薬師丸ひろ子 @フェニーチェ堺2022年11月03日


 僕が小学生とか中学生だった頃。

 角川映画がやたら元気でね。

 テレビでCMばんばん流して、映画の宣伝を大量にしながら、その勢い(?)で本を売る、って言う。そういう商法が映画業界からはずいぶん煙たがたれていた事が、当時の僕にも分かるくらいだったけれど。

 メディアミックス、っていう素の売り方は、今では、というかすぐにあたり前になったよね。


 そういう、メディアミックスの中で、流行歌のように刹那に消費されるべきものとしての映画。KADOKAWA映画は、そういう風に思われていた、んだと思うんだけれども。

 でも、実は。

 きちんとした監督さん、スタッフを迎えて、お金をかけて創った映画たちは、実は世代を超えて残っていくものが多かったんだよね。僕も、好きな映画がたくさんあるよ。KADOKAWA映画。


 もちろん、女優さんの存在も大きいよね。特に初期のKADOKAWA映画を作ったふたり。薬師丸ひろ子と原田知世。

 セーラー服と機関銃と、時をかける少女って、二本立てだったんだよ、知ってた。

 このふたりの女優さんは、最初の頃はアイドル女優、って言う扱いだったから、映画に主演して、その主題歌も歌って。それを年に何本かやる、って言うすごいことをしてたんだよね。

 ちなみに、僕が最初に買ったシングルレコードは、セーラー服と機関銃。今でも持ってて、たまに聴くんだよね。CDとかサブスクで聞けるのって、このバージョンがあんまりないからね、好きなんだ。


 この二人は、最初のうちこそアイドル扱いだったけれど、お二人とも現在に至るまで女優として、そしてなんと、歌手としても活動しているんだよね。

 そしてなんと、その歌声は。。。


 という訳で、行ってきたよ。

 薬師丸ひろ子の、コンサート。@フェニーチェ堺。


 40周年のコンサートなのかな? 若いうちからやってるからね。歌番組や、あまちゃんで時々歌声も聞いていたから、変わらない声を期待していたのだけれど。


 いやあ。


 フェニーチェ堺って、4階か5階くらいまで客席がある、天井が高くって、この前はロンドンフィルが暴れ回るような大きなホールなのだけれど。

 その、広大な空間を、螺旋階段をモチーフにしたシンプルなセットの、真ん中に立って唄う薬師丸さん。


 最初の何曲かは、ちょっと声が固いな、PA高音下げないかな、とか思っていたのだけれど。

 

 ああ、そんなこと、どうでも良くって。

 1部の中盤くらいなのかな。弦楽をバックに唄った、みゆきの時代。

 薬師丸さんの、どんなときでも歌詞が聴き取れる発音と、ホールをまるごと満たすその発声と。そして、個人の感情に寄り添う、その母性と。

 ちょっと泣きそうになりました。


 みゆきをはじめ、ユーミンや、井上陽水や、竹内まりやとか。そうそうたる人たちから、若い頃に曲をもらって。そして、40周年のアルバムでまた曲を書いてもらって。

 みんなが知っている映画の主題曲と、もしかしたら本人のカヴァーの方で有名な提供曲と、それから現在の新曲と。足りない分はメドレーで。

 そして、最後は怒濤の映画主題歌集。

 あえて当時のようなまっすぐな発声で歌ってくれたセーラー服と機関銃。それ、僕には通じたよ。この曲だけえらい素直やな、って思って聴いてました。

 そして、最後は。

 Woman Wの悲劇。

 

 薬師丸さんは、和田アキ子と一緒で、発表時のスタイルやキーのまま、聴いている人のイメージを壊さないで唄っていきたい、ってなんかの番組で言っていたのを聞いたことがあるけれど。

 この、Wの悲劇が、プレッシャーになるんだろうなあ、って思いながら聴いていたのだけれど。

 いまだに、映画公開時のテレビCMでかかっていたサビのインパクトが、僕の、みんなの耳に焼き付いているものね。


 なのだけれど。

 ご安心あれ。

 薬師丸ひろ子は、健在です。

 健在です、は嘘です。

 成長しています。

 

