない、ブルーハーツって。

 こんな成熟した大人が。

 大真面目に。

 コンサートの最後に。


 なんてかっこいいんだ。

 歌もそうだけど、ひととなりが、かっこいい。


 持ち歌のない歌手のステージ。

 また来たいな。


 ただ、それだけのはなし。