番犬は庭を守る 岩井俊二の、Hai(i)Roの未来2012年04月28日


 銛で鯨を突いていた、野蛮な民族の末裔。

 クローン豚からの臓器移植で、苟且の健康を買う人々。

 立ち入ってはいけない、老朽化した設備の門に立つ守衛。

 身近にある死と、遙かに遠い誕生。

 

 廃炉の街に淡々と流れる、時間。物語。

 

 人間が創り出した過酷な世界。それを受け入れて暮らす人々。あるいはそれを克服するために働く人々。

 

 そういうものを描くのって、もともと、エスエフっていう分野の役割だったよね。将来的に起こる可能性を、科学的嘘で修飾しながらシミュレートする。突飛な、いつか、どこかの物語じゃなくって、現代社会のちょっとだけ異次元のパラレルワールド。

 

 小松左京の、「日本沈没」のような、そういう災害シミュレーション。

 今こそ、そういう物語の出番だと思うのだけれども。

 でも、僕のアンテナが、エスエフ畑から離れちゃったからかどうか、そういう物語がエスエフからは出てきてないなあ。って思っていたら。

 

 そのものど真ん中の物語、岩井俊二が出したんだね。

 岩井俊二が、エスエフの人なのかは微妙だけれど。

 正面から、このタイミングで発表した事に、まず、敬意。

 

 岩井俊二の小説は、自身の映画のノヴェライズっていう性格がどうしてもつきまとっていて、小説としてはどうなんだろう、って思ってたんだよね。。だから手に取らないようにしていたのだけれども。

 ウォレスの人魚っていう、自分の映画とは離れた分厚い物語を、まずはこれから、って読んでみて、ぶっ飛んだ。

 物語や語り口のうまさは、これは岩井俊二だから当然なのだけれど、その物語を支える、圧倒的質量のでっち上げ。科学考証に則った、いかにもそれらしい、嘘。

 これって、ハードエスエフやん。

 

 だから、自分で映画かをしていない岩井俊二の小説、っていうのを心待ちにしていたところに出たのが、これ。

 番犬は庭を守る。

 

 事故を起こした原発の、事故そのものの恐ろしさではなくて。

 それからずっと続く、廃炉の管理の恐ろしさ。

 事故の記憶と記録は速やかに喪われ。意味を知らない立ち入り禁止区域は子供の遊び場になり。壁は裂け、パイプの露出した建屋からは正体不明の蒸気が噴き出して。

 十年、百年でそういう状態になるかどうかは知らないけれど、廃炉の管理って、千年、万年単位で続くんだよね。事故を起こした原発じゃなくって寿命になった原発だって、こういう状況になることは十分に考えられるよね。

 

 たかだか60年働いて、そのあとずっと忌んだ土地になる、そういう可能性。

 

 原発反対論者の人が叫ぶ言葉はいっこうに響かないけれど、この物語が冷静に表現する言葉は、響いたなあ。

 そして、怖くなった。

 

 だから。

 最後の一行。そこに流れるやさしい希望。嬉しかったよ。

 とっても。

 

 ごっつい硬派で、優しい物語。

 機会があったら、読んでみて欲しいなあ。

 

 ただ、それだけのはなし