 薬師丸ひろ子は、成長しています。


 この曲だけでなく、どの曲にも。

 侘びも、サビも、色も艶も、自由自在に込められて、広いホールを一人で満たして、二時間半近い別世界を創ってくれる。


 ありがたや、ありがたや。


 ホントに大満足で、あとこれ聴きたかった、って曲が思い浮かばないくらいてんこ盛りのコンサートでした。

 あ、あまちゃんの曲聴けなかったけど。


 ただ、それだけのはなし。


パリ管の、ハルサイ w/クラウス・マケラ2022年10月25日

 なんていうか、もう。

 ただ、にやにやしちゃうだけで、言葉で表せない事って、あるよね。


 この、パリ管弦楽団のコンサートが、そうなんだよね。

 クラウス・マケラ指揮 パリ管弦楽団。

 

 コロナでずっと我慢していたのか、たくさんの外国のオーケストラが大阪を訪れてくれて。どれに行こうか我慢しようか、嬉しい迷いをしているのだけれど。

 パリ管、って言うくらいだから、フランスのど真ん中のオーケストラで、そしてプログラムがドビュッシー、ラヴェル、ストラヴィンスキー。これは迷ってられないよね。


 そう思うヒトが多かったのか、あわてて取ったチケット、結構前の方しか空いてなかったんだ。


 なので、ちょっと前気味、右側で聴いた、ドビュッシーの、海。

 ドビュッシーの、海、って言うのはね、クラシック音楽の中の、印象派のど真ん中。その音楽を、前めで聴くとね。

 モネの絵を、近くに寄って見る、みたいな感じなんだよね。

 この曲は、初版のスコアに葛飾北斎の有名な波の絵が描かれているくらい、海の情景の曲なんだけど。北斎の海の、波頭を近寄ってしげしげ見る。そういう見方を僕はあんまりしたことがなくってね。絵画も、音楽も。

 だから、ちょっと席が近すぎたなあ、って思いながら聴いてたんだ。


 なんだけどね。

 つぎの曲、ラヴェルの、ボレロ。

 言わずと知れた、ソリストを聴かせるための曲なのだけれども。これがすごい。

 最初に云ったように、全然言葉になんないから、すごい、としか云いようがないのだけれど。

 まず、ソロがすごい。ファゴットかっこいい。いや、その前にスネアがすごい。ホルンのタンギングがすごい、ソリになったときの音程がすごい、トゥッティになったときの、音のレンジがすごい。

 でも、トロンボンのソロがやっぱり一番すごい。明るい音色、軽やかな高音、艶っぽいフレーズ、グリサンド.下降音階の低音の響き。完璧。

 

 僕は、自分がトロンボンを吹いていたこともあって、この曲はトロンボンのソロで大部分判断するのだけれど。

 いろんな楽器がソロを廻して、わくわくしながら最後の方のトロンボンのソロを待つ、そのどきどき感がいいんだよね。

 なんだけど、この演奏は、そこから。

 最初小さい音で始まったソロのフレーズが、何回もくり返されて楽器を渡ってだんだん大きな音になって。そのうち楽器を組み合わせたりしながら大きくなり続けて、最後はみんなでメロディを奏でて、吼えて終わる、って言うのがこの曲なんだけど。

 そのみんなで奏でる部分、トゥッティって言うのだけれど、トゥッティになってからも、楽器は増えないのに音量が増え続ける。どんな音の出し方してるんだろう、どこまで大きくなれるんだろう、って言うくらい元気な、でも無理してない軽い音で、最後の咆哮まで突っ走って。

 やっぱり、すごい、しか言葉が出ない。


 休憩はさんでは、春の祭典。

 ハルサイはフランス音楽ではないけれど、でもどこのオケがに合う、って言ったらフランスか、アメリカの西海岸なのかな。

 リズムと音色とが煌びやかなオケがいいよね。


 この曲は、高校生のブラバン小僧が一度はスコアを見ながら指揮を再現しようとして挫折する曲で。

 変拍子がすごくてメロディを歌うのも難しいんだ。

 大フィルさんでも何年かに一遍は取り上げるほどの人気曲なのだけれど、やっぱり演奏は難しそう、なんだよね。

 だから、良い演奏を求めて聴きに来るんだけれど。


 でも。

 この曲。

 ホントに、言葉がないんだよ。


 マケラさんの指揮は、なんだろう、中庸、なんだろうね。

 ボレロもそうだったけど、テンポとか強弱とか、特におっ、とかあっ、とかいう違和感がない。フレーズ終わりが少しリタルダンド気味かな、とかそれくらい。

 音のバランスのとり方も、そんなに奇を衒ったところがない(弦しか見えない席なのでよく分からないのかもしれないけれど)。

 だから、普通の演奏なんだよね。

 その、普通が、とんでもなく心地いい。


 この曲で、普通って、あり得ないんだよ。

 僕は、この曲の演奏を、Macの中に入れているだけで42種類持っていて。もちろんサブスクで聴けばもっといくらでも聴ける環境にあって。

 この演奏はここが、あの演奏はあそこが引っかかる、みたいな聞き比べをしているのに。

 マケラさんの指揮によるこの曲には、全く引っかかりがないんだよ。

 ただ、気持ちいい。

 

 驚くべき事に、ボレロですごいソロを聴かせてくれたファゴット吹きとは別のヒトのフラジオソロで始まった曲は、そりゃあもういろんな楽器といろんなリズムにまみれて。

 長身のマケラさんが、長い手足がこんがらがるんではないかと云うくらい指揮台の上で踊りまくって。

 そして、出てくる音は。

 どこまで行っても澄んでいて、明るくて、煌びやかで、パワーがあって。

 すごい、音なんだ。


 いいなあ、パリのヒト。

 こんな演奏、毎月聴けるんだもんなあ。

 うらやましい。


 あとで見てびっくりしたんだけど、この、クラウス・マケラさん、なんと若干26歳。

 才能やテクニックは年齢じゃないよ、と思うけれど、経験やポストは、そりゃあ年齢が左右するものでしょう、っていう固定観念がゆらゆらするくらい、衝撃的な年齢だよね。


 ストラヴィンスキーは、若い指揮者が新しいを手名付けるのに演奏する曲っていうイメージがあるんだよね。ムーティ/フィラデルフィアのときも、就任前後で3つ録音しているし。

 だから、そういう意味合いのプログラムなのかもしれないけれど。

 どういう意味合いでもいいけど、この人、すごい指揮者だし、これからの活躍が愉しみ。

 お気に入りの指揮者の高齢化問題を解決する、追いかけたい指揮者が突如現れて、それも嬉しいよ。


 アンコールは、シベリウスのワルツ。亡くなった元コンマスに捧げたのかな。(英語が聴きとれんかった)


 いやあ、楽しかった。


 ただ、それだけのはなし。



秋のブルックナーとチャイコフスキー2022年10月23日

 さて。

 まだまだ印象の強烈なラトル/ロンドン響をかわぎりに。

 今月来月はたくさんのコンサートがあるんだよね。聴き捨てはもったいないから、ちょっとずつでもメモを残しておこうと思います。無理のない範囲で、ね。


 9月に若々しい原田さん/大阪交響楽団でバーンスタインを愉しませてくれたシンフォニーホールの関西4オケコンサート。

 今回は、飯守泰次郎/関西フィルハーモニー管弦楽団で、ワーグナーのタンホイザー序曲と、ブルックナー4番。

 関西4オケ、僕は大フィルさんしかほぼ聴いたことがないので、どういう位置づけなのか分からないのだけれど、この4オケのコンサートにブルックナーをあててくる、って言うのはかなり野心的な試みなんだろうな、と思うんだよね。


 懐かしの、オオウエエイジ時代のシーズンシートと(多分)同じ席に座って。

 出てきた飯守さんは、ちょっと歩くのがしんどそう。踵骨折1年後の、現状の僕の歩き方と同じくらいかな。だからきっと、周りが見るより本人は気にしていない、くらいだね。

 そんな飯守さんのタクトから出てくる、ワーグナー。

 

 お、ぶっとい。

 冒頭のクラリネット(なのかアルトクラ?なのか)の音が、ぶっとい。それはすごくワーグナーの世界にマッチしていて。そのあとのホルンも同じく、太さに命をかけている様な、そんな音で。

 だから、僕はすごく好きだな、この音。


 演奏はね。

 僕は最近、この曲の、大好きな演奏を30年振りに手に入れて。それを何度も聞いているので、どうしても比べちゃうんだけれど。

 その演奏は、フルトヴェングラー/ウィーンフィルのもちろんモノラル録音なのだけれど。

 宇宙戦艦ヤマトの波動砲みたいに、ずっと前から気合いをためて、全てのエネルギーをこの瞬間に集中して、エイヤ、って繰り出すトロンボンの巡礼の合唱。

 極端なまでにケレンに満ちた演奏と比べるのはフェアじゃないとは知りつつも。

 それに比べれば普通のバランスで端正に過ぎていく演奏。でも、いいよ。


 ブルックナーはね。

 部分部分いいところがありながら、全体としてはちょっと取ッ散らかっちゃった印象かな。

 3番ですごく顕著だった、書き割りの中の大自然、みたいな感じ。舞台の大道具みたいに、一件大自然が広がっているのだけれど、裏から見ると草むらや木々が段ボールで創った絵で、見る場所を変えるとすごく不自然に見えてしまう。ちょっと前に流行った、道路やサッカー場に3Dっぽい絵を描いて、特定のアングル(カメラ位置)から観ると浮き上がるけれど、そうでないところか見るとちょっと意味不明、みたいな絵があると思うんだけど。3番の音の作り方って、そういうイメージなんだよね。

 4番以降は、音による大自然の世界がきちんとできたのかな、と思っていたんだけれど、今日の演奏を聴くと、まだ書き割りがあるんだな、ってちょっと思ってしまったんだ。

 もちろん、ブルックナーはいつでも楽しいんだけどね。


 ただ、この日のお客さんは、ちょっと拍手の早い人がいたね。ブルックナーの響きが、シンフォニーホールの高い天井に吸い込まれていく最後の瞬間を、みんなでもうちょっと愉しもうよ。


 

 そして、ひさびさ、の感じがする大フィルさん。フェスの定期。

 ミシェル・タバシュニクさんの指揮で、チャイコの4番、他。


 なんか面白い演奏会だったな。

 舞台にはハープが二つ置いてあるし、トロンボンが6人も並んでいるし。どんな音が出てくるかと思ったら。 

 ウェーベルンという人の、管弦楽のための6つの小品 という曲なのだけれど。

 6つの小品、というのに、演奏時間が12分。

 なんかロングトーンだけで終わってしまう(みたいな)曲もあったりして。大編成を使って武満みたいな幽玄の世界につれてってくれました。


 幽玄ついでに、つぎの曲はストラヴィンスキーの詩篇交響曲。

 この曲もヘンな編成で。

 ピアノ2台とハープがデンと前に構えて、そして、ヴァイオリンとビオラは全員お休み。椅子も取っ払って。

 合唱隊が入って。

 めちゃめちゃ荘厳な、きれいな、合唱のための交響曲。

 あんまり心地よすぎて、いろんなお話が頭の中で繰り広げられる、そのBGMとして鳴ってたけれど、すごく良い寝心地でした。


 休憩のあとのチャイコフスキー。

 なんかほっとするな、大フィルさんの音。

 色気のあるホルンもそうだし、バリバリ系も上から下まで難なくこなすトロンボンもそうだし。ああ、帰ってきた、って言うこの安心感。

 チャイコフスキーは、5番6番が有名だと思うけれど、溢れる劇場では決して負けていないこの4番。好きだなあ。

 タバシュニクさん、若々しいのでわかいかたかと思ったら、結構なキャリアの方でした。


 いろんなオケ聴くのって、楽しい。

 ただ、それだけのはなし。



ラトル/ロンドン交響楽団 2022@フェニーチェ堺2022年10月02日

 ようやく、コロナパンデミックのおわりが見えてきたね。

 感染が押さえ込めたとか、数が減った、という事ではなく、経済的な優先順位を上げていこう、と決めたことで、移動や飲食の制限がなくなって、街に外国の方の姿も戻ってきた。

 そして、何より。

 音楽の世界にも、外国の方が戻ってきたんだよね。

 それは、大フィルさんの定期演奏会の指揮者であったり、ブルーノートやビルボードに来るミュージシャンであったり。

 そして、外国からのオーケストラであったりするのだけれど。


 という訳で、行ってきたよ。

 ロンドン交響楽団、サー・サイモン・ラトル指揮の演奏会。

 

 ロンドン交響楽団ってね、もちろんイギリス、ロンドンのオーケストラなのだけれど、スター・ウォーズとか、そういう映画のサントラらおなじみのオケなんだよね。

 多分、僕が最初に親に買ってもらったレコードであるETのサントラも、ロンドン交響楽団だと思う。

 そういうわけで、なんかずっと、ブロードウェイのあるカリフォルニアのオケ、っていうイメージがあったんだよね。ロサンジェルスフィルと間違えていたのかな。


 でも、無理もないよね。

 スター・ウォーズや、インディ・ジョーンズのからっとした曲や演奏は、カリフォルニアの天気に良く合うけれど、ロンドンの(イメージとして)どんよりくもった天気ににアウトは思えないものね。

 まあ、ロンドン交響楽団については、そのくらいの印象だったんだよね。


 指揮者のサー・サイモン・ラトル。白髪の印象的な容姿だし、ずっとベルリンフィルを振っていたから、名前は知っている、のだけれど、僕のMusicのライブラリには、組み物で購入した春の祭典が一枚入っているだけなんだ。あ、あんまり聴いたことないんだ、俺。

 でも、ビッグネームには間違いがないし。

 サーの着いている指揮者って、サー・ゲオルグ・ショルティくらいしか知らないんだよね、他には。だから、ショルティくらいすごいんだ、って言う事で。


 それから、今回来たのは、フェニーチェ堺っていう、堺市の芸術文化ホール。

 前に、カナディアン・ブラスのコンサートと、山下洋輔やらが出演していたジャズフェスに来たことがあったから、今回3度目かな。すごく立派なホールなんだ。

 何でフェスでもシンフォニーホールでもなくて堺なんだろう、って思ってたんだけどね。大入り、って言ってもいいくらいのお客さんが入っていて、良かったね。


 ホールは大入り、くらいの入りなのだけれど、ステージは、すごいことになってたんだ。

 巨大な曲を演奏できる、ハープ2台とピアノを含む大所帯が、それほど広いとは言えないステージに並んで。ステージは足の踏み場がないほどの密集状態。袖近くの弦バスが陣取ると他の人が出入りできない、くらいの密度。こんな大きなオケの演奏会をするなんて、想定外なのでは、と思うけれど、なんとか入りきって。


 そして。演奏。


 その前に、プログラムなんだけれど。

 普通、なのかどうかは分からないけれど、有名な外タレのオケが来るときには、なんか大きなメインの曲があったり、交響曲2曲だったり、ご当地色を出すならその国の音楽を入れるか、とか、そういうプログラムが多いのだと思うけれども。

 今回のプログラムはね、ちなみに。


 ベルリオーズ 序曲「海賊」

 武満徹 ファンタズマ/カントスII

 ラヴェル ラ・ヴァルス

 休憩があって、

 シベリウス 交響曲 第7番

 バルトーク バレエ「中国の不思議な役人」組曲


 っていう5曲。お得なのかどうなのか、判断に迷うプログラムだよね、と聴く前には思っていたのだけれど。

 結果的には、どんぴしゃドはまり、だったのだけれども。


 演奏はね、どの曲をとっても、すごい、うまい、それ以外の感想があんまり出てこない、そういう演奏会、だったよ。


 最初のベルリオーズ。

 最初の三つの音くらいでね、ああ、ジョン・ウィリアムスのサントラのオケだ、って。

 軽妙で歯切れが良くて、そしてリズムが正確。この大編成のオケが、一糸乱れぬアンサンブル。こわごわ探りながら音を出す、なんてことも無ければ、苦しそうなロングトーン、なんてものもない。すごい。


 編成ぐっと減って、武満は、トロンボン狂想曲。このオケの主席の方が吹いているんだけれど、自由自在、いろんなミュートを駆使しながら、どんなミュート、どんな音域、どんな音量でも、これぞトロンボン。この前聞いたSlide Monstersもすごかったけど、やっぱり楽器は音色聴かせるのが最初でしょ、と思ったソロでした。

 バックも、どんなに演奏してても全然邪魔にならない。アインザッツとピッチ、それから音色がみんな同じなのかな。オケって楽器って言うけれど、こういうことなんだね。


 そして、ラヴェル。

 考えてみたら、ベルリオーズもフランスの作曲家で、武満も日本っぽいところがなく、無国籍だけれどもどちらかと言えばドイツよりはフランスより、と考えると、この第一部はフランスプログラムだったのか、とあとから気がついたのだけれど。

 それにしても、このラヴェル、ラ・ヴァルス。

 最初の3音だけで、ここはフランス、ラヴェルの世界。

 聴いている中で、あ、ここはフランスっぽいナ、とか、ラヴェルの響きだ、とかそう言うのではなく、ただ単に、どこを切り取ってもラヴェル。どこを聞いてもフランス。

 長年サントラに重用されているのは、音で世界を描き出す、こういうところなのかな、と、もはや働かない頭で考えていたよ。


 休憩のときに、プログラムを購入して読んでいたら、なんと、前日には京都でブルックナー7番演奏しているんだね。

 ううむ、それは聞きたかったなあ、という想いも当然のようにあるのだけれど、でも、今日のこのプログラム、いいやん、これで。って言うのもあったんだよね。


 後半のシベリウス。

 このプログラム唯一の交響曲。この曲でかどうかもはやはっきりしないけれど、ロンドン交響楽団の音の秘密を少し突き止めた気がしたんだ。それは、ヴァイオリンの強さ。ヴァイオリンと、ヴィオラも含んだ中高音部、なのかな。アンサンブルの基本となる低弦はもちろん、この広いホールをハウリングさせるんではないか、って言うほど強力なのだけれども。その低弦がうなっている中でも、ヴァイオリンがびしっと鋭角に浮き上がってくるところが良くあって。多分それはヴァイオリンパートの音が一つになってぶつかってくるから、なんだと思うんだけどね。

 そうやって見ると、弦楽器の弓の使い方、もちろん上げ下げのアクションは揃っているのだけれども、その角度までぴたっと揃っているんだよね。見た目もきれいだし、だからこそあの音が出てくるんだな、ってちょっと納得。


 そして。

 バルトーク。

 シベリウスのあとのバルトークって、ちょっとおまけなのかな、って思ってたんだよね。時間的にも迫ってるし、とか考えたりして。

 ところが、とんでもなく。

 シベリウスの、壮大な自然賛歌の交響曲とはうって変わって。写実的な、というのか、忙しい、ある意味ガチャガチャした曲。

 後半の、トロンボンのキ○○イじみたソリと、それに呼応するオケ。アップテンポのアンサンブル。

 下手にやったら分解しちゃうし、普通にやってもゲテモノ扱いになりかねない曲を、ラトルは最後に持ってきて。

 それが、なんていうか、すごい納得感。

 いろいろあったプログラムを、なんかすごいものを聴いた、って言う満足感で締めくくってくれました。


 アンコールは、フォーレの小品。静かな余韻で、ここまででプログラムなんだ、ラトルってすごい。


 最後に。

 ロンドン交響楽団は、エリザベス二世のオーケストラ、といわれている交響楽団です。このたびの訃報に、心を痛め、母国に心を残しながらのツアーであると思います。

 来てくれて、ありがとう。

 すごい演奏を聴かせてくれて、ありがとう。


 ただ、それだけのはなし。



高橋真梨子 last days2022年09月30日

 歌謡曲って、流行歌、って言うよね。

 売れたら、世の中を巻き込んで流行を創って、そして忘れられていく。そういう刹那の匂いのする音楽が、流行歌、歌謡曲。

 そういうことで言うと、僕が好きなのは歌謡曲ではないのかも知れないな。子供の頃や学生の頃に聴いた、あの曲やこの曲、忘れちゃったのももちろん多いのだろうけれど、昔から今までずっと好きなものも、多いんだよね。

 

 考えてみると、むかしから、ちょっと前の曲が好きだったな。数年前とか、十年前とか。それこそ忘れ去ろうとしていた流行歌を、なんの拍子にか想い出して、ベスト盤のCDをかってみたりして。それを愛聴して今に至る、みたいな。


 有線放送で言うと、ヤングナツメロってチャンネルを良く聴いていたんだよね。

 え、何で有線放送なんだって? それはね。就職でやってきた大阪の単身アパートに、有線放送が備え付けられていてね。聴き邦題だったんだ。多分お代は会社が持っててくれたんだろうけれど。今で言うサブスク? 曲単位では選べないけれど(電話をかけるとリクエストに応えてくれるちゃんねるもあるけどね)、440チャンネルもあって、好きなジャンルを聴き放題。ぼくは、さっき言っていたヤングナツメロと、あとお経のチャンネルを良く聴いていたな。それは別のはなしだけれど。


 そういう僕が、リアルタイムからずうっと聴き続けてきた人たちは、あたり前のことだけれども結構なお歳を召した方が多くって。やっぱり、必然的に、いつまで聴けるのかな、って心配することが多くなるんだよね。

 吉田拓郎も引退作を発表したし、中島みゆきもラストツアーのライブ盤を発売したし。山下達郎だって何年ぶりのアルバムだ? この間隔でつぎはあるのか? って感じだし。

 太田裕美だってそろそろ50周年だし。

 そういうわけで、一回くらいは生で見たい、っていう人達が、たくさんいるんだよね。


 そういう、一回くらいは生で見たい、っていう人の一人、橋真梨子。ずっと観たかったんだよね。

 ずっと観たかったんだけれども、何年か前の紅白歌合戦のときの声の調子の悪さが印象に残ってて、あれでは聴いてて悲しくなっちゃうなって思うとなかなか行けなかったんだよね。

 それが、WOWOWでやっていた去年くらいのライブではすごい魅力的な声で唄っていて。

 これなら聴きたい、と思ってチケットをとったんだ。ちょっと前に。

 そしたら、楽しみにしていたその日、なぜかピンポイントで高熱を発してね、僕が。泣く泣くあきらめたんだ。

 その顎、僕が行けなかったフェスティバルホールに、もう一回ツアーでやってくる事に気がついて。それと同時にラストツアーって銘打っている事にも気がついて。

 もうチケットも残り少なそうだったけれど、それでもいいや、ってチケット取って。


 行ってきたよ、橋真梨子。

 フェスティバルホールの3階席。


 新しくなったフェスには何十回も行っているのだけれど、3階席ははじめてかな。結構見やすいんだ、傾斜がきつくて、ステージの奥行きが一望できる感じ。

 このところ、Popのライブはライブハウスとかビルボードとかだったから、ちゃんとしたセットのあるステージって、新鮮。あゆのライブに行かなくなって久しいから、それ以来かも。

 もちろん、あゆみたいにダンサーやパフォーマーが跳んだり跳ねたりする訳ではないのだけれど。


 そして。唄。

 ツアーとしては最後になるからか、ヒット曲のオンパレード。僕のmusicには、橋さんのアルバムは4枚入っていて。ベスト盤とオリジナルが一枚と、あとはカヴァーアルバムなのだけれど。それでもほとんどの曲を知っている。そして歌えちゃう。そんな選曲。


 一度は聴きたい、って言って聴きに行く人の中で、そのライブの評価の一つとして「現役感」って言うのを結構気にしながら聴くんだけれども。

 その現役感を一番感じるのは、「知ってる曲の少なさ」だったりするんだよね。

 

 つまり、僕が持っているベスト盤のような、往年の名曲をてんこ盛りで歌うだけじゃなく(それだってものすごく凄いんだけど)、新曲やアルバムの曲、そういう曲をどんどん歌っているライブだと、「毎年のライブの、今年はこういう選曲」って言うポリシーを感じて、ああ、現役なんだ、って思うことが多いんだよね。


 橋さんのライブは、そういう意味では、ヒット曲のオンパレード。それは、最後のコンサート、という事で見に来た、僕のような一見さんに対するサービスなんだと思うのだけれども。

 でも。

 橋真梨子の「現役感」は、それは、歌声そのものなんだよね。

 もちろん、といっては失礼なのだろうけれど、ちょっと引っかかりのある高音の伸ばし、それはCDで聴くものとは違うのだけれども。

 でも、そこじゃなくって。

 橋真梨子を橋真梨子たらしめているもう一つの声。なんていうんだろう。首の付け根から頭蓋骨の中でおでこの裏側に声をぶつけて頭頂部ちょっと後ろからふわっと外に出す、みたいな声。張りと濁りを同時に持った、コントロールが難しそうなその、声。桃色吐息の最初の数小節に凝縮されたようね、その結晶のような声。


 その声がね、聴けたんだよ。

 たっぷりと。


 嬉しいなあ。

 来て良かった。これて良かった。


 最初にチケット取ったのは、平日だったからかな、ひとりで行こうと思ってたんだよね。

 今回、週末だったから、家人も誘ってふたりできたのだけれど。

 最初は、5番街しか知らない、とかいっていたけれど、聞いたことある曲は多かったみたいで。生で聴くあの声の歌唱力に、ふたりでやられっぱなしだったよ。


 橋さん、長い間のツアー、ご苦労様でした。

 まだディナーショーとかもあるみたいだけれど。アコースティックでビルボードとかだったら、すぐチケット取っちゃうな。

 ああ、聴けて良かった。


 ただ、それだけのはなし